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SR満州戦記2  作者: 異不丸
終章 八月一六日
31/33

敗戦


国都新京、洪熙街


 満映撮影所の理事長室には、甘粕正彦と竹林晃彦の二人がいた。今日の竹林は眼鏡をかけず、短い髪を七三に分けている。軍属衣を着ているのは、これから乗る陸軍機の都合からか。午後六時から航空機の飛行は禁じられるから、本土行きはこれが最後の便になるだろう。

「米軍が原子爆弾を使うとは驚いた」

「だが、ソ連軍は撤退を開始した」

 昨日の午後二時、牡丹江省楊梭県の代馬溝に投下された爆弾は、第六六陸軍病院にあったフイルムが感光していたことから原子爆弾と判定された。

「中国を巻き込むことは察していたが、米国まで引き込むとは。さすがは正彦だ」

「晃彦、次からは早めに連絡してくれ。助勢が不要でも」

「きっとそうする。不要な犠牲が出たな、すまない」

 しばらく、二人の間には沈黙が続いた。それを破ったのは、やはり甘粕だった。

「上空では気圧が低い。胸は大丈夫か、晃彦」

 竹林は待っていたかのように、嬉しそうに答える。

「うん。グロメコ先生に相談した。さらしを巻き、着けた救命胴衣を膨らませておくんだ」

「そうか、よかった」

「正彦、まださらしを巻いていないんだ」

「僕が巻いてあげる。さあ」

 理事長室のドアの外では、伊藤秘書が息を詰めていた。腕時計を見ると、時間はもうない。そうっと、音を立てずに廊下を端まで後ずさりする。それから、靴音を高くして歩み寄り、大きくドアを叩く。きっかり三十秒待ってドアを開けると、顔をあげずに告げた。

「理事長、竹林様のお車の用意ができております」





東安省虎林県虎頭鎮、猛虎山


 猛虎山の地下にある要塞司令部では作戦会議が開かれていた。未明に第五軍司令部から新たな軍命令が伝達された。

「昨日の停戦命令はそのままですが、新たに虎頭要塞向けの詳細要領が加わっています」

 ソ連は停戦や作戦中止に言及していないが、部隊兵団はソ連領内に撤退中である。要塞至近を通過しての渡河もあった。

「中国当局介在なしのソ連軍との接触は回避すること、とあります」

「つまり、まだしばらくは外に出ない方がいいのか」

「しかし、この暑さです。早くしないと」

 戦場の掃除と戦死者の埋葬のことである。戦時陸軍規則では戦闘終了後に戦死者の身元や状況を調査することと規定されてあった。回収が遅れ腐敗が進むと個人の特定も困難になる。一般人三百名の代表である在郷軍人会長の川原は急いていた。

「明後日には東北行営が着く。川原会長と詰めてくれ」

 昨日の戦闘でソ連軍は毒ガスを使用し、東猛虎山と西猛虎山の地下壕は放棄された。入念に密閉遮断して、残った中猛虎山の要塞内は加圧されている。それでも、外の空気を吸いたいというのが全員の本音だ。

「三か月は籠城の覚悟だった。文句を言ったら忠霊の罰があたる」

「はっ。言い聞かせます」

 西脇大佐は守備隊長室に戻った。中にはアレクセイ中校がいる。

「東で使われたのはあお剤、ホスゲンです。西は安倍軍医も特定できていませんが、おそらくG剤」

「西猛虎山では全員が被甲を装着していた」

「はい。G剤は皮膚からも体内に入ります」

「独逸で入手したものを試したのか」

 大佐の問いかけに、中校は無言で頷いた。

「総司令部が停戦を発令したのは正午で、原子爆弾の投下は午後二時だ。米軍は我が軍の停戦を知っても中止しなかった」

「そうなります」

「広島への投下がソ連の参戦を早めた。昨日の投下でソ連は撤退を開始した」

 アレクセイ中校は唇を噛む。

「日本は米国に敗北したのです、西脇隊長」

「うむ。米国は勝利した。ソ連にも」

 西脇大佐は背を向けて煙草に火を点けた。





牡丹江省東寧県、白刀山子西方


 大島小隊は帰ってきた。生き残ったのは三十六名。開戦時の第七中隊木谷小隊は九十八名で、老黒山支隊第一中隊に編入された時は五十名だった。六十二柱の遺骨が背嚢の中にある。指の骨だけなのに、大島伍長には重かった。少なくとも十四名の戦死には責任がある。その全員が昨日の戦闘だった。自分の指揮に問題はなかったか。

