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SR満州戦記2  作者: 異不丸
第三章 八月一三日
15/33

一 新京


国都新京、洪熙街、


 満映撮影所第三スタヂオの関東軍総司令部では、加茂参謀の戦況報告がはじまっていた。指される壁の地図に見入っているのは、閑院少将宮春仁王だけではない。となりの第二スタジオの満州模型地図を見てやって来た満州政府高官も多かった。

「六日の開戦から七日が経ちました。全戦線においてソ軍が攻勢を強めています。一方で、昨日より我が軍も反撃を開始しました。彼我の攻撃軸は微妙にすれ違っており、地図上では錯綜して見えます」

 経済部大臣の于静遠が頷いた。王賢偉の中国出張中は総務庁次長も兼任している。今朝の模型地図上の配置は、土曜日に見たものと大きく違っていた。特に、東正面では彼我の位置が入り組んでいる。日本やスイスの陸軍士官学校に留学して軍事は専門の于大臣ではあるが、何が起きたかは容易に判別できなかった。

「方面別のソ軍の動きですが、まず北正面で孫呉包囲を開始しました。黒竜江下流の鳥雲から奇克で渡河した兵団です」


 独立混成第一三五旅団は、黒河でのソ軍渡河を三日間阻止し、その後も、黒河要塞と愛琿要塞を堅持してソ軍の内陸侵攻を撃退していた。小興安嶺を越えて哈爾浜や斉斉哈爾に出るには、三つの経路がある。黒河要塞が守る霍黒線沿い、愛琿要塞が守る二站経由の道路、そして孫呉から北平へ通じる北黒線の鉄路だ。

 いずれも湿地が多い山谷だが、最初に鉄道敷設が計画された二站経由の道路が機甲部隊には最適と考えられていた。しかし、独混一三五の堅陣を抜けないソ第2赤旗軍は、主攻軸を孫呉に変え、渡河地点も妨害のない東の下流に移したらしい。

「第四軍の対応は?」

「上村司令官は浜田旅団長に守備の重点を東に移すように指示しました。法別拉・神武屯が手薄になるでしょう」

「それしかないね」



「同じ第四軍担当の北西方面では、牙克石への総攻撃が始まりました。海拉爾要塞は攻囲だけで迂回するもようです」

 海拉爾要塞の独立混成第八〇旅団も開戦以来の攻撃に耐えていた。

「黒河と海拉爾のソ連の動きは連動しているのかしらん」

 少将宮が呟く。

「黒河は第2極東方面軍の第2赤旗軍ですが、海拉爾は後貝加爾方面軍の第36軍ですから指揮系統は異なります」

「海拉爾の動きは、むしろ西正面と繋がりますね」

 振り向いた于大臣に、少将宮が頷く。

「秦総参謀長もそう言っていた。どうも後貝加爾方面軍は鉄道が欲しいらしい」

「つまり、西正面での総攻撃も間近なのですね」

「うん。ただ主攻軸がわからない。秦中将には偵察機を出し惜しむなと言っておいた」

 少将宮の言葉に于大臣は大きく首肯した。


 ソ軍で北西と西正面を担当する後貝加爾方面軍は、兵員四十万と二千両を超える戦車を擁していた。だが西の戦線は阿爾山から多倫までに限っても七百キロはある。総参謀長の秦中将は、千数百両の戦車がどこかに集中されるとみていた。これまでのソ軍の戦車運用は、一九四三年夏のプロホロフカが前線幅一キロあたり十八両、一九四四年夏のミンスクが十七両、先週の綏芬河でも八両の密度である。

「突泉か魯北と思えますが」

「突泉から百キロで平斉線が通る挑南だね」

「では突泉でよろしいかと」

「ところが、突泉と魯北との間は百キロ足らずだ。両方を追っても、一キロあたり十両以上の密度を保てるのだよ」

「なるほど、航空偵察しかない」



 突泉も魯北も大興安嶺を抜けたところにあり、一帯は緩やかな丘陵が続く大平原だ。そして満鉄平斉線までは下り傾斜の百キロまたは二百キロである。進撃をはじめたソ軍機甲部隊は平斉線に到達するまで停止することはないだろう。敵主力戦車のT-34の航続は四百キロあった。途中で補給休止するのは考えられない。

 第四四軍の本郷中将は、隷下の戦車を集中運用してソ軍が鉄道に達する前に一撃しようと考えていた。しかし、保有する戦車数は、軽戦車、中戦車、砲戦車を合わせても、二個戦車旅団で百五十両に満たない。ソ軍の主攻軸を読み違えれば、空振りに終わるか、あるいは十倍の敵の波に呑まれるかだった。

