三 清津
日本海西北部、北鮮清津港沖海上
陸軍特殊船熊野丸の右舷二番砲座の中で岡田六朗兵長は北の空を見張っていた。船体から張り出した砲座は八八式七糎高射砲のためだったが、三月の竣工後も艤装されることはなかった。すでに南方資源航路へは敵の潜水艦と航空機の脅威のために出動が見込めなかったからだ。そこには今、九六式二五粍単装機銃が設置されてある。岡田兵長の任務は、この機関銃の射撃諸元を、一番砲座の九八式二〇粍高射機関砲のそれに合わせることだった。
熊野丸には両舷合わせて八つの砲座があるが、高射砲がないから射撃指揮所からの電話も引かれなかった。出港が決まって急遽、右舷一番、三番と左舷二番、四番砲座には高射機関砲と共に電話も置かれた。残りの砲座は、それを見習って撃てという。つまり、岡田兵長は一番砲座の機関砲の仰角を睨んで、二番砲座の機関銃の仰角を指定するのだ。
口径も特性も違う機関砲に合わせて命中するのかは大いに疑問だったが、岡田は気にしないことにした。船舶砲兵連隊も船舶機関砲連隊も陸軍船舶高射砲連隊から分かれたもので、かつての高射砲連隊には機関砲中隊や機関銃小隊もあった。召集されて三年で兵長は上出来であるが、学科や術科は人並みだ。昇進は世渡りのうまさの結果であり、役者である岡田の真骨頂である。ただ、歌も寸劇も声帯模写もできるとはいえ、自身は俳優のつもりだった。
敵機接近の警報から十分以上が過ぎた。二五粍機銃の銃手が振り返って見つめる。頷いた岡田が一番砲座を見ると、煙草盆が出ていた。
「銃手交替。見張り交替」
そう言って、煙草盆を出させる。高射砲一門の分隊で機関銃一丁だから、交替する余裕があった。七糎高射砲のために作られた張り出し砲座にも十分な広さがある。
「兵長どの、どうぞ」
跳んで来た銃手が煙草を差し出すが、岡田には自分の煙草がまだある。出港前に特配があった。
「勝ったのでありますか」
「本船の砲座が撃つことはなかった。そういうことだ」
警報は早朝から断続的に発せられたが、結局、敵機を視認することはなかった。上空の四機の九七式戦闘機は、今回は船団を離れなかった。空戦は船団から遠いところで決したのだろう。
岡田の推測は、船橋から来た丸山正男二等兵によって確認された。
「敵機は零戦が撃墜し、敵の上陸戦団も海軍さんが沈めたようです」
「ほう。近くにいると聞いてはいたが、零戦を積んでいましたか」
「いえ。零戦は元山から出動したものです」
うまそうに煙草を吸っている丸山二等兵は、通信班の所属である。暗号教育を受けていて、敵信の傍受と解読が任務らしい。岡田より六歳上の三十二で所帯持ちだ。二度目の召集というのに二等兵のままなのは、党員で逮捕歴があるからだという。出港以来、非番の時は岡田の分隊にいた。
娑婆で岡田がいた古川緑波一座の座長は男爵家出身で、華族から侠客まで交友は広かった。それを見習って、岡田も相手を選ばず、誰とでも付き合う。だいたい、三十前に東京帝大の助教授になるというのは俊才である。面倒見てやれば、この先、思わぬ展開があるかも知れない。
「我が陸軍航空隊はどうしています」
岡田が聞くと、銃手が次の煙草を勧める。丸山は眼を細めて一服吸い、話を続ける。
「朝一番から飛行第六戦隊が出ていました」
大陸命第一三七四号で関東軍隷下となった第一七方面軍は、第五航空軍の主力を会寧に集結させた。すぐに間に合ったのは飛行第六戦隊だった。戦闘機は複葉機の九五式だが、敵機も複葉のI-15である。その後、飛行第一六戦隊の二式複座戦闘機が参戦して、形勢は日本軍に有利となった。
しかし、後続のソ軍機はYak-3だった。二式複戦よりも百キロも速いし、単座だから小回りも利く。日本軍が不利になったその時、元山海軍航空隊の零戦と紫電が現われて、また逆転した。丸山に言わせると、鳳翔を発艦していた九六式艦上攻撃機の護衛に出動したらしかった。海軍の行動はずっと不明だったが、ソ連上陸船団を見過ごせなかったようだ。