 小隊が勝鬨陣地の西に迫る敵戦車の迎撃に出動したのは早朝だった。新型の対戦車兵器は東寧要塞にはまだなく、九九式破甲爆雷と九九式手榴弾による挺進攻撃である。陣地前面の戦車壕を利用し、二度に亙って敵を撃退した。三度目は昼に近かった。勝鬨陣地の中隊長からちゃ剤を使うように命じられた。通称ちび弾の、ガラス球の中身は青酸ガスである。

 大島は躊躇した。ソ連軍が虎頭や穆陵で大規模に毒ガスを使ったから報復すると言う。それはいい。戦闘中にわざわざ中隊長が出向いて来たのだから作戦上の必要があるのだろう。しかし、ちび弾で車内の敵兵を殺傷するには、砲塔下部や機関上部で三発を破裂させる必要があった。車上に乗り上がるようなもので、敵に体を晒す時間が長くなり、挺身隊員の危険度は格段に上がる。拒否するべきだったか。

 大島の思考は若い声で中断した。

「小隊長どの、お願いがあります」

 声をかけてきたのは里山二等兵だった。頭に包帯をしている。

「山木二等兵と木村二等兵の遺骨を自分に預からせてください。うちの開拓村には墓地があります。持ち帰って葬ります」

 三人は同じ義勇隊だったと、大島が思いだすのにしばらくかかった。

「寧安県だったな、よかろう」





吉林省白城県、白城子


 第四四軍司令部の司令官室で、本郷中将は陸士同期の飯島の相手をしていた。降服を聞いて興安軍司令部から引き揚げてきた飯島は意気消沈していた。

「どうして米軍は原子爆弾を使ったんだ」

「強力な兵器があれば、どこの軍だって使うさ」

 冷徹に言い切る本郷に、飯島は向かい直る。

「関東軍総司令部の停戦発令と同時に、満州国政府は中国への降服を声明した。直後に東北行営が停戦受領を発表した。午後一時には南京の蒋介石が降服受け入れと戦争終結を放送している。使う必要はなかっただろう」

「ソ連はいまだに停戦も休戦も、何も声明していない」

「何が言いたい?」

 本郷は煙草に火を点け、あからさまに間をとった。飯島は舌打ちをして続ける。

「煙筒屯から営口に敷いた封鎖線を西に進めればよかったんだ。百キロもない。米軍の戦車を見ればソ連は進撃を止めただろう」

 本郷は数服吸ってから言う。

「米ソ両軍の対峙になるだけだ。ソ連軍は退却しない」

 飯島は首を傾げた。

「西正面だけでもソ軍は四個軍三十個師団はいる。米軍は十個師団がやっとで、展開したのは四個に過ぎない」

「兵力だけではソ軍を撤退させられないのか」

「関東軍全軍が十日かけてもできていない」

「そうだったな。直接対峙して戦闘になるのを恐れたか」

「うむ。あえて代馬溝にしたのは、場所は自在に選べるという意思と能力の誇示だろう」

 飯島ははっとした。

「脅しか。沖縄からだと代馬溝もヴォロシロフも同距離だ」

「最初の投下は都市だった。奉天から出撃すればハバロフスクもチタも、イルクーツクにも届く。ソ連は撤退するしかない」

 本郷は飯島のたばこに火を点けてやる。

「甘粕は予想していたのだろうか」

「あいつならすべての可能性を検討したはずだ。考えつかない筈がない」

「そうだな。のどが渇いた。水をくれ」

「竹林の土産がまだあるぞ」





国都新京、洪熙街


 甘粕正彦は、理事長室で娯民映画製作処の三人に宣言した。

「次の映画を撮ります。新しい満州にふさわしい映画です。美しい天然、健気な娘、強い農民、動く工場。希望を撮りましょう」


 長広舌に坪井処長と内田監督はげんなりとした。しかし、朱監督は顔を紅潮させて歩み寄る。

「希望とは昇る太陽、朝日です」

「おお。そうですとも」

「では理事長、さきの映画の最後の場面を撮らせてください」

「え、なんです。ここで撮るのですか」

「はい。まもなく、傾いた西日が窓に入ります。それを満州平野に沈む夕日に繋げたいのです」

「落日ですか」

「理事長。西に沈んだ太陽は、また東に昇ります。明日昇るために、今日沈むのです。亜細亜で最初の朝日は日本に昇ります。そして、満州、中国の空を巡る。日本に昇らなければ、亜細亜に日は差しません。それは実証された。また朝日が欲しい」

 甘粕は朱監督の言う言葉を噛み締める。

「そうですね」


 甘粕は窓際に立ち、煙草を出して火を点けた。燻らす紫煙が窓を覆うが、それを貫いて日が差す。後ろでカメラが回っていた。





SR満州戦記2 完






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