異聞諸葛亮南征記
番外編です。
短編集です。
ユーラシア大陸最東部、人類はこの地を中国と呼ぶ。
農業生産力とかつては大量にあった森林資源とによって、この地の人類は圧倒的に増殖した。
饕餮と呼ばれた角竜を狩り尽くし、貪と呼ばれた肉食竜を滅して領土を拡張する。
知性を持たない恐竜の末裔たちは、中国の地では絶滅し、やがて彼等は神話で語り継がれる。
だが中国南西部、雲南省からビルマにかけての熱帯地域には、知恵有る恐竜の末裔が、国とは言えないまでも共同体を作っていた。
この地に遠征した人類は、地形、疫病、猛獣、毒虫、そして剽悍な竜人たちによって全滅させられた。
辛うじて互角に戦ったのは、後漢帝国の馬援という男だけである。
時は流れる。
縄張りと食糧と生存欲求を持ってるだけの竜人の中に、征服欲と権勢欲と知識欲と傲慢さを大量に有したオスが現れた。
自らを中国名で孟獲と名乗った。
氏族名(主に生存地域から取る)と序列名(何番目の生まれか)、職業名(戦士か後方守備か武器職人か)で簡易的な呼び方しかしない竜人には珍しい。
その孟獲が、名を与えた弟の孟融、妻の弟の帯来と共に蜀という政権に攻め込んだ。
野戦において竜人たちは蜀兵を寄せ付けない。
しかし、呂凱という男が採った籠城策に竜人たちは手も足も出なかった。
恐竜の狩りに、攻城というのは無いからだ。
やがて蜀の首都成都から諸葛亮が三万の兵を率いて遠征して来た。
孟獲は野戦において負けるとは思っていない。
城に立て篭もる中国人は『穴ぐらの卵泥棒』と、ネズミ扱いである。
諸葛亮の戦い方は情報重視、安全第一、心理分析で為される。
文献や呂凱からの報告で、竜人の戦術を分析した。
基本的に狩猟と戦争は同じであり、騎馬民族匈奴の戦い方に似る。
兵を安全に戦わせるには、彼等の鋭い足の爪から守るのが第一だ。
その上で孟獲の心理を読む。
孟獲は人類を怖いと思わない竜人から更に外れ、人類を支配して中国全土を竜人の国にしようと考えている。
彼は、竜語の分かる捕虜は部下の餌にせず、情報を聞き出すのに使っていた。
その聞き出した情報には、蜀だけでなく、呉や魏、さらに匈奴や鮮卑についてまでだと、脱走に成功した者が語っていた。
歴史についても聞きたがり、
"項羽というオスなら我も戦ってみたイ"
と言ったそうだ。
(どうやら孟獲は英雄になりたいようだ。
その為にも中華の地だけでなく、北方まで同族の領土にしたいのだろう)
この個体以外に野心的な竜人は見られない。
孟獲を殺して終わりにするか?
諸葛亮は竜人たちの文化の中で、彼等も神話を持つ事に注目する。
彼等の神話で、かつて空が落ちて来た時に雷の神が彼等の先祖と地上を救ったというのがある。
それが何の話か諸葛亮には分からなかったが、竜人は雷を崇拝していると言う。
(我々には何をやっても勝てないと思い知らせよう。
それがこの地を恒久的に支配する術となろう)
諸葛亮の方針は立った。
自らを餌とする事で、相手に狩りをさせる。
狩りにおいて竜人たちは包囲、偽装撤退、伏兵というやり方か、迂回側面攻撃、囮を使った後方攻撃というパターンを採る。
地形や状況で大体の読みは可能だ。
そして、落とし穴や網等で捕獲する。
言葉は通じない。
いや、通じても価値観が違い過ぎて会話が成り立たない。
そこで捕まえては放ち、攻めさせてはまた捕らえ、また放つを繰り返す。
そうして精神に分からせる。
精神に勝てないと刻み込ませる。
やがて神話になり、彼等は人類に逆らわなくなるだろう。
諸葛亮はそれを達成した。
七度捕らえ、七度放つ「七縦七擒」。
孟獲は牙の届く距離にいながら、何度も縄に絡められ、ついに本能とは違うところに「何かが違う」という恐怖が刷り込まれた。
戦えば勝てる、しかし、この人類って連中には力や戦い方とは違う何かがある。
その「何か」が分からない限り、自分たちは勝てない。
下手をしたら絶滅させられる。
かくしてこの地の竜人は、人類に屈服した。
そして諸葛亮は、生贄の代わりとなる料理を彼等に授ける。
人を喰いたくなったらこれを喰え、
小麦粉で頭を作り、中に肉を詰めた「饅頭」。
その他にもこの地の竜人たちは、生肉を食べるより美味い食べ方を学ぶ。
人類が上に立つ形となったが、この地では人・恐竜の共存は成立した。
孟獲じゃなく兀突骨の記述ですが
「身の丈十二尺(後漢の尺で276cm、魏・晋の尺で288.2cm)の大男で、体が鱗で覆われている。
穀物の類は一切食べず、生きた獣や蛇を食べている」
とあり、この人「恐竜人類じゃね?」となり、この話を作ってみました。
いや、兀突骨だけ竜人なら、「三国志演義」から一文字も変える必要無いので、南蛮全部巻き込んでみました。