「海は海軍さんの縄張りということらしいです」
「ま、助勢は助勢、友軍には感謝しましょう」
「しかし、空襲を受けている北鮮三港は無視です。上陸戦団へ一直線です」
「う~ん」
「海軍さんは本気でした。母艦攻撃隊だけでなく、潜水艦も上陸戦団への攻撃に加わっています」
「へえ」
「敵信を傍受したのです。平文でした。潜水艦から砲撃を受けていると」
「露西亜語ですか」
「専門は英語ですが、聞き取りぐらいは出来ます。党員ですからね」
岡田は絶句した。ユーモアのつもりなのか。これじゃ殴られるだろう。
「兵長どの。これは軍機ですが」
「え」
「実は、大連に向かった船団に乗る予定だったのです」
「あはは。では露西亜語の専門家は向こうに乗っていると」
「そうなのです」
岡田はありそうなことだと思った。一番砲座は機関砲だが、船舶機関砲連隊からではなく、やはり船舶砲兵連隊だ。高射砲の砲座には船舶砲兵が配置されるべきと宇品の船舶司令部は考えたのだろう。しかし、東京の参謀本部は、船舶砲兵が配置されてあればそれは高射砲だと受け取るに違いない。
そこで、あることに気づいた。ソ連と戦争中の清津に向かう船団に露西亜語の要員が必要なら、満州の大連に向かう船団なら支那語ではないのか。
「あれ。大連に入港する船団に英文暗号の専門家が必要だとは」
「軍機であります、兵長どの」
岡田と丸山は見つめあう。出力を上げて全速で真西へ向かう熊野丸から、また三式指揮連絡機が発進した。
朝鮮咸鏡北道、清津府
北鮮三港とは、朝鮮北部の雄基、羅津、清津の三港を指す。最も早く開発されたのは清津港で、満州国の建国後に京図線と連結され、東京、新潟、清津、新京と、日本と満州を結ぶ最短路となった。雄基港は開港場として古く、豆満江にも近い。しかし、近年最も開発されたのは羅津港で、満鉄が威信と巨額をかけて最新鋭埠頭を建設し、新潟・敦賀からの定期船を誘致した。
満洲側国境駅の図們駅から国際鉄橋で豆満江を渡ると、日本側の国境駅である南陽駅である。ここで、雄基への図們東部線と清津への図們西部線とに分かれる。清津より北部の鉄道の整備と運営は満鉄に依託されていて、雄基から羅津への鉄道延長は羅津港の開発と共に満鉄が行なった。朝鮮総督府に還元されたのは昭和一五年である。羅津から清津への連結線は昭和一七年に着工されたが、まだ完成していない。
図們西部線は、輸城駅と羅南駅間が二つの鉄路で繋がっていた。すなわち、輸城、清津、清津漁港、清津西港、羅南の旧線と輸城、康徳、羅南の新線である。これを輸城、清津西港、康徳、輸城と環状線として運用することが可能で、図們から来た列車の前後を入れ替えることなく、そのまま図們へ帰すことが出来る。さらに、港内への引込み線も多数あった。
その北鮮三港は早朝からソ空軍の断続的な空襲下にあった。咸鏡北道の軍政を担当する羅南地区司令官の佗美少将は、司令部を羅南から十キロ先の清津西港内に進めていた。海軍清津港湾警備隊と緊密な連絡がとれるようにである。ソ空海軍の着上陸作戦の可能性があると、新京から警告を受けたのは二日前だ。しかし、羅南師管区の戦力は乏しい限りだった。
羅南地区司令部と清津守備隊を合わせて警備大隊が四個と、小銃さえ行き渡らない補充隊が二個中隊である。羅南では第一三七師団が編成完結目前で一万名の兵隊がいたが、小銃と軽機関銃だけで大砲も手榴弾もなかった。もともと師団がいないところで編成を開始したものだから糧食にさえ事欠き、その調達に羅南地区司令部は奔走していた。
