93.逆えこひいき
商人のバイロン・アランから謁見の申し出があった。
公式なものじゃなくて、プライベートなもので、っていう申し出だったから、離宮の応接間で会うことにした。
陽光が過不足なく射し込んできて、調度品の数々がより一層輝きを放つ部屋で座って待っていた俺。
そこへ、メイドに案内されて、バイロンがやってきた。
バイロンは部屋に入るなり、進むよりも先にひざまづいた。
「バイロン・アラン。天顔を拝し光栄至極に存じます」
「その程度でよい。余とそなたの付き合いだ。楽にしていい」
「ありがとうございます」
「今日はなんだ――むぅ?」
バイロンが立ち上がって、部屋に入ってくると、それまで部屋の一歩外で待機していたのか、ドレス姿の女が入ってきた。
「……へえ」
声が出てしまった。
端的に言えばいい女だったからだ。
絶世の美女という訳ではない。
だが、立ち居振る舞いに優雅さと気品がある。
しかもそれは――後天的なものだ。
ここでいう先天的、後天的というのは「生まれ」の事だ。
貴族の家に生まれて、生まれた瞬間からかくあるべしと躾られた者と、成長してからそれを学んで身につけた者とでは若干の違いがある。
善し悪しではない、違うというだけだ。
もちろん、中には文字通り「先天的」に気品をもって生まれた者もいるが、それはまた別の話だ。
バイロンに続いて入ってきた女は、後天的に気品を身に付けた人間だった。
善し悪しではないとはいうが、後天的な者というのはどうしても先天的な者に比べて年月が――経験が少なく短い。
後天的な者が劣って見えるのはひとえにこの期間の長さによるものだ。
しかし、目の前の女はまだ若いのにもかかわらず、後天的なのにもかかわらず、立ち居振る舞いが完璧に近い。
それが――面白かった。
「本日は、このジェシカを陛下に献上したく連れて参りました」
「献上?」
「陛下の後宮に加えて頂きたく――という意味でございます」
「ああ……なるほど」
父上の妃の一人、庶妃エイダを思い出した。
エイダは俺がバイロンと組んで、父上の後宮に送り込んで、その後無事目に止って妃となった女だ。
バイロンのような商人は、後宮――内裏に息の掛かった人間がいるかどうかで商売のやり方ががらりと変わる。
父上は退位されて、エイダの効果は薄くなった。
それを補うために、俺のところにも送り込んできたというわけだ。
「ふっ、お前が直接連れてくるとはな」
「恐れ入ります。隠し立てしても陛下のご慧眼から隠し通せるものではございませんので」
「まあ、お前と余ではな」
慧眼とかじゃなくて、前に組んで同じことをしたから。
「わかった。受け取ろう――」
バイロンからなら断る必要性もない、として受け入れた瞬間。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:17+1/∞
HP C+B 火 E+S+S
MP D+C 水 C+SSS
力 C+S 風 E+C
体力 D+C 地 E+C
知性 D+A 光 E+B
精神 E+C 闇 E+B
速さ E+B
器用 E+C
運 D+C
―――――――――――
いつも視界の隅っこにある、ステータスの「+」が上がった。
しかも――一気に二つもだ。
俺は驚いて、女――ジェシカを見た。
俺のものになって、一気にステータスを二つもあげる女。
これは……逸材だ。
「お前――ただの女じゃないな」
「さすがは陛下、そのご慧眼感服致しました。この一瞬でお気づきになるとは」
「どういう人間だ?」
「私からいえるのは――陛下が好まれる性質の女でございます」
「ほう」
バイロンとは、エイダを選ぶ時に俺の好みを大分話した。
その好み――向上心のある女を選んだと言うことか。
まあ、父上の時と違って、直接俺に贈るのだ。
俺の好みで選んで当然だろう。
「そして」
「そして?」
「その中でも、特にその性質に優れたものでございました」
「なるほど」
一番努力家の女だったというわけか。
それなら、立ち居振る舞いから感じた事もうなずける。
「それでは、私はこれにて……」
バイロンはそう言って、早々に立ち去った。
ここで「何卒よろしく」っていうのは二流だ。
そんな事言わなくてもわかるし、言われて良い気はしない。
もちろんマイナスとしては微小だが、その微小を取り払えるのが一流だ。
バイロンもメイドもいなくなった後、部屋の中は俺とジェシカの二人っきりになった。
ジェシカを見つめる、観察する。
緊張、そして興奮。
興奮の中に、わずかな引っかかりを感じた。
「そなたは自分から、余の妃になることを志願したのか? それともバイロンに乞われたか?」
「お答えします。バイロン様に自ら赴き、鍛えて下さいと申し出ました」
「ふむ……ふむ? 進んで妃になろうと?」
「はい」
「それでバイロンの門を自ら叩いた?」
「はい」
へえ。
そのルートを見つけるとは、鍛える前から才気あふれる女だったという事かな?
