一 南京
中華民国、南京市中山路
南京市は揚子江の東岸にある。北の中央門から城内に入り市の中央を縦断する幹線が中央路で、北西の興中門からの中山北路と交差して中山路と名を変える。さらに南下すると東の中山門からの中山東路と交差し、最後に中華路となって南の中華門から城外に出る。在中華民国日本大使館は、中山路が中山北路と交差する辺りにあった。
支那派遣軍総司令部からは中山北路を挟んで反対側になる。総参謀長の小林浅三郎中将が甘粕正彦を訪れたのは、八時前だった。
「早いな、小林。閣下との面会は九時だったと思うが」
「うむ、昨夜の結果を聞いておこうと思った。すまんな」
「谷大使閣下との話なら、うまくいったぞ」
「そうか。聞かせてくれ」
甘粕は、満州国総務庁次長の王賢偉と国務総理の実子で秘書の張紹紀と共に、駐華日本大使の官邸に投宿していた。一昨日からは、南京政府総統の陳公博も一緒だ。南京政府に解散命令が出て、中山東路の中華民国総統官邸から退去して来たのだった。
支那派遣軍が無条件降伏した後、支那において日本を代表するのは駐華特命全権大使の谷正之となる。谷大使は海軍派の多い外務省にあって、陸軍に理解があった。東条内閣で外務大臣を務めた後、二年前から駐華大使の任にある。しかし、降伏が決定してから、大使館と総司令部は微妙な緊張の関係にあった。
宇垣新内閣で外務大臣に就任した重光葵は、ポツダム宣言の履行の徹底と共に、日本軍降伏後の日本の権益と日本人の権利の保護に万全を期するよう訓令した。鈴木前内閣の解散直前に東郷前外相が訓令していたものを、あらためて念を押したのだ。
マニラで受領した連合国最高司令部の一般命令第1号には、支那全土と、台湾、北部仏印の日本軍は重慶政府に降伏すべしとあり、当該の第一〇方面軍と第三八軍は支那派遣軍の隷下に入った。すでに、支那派遣軍総司令官と中華民国陸軍総司令官との間で停戦協定が調印されており、現在、降書の作成作業が進んでいる。
しかし、降伏後の日本の権益と日本人の権利の保護については、その交渉の進捗は芳しくない。蒋介石の重慶政府の関心は今のところ軍事にあり、外交の範疇に入る日本との政事に関しては後回しになっていた。それは支那派遣軍総司令部にとっても心外なことである。この地で降伏し武装解除された後の日本軍将兵の処遇が明確にならないからだ。
日本の権益や日本人の保護といっても、条約や協定などの外交事案ではない。目下の懸案は邦人の財産であり、心配の対象は財布の中身や身柄の安全であった。つまりは警察事案である。重慶政府に引き継ぐまでの間、これまで通り南京政府の責任とすれば問題ない。それが不可ならば、支那派遣軍が軍政を敷くまでだ。しかし、大使館も総司令部も単独では決定できないでいた。
そこで甘粕が仲介に入った。甘粕は七日に北京から南京に到着して日本の降伏を予言した。『これから繆斌と重慶に飛び、蒋介石に会う』と宣言したが、誰も信じなかった。第一軍の澄田から連絡を受けていたから、総司令官を説得し飛行機を手配したが、その小林とて半信半疑だった。
ところが、甘粕が発ったその夜に大本営から戦闘行動停止の指示が来た。翌日には玉音放送があった。そして九日、甘粕は十数機の飛行機を引き連れて戻って来た。青天白日旗や星条旗のマークをつけたそれらの輸送機には重慶政府や米軍の要人たちが乗っていた。
小林が驚いて『どうやったのだ』と聞くと、甘粕は眼鏡を外して笑った。そして『うまくやったのだ』とだけ答えた。それ以来、甘粕正彦と王賢偉は、日本大使館・総司令部と重慶政府・連合軍との間の調整にあたっていた。
甘粕は小林に、昨夜の日満華三者会談の概要を話した。日本の谷大使、満州の王次長、旧南京政府の陳総統の三者で話し合われたのは、南京政府が所掌していた行政と軍事の移管についてであった。
「軍の降伏と終戦処理については、南京政府軍も含めて、岡村閣下に指揮していただく。総司令部の軍政権限は残す」
「うむ、具体的には」
「陸軍省の特命全権、駐華連絡総監とする。重慶政府軍内でも、しかるべき官職をもらう。それなら直接交渉できる」
「重慶軍の下に入るのだな」
「武装したまま、そっくりだ。大使館は出席しても発言しない」
「よし、それなら説得できる」
いまこの時、支那派遣軍の隷下には、百二十八万の日本軍将兵と七十八万人の南京政府軍将兵があった。合わせて二百万の戦力は圧倒的である。歴戦連勝の精兵と最新の装備であり、重要地帯と海岸線はすべて、日本軍が抑えていた。