 第三方面軍の後宮大将は、ソ軍機甲部隊が進撃前の最後の補給を行なう地点を求めていた。斉斉哈爾に集結した第二航空軍の全力をぶつけて第四四軍を掩護する。しかし、主力の独立第一五飛行団の戦力は戦闘機四個中隊の五十機ほどであり、後貝加爾方面軍を支援するソ第12航空軍の戦闘機は六百機を超えるものとされた。




挿絵(By みてみん)




 少将宮も大臣も沈黙したので、加茂参謀は戦況報告を再開した。

「東北方面では、佳木斯に敵第15軍先鋒の戦車旅団が到達しましたが、全軍が集結するにはまだ数日かかるでしょう。東正面では、穆陵が本日午前三時から総攻撃を受けています」

 地図上では、代馬溝を守る第一二四師団は第二陣で奮戦中だった。

「増援は間に合うようだ」

「はい、すでに一二六師は戦闘中です。一三五師も樺林駅で下車して布陣中。一二八師の一部はまもなく戦闘開始です」

「すると、第七九師団は林口へ向かうか」

 少将宮の質問に、珍しく加茂参謀は即答しなかった。

「林口に手当てしないと佳木斯の裏手に回られるが」

「七九師は一二四師の後詰めに入ります。今日一日を守りきるために、おそらく、一二四師は壊滅的な損害を出します」

「理解した」


 予想されたとおりに第1極東方面軍第5軍の穆陵総攻撃は未明にはじまった。しかし、代馬溝を守る一二四師はすでに定員の三割、一二六師も二割の戦死傷者を出している。さらに昨夜の挺進攻撃に、それぞれ一個大隊を分派していた。押し寄せる敵兵は我の十倍以上であり、予想できたからといって守れるものでもない。

 そして、壊滅が予想されても陣を捨てる訳にはいかなかった。後詰の一三五師と七九師の布陣が完了していないと、牡丹江までが総崩れになる。一二四師は国境守備隊出身者が多く、再びの退却には耐えられなかった。夜には本土からの最新装備が到着して、第一方面軍の対戦車攻撃能力は飛躍的に向上する。一二四師の兵隊には間に合わないが、友軍は同じ目に遭わずに済むだろう。

「その本土からの装備は無事か」

「ウラ一号船団からの連絡は二時間前で、ソ軍艦隊の陣容でした」

「何隻だ」

「はい。駆逐艦が二隻、駆潜艇が十隻、水雷艇が二十六隻、輸送船七隻、その他三です」

「ふむ。小艦ばかりだが、数が多いな」



 船団とは、宇品から羅津へ向かう陸軍特種船の熊野丸と攝津丸である。関門海峡を通過したのが一昨日の夕方だったから、今朝の未明には清津に到着できると期待されていた。しかし、清津入港を目前にして海軍の水上機から警告を受けた。船団の北東百二十キロを有力なソ連艦隊が南下しているという。

 熊野丸も攝津丸も竣工したのは今年で、主砲は艤装されていない。武装は機関銃だけだった。敵駆逐艦が全速を出せば数時間の距離だから、入港して荷揚げを完了するのも無理で、船団は避退中だった。

「近くに海軍さんがいるようですが、直接の連絡はとれません」

「どうもわからん。ソ軍艦隊の陣容を視認したのは海軍ではないのか」

「いえ。熊野丸から出した三式指揮連絡機です」

「なんと」


 血相を変えた少将宮だったが、手帳に書き込んだだけで退出はしない。視線を受けて、加茂参謀は報告を続ける。

「これまでも各兵団、各部隊での咄嗟反撃は行なわれていますが、作戦としての反撃は昨日からです。時刻順に申しますと、まず東正面の老黒山支隊です。第一二八師団を攻撃しようとしたソ第25軍の有力な戦闘団を敗走させました」

