90.三本の矢
書籍化決定いたしました!
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ジズの翼で、空高く飛び上がった。
淡い燐光を帯びる翼の羽ばたきは、操作している俺自身ですら幻想的で美しく見える。
人間として当たり前の感覚だ。
俺も、自分ではなく何者かがこのような光の翼を背にして空を飛んでいたら、天から降り立った天使だと思っただろう。
そんな幻想的で美しい光景はもう一つあった。
