99.大地の恵み
夜、離宮の居室。
俺はベッドの上であぐらを組んで、右手の手の平を上向きにして、みぞおちくらいの高さに突き出していた。
それに魔力を集中させる。
アポピスの力を使い、集中させた魔力を変質させていく。
「陛下」
ふと、横から俺を呼ぶ声が聞こえた。
顔をあげる、複数の使用人を引き連れているオードリーの姿があった。
例え後宮――いわば自宅のような場所であっても、皇后は常に多くの宦官や使用人を引き連れて歩くものだ。
皇后に不便な思いをさせてはならないというのと、何かあったら身を盾にして守るのと、わずかな感じの意味合いと。
それらの理由が何重にも重なり合って、皇后とは常にこのように無駄な隊列を引き連れてあるもの。
ちなみにそれは皇帝も似たようなものだが、「戦士の国」である帝国では、行動的な皇帝が力を誇示するために、単身でお忍びやらなんやらで行動する事も多い。
オードリーはひらり、と手を振った。
すると使用人達が深々と一礼して、全員が部屋から退出した。
残ったオードリーはベッドの上に上がり、俺にしなだれかかってきた。
「何をなさっているのですか陛下」
「ポーションを作っていた」
「ポーション……ジェシカに与えたあれですね」
「ああ」
「陛下が発明したものですわね、たしか。あら?」
言いかけて、首をかしげてしまうオードリー。
「どうした」
「陛下が発明したものなのは存じ上げてますが、何故また陛下がお作りになっていらっしゃるのですか? アルメリアの地を使って量産していると聞きますが」
「良い質問だ。今のポーションに満足してないのだ」
「満足してない?」
俺は小さく頷く。
「今のものは軽い怪我しか治せん。戦場で使うには効果が足りない。もっと効果の高いものを開発している」
「なるほど。それは可能なのですか?」
「もう出来ている」
「もう?」
俺はベッド横のサイドテーブルに置いた、小さな瓶を手に取って、オードリーに渡した。
「それが新しくできたものだ。名は、わかりやすくハイポーションとつけた」
「ハイ・ポーション……」
「見ていろ」
俺は腕輪の中から魔剣リヴァイアサンを抜き放つ。
夜の居室で、美しく輝く水色の光を曳く魔剣の切っ先を手の平に突き立てて――貫通した。
「陛下!?」
「騒ぐな」
リヴァイアサンを抜き放ち、腕輪に戻す。
一方でハイポーションを貫通した手の平にぶっかけた。
すると、みるみる内に、貫通した傷が塞がって、完全に消えてしまう。
「こんな感じだ」
「わあぁ……」
「これを使えば、傷は瞬時に塞がる……が」
「が?」
「身体が欠損した場合――例えば指がちぎれたり、腕が落とされたりな。そういう身体欠損級の怪我だと、きずだけ塞いでしまう」
「……腕は落とされたままなのですね」
「そういうことだ。まあ、ポーションよりは効果的だから、これはこれで良いのだが」
「すごいです陛下」
「ん?」
俺はオードリーを見た。
オードリーはまるで少女のようなきらきらした、感動的な瞳で俺を見つめている。
「こんなすごいものまで作れてしまうなんて」
「ポーションの延長線上だ。まだ完璧ではない、これを作ろうとして、全くの別物になることもある」
「それでもすごいです。数百年の間、古の伝承にしか存在していなかった回復魔法や回復薬。それを復活させただけでなく、更に改良してしまうなんて」
「ふむ」
「私……歴史が変わる瞬間に立ち会っているような気分になってます。すごいです陛下!」
まるで村娘が著名な吟遊詩人にあったような、憧れ100%の目で見つめられる。
そこまで言われると、悪い気はしない。
「あっ」
「どうした」
「あの……陛下。陛下にお願いしたいことが……」
オードリーは俺から少し離れて、もじもじと、恥ずかしそうに言ってきた。
「なんだ、欲しい物でもあるのか? そろそろ離宮でもたてるのか?」
「いいえ、そうではありません。その……ハイポーションを、ジェシカに届けてあげてほしいのです」
俺は少し驚いた。
オードリーの「おねだり」は、まるで予想だにしなかった方向から飛んできた。
「ジェシカに?」
「はい、今の彼女こそ必要なものだと思います」
「気にかけているのか」
「共に陛下に侍る女同士、『妹』、のようになってくれれば嬉しいですわ」
「なるほど」
「それに陛下がわざわざ試練を与えるほどの子、大事にしなければ」
「俺が試練を与えるのがそんなに珍しいことか?」
俺はクスリと笑って、冗談めかして言った。
