停戦
浜江省哈爾浜、新市街区車站街
哈爾浜特務機関本部では、マーラーの交響曲第五番が流れていた。ちょうど第四楽章に入ったところだ。哈特機関長にして関東軍情報部長でもある秋草俊陸軍少将がこよなく愛する旋律だった。
「まったく、戦争の背景音楽にふさわしい」
机の前に立つ総務班長は目を剥く。
「そうでしょうか」
「げふん。王賢偉はたいしたものだ。名前だけのことはある。敵地にいながら宣戦布告を出させるとはな」
「重慶からではありません、すでに南京に移った模様です」
「蒋介石もさすがの胆力だな。王は信用されたと見える」
「それはもう、法幣五千六百億元です」
秋草は煙草を咥える。総務班長は思った。どうやら部長も待ちきれないらしい。
「竹垣もやる。あっという間に米英中との停戦を成立させた」
「向こうは司令塔を亡くしましたから」
「大将同士の頂上対決だった」
「これまでの事情が闇に消えませんかね」
「首班に名乗り出るのだから、抑えているだろう。陸海ともにな」
七日の閣議も断続的に一日中続いた。もう選択肢はなかった。外では、対日中立だった筈のソ連が侵攻して来た。内では、陛下の決心が不動であると木戸内大臣が何度も念を押す。前夜からまる二十四時間を経た午後八時、遂に内閣はポツダム宣言受諾を決定した。
変事は、ポツダム宣言受諾を送信した後に起こった。閣僚たちは送信完了の報告を受けて席を立ち、互いに慰労の挨拶を交わす。陸軍大臣の阿南大将も海軍大臣の米内大将の前に立った。そして、黙って斬りつける。阿南は米内の絶命を確かめると自刃して果てた。
その直後、次の変事が起きた。官邸を出て公邸へ向かう首相らは、乱入して来た軍人の襲撃を受けた。拳銃の乱射は周囲を巻き込んだ。商工大臣の左近次海軍中将は、首相を庇おうとして死亡した。軍人たちは海軍厚木航空隊の将校らであった。
「三度、鈴木首相は命拾いをしました」
「それ以上の回数だろう」
「戒厳令が検討されるとは、混乱もいいところです」
「陸相の自刃で不発に終わったが、陸軍にも動きはあった」
「海軍は、戒厳令で陸軍の下につくのを嫌ったようです」
戦争中に戒厳令を布くと云う妙な話は、四閣僚の不在から発したものである。首相、陸相、海相の三人は最高戦争指導会議の構成員でもあったからだ。しかし、すでに鈴木内閣は玉音放送直後の内閣総辞職を決定していたし、翌日の声明文もラジオ放送の録音も出来上がっていた。
そうであれば、次期内閣の組閣こそ急ぐべきだった。次の首班は東久爾大将宮が予定されていたという。だが、木戸内大臣は変事を受けて、もう一人、挟むことにしたらしい。
通信班長が入って来た。満面の笑顔だ。
「やったか」
「やりました。これです、部長」
秋草は通信班長が差し出した電送写真を見て深く頷いた。総務班長も覗き込む。
「これで宇垣内閣は成立ですね」
「ああ。決して好かれてはいないが、これでは木戸内府も推すしかない」
それは中華民国政府の蒋介石総統の実筆だった。宛名は日本国総理大臣宇垣一成閣下とあり、中国政府は日本の国体について問題としない旨が書かれてあった。実際に蒋介石は米英に対して働きかけているらしい。直接の連絡はないが、王も甘粕も健在なのだ。
【8月10日正午の戦線】
国都新京、洪熙街
満州映画協会の撮影所は、七日と九日の二度の空襲でも無事だった。その第三スタヂオの中に造られた関東軍総司令部では、満映理事長の甘粕正彦が労工協会理事の飯島満治らとラヂオ放送を聞いていた。飯島は甘粕機関の参謀格である。総司令官室には、他に古参の機関員である比良利一、加茂安悟郎と本間重生がいた。
