異聞北方民族戦記
番外編です。
短編集です。
フラウィウス・アエティウスは、一時期人質としてフン族の中で過ごした。
その時、フン族の陣営に獣が居るのを見る。
「あれは何なのですか?」
アエティウスから見て、フン族は人間なので話が通じる。
だがその獣は「人間」ではなく、言葉も話していない。
恐怖を覚えていた。
「ああ、羽毛族の事か?」
アエティウスにそう教えたのは、共同王位にあるアッティラという男である。
フン族は西ローマの人間に対し、一定の敬意を持って接していた。
「羽毛族?」
「ああ、そうさ。
俺たちと違う、古代の竜の子孫だと言っていて、実際肌も鱗で覆われている。
瞳も縦に割けたおっかない顔だけど、あれで良い部分もあるんだぜ」
「あの化け物が?」
「……俺たちはローマ人の、その偉ぶった言い方が嫌いなんだ。
いい加減にしておけよ」
「すまない。
だが、あの恐ろしい姿から、君たちが良いというような何かを想像出来ないのだが」
「ふん、まあいい、教えてやるよ。
奴らは一度約束が成立したら、律儀なのだ。
そして欲望が少ない。
俺たちフン族に混ざって来ているのは、元々住んでいた土地で家畜が育たなくなったからだ。
あいつらは野菜や穀物を食えない。
肉以外食えないのだ。
その家畜の牛や山羊や羊の餌が、北の大地に少なくなったから、仕方なく南下して来たんだ」
「約束を守る……欲望が少ない、そうなのか……」
アエティウス少年は、顔が長く尖り、口には牙が生え、頭頂部から背中、上腕部にかけて羽が生えていて、他の部分は鱗に覆われ、足には鋭い短剣のような爪を持つこの羽毛族の側面を知った。
これが彼の人生で、不思議な縁となる。
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西ローマに帰還したアエティウスは、長じてローマの重要人物となる。
執政官を勤め、皇帝ウァレンティニアヌス3世を軍事的にも補佐していた。
彼はフン族と仲が良かった為、西ローマはフン族の脅威を受けないかと思われた。
皇帝ウァレンティニアヌスは、一度東ローマに亡命している。
幼少期、姉のユスタ・グラタ・ホノリアと共に、母にコンスタンティノープルまで連れて行かれた。
そして東ローマ皇帝の後押しで一家は西ローマに復帰、ウァレンティニアヌスは正帝として即位する。
ウァレンティニアヌスに後ろ盾は無かった。
そこで母親がアエティウスに頼んで、皇帝の守護者となって貰う。
皇帝は皇帝で、足元を固める為に、姉を元老院議員に嫁がせようとした。
これを嫌がったホノリアは、指輪をフン族の王アッティラに送り
「西ローマの半分を貴方に与えるから、私に協力して欲しい」
と救助を求める。
野心家のホノリアにしたら、同父母の姉弟関係な以上、弟を廃して自分が皇帝に、という部分もあったかもしれない。
アッティラを後ろ盾にすれば可能である。
意に添わぬ元老院議員でなく、彼女の気に入る夫を皇帝に立てても良い。
しかしアッティラは
「西ローマ半分は持参金、ホノリアは我が嫁」
と解釈し、この求婚を理由に西ローマに侵攻する。
アッティラが侵攻したのはガリアの地であった。
この地には西ゴート族がいる。
この王、テオドリック1世は西ローマの衰退に乗じ、アルルを奪おうとした為、アエティウスはアッティラと共にこれを撃破している。
テオドリック1世は、同じく当時はガリアとイベリア半島にいたヴァンダル族と同盟を組んでいた。
しかしヴァンダル族は西ローマと関係を改善し、西ゴート族とは関係劣悪となる。
この状態でフン族の侵攻を受けた為、西ゴート王テオドリック1世は窮した。
そこでガリア出身の元老院議員を通じ、テオドリック1世は仇敵アエティウスと同盟する。
背腹繰り返すガリア情勢に、アエティウスはウンザリしていた。
だが、気を許せぬテオドリック1世と共に戦わねばならない。