ますます気に入った、興味をもった――と思っていると。
ジェシカは、そっと手を伸ばした。
手の平を上にして差し出してきた。その手に何かが乗っている。
「金、か?」
「十リィーンです」
「それがなんだ?」
さすがに意図が読めなかった。
親王時代も含めて、皇帝である俺に、十リィーン程度の金を渡してくる人間はいない。
事実として、それはない。
だからこそ、意図が読めなかった。
「陛下と初めてお会いしたときに受け取ったものでございます」
「ふむ。もっと詳しく話してみろ」
「陛下が雷親王様と初めてお会いした際に、居合わせた者達に配った十リィーンでございます」
「……なるほど」
正直、記憶がおぼろげだった。
雷親王インドラ――オードリーの祖父と初めて会ったときは屋外だった。
そして、注目を集めていた。
インドラに認められた事も覚えてる。
ここまでは覚えてる。
そしてそうなったとき、居合わせた民に金を配る、というのは間違いなくやっている。
その時の金だということか。
「陛下を一目見たとき、全身を雷が突き抜けていきました」
ジェシカの空気が一変した。
嫋やかと優雅さの中に、激しさが加わった。
「お慕いしてます! 世界中の誰よりも陛下の事をお慕いしております! 婢女でもかまいません、どうか、お側において下さい!」
と、思いっきりすがってきた。
気持ちはわかった――強く分かった。
もとより、手放す気はない。
「誰か」
呼ぶと、メイドが一人入ってきた。
「皇后をここに呼べ」
メイドは恭しく一礼して出て行き、ほとんど間をおかずに皇后オードリーが入ってきた。
「お呼びでございますか、陛下」
「この早さ、話を聞いていたな?」
「はい、商人が女を連れて来たとなれば、後宮の主としては」
オードリーはにこりと微笑んだ。
まあ、当然の反応だ。
「それなら話は早い。彼女はジェシカ、妃にする」
「――っ! あ、あ、あ……ありがとうございます!」
ジェシカは感涙した。
「あらあら、そんなに嬉しいのですか?」
この喜びようには、さすがのオードリーもびっくりしたようだ。
俺はオードリーにジェシカの事を話した。
インドラの時、出逢っただけで、バイロンを見つけ、自分を鍛え上げてここまできた。
「まあ」
それを聞いたオードリーは瞳を輝かせた。
そして、ジェシカの方を向いて、(皇后として)自らジェシカの手を取って
「あなた、見所があるわね」
「え……?」
「陛下のすばらしさを見抜き、それに心酔して、ここまでやって来たのでしょう」
「――っ、はい!」
「ふふ、それなら大歓迎よ。よろしく、ジェシカ」
「はい、よろしくお願いいたします」
「では、メイドにあなたの部屋を」
「ああ、ちょっと待って」
後宮の主として早速動き出そうとするオードリーを呼び止めた。
「なんでしょうか」
「彼女の処遇はすこし違う。妃として迎え入れるが――部下としても使いたい」
「え?」
「え?」
オードリーもジェシカも驚いた。
「腕、結構立つんだろ? そこまで自分を鍛えたんだ、余の妃、ってだけではもったいない」
「あっ……」
ジェシカは嬉しそうに、微かにうつむいた。
評価された事を、しかも俺に評価されたことを喜んでいる。
「ですが陛下、妃となるものは後宮に入るのがしきたり」
「それは取っ払う。今後はジェシカみたいなのが増える。元々世界の半分は女だ、その中には才能が多いはず。活用せんのはもったいない」
「陛下の人材に対する渇望は分かりますが――はっ!」
オードリーは文字通り「はっ」と目を見開いた。
「皇女様達の一件は――このために……?」
「……」
俺はにこりと笑った。
「さすが陛下。そこまで考えていらっしゃったとは」
「シンディーの時からずっと考えてた。そこにアーリーンの件が舞い込んだ。これなら一石三鳥だと思っただけだ」
「すごいです陛下」
「え? それは……?」
状況が分からないジェシカに、オードリーが説明をしてやる。
アーリーンの一件で、俺は皇女にまつわるしきたりを壊した。
皇族の、女にまつわるしきたりでも容赦なく手をつける皇帝だと明言した形だ。
俺の妃を俺の部下としても使うとしても、今更大した抵抗はあるまい。
「あぁ……やっぱり……陛下は……」
説明を受けたジェシカはますますうっとりと、心酔しきった目で俺を見つめ。
俺に心酔する女は味方だ、というオードリーは、満足げにジェシカを見守った。
☆
次の日、離宮の庭にヘンリーを呼び出した。
俺とヘンリーは東屋でくつろいでいて、その東屋の先でシャーリーとジェシカが戦っていた。
互いに切っ先をつぶした武器での模擬戦。
二人は互角に戦っていた。
一本気で剛剣のシャーリー。
それとは対象的に、流麗で踊るような剣術のジェシカ。
対象的な二人の戦いは、互角ということも相まって美しく見えた。
「口さがない者がなにかとうるさそうだ」
ジェシカを部下としても使う事を話したら、ヘンリーは平然とそう言った。
反対がないのはありがたい、説得の手間がなくて。
「そういう連中は囀らせとけばいい」
「私を呼んだのは? その事ならむしろオスカーの管轄だが?」
「ジェシカを討伐に加えたい。そのために呼んだ」
「討伐……最前線にいきなりですか?」
「ああ」
「なぜ?」
「経験を積ませたい」
俺はジェシカを眺めた。
昨晩俺に抱かれて、庶妃ジェシカとなった女は、閨の愛らしさからは想像もつかないような、優美で苛烈な剣技を見せている。
「今までで一番の逸材だ。いろんな経験を積ませたい」
「そのためには最前線、過酷な戦場にも……逆にえこひいきすると言うことですか」
「そういうことだ」
「……さすが陛下、そこまですれば雑音も収まりましょう」
「雑音なんか最初からどうでもいい……が任せた。死なないようには余がどうにかする。とにかく経験が積める配置にだ」
「御意」
ヘンリーはそう言い、微かに頭を下げた。
俺はジェシカを見て、逸材の先を楽しくあれこれ想像を馳せた。