「それで一二八師は大喊廠を経由して穆陵へ行けたか」

「はい。そして予想通り、老黒山支隊は強烈な反撃を受けました」

「どれほど引きつけたか」

「まず、地上襲撃機が二個小隊。その後、戦車二個中隊と狙撃兵一個大隊です」


 加茂の言葉を聞いて、少将宮は身を乗り出した。于大臣も聞き耳を立てる。

「航空機を出させたのは、それだけでも大きな戦果だ。他にもあるか」

「はっ。襲撃機二機、戦車八両、狙撃兵一個中隊です」

「たいしたものだ。感状を出させよう。特二十四榴は無事か」

「はい。明日の夜の作戦には支障はありません」

「ふむ」

 腕を組んだ少将宮に、于大臣が話しかける。

「咄嗟反撃に航空機を出して来るとは、殿下の読みどおりですね」

「だが、襲撃機なら師団司令部ではなく、軍団か軍司令部だ。敵の指揮通信は侮れない」

「はい」


「夕方には佳木斯の敵第15軍後方に挺進攻撃をかけました。襲撃機が一個中隊も出張って来ました」

「ほら」

「ああ」

「虎頭要塞からは四一榴と一五加の重砲が三度、新旧イマン鉄橋とスターリン街道の木橋を破砕しました。こちらには爆撃機が一個中隊」

「ほらほら」

「そして、深夜の同時刻に東正面の三箇所に挺進攻撃が行なわれました」

「損害に見合う戦果はあったか」

「まだ概数です。戦車三十両、トラック三百台、その他の車両百台、敵兵二個中隊、補給物資九百梱包・・・」



 少将宮も于大臣も大戦果に目を剥いた。にわかには信じられない。深夜の攻撃で未明に撤収したから誤認はある。しかし、関東軍情報部員が同行していて戦果確認にもあたった筈で、根拠のない数値ではない。攻撃はいずれも後方の補給廠か補給部隊に対して行なわれた。思った以上に、ソ軍の警備は手薄だったようだ。

 哈爾浜特務機関の分析によると、これまで欧州戦線でソ連軍が後方を警戒せずに進撃できたのは、たとえ敵地であっても、レジスタンスやパルチザンなどの地元住民の協力と奉仕を受けられたからだった。満州の戦場には、協力する抗日反満分子どころか、住民自体が一人もいない。

 後方や補給線に対する攻撃が連続すれば、ソ軍は警備警戒に人手を割かざるを得ない。攻撃が大規模ならば、政治将校や憲兵による専従の討伐隊が編制されるかもしれない。補給部隊には護衛部隊がつくようになり、狭隘な谷間を通る補給線は放棄され、遠回りでも平たく開けた経路が選択される。哈特の試算では、第1極東方面軍の全兵力の一割を減殺できるという。


 ソ軍が採用している縦深攻撃では前線に出るのは全兵力の三分の一であるから、攻撃対象は前線から五十キロ以上後方となる。その距離を数百人も隠密挺進させるのは容易ではないから、大規模攻撃は今回が最初で最後だ。だが、小隊規模ならさほど困難でもないし、分隊ならなおさらだ。

 人員の殺傷や装備弾薬の破砕など直接の戦果が期待されているわけではない。目的は、ソ軍に対して負担を強いることだ。補給線が長く細くなるか、短く太い兵站を維持するために兵員を割くか、どちらでもよかった。我が投入する兵力は少数だから、いますぐの目に見える効果はなくてもいいのだ。

 極端な話、手榴弾が1つ爆発しただけでも、その場所が進撃路または兵站路にあたるならば、出動して検証しなければならない。ここは敵地なのだ。そして、補給隊攻撃や兵站路破壊が頻発すれば、地上部隊だけでなく、航空偵察も動員した複合的な警戒となるであろう。それは前線に対してのものと違わない。後方は前線となるのだ。





 戦況報告が終わると、閑院少将宮と于大臣は連れ立って司令官室に入った。部屋の主の甘粕理事長は留守だった。別のスタヂオにでも行っているのだろう。英国人が入って、撮影が忙しくなったらしい。二人は、隅に置かれたコーヒーポットから自分で注いだ。

「要するに、中国共産党のゲリラ戦術で革命戦線理論ですね」

「指揮官も参謀もみな、共匪討伐には手を焼いたからね」

「兵隊でさえも、有効な戦術と知っています」

「といって、中共の戦術を採用しましたとは公言できない」

「革命やゲリラなどの語句を用いずに、理論化したのですね」

「満州は、ソ連にとって敵地であらねばならない」

 于大臣は、少将宮の言葉に考え込んだ。


「大臣は昨日、軍官学校に行かれたそうだね」

「生徒の出陣式がありました」

 満州国軍の士官学校である軍官学校は、新京市浄月区同徳台にあった。郊外の農村地帯である。

「興安学校の生徒たちはすでに前線で戦闘中だ。同徳台も後れを取るなと、そう訓示しました。国の興亡がかかった戦争だと」

 六年前のノモンハンでの戦闘は、国境紛争であり事件だった。その時、興安軍官学校の蒙古人生徒たちは出陣を渋った。相手が同じ蒙古人の外蒙軍だったからだ。

「興安軍の配置は西正面の最前線だ」

「士気は高い。大丈夫です。飯島さんの手当ては的確でした」

「つまり、ソ連は急ぎ過ぎたのだな」

「あと数日あれば、ソ軍を迎える体制ができていたかもしれません」

「それより先に動くことができた」

 二人はカップを置いて、煙草に火を点けた。






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