彼等はオルレアンを包囲しているフン族の一部隊と戦った。
「あれが羽毛族の戦闘力か……」
アエティウスは幼い時見た異人、アッティラから教えて貰った北方の怪物の戦いを見る。
これまでフン族と共同で戦った事は有るが、羽毛族との共同戦線は無かった。
彼等が「我等を対等に扱わないローマ人は好かヌ!」と拒否して来たのだ。
あの長く鋭く狂暴な爪を立て、高く跳んで上から爪を突き立てる。
その貫通力は、ローマの楕円形の盾を貫き、西ゴートの鎖帷子の隙間から肉を切り裂く。
挟み込む、掴むように足で攻撃する。
接近する時は原始的な盾で頭を守り、それでいて頭部と背中の羽毛を逆立て、身を屈めながら走る為、矢は弾かれ、投槍は速さの前に当たらない。
アエティウスは命令を下す。
「こちらも身を低くし、槍を低く突き出せ」
「司令官、そんな事をしたら奴らに上から襲われます」
「いいから命令に従え!」
アエティウスはフン族の人質になっていた時に、次第に羽毛族と仲良くなり、遊んだりしていた。
そして、その強靭な鱗も、腹部は柔らかいと知った。
無論彼等も自分の身体の事を知っているから、腹を見せないよう、恐竜走りで距離を詰め、跳びかかって敵に一気に爪をかける。
アエティウスはその腹部を狙った。
簡易的な鎧や毛皮で守ってはいるが、それでも自分の突進の力を逆用されると、ローマ軍に次々と腹を刺され、苦しむ。
跳びかかるものも、あえて盾で守るのではなく、下から上に突き出した槍の前に犠牲を大きくする。
元々、羽毛族の参戦数は多くない。
彼等の数が少ない事と、狩猟における少数精鋭主義が軍事にも適用された彼等の思想による。
オルレアンの戦いで、羽毛族は多くの死者と捕虜を出してしまった。
「蛮族殺すべし!」
「闘技場で市民の為の見世物にしよう」
そういう周囲の声を無視し、アエティウスは羽毛族の隊長と思しき者が入れられた檻に向かう。
そして手に持った角笛のようなもので、話す。
『私の言葉、分かるか?』
”何故、お前、言葉知ル?”
『私、昔、君たちから学んだ』
”そうカ。
それで、何の用カ?”
『食糧が有れば、北に帰る気は無いか?
我々が定期的に生肉を送るから、同盟離脱とは言わないまでも、故郷に帰って貰えないか?』
”帰っても良イ。
お前ら、食糧を送るのカ?”
『そうする』
”…………”
羽毛族の隊長は深く考え始めた。
アエティウスはこれを見て
(彼等は本能のみで生きる動物ではない。
相手を天秤にかけるくらいの思考力を持っている。
今回はローマを信用出来るか、深く考えている。
どうやら我々と通じる所があるようだ)
『君たちを解放する。
既に殺したものだが、肉を渡す。
信じて欲しい』
”お前の行動を見てから、大婆様に話ス”
『そうして欲しい。
君たちは約束を必ず守ると聞いている』
”お前はそれを知っているのカ?
よく分かっタ、早く我々を解放シロ”
羽毛族の軍は解放され、騎兵でも追いつけないような速度で森の中に消えていった。
「司令官! 何という事をするのですか!
あんな動物と約束が出来ると思っているのですか?」
「むしろ動物は裏切らない。
約束、というより棲み分けの条件提示というのかな?
彼等は飢える苦しみを身に沁みて知っているそうだ。
彼等の先祖は、ある時全く食べ物が得られなくなり、貪り食った者から先に亡びた。
無用な欲を出さず、納得いく妥協が示されたら検討し、一回決めたら守る。
縄張り意識ってそんなとこから生まれたのかもしれない」
「ですが!」
「むしろ言葉を交わしておいて、裏切るのは人間の方だ」
アエティウスの考えは正しかった。
羽毛族はアエティウスとの約束を守り、西ローマから牛馬を食糧として貰う事を条件に、次の会戦には参加しなかった。
西ローマ・西ゴート連合対フン族及び諸族同盟のカタラウヌムの戦いは、人類だけで行われた。
そしてアエティウスは、彼を恐れた皇帝ウァレンティニアヌス3世に裏切られ、殺された……。