中華民国、南京市中山北路
甘粕正彦と王賢偉の乗った車は支那派遣軍総司令部の正門から入った。正門の左には青天白日旗、右側にはひと回り小さい日章旗が掲げられていた。案内されたのは、四階建ての本館ではなく、別棟の殺風景な部屋だった。本館は、すでに明け渡したらしい。
総司令官の岡村寧次陸軍大将は、総参謀長の小林浅三郎中将だけを帯同して入って来た。
「てっきり二四期の叛乱だと思っていた。なにしろ参謀次長に外地の三つの総軍が揃っているからな」
そう言って、岡村大将は眼鏡の中で目をぎょろりと回した。上機嫌の証らしい。
「はっ、ご心配をおかけします」
甘粕と小林は頭を下げた。支那派遣軍総参謀長の小林浅三郎中将、関東軍総参謀長の秦彦三郎中将、南方軍総参謀長の沼田多稼蔵中将は、甘粕と同じく陸軍士官学校二四期生だった。
「貴様たちだけではない。わしら十六期もバーデン・バーデンの会合以来、いろいろあった」
陸士一六期の岡村寧次、永田鉄山、小畑敏四郎の三人は、陸軍三羽烏として戦略・作戦・戦術あるいは軍政において帝国陸軍を主導してきた。その主張に参じた一夕会の集まりは統制派に発展し、陸軍の主流となった。岡村総司令官は、甘粕や小林らに、かつての自分たちを重ねてみたのだろう。
「見てのとおり敗軍の将だが、負けた気がしない。梅津総長からも宇垣閣下からも電話を頂いた。竹田宮殿下からは直々に諭された。理屈はわかる。だから、何応欽将軍と休戦調印をした。聞きたいことは山ほどある。それで来てもらった」
総司令部にも岡村総司令官にも戦争に負けた自覚は全くなかった。積極的な作戦を計画中だったのだ。もう耳にタコだが、粘着な性格は指揮官に必須である。さっぱりあっさりでは勝てる戦も負けてしまうのだ。小林は苦笑するしかないが、甘粕と王は真剣に頷く。
「僭越ながら、甘粕は岡村閣下に全面的に同意します。南方軍は形勢不利にありました。関東軍は、目下のところ押されております。しかし、支那派遣軍に限っては負けてはおりません。敵だった中華民国総統が認めるところです」
「総司令官閣下、今なお、支那大陸、東アジアにおいて日本軍は最大戦力なのです」
甘粕も王も愛想や追従で言ったのではない。事実であった。日本軍と南京政府軍の将兵を合わせると二百万であり、これに関東軍と満州国軍を足せば三百万を超える。米英中連合軍もソ連軍も単独では叶わない。包囲して強制的に武装解除をすることなど考えられなかった。
蒋介石の重慶政府軍は公称四百万というが、二百五十万は戦闘可能な状態ではない。毛沢東の中共軍も民兵二百二十万は人数だけであり、正規紅軍九十万とて装備は重慶軍の半分以下である。すなわち、合わせた実戦力として、やっと二百万だった。
そこへ降伏した日本軍の装備を回せば、一気に二百万あるいは三百万も戦力が増加する。日本軍が去った支那大陸では、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党との争い、国共内戦が再燃するのは必至である。すでに、武装解除と称する争奪戦は始まっていた。
「総司令官閣下、昨年の一号作戦の成功は、重慶政府と連合軍に甚大で深刻な結果をもたらしました。まさに戦略的勝利です」
王の言葉に岡村大将は微笑む。大陸打通作戦は重慶政府軍の将官多数の戦死を招来し、蒋介石は戦争指導に絶望した。連合軍最高副司令官のスチルウェル将軍は更迭され、エデマイヤー少将が着任した。
「閣下、本年の重慶作戦も十分に勝算がありました。一号作戦で敗北した重慶軍は、航空戦力で凌ぐしかなかったでしょう」
甘粕が言った重慶作戦は、南京陥落後の蒋介石政府の首都に対して、正面から陽動攻撃を行ないつつ、主兵は背後から山越えして攻め込むものだった。航空戦力を南方と本土に取り上げられた支那派遣軍は、陸上戦力のみで実行可能なように計画していた。
「うむ。皇軍の歩兵は、欧州で言うところの山岳兵だからな。戦闘工兵の比率も高い。ビルマを抑えている間にやりたかった」
総参謀副長の小林中将は三人の話を黙って聞いていた。満州国文官の王が、岡村大将の無念をよく理解しているのは驚きだった。小林が手を焼く総司令官を、二人は実にうまく誘導している。
「閣下、大陸のわれらには理解できないところですが、大東亜戦争は海軍の都合で始まり、海軍の都合で終わったのです」
