四 開通
龍江省、開通県
開通県の県城は内側が一キロ四方、外側二キロ四方の二重の城壁で囲まれていた。海抜は二百二十で、第四四軍司令部のある白城子より七十メートルも高い。大興安嶺から新京までなだらかに続く満州平原の中では、最高地点の一つだった。龍江省は国境省ではないから避退の対象ではなかったが、開戦後に拡大されて一般人は退去している。代わって、第六三師団の師団司令部が置かれていた。
八月四日の第三方面軍兵団長会同では、満鉄平斉線を放棄し、連京線で防衛するとした総司令部の西正面防衛作戦が批判された。ソ軍の主力戦車T-34の行動距離は四百キロで、新京、四平、奉天のいずれかに到達するまでに一度、燃料補給の必要がある。中間にある平斉線の駅と市街は、絶好の補給点となり得る。むしろ反撃の機会とするべきだ。
開戦直後に数日続いた総司令部の音信途絶に乗じて、第三方面軍司令官は大規模な兵団の配置転換を行った。第四四軍を白杜線に重点配備し、大鄭線に移った第三〇軍の防衛線と平斉線で連結するものだ。後貝加爾方面軍の当面の攻略目標は白城子と鄭家屯とされ、それぞれ軍司令部が置かれた。西正面の想定前線は連京線から二百キロ近く西進した。それは独断専行とも判定されかねない大胆なものだった。
軍司令官の本郷中将は、師団長の岸川中将を訪ねていた。岸川は陸士二三期で本郷の一期先輩になる。根こそぎ動員で急造した弱体兵団の中にあって、支那で二年間の戦歴のある師団は貴重だった。県城の背後、東五キロの白花屯の野戦飛行場に降りた軍司令官は、師団長の案内で県城前面の陣地を視察した後、二人きりで内城の高楼に登る。
大興安嶺を抜けて突泉から魯北周辺に現れた第6親衛戦車軍は、公主嶺から奉天を目指すものとされていた。三つの軍団の二つがそれぞれ公主嶺と奉天へ進撃し、その中央に予備のもう一つの軍団が位置する。およそ二百キロの幅となるが、数千両の車両を持つ戦車軍には適度な間隔だろう。
「突泉の第7機甲軍団は挑南に来ました」
「新京占領が最優先のようです」
それは、新京に向かうと目されていた第39軍の進撃が遅れていたからだ。白杜線に沿って南下する軍は、まだ大興安嶺を抜けきっていない。代わりに新京へ急行するように、第7機甲軍団は命じられたのだろう。しかし、新京のはるか手前の挑南で大損害を被った。
「第7機甲軍団は北へ退却しました」
「第39軍の軍団から補給を受けるようです」
「異例だ」
「であれば、敵の作戦は破綻し始めている」
中国軍の大連上陸は、ソ連にとって大きな衝撃だったはずだ。奉天はもう間に合わない。新京だけでも中国軍に先んじて入城しないと、満州進駐の名実は成立しない。一番近いのは第6親衛戦車軍の第7機甲軍団だった。時速五十キロの戦車なら八時間あれば新京に到達できる。昨日は撃退できたが、壊滅したわけではない。ラヂオは東北行営は奉天に達したと伝えた。
「明日では遅い」
「敵戦車軍の主力はここへ来ます」
今朝、第7機甲軍団は白城子と挑南の間に再来したが、これは陽動だ。白城子と挑南の東側は湿地帯で、河川池沼が多く戦車部隊の突破には向かない。わが軍の機甲戦力を引きつけようというのだ。実際に独立戦車第一と第九旅団が迎撃している。しかし、主攻は魯北を出立した二つの軍団だ。第5戦車軍団が開通前面を攻撃し、その間に第9機甲軍団が南を通り抜ける。
「後宮閣下から、これから虜囚になると電報がありました」
