幼馴染さん、なんでもいいから、ほんと、幸せになって?
マジで、幼馴染推しです。
私は物陰にいた。
「物陰」とはどういうことか――というのも、私は彼らから隠れていたのだ。
空は晴天、スズメがちよちよと鳴き、遠くでカラスが羽をはためかせる音が聞こえる。校庭には、「オーィェホーサ!」と、まるで宇宙人と交信しているのではないかと訝しんでしまうような掛け声をだしていたハンドボール部が、トラックをバカみたいに走っていた。
放課後はいつもこうなのだ。私も、運動部に入ればよかったと、今さらながら思う。
――しかし今は、そんなことはどうでもよかった。目の前で、青春グラフィティフィールドが繰り広げられている。男と、女が向かい合って立っていた。
私は目を凝らした。
女は、トリートメントの行き届いている風の艶のある黒髪ロングヘアーを風になびかせていた。
スカートは、高校生女子の平均よりちょっと短めだろう。膝上十センチと見た。この寒い時期に、よくやるわ。首元には、ご丁寧に桃色のマフラーを巻いているというのに。アンバランスさで、なるほど、男の目線を釘づけにしてしまおう――ということか。狙っているんだとしたらあざとい。
その女が、鏡の前で、普段よりもスカートを一折りも二折りもしているところを想像すると、ちょっとほほえましくなる。
でも――私は知っている。
彼は、ミニスカートが苦手なのだ。彼はいつも良く言っていた。
「なあ、エリコ――、なんで女子って、スカート短くするんだろうな。かわいくないのに」
「はい、そうですね」
それからというもの、私はスカートを膝くらいにまで伸ばしていた。
彼は、私のその姿を見て、「いいねいいね、揺れるスカートは素敵だ」と満足そうにしていたのだ。だから――あの女の告白は失敗するに違いない。
――告白?
待って? 今、自然と告白という言葉が出てきたけど、本当にこれは「告白」なのだろうか?
なるほど、放課後に、男と女が校舎の裏で向かい合っている。
女は明らかに、普段よりもおめかしして、今も、男と目を合わさずもじもじと指を噛んでいる。もう一方の、背中に隠している手にはきっと、ラブレターがあるに違いない――と私が推論するのももっともだ。
だけど――この状況が全ての思い違いだったら?
考えてみれば、私は今、この場所を偶然通りがかったに過ぎない。
たまたま、ちょっと教室に筆箱を忘れてきちゃって、というのも筆箱がなかったら塾の先生に「またエリコは筆箱を忘れてきたのか――」なんてため息つかれちゃうから、それが嫌で(勉強頑張りたいんだもん!)、それで取りに戻った後、日直が閉め忘れて帰ったっぽい窓を閉じようと近づくと、ちょうど見えたところで男と女が偶然見えて――女の方は知らなかったんだけど、男は――ミキトだったってわけ。
急いで階段を下りたよね。ホント、三段、四段飛ばしで階段駆けおりて、先生に怒られながら、昇降口をサンダルローファーでぶっ飛ばした。
それで、裏に来てみれば、頬を赤く染めた女がもじもじもじもじもじもじアアアアアア――! 私は史上最速の反復横飛び(蟹歩き)で、その倉庫の裏に隠れて、じっと二人を見つめた。といっても、ちょうどミキトの後ろの位置に倉庫があったから、女の顔と不細工なミニスカートしか見えないんだよね。
そういうわけで、私は「物陰」から、二人を観察するに至ったわけなんだけれど――そう、私は、この二人の男女が、ここで今から何をしでかすのか、全く分からないというわけだ。あの女が左手に隠し持っているものがなんなのか――なんだろう。例えばそうだな――
リップクリームとかだったらどうだろう。
「ミキトさん、以前から気になっていたんだけど、唇、乾燥してるよ?」
そう言って女が手渡したのは、ミニーちゃんの柄のリップクリームだった。
ミキトは、笑顔で「ありがとう」と応じ、そのリップクリームに口をつける。満遍なく塗って、唇を、んぱんぱとくっつけたり離したりして、その口の感触を確かめる――ってこれ、想像だから気付くのが遅れたけど、普通なんでもない男にリップクリームなんか貸さないよね!? わ、私だってまだ貸したことがないのに――いやいや。次。
化粧ポーチとかだったらどうだろう。
「ミキトさん、以前から気になっていたんだけど、女装、似合いそう」
そう言って彼女が左手から出したのは、花柄の大きな化粧ポーチだった。
彼女は、嫌がるミキトを、握っていた弱みをちらつかせて、脅迫していた。そして、彼の顔全体にファンデーションを塗り込み、目の上にはアイシャドウとアイライン、まつ毛をくっくっとビューラーで持ち上げた後、マスカラをひと塗り。頬には、淡い桃色のチークを気持ち程度に乗せた後、茶髪の自然なウィッグをつけて写真をパシャり。
「私たちだけの秘密ね」なんて付け加えちゃって――ってだめだめ、いやだ! 私だって、女装させたくてうずうずしているのに――もう、次、次!