さらに、師管区司令部からの情報と指令は司令部を困惑させた。劣勢の東正面戦線を挽回する最新鋭兵器を満載した船団が、本土から向かっている。それを急送すべく特別編成の列車群も向かっている。清津港一帯の防衛と治安を確実にし、一分でも早く兵器を載せた列車を送り返せるように万全を期すこと。尚、列車運行の指揮要員は鉄道司令部と満鉄から送るが、荷役の人員は港で準備すること。そうあった。
司令部内は憤激したが、佗美はそうでもなかった。すぐに新京の甘粕から電話が入った。途中で代わった飯島の丁寧な説明で愁眉を開いた。計画は入念で周到なようだ。鉄道と港湾に関して地区司令部が行なうことは、たいしてない。清津港と図們西部線一帯を保全し、新京から来る指揮官にそっくり引き渡すこと。それと、ソ軍の着上陸戦に対する防衛だ。
方針はすぐに立った。司令部内で披露して、細部を詰めさせる。一方で、佗美は上級司令部への根回しも開始した。関東軍直下の第一七方面軍は京城にあって朝鮮全土を担当する。その下で北部朝鮮を担当するのは第三四軍で司令官は櫛淵中将。その下で咸鏡道を担当するのが羅南師管区司令部の西脇中将。二人とも平壌にいて、容易に離れられない事情がある。好都合だった。
佗美の司令部前進案に西脇中将は同意し、会寧と廣周嶺の部隊も指揮下に入れてくれた。通信機と兵糧もできるだけ早く送るという。櫛淵中将は陸士の同期だから、最初からすべて話した。第五航空軍主力の会寧飛行場への移駐を第一七方面軍司令部へ上申してくれるという。佗美の方針である航空戦力の集中と余計な兵力・上官の排除に、笑いながら賛同した。
本土からの船団の呼称はウラ一号船団だった。ウラジオに向かいそうな名前だが、宇品港から羅津港への往路便という意味である。しかし、新京の判断で受け入れ港は清津港へ変更されたから、ウセ一号船団と呼ぶべきだった。雄基、羅津は、やはりソ国境に近過ぎた。野砲や重砲が届く距離に最新兵器を揚陸できない。なにより、その後の鉄路も国境沿いなのだ。逆に、清津に入港するということは、雄基と羅津の港湾機能は停止してもいい。
佗美司令官がすべきは、二つの部隊との折衝である。第一三七師団の秋山師団長は、予備役から復帰して重要拠点に居合わせたことで、俄然張り切っていた。一万名の兵隊を荷役に駆りだすのは良策とみられたが、佗美には不安が先立つ。特別編成の列車群には、本土へ送る食糧が満載されているらしい。もともと一帯の治安は決して良くない。清津には一個大隊の特警隊しかなく、腹を空かした一個師団の兵隊まで相手には出来ない。
もう一つは海軍清津港湾警備隊だった。朝鮮には今、六つの陸軍飛行隊があったが、いずれも比島や沖縄で消耗していて、再編成も進んでない。最新戦闘機はわずかだ。戦闘機部隊である海軍元山海軍航空隊の参戦は必須で、関東軍が上申し大本営で決している。しかし現場での調整は必要で、なにより陸軍の無線機では直接の交信ができなかった。司令部の誰もが同行を渋るが、司令官だけで行くのは格好がつかない。佗美自身は海軍との折衝は経験済みだった。
申告する声が、佗美少将の回想を中断した。
「司令官閣下、連絡機が戻って来ます」
「よし」
熊野丸を発進した三式指揮連絡機は、ぐんぐん高度を上げた。目的地まで十分もかからないのだが、便乗者の宮崎が要請したからだ。朝鮮総督府在満大使館から満州国総務庁に出向していた宮崎は、今回の作戦の現地指揮官だった。雄基港と羅津港は黒煙を上げて燃えているようだが、南陽方面にも会寧方面にも煙はない。連絡機は機首を下げる。上空から見る限り、清津港周辺にも異状はなかった。
三式指揮連絡機の定員は三名で、操縦手、偵察員、後部銃手であるが、兵装を省けば増やすことはできた。熊野丸へ揚陸要員、沖仲仕と鳶仲仕の親方を送った帰りの今は、操縦手と宮崎の二人だった。宮崎は偵察員席にいた。膨らんだ胴体の半分までがガラス張りで、足元まで海が迫って視界は抜群だった。下半身に風が素通りのような、奇妙な快感があった。