「よく見られた、王次長」
支那事変を終わらすために北仏印の占領は必要だったが、南部仏印進駐は不要であった。対米戦争もそうだ。対英作戦だけで重慶を落とすことは可能だったのだ。大陸打通も重慶作戦も、その骨子は関特演の頃には出来上がっている。それぞれ、長沙作戦と中原会戦とで必要な作戦要素も検証されていた。
太平洋で行なわれる対米戦は海軍の戦争であり、陸軍は必要としていなかった。対米戦は海戦が主であって、陸軍は関われない。同様に、支那事変は陸戦が主で海軍は関われない。しかし、支那事変の遂行には陸海の政治上の妥協が必要で、東条内閣は海軍に大幅な譲歩を行なったのだ。
岡村大将にも思うところはあったが、終わったことを悔やんでもしようがない。問題はこの先のことである。対米降伏は止むを得ないとしても、大陸での戦勝を無に帰すのは残念である。だから、無条件降伏には絶対承服できないと上奏していたが、大命には承詔必謹であらねばならない。
「閣下、この先のことですが」
「うむ、それだ。重慶政府、いや中国政府に協力するのは吝かではない。報怨以徳とまで公言してもらった。総統との約束は守る」
南京市には城内の中山東路の南と城外南郊に飛行場があったが、九日以来、どちらも重慶軍の管理下におかれていた。その司令部で岡村大将は蒋介石と会った。その夜、蒋介石はラヂオで中国国民に対日抗戦勝利を告げたが、その中で、『暴に報ゆるに暴を以ってするなかれ、怨に報ゆるに徳を以ってせよ』と民族の徳性を要請したのだ。総司令部は全員感激し、翌日、何応欽将軍と休戦協定を調印した。
甘粕正彦は注意深く、岡村大将の表情を窺いながら話す。
「そこで、閣下。この後も日本軍は強くなければなりません」
「もちろん、そうだが」
「支那派遣軍や関東軍、大陸の日本軍が強兵であって敢闘することで、内地三百万の日本軍も強兵となります」
「それはわかるが、今更、ポツダム宣言文は変更できまい」
岡村には甘粕の言うことは理解できた。実際に、米軍もマッカーサーも戦々恐々としているだろう。数百万の兵がいる内地に数万で乗り込まなければならないのだ。八日の玉音放送を、米国では花火で祝ったそうだ。一刻も早い将兵の帰国と復員を望んでいるだろうから、大兵力での進駐は無理だ。
「頑なに日本の無条件降伏を要求していた米国が、日本軍の無条件降伏と下げたのは、ペリリュー、サイパン、硫黄島、沖縄での大損害だけではない。一号作戦で追い詰められた蒋総統の苦境が影響しているのは間違いありません」
そう言ったのは王だった。
眼鏡の中で岡村大将の瞳が輝いた。何かを感じたらしい。
「言われることはわかる。支那派遣軍が強かったから譲歩を引き出せたと。だが、日本国の無条件降伏と、日本軍の無条件降伏とでは、それほどにも違うものか」
「ドイツの状況と比べるに、大いに違います。日本軍の無条件降伏を実行するのは日本政府とあります。すなわち、日本国政府の存続は保障されているのです」
王は生真面目に返答した。
「米国は不勉強なのではないのか、その、統帥権についてな」
大日本帝国では、軍を指揮する権限は政府になかった。だいたい、政府が軍に停戦せよと命令できたものなら、対米開戦どころか、満州事変も支那事変もなかっだろう。
岡村の口調に皮肉と諧謔を感じた王は、甘粕を見た。この先は、日本人にしか言えない。甘粕は頷いた。
「閣下。蒋総統によると、ポツダム宣言の草案には國軆の保障があったようです」
甘粕の言葉に、岡村大将は目を閉じた。
長い沈黙の後で、岡村総司令官は目を開け、小林中将を見た。
「総参謀長、そうなのか」
小林は起立して言う。
「はっ。陸軍省と参謀本部に確認しました。宇垣総理の本意は、帝国の降伏条件ないし占領政策の緩和にあります」
「わしは陛下に忠実であったし、これからもそうだ。越境将軍などと揶揄されたくはない」
「はっ。支那派遣軍は、大本営が指定した山海関から赤峰西方の境界線を超えることはありません。北支那方面軍が行なう増強は、駐蒙軍戦域に対してであります」
「甘粕、それでいいか」
そう言って甘粕を見つめる岡村大将の目は鋭かった。
「もちろんです」
「王閣下」
「総司令官閣下、本官は関東軍や日本軍に関与する権限はありません」
岡村が軽く頭を下げようとすると、王賢偉は立ち上がった。
「総司令官閣下、重慶作戦が応用できる戦域があります。山岳地です」
全員が、壁の地図の前に立った王を見つめる。