ひょっとして、拳銃とかだったりして……。
「ミキトさん、以前から気になっていたんだけど、ちょっと死んでくれない?」
そう言って彼女が左手から見せたのは、黒くギラついた拳銃だった。
あの形状は、コルトガバメント――今でもその一部は、アメリカの一部の州でも愛用されているという。彼女は確か、帰国子女だったっけ――どうやって検問を潜り抜けたのかは知らないけど、彼女はその不敵な笑みを、彼に浮かべていた。本物に違いない。
彼女は、安全装置を解除し、腕を伸ばして標準を彼の眉間に定め、ゆっくりとハンマーを起こした。彼は、恐怖に震えて、その制服のズボンの隙間から液体を滴らせた。殺る気だ。――彼との思い出が走馬燈の様に蘇ってきた。
――初めて彼に会ったのは幼稚園の頃だった。
私は、父の会社の都合で、五歳のときに引っ越してきたのだった。
幼稚園生というのは、非常に排他的な年ごろである。転校生という異物が混入したときの、幼稚園生の反応と言ったら、ツイッターでリプライをし合ってて盛り上がっていた界隈が、相互フォロー外からリプライが飛んできたときの反応とよく似ている。
私も例外なく、仲間はずれにされた。積み木で一人で城を作っていたら、男に壊され、折り紙を折っていたら、女に鼻紙にされた。私は本当に幼稚園が嫌だった。「もう通いたくない」と、母に毎日訴えていた。
今考えたら、幼稚園不況のこのご時世に、母は困っちゃっていたかもしれない。――そのときだった。彼が目の前に現れたのは。
「なんでこいつをいじめるんだよ」彼はぶっきらぼうに言った。
クラスのみんなは、彼を異様な目で見た。というのも、彼は、このクラスの一員ではなかったからだ。
私はバラ組で、彼はユリ組だった。なのに、彼はバラ組の教室にきて、私を守るように、前に立っていたのだ。
少し緊迫した空気が張り詰めた後――一人が積み木を投げた。積み木は真っすぐにこちらに向かって飛んできていたが、彼はジャンプして、私をかばった。
ゴツン――と大きな音が鳴ったかと思うと、彼はその場にうずくまってしまった。それを見て、堰を切ったように目から涙が溢れだした。
私は泣いた。泣いた。泣いて泣いて泣いて、泣いた。そうして、すぐさま職員室から先生たちが飛んできた。彼はすぐに抱きかかえられ、職員室に運ばれた。もう一人の先生は、積み木を投げた子を叱り、その場は収束した。私はもう、泣き止んでいた。
すると、先生から、「大丈夫? ミキトくんをみにいこっか」と肩を叩かれた。私は立ち上がり、「うん」と頷いた。――果たして彼は、横になって寝ていた。
相当頑張ったに違いない。私よりも数センチ低かった彼の体に、私の命が懸かっていたのだ。私は彼の頭をなでると、彼はむにゃむにゃと、夢うつつに何かを呟いた。
後で分かったことだが、彼は、私の家の前に通っていた道路を挟んで向かい側に住んでいたそうだ。
私が母と共に幼稚園に行く姿を何度か見かけていたらしい。それで、私がいじめられているのを見て、助けなきゃって思ったんだそうだ。
でも、なんで助けたいと思ったのかはついぞ分かっていない。今でもよく理由を聞いてみるんだけど、彼は決まって無邪気に笑うだけでごまかすだけ。でも、ごまかすときの彼の笑顔も嫌いじゃなかった。見ていると、なんだかほほえましくって、暖かくって。
――私が告白したのは、そんなときだった。
そう、あれは、高校生になってすぐ。彼が意外とモテるなあってことを知った日。今と同じ晴天の下で、スズメがちよちよと鳴いて、カラスが遠くで羽ばたいていた音が聞こえていたあの日――校舎の裏側で――そう、左手にラブレターを隠して……
――って、こんなこと言ってる場合じゃなかった。彼女は、左手に銃を隠し持っていたのだった。
あの火照って赤くなった顔を見よ。あれは、これから実行する犯罪の恐ろしさに、緊張しているのだ。彼女といえど、殺人は初めてに違いない。――今度は私が助けなきゃ。
積み木から守ってくれた彼に、今できる恩返し。もう、ぐずぐずしている暇はない。私は、私は彼の彼女なんだから!
「好きです!」
私が飛び出したと同時に、その女の子は叫んだ。
なるほど、左手にはハートの便せんのラブレターが握られていた。そうか――私は瞬時に理解した。やはり、告白だったのだ。――だが、もう遅かった。私は、彼の右腕にタックルとかましていた。
「いてっ、ってエリコ――どうしたんだこんなところで」
「え? あ、いや、ちょっと、あははははは――」
女は、私を見て呆然としていた。「何なんだこの女は」と言った顔だろう。
確かに、なんなんだ私は。告白の場面を邪魔して。私は一体何をしているんだろう。――そう思うとなんだか泣けてきた。
しかし、突然、彼は私の頭を撫でた。ぐわし、ぐわしと、少々乱暴に。
でも、彼の腕から伝わってくる筋肉の律動には、言い表せない温かさがあった。安心感が私の胸を満たしていく。
「ごめんな――」彼は、女に言った。「俺には、こいつがいるんだ。この様子だと多分、君が殺し屋かなんかだと思ってたんだろうぜ。かわいいだろ。だから、ごめんな」
彼の言葉はゆっくりと、しかし確実に女の耳に届いたことだろう。彼女は、そうよね、なんて言いながら笑っていた。
走ってこの場を去る女の後ろ姿を、私は呆然と見ていた。そうか、あの女は失恋したのか――私はその場に座り込んだ。
「エリコ」彼は、私の名を呼んだ。私は、彼を見上げた。彼は真っすぐ、彼女の走っていった方角を見据えていた。
「俺はな、ときどき思うんだ。人は、その人のどこを好きになるんだってな」
「うん」
「俺は――今でも、君の、あのときの手のひらが忘れられないんだ。頭にできたたん瘤を優しく包み込んでくれた――あのときの手のひらが」
「そっか――」私は、ゆっくり立ち上がった。彼を見据え、カサカサの彼の唇にそっと、口づけをした。