「宇垣大将が総理大臣か。やったな。阿南大将が海相に斬りつけたと聞いた時には、もうおしまいだと思ったが」
「ああ、半分は終わったよ。正彦と満治のおかげだ」
「礼はいいが、まだ山の半分か。やれやれ」
げんなりした顔で飯島が愚痴った。甘粕理事長に扮している竹林晃彦は宇垣大将の指令で満州に来ていた。いわば宇垣機関の一員である。飯島たちは竹垣と呼んでいた。
「期限がある方が優先だな。マニラ会談で連合国が指定したのは八月一六日午後六時だ。それからは航空機や艦船は動けない」
「ふぅ、一週間もない」
「陸軍船舶部隊と海軍はうちでやる。満治たちは大連と羅津の手配だ」
「羅津より清津がよくないか」
「前線まで遠いが、そこは任せる」
連合国最高司令部となったマニラのマッカーサー司令部は、日本が派遣した降伏軍使に要求事項を手交した。その第三号には、『日本国内にある日本国陸軍、海軍または民間の一切の航空機と艦船をして追ってその処分に関し指示あるまで確実に之を地上、水上または艦船上にあらしむべし』云々とあった。
あと五日ほどは航空機も艦船も移動できないことはないが、期日までには戻しておかねばならない。実際に進駐が始まって実地検分されるまでには、もう数日の猶予があるだろう。しかし、連合国は連日連夜、航空偵察を行なっている。うまく擬装をやれるかどうか。
「野口の要求は通ったか?」
「ああ、河辺は砲兵科だが大佐になってからは航空畑だ。もちろん、わかっているさ」
「あいつも変わり身が早いな。徹底抗戦派の筆頭じゃなかったのか」
「たった一日で全軍に停戦を実行させたのは河辺の実力だ。同じ参謀本部の作戦畑でも、秦とは迫力が違う」
参謀本部次長の河辺虎四郎は竹林や飯島、甘粕と同じ陸士二四期だった。陸大を出てからは参謀本部の作戦畑が長い。海軍軍令部参謀や戦争指導課長を勤めたこともあるから、竹垣にとっては得がたい人物だろう。さらに、梅津総長の使い方を心得ていた。正面からの圧力に抗し、どの派閥にも属さない梅津大将は、実は時流に敏感だった。参謀総長は陸軍有利と見たのだ。
「すでに、蒋介石は米国軍事顧問を通じて情報を流していた。米国は準備万端で受諾発信を待っていたんだ」
「貴様と正彦の息もぴったり合っていたのだな」
「そうとも、同じ血が流れているからな。それにしてもエデマイヤー少将は大統領の信任が篤い。これは使えそうだ」
「何に使うんだ」
「宇垣内閣の使命はポツダム宣言の骨抜きなのだ」
第三スタヂオの満州模型地図の上には一段高い舞台があった。今、そこには垂れ幕が下がっている。
一つは前の陸軍大臣、阿南惟幾大将の訓示である。『ソ連遂に皇国に寇す。明文如何に粉飾すと雖も大東亜を侵略制覇せんとする野望歴然たり。事茲に至るまた何をか言わん。断乎神州護持の聖戦を戦い抜かんのみ』
もう一つは、関東軍総司令官、山田乙三大将の訓示だった。『楠公精神に透徹して断乎聖戦を戦い抜くべし』
しかし、舞台の上で宮沢次郎参議官が受け取った指令は、第二スタヂオの総司令官室から発せられたものだった。
「最初から織り込み済みでしたので、大連は問題ありません。問題は朝鮮ですね。清津なら港と東西の漁港を結ぶ鉄路が環状に繋がっていますから、列車の運用に便利です。朝開線を使えば図們を迂回して延吉に直行できる。羅津は迂回路がないし、すでに最前線だ」
「それで頼む」
「わかりました。二往復するのならば、トン数と隻数を早く知りたいですね」
国民勤労部次長の半田敏治は請け負う。
「夜にはわかる」
宮沢は一礼すると下へ降りていって同僚に説明する。在満日本大使館の日笠と蒙古自治邦政府の成田だ。半田が引き抜いて来た二人は、総力戦研究所で宮沢の同期生だった。