熊野丸にも摂津丸にも船舶工兵は乗り込んでいるが、港湾設備を用いての荷揚げを考えると、専門職が勝る。港湾労務者の統制は飯島労工協会理事の独断場であり、清津港に応援する羅津港の熟練者を指名できた。最新機材も移動できるものはトラックで持ち込んである。
高度を下げる機体に合わせて、宮崎は視線を清津港内に移した。すでに摂津丸は接岸しようとしている。二隻とも二軸だから小回りは利くが、西港は雨で水量が増えた河口にある。押船の補助を借りた方が確実で早い。港外の熊野丸は船尾の後部発進扉を開けて、中甲板の大型発動艇を海面へ発進させていた。先発の大発は漁港へ向かっている。
図們西部線と港内引込み線の鉄路には列車が連なり、機関車は黒い煙を上げ、白い蒸気を吐いている。機関車と機関士はもちろん、機関助手も石炭も、満鉄が選りすぐった最良だ。通常の急行では牡丹江駅まで十二時間かかるが、これを半分まで縮めようとしていた。平均時速七十キロだから無茶ではない。一番列車は終点まで途中停車はしない。
宮崎は着陸の態勢に入った機体から、港内の司令部建屋を見る。羅南地区司令部の手配は完璧だった。列車が不要な減速をしなくてもいいように、牡丹江までの鉄路には鉄道連隊が配置されている。問題はソ軍の空襲だけで、会寧に移駐して来た陸軍航空隊が清津港から図們の先まで哨戒していた。特に国際鉄橋上空には二式単戦二個小隊が常駐している。三式指揮連絡機は司令部のすぐ隣にふわりと着陸した。
佗美司令官は、笑顔で宮崎を迎えた。
「お帰りなさい。順調なようですね」
「はい。順調です。一番列車の出発は早まりそうです」
宮崎も笑顔で答える。
「それは上々。護衛の戦闘機を追い抜かないで下さいよ」
海軍航空隊が敵機を殲滅してくれたので、冗談を言う余裕が佗美にはあった。朝鮮の陸軍航空隊は戦闘機は不足していたが、偵察機や軽爆撃機なら数がある。それらをウラジオ近くまで前進させて、奇襲を防ぐために警戒させていた。海上に進出した司偵からは、海軍艦艇の動きも入ってくる。
「ところで、ウラ一号船団はすぐに引き返すのですね」
「はい。供出食糧の積み込みが終わり次第に出港です」
「熊野丸にはたいして積めないでしょう」
武装貨物船である摂津丸と違って、熊野丸の貨物搭載容量は少ない。搭載機を発着させる上甲板には載せられないし、中甲板には発動艇と機動艇が格納されている。
「そうですね。もともと熊野丸は護衛の役割でしたから」
「やはり。ちょっと失礼」
怪訝な表情の宮崎をおいて、佗美は別室に入る。
「おい、うまくいきそうだ」
「閣下。ぜひ、ご一緒させて下さい」
「わかっている。もう少し待て」
佗美は興奮を抑えきれない。今出動している海軍の潜水艦群は第六艦隊で司令長官は醍醐忠重中将、水上艦艇は第五艦隊で司令長官は木村昌福中将と判明した。両人ともに積極果敢な提督だ。特に木村中将は、キスカ島、レイテ島、ミンドロ島など四度の敵中突入作戦を成功させている。
そして今、艦隊は北上していると報告があった。海軍はやる気だと佗美にはわかる。四年前に英領マラヤに奇襲上陸して大東亜戦争の先陣を切ったのは佗美だった。であれば、戦争終結の今、有終の美を飾るのも佗美自身でなければならない。それにはウラジオ港敵前上陸がもっともふさわしい。
「部隊はどうします」
「任せろ。新京の司令部は陸士二四期が仕切っている」
「はい」
ピィーッ!
汽笛が響きわたった。続けてゴシュ、ゴシュンと列車が動き始める音がする。
シューッ、シュ、シューッッ!
蒸気の音は甲高く、線路が軋む音は低い。缶の蒸気圧が高いのだろう。それは、石炭の質がよく、機関車の性能も良いことを意味した。もちろん、機関士の腕前もだ。
佗美は司令部建屋を出て、宮崎の横に並ぶ。宮崎はにこにこしていたが、佗美も満面の笑顔だった。