恐竜が絶滅しなかった世界
6,603万年前、我々の地球では新生代・古第三紀・暁新世・ダニアン期。
「サジタリウス」の飛んだ世界では相変わらずの中生代・白亜紀・後期マーストリヒト期。
地球の気温は再度上昇し始めた。
「サジタリウス」が隕石を迎撃した頃、地球の平均気温は20℃程度だった。
しかし、今は23℃に上昇している。
「また火山活動が活発になっている」
データを見て学者がぼやいた。
衛星写真を確認する。
浅い海なのに、水の色が深い青になっている。
プランクトンが居ない証だ。
「海洋無酸素事変……」
海は隕石の衝突を免れたのに、これから大量絶滅をさせようとしている。
「おかしい」
地質学者が呟く。
「我々の知っている地球よりも温暖化している。
確かにデカントラップ、インドの噴火は一時沈静化したものの、隕石衝突後約30万年続き、大量のガスを放出した。
しかしそれらは海に吸収され、温暖化はここまでにならなかった筈だ」
「隕石が衝突しなかったからか?」
隕石が衝突しなかった、白亜紀のままの海は、どうやら火山ガスを吸収し切れなくなっているようだ。
隕石が衝突した場合、衝突地点の海は水蒸気となって蒸発するし、海水は津波となって地球を駆け巡る。
これによって海は一度かき混ぜられ、色々とリセットされたかもしれない。
しかし、シャッフルされなかった海は、白亜紀の貧酸素水塊を大量発生させていた海のままで、そこに新たな火山活動が加わると、貧酸素化は加速し、温室効果ガスも吸収されにくい状態であった。
「この海は、ただでさえMg/Ca比率が異なり、サンゴがサンゴ礁を作れない」
サンゴ礁の回復は、隕石が落ちた方の地球でもこの後3,000万年後になる。
「陸を見てみよう!」
もうプローブも少なくなっている。
着陸や着水し、定点観測を行うプローブは、エネルギーを使い切る前に自力で地上を発進し、「サジタリウス」の中に戻る。
そして燃料を補給し、休眠空けに再出動する。
が、その燃料も無限にある訳ではない。
また、燃料や電気の補充は出来ても、例えば着陸後に割れたレンズや、故障したアンテナは修理出来ない。
「サジタリウス」は万能ではないのだ。
まして、既に2万年以上も無補給で活動している。
徐々にプローブもドローンも、使用可能な数は減っていた。
「地上は、相変わらず恐竜の世界ですね……」
恐竜たちは絶滅していなかった。
少し変わった所を見ると
「鳥類が大型化している……」
隕石の衝突があった世界では、大型の鳥類は全て絶滅し、小型の鳥類しか残らなかった。
だが、絶滅を免れた地球では、大型鳥類が更に大型化している。
その一方で、温暖化のせいかユーラシア大陸に大量にいた羽毛恐竜の数が減ったように見える。
「まあ、予想通りの地球かなあ。
海を除いて……」
海は隕石が落ちない世界では、死の世界化し始めていた。
海水温度も、高緯度に運ばれない環赤道暖流のせいで高いまま。
その上、海底火山の物質が撒き散らかされ、温室効果ガスは吸収されない。
それが地上をもどんどん高温化させる。
……………………………………………………
データを進めて、5,500万年前。
地表平均気温29℃。
「メタンハイドレートの融解が起きている」
観測機が、大気中の二酸化炭素濃度とメタン濃度の上昇を観測した。
この時期、「暁新世‐始新世の温度最大期」(Paleocene-Eocene Thermal Maximum、PETM)と呼ばれる現象が発生した。
地表の温度を9℃上昇させたこの現象は、メタンハイドレートでの気温上昇はこの内の3.5℃分だけとされる。
根本的な原因は大西洋の海底火山の噴火であった。
高温になっていた海は、完全に死の海となり、あちこちで高温に強い藍藻の異常繁殖が見られた。
だが、この異常高温が約10万年続く。
こんな時期まで動くプローブやドローンが、わずか数機とは言え残っているのは奇跡だろう。
もっとも、破損が激しく、正確なデータを拾って来ていない可能性がある。
「サジタリウス」もその子機も、まだしばらく動くが、それは延命するだけであり、そろそろ観測機としては限界が近かった。
この高温は、2億5千万年前、ペルム紀と三畳紀を別つ境界(P/T境界)、古生代と中生代の相違を作った大絶滅と似た挙動を示した。
P/T境界の史上最大の大絶滅、それはシベリアトラップと呼ばれる火山活動と、メタンハイドレートの融解が招いた温室効果で、高温地獄、酸素不足、二酸化炭素濃度上昇とで地球上の生物の9割以上が姿を消した事変。
その初期と似た状況で、やはり生物がどんどん絶滅していく。
だが……
「恐竜は、そのP/T境界を生き残った覇者なんだよな……」
この条件ならば恐竜や、その子孫である鳥類は多くが生き残る。
ただし、ダニアン期に更に巨大化していた種は、食糧不足で絶滅していった。
だが、高温期はこちらの地球と同じで、長くは続かなかった。
P/T境界の最悪の時期、地球の「平均」気温は34℃であり、まだあと5℃程上がる余地がある。
高温期が100万年続けば、その余地を使い果たしただろう。
だが、10万年で事情が変わる。
インドがついにユーラシア大陸と衝突したのだ。
また、アフリカ大陸がいよいよ北上して、ヨーロッパ大陸と衝突しようとしている。
テチス海は消滅しかかっている。
ここを流れていた暖流は、大陸の縁に沿って高緯度海域に運ばれ、そこで熱を発散して来るようになる。
ペルム紀と違い、超大陸は無く、適度に分散していた大陸は、熱循環の賜物、嵐によって冷却されていく。
やがて温暖化は収まった。
そして、そろそろ「サジタリウス」の目と耳は使えなくなる。
このSF書こうと思った最大のきっかけがPETMです。
白亜紀があと一千万年続いても、破局はきっと来ただろうと考えました。
それで調べていたら、「隕石が落ちたからこそ、海か回復した」みたいな論文見まして。
てなわけで、地獄のダニアン期になりました。