「はい、とても」
オードリーは同じようにクスリと笑って、きっぱりと言い放った。
「陛下は大抵の事を、自分でなさってしまいます」
オードリーはそう言いながら、手を伸ばして俺の手に触れた。
ハイポーションで傷は塞いだが、液体で薄められた血がのこっている。
その血を指の腹ですくい上げて、俺に見せるようにかざした。
「ご自身の危険や痛みを顧みずにすることが多々あります。そんな陛下がわざわざ他人に試練を与えてまで育てるのは珍しいことです」
「なるほど」
オードリーの言うとおりかもしれないと思った。
「ですので、ジェシカにハイポーションを」
「話は分かった。それなら問題ない、もう届けさせてある」
「え?」
「最初に出来た分をすぐに届けさせた。もっとも、本人の手には渡らないように、別のものに持たせて、そばにいるようにさせたが」
「どうしてそんな事を?」
「オードリーは、俺がポーションに続いて、ハイポーションを開発したことをどう思う」
「え? それは……」
質問を質問で返されたオードリーは戸惑ったが、それでも頭をひねって答えてくれた。
「すごくて、早いなと」
「それだ。その考え方をジェシカが持ってしまうと、気の緩みを生む。一つは、ハイポーションがあるんなら多少の怪我は、というもの。もう一つは、もうしばらくしたらハイポーション以上のものがでてくるのではないか。ということだ」
「あっ……」
「彼女は守る、気の緩みを生じないように、陰からな」
「なるほど……さすが陛下。そこまで考えていらっしゃったなんて」
オードリーは、ますます目をきらきらと輝かせて、俺を見つめてきたのだった。
☆
次の日、離宮の書斎。
俺の前に第一宰相、ジャン=ブラッド・レイドークがいた。
ジャンはものすごく熟練した動きで片膝をついて頭を下げた。
「楽にしろ。どうだ、調査の方は」
「はい。陛下のご命令通り、各地に再生可能な龍脈はないか、秘密裏に調査させました」
「うむ」
「ゲラハ砂漠がもっとも可能性が大きい事がわかりました」
「ゲラハ砂漠……サラルリアだったか」
サラルリア州。
帝国の東南部にある、もっとも面積の大きい州の事だ。
面積が大きいのは辺境である事、大した産業がなく人口が少ないこと、そもそも砂漠が全面積の二分の一以上を占めている事などが理由である。
「サラルリアは……ゲルト辺境伯の封地だったな」
「はい。帝国にとってあまりにも『旨み』のない土地ですので、伯爵の一人に押しつけた形です」
「ゲルトに他の土地をやれ。代わりにサラルリアを皇帝直轄領にする」
「承知致しました……陛下」
「ん?」
「なぜ、ここまでなさるのですか? 龍脈ならアルメリアだけで事足りるのでは……?」
言葉を選びながら、って感じで聞いてきたジャン。
その質問は予想していた。
俺は用意してあった小瓶を取って、執務机の上に置かれているランタンに、瓶の液体を一滴たらした。
すると、ランタンが光り出した。
炎による光ではない、もっと明るくて、昼間の白い光に近いものだ。
「こ、これは!?」
驚くジャン、ランタンの光に食いつく。
「ポーションの……まあ失敗作だ」
「失敗作?」
「余の力でポーションを作ろうとすると、たまにまったく予想外の別物が出来てしまう」
昨日オードリーにも軽く話したが、彼女はそれに興味をしめさなかったっけ。
「その一つがこれだ。空気に触れてからしばらくたつと光り出す」
「空気に……」
「その一滴で一晩持つぞ」
「なっ!」
ますます驚愕して、ランタンを見つめるジャン。
「龍脈からの魔力はポーションを作り出せるが、その力の方向性を変えれば別のものも作り出せる。そこには無限の可能性があると、余は感じた」
「な、なるほど。だから龍脈を」
「ああ、サラルリアを皇帝直轄領にする」
「……」
ジャンはしばらくの間ランタンを食い入るように見つめた後、「ふぅ……」と気を取り直して、ランタンを置いて居住まいを正した。
「このようなものまで……さすが陛下でございます」
そう言った後、ジャンはキリッとした真顔に――第一宰相にふさわしい表情にもどった。
「サラルリアの件、急がせます。龍脈の復旧も」
「ああ、今後のためのテストにもなる、予算は使えるだけつかっていい」
「承知致しました」
ジャンは最後に一礼して、書斎から退出した。
龍脈が産み出す、魔力の雫。
人間の生活を大きく変えてしまう可能性を持っているものだと。
俺は、密かに確信していた。