奉天市内にあった第三方面軍司令部は東北行営に接収されたとみられる。方面軍司令部には特別警備隊が一個大隊しか残っていなかった。直轄兵団も部隊もすべて前線に送ったからだ。後貝加爾方面軍を迎撃、撃退する手配はすでに終わっている。後宮大将は後顧の憂いなく降られただろうと、本郷は告げた。
二人は高楼から西を見つめる。高さは八メートルあるから十キロ先まで見通せる。今日は朝から風が強いが、煙る地平線は風塵によるものではあるまい。
「よくしていただいた」
第六三師団は治安師団として編成されたから、独立歩兵大隊八個が基幹で、通常師団より定数は少なく野砲も持たない。それを補うために、方面軍直轄から野戦高射砲大隊二個と独立自動車大隊が配置された。さらに、軍直轄の野戦重砲兵第三〇連隊が追加され、独立工兵第四〇連隊と第四二野戦道路隊はこれまでにない野戦陣地を築いている。
「第三〇軍の第一四八師団が進発しました」
本郷の言葉に岸川は無言で頷いた。第一四八師団は最も新しい師団で、編成は完結していない。西の地平線近くに閃光がいくつか見えた。
「軍司令官、そろそろです」
「や、長居をしました。失礼する」
岸川師団長の敬礼に本郷司令官は答礼する。
戦車第一八連隊の連隊本部は開通県城から南西二十キロほどの干家公司に開設されていた。その至近に三式指揮連絡機がふわりと着陸し、連隊長の島田豊作中佐が降り立つ。島田は補給所の喧噪を見ながら本部の天幕に向かった。地図を睨んでいた連隊附きの野名大尉が顔をあげる。
「どうでしたか、連隊長」
「航空部隊はよくやっている。見事だ」
島田は多くは語らない。本部で無線を聞いている野名が知りたいのは、前進した斥候の視界よりもさらに奥の状況だ。島田が空中視察したのも同じ理由だった。
「ソ第5戦車軍団の戦列は、全体では十五キロの偃月陣で正面幅は五キロ。戦車と自走砲は七百いるが、ここまで着くのは五百だろう。各梯団は三十両前後の鋒矢か鏃だ」
「パンツァーカイルですね!」
「そう、想定通りだ」
本土決戦部隊として九州にあった戦車連隊の満州出撃を、島田が知ったのは一〇日の未明だった。大東亜戦争劈頭のシンガポール進撃では、戦車第六連隊第四中隊長として常に先鋒にあった。満州で有終の美を飾るのは望むところだ。しかも戦場は平原、敵はソ連の戦車軍である。日本陸軍ではそれまで実現していない大戦車戦を連隊長として指揮を執れるのだ。
門司から大連への船中で、島田と野名はあるべき作戦と戦術の錬成に熱中した。マラヤでは密林の中での夜襲を決行し、本土決戦では山岳地での待ち伏せを計画していた。しかし、起伏に乏しい平原では同じ作戦はできないし、敵は十倍以上である。二昼夜にわたる航海中には戦場周辺の情報が逐一もたらされた。思ったほど友軍は劣勢ではなかった。特に空軍は優勢に立てるらしい。
島田は戦車一八の前は陸士で二年間も教官をやっていたから、今次大戦の独ソ機甲部隊の作戦については十分に研究している。阿弗利加や北仏での米英軍戦車部隊の戦術も承知していた。装備は新型の三式中戦車である。初陣であるが、主砲も車体装甲も主機も、戦場での実績がある一式砲戦車や一式中戦車と同じか改良型だ。大連に入港する前に、島田の作戦計画は完成した。
戦車第一九連隊長の越智少佐との連名で提出された作戦計画書は軍司令部、方面軍司令部で検討と調整が加えられ、関東軍総司令部に上げられた。第二航空軍との協同を図るためである。昨日の夕方、戦車一八と戦車一九の両連隊が安其家信号場で戦車運搬貨車を降りた時、すべての準備は完了していた。二つの連隊は、それぞれ設定された本部に直行するだけだった。
作戦では開通の西に三つの戦域が設定された。県城前面のおよそ十キロ四方が六三師の戦域で、野戦重砲兵第三〇連隊の持つ九六式十五糎榴弾砲の射程に合わせてある。その西の三十キロが戦車一八の戦域で、幅は二十キロに広がる。三式中戦車と一式十糎自走砲の対戦車有効射程は二キロほどであるが、上り坂に置いて仰角をつけた榴弾砲として運用するなら十キロ以上に伸びる。
機動できるから戦車であり自走砲であるから、戦況に応じて戦域は移動する。戦域設定の第一の目的は、友軍に対する誤認と誤射を防ぐことだ。戦車一九の戦域は南西に十キロずらしてあった。そしてさらに西の、およそ百キロ四方の戦域は航空攻撃のためである。すでに未明から第二航空軍の攻撃は開始されていた。
連隊は戦車十二両の中隊が三個、自走砲六両の自走砲中隊と半装軌装甲車十二両の機動歩兵中隊を基幹とする。整備中隊と輜重中隊は連隊本部の側の補給所と整備所に置き、これを試製対空戦車ソキ四両を装備した機関砲中隊が守備する。通信中隊の一部が本部車両である二台の一〇〇式観測挺進車に分乗して前進していた。それに付属する側車の斥候は、航空攻撃や戦車一九との戦域境界まで広がっている。
爆音が響いて、上空を友軍の編隊が東へ帰還していく。周辺に常駐飛行場は四つほどあるが、白城子と挑南は戦場であり、四平と公主嶺はやや遠い。戦闘機ばかりだから機動飛行場の王府か大來城に向かうのだろう。朝一番の戦爆連合百二十機による空襲は進発する前の集結中の敵を狙ったが、その後は、十機前後の中隊単位で五月雨式に行われている。目的は敵隊列の分断だった。
『強一八、強一八・・・』
天幕の中には無線機が複数あったが、その一つ、上空の戦闘指揮所と通じる無線機が敵の先鋒の接近を告げる。戦車戦域の十キロ手前で航空攻撃の打ち切りを決定したのは空中指揮機だった。航空軍と第四四軍の参謀が乗り込んでいて、三つの戦域を統合管制している。
「戦闘開始だ!」
発した島田は、飛行帽を被って便所へ向かう。空中に上がる前に出るものは出しておく。
「戦闘開始!全中隊は進発せよ!」
野名大尉は、各中隊に通じる無線機に告げた。
『戦車第一中隊、了解』
『戦車第二中隊、了解』
『戦車第三中隊、了解』
『自走砲中隊、了解』
『機動歩兵中隊、了解』
応答を確認した野名は地図を睨みながら、さらに告げる。
「履帯二号。ナカ、キ、ユ変わらず。パンツァーフォー!」
戦域端から五キロほど離れた待機所にあった三つの戦車中隊は、一斉に北西へ進む。最も西にいた第一中隊が先鋒で戦域に入った。しばらく停止して観測するが、左に見える敵と思しき梯団は遠かった。主砲の三式七糎半戦車砲は三キロの遠方に初弾命中させる精度があるが、敵戦車の厚い装甲は突き破れない。中隊本部の三両の戦車は大きな弧を描いて右旋回した。
「よし、それでいい」
第一中隊が『起動輪』を回ったことを確認すると、島田は呟いた。本部小隊と三つの小隊、合わせて十二両の戦車は、斜行を解いて千鳥になった。この先、第一中隊は砲塔を左に向けながら東に進む。島田が敵の梯団に視線を戻すと、境界線を越えて戦車戦域に入っていた。速度が上がり、南に寄ったような気がしないでもない。その時、第一中隊の車列後尾の北側に数発の着弾があった。
「よかろう。届くとは思わんが」
島田は、煙幕弾を撃った自走砲中隊の決断に頷く。後方は戦車の装甲が一番薄いから、狙われると遠くからでも剣呑ではある。第一中隊は煙幕に近づくように進路を北に寄せるが、発砲はない。敵戦車も止まることはなく、何もないように進軍を続けている。
「後ろからが正解なのに、残念だったな」
第二中隊が『起動輪』を回りきった時、敵梯団は一キロほど先にあった。三式の後方装甲は二十ミリしかないが、T-34のそれは四十五ミリもあり、かつ傾斜している。しかし、中隊長車は停止した。すぐに本部小隊二番車が発砲し、その弾着の前に三番車も発砲した。続く三つの小隊も停止して、発砲を始める。十二両の中で中隊長車の発砲は六番目だった。目標の割り振りに時間を取られたのだろう。
「そうだ。この距離で撃たなかったら『履帯』は成立しない」
敵梯団の中で五両の戦車が煙を上げていた。他の戦車は停止し、信地旋回中である。二発ずつ撃った中隊は全速で発進した。敵に近づくためでなく、反撃の射線を外すためだ。しかし、敵が発砲する前に、煙幕弾の着弾がある。第二中隊附きの機動歩兵小隊は、煙幕の中で降車散開して機関銃を撃つ。敵梯団の中で榴弾が炸裂する。
「うむ」
煙幕を抜け切った第二中隊は停止して、再び攻撃を開始する。今度は前面を向けた敵戦車も多いが、三発の命中弾を喰らうと沈黙した。さらに大口径の榴弾も落ちてくる。敵梯団は北へ退却を開始した。二発撃ち終わった第二中隊は東進に戻る。機動歩兵を回収した三台の半装軌装甲車が追い付いて内側に並ぶ。その頃、『誘導輪』に達した第一中隊は緩やかに旋回を始めていた。
『履帯二号』は島田と野名が考えた戦術の一つだ。戦車の無限軌道を模した進路を縦隊となった連隊の隊列が進む。『起動輪』で戦場に登場した部隊は、往路を進撃して『誘導輪』に達すると、旋回して『起動輪』への復路に入る。往路も復路も基本は直進であるが戦況によって膨らみ、旋回径が大きいので全体では楕円に近くなる。
ナカは軌道の中心点、キは起動輪、ユは誘導輪で、それぞれの位置で楕円の長さと厚みが決まる。数は起動輪からの進行方向で、『二号』は時計回りだ。履帯は敵戦車部隊の進行方向と平行に設定される。その中で分散された連隊の戦車はなお隊列を維持しており、常に戦場の至近を機動中で、少なくとも二方向を観察している。対戦車攻撃に最もふさわしい交差射撃、すなわち対角線から敵側面を狙う態勢だ。
支援部隊の自走砲中隊と機関砲中隊は、履帯と直角に前後機動を行い、履帯の中には入らない。主機の馬力が劣り、装甲も薄いので戦車部隊に追従できないからだ。旋回砲塔を持たず、搭載砲弾も少ない自走砲が、常に敵を砲撃するにはこの機動しかなかった。支援部隊の目標は、敵戦車と同行している自動車化狙撃兵や野砲だった。装甲のない敵に近距離砲撃は必要がない。
強い西風が戦場の黒煙を吹き払う。十三両の戦車を失った敵の先鋒は、六三師の戦域に去っていた。履帯では小隊三両で一つの目標を狙う。一回の射撃は二発で、順当なら第二中隊は十六両の敵戦車を攻撃している。三両不足の事由は何か。照準の技能か、砲の欠陥か故障か、それとも。
『第二中隊が復路に入ったら聴取せよ』
島田の指令を受け取った野名大尉は頷いた。誘導輪に達した中隊は、戦果と残弾数を報告する。補給や整備が必要なら本部に戻るか、段列の派遣を要請する。今は、まだその段階ではないから、復路の途中に出向いて中隊長の武部中尉に聞き取るのだ。
野名が側車に乗ったのを視認した島田は機長に告げる。
「西にやってくれ」
三式指揮連絡機は旋回し、機速を上げて西へ向かう。次の敵を観察し、戦術の修正が必要かどうかを判断するためだ。敵が連隊を潰す動きに来れば、それはまだ早いと思われたが、陣形を変えて別の戦術をとる。下では、第三中隊が起動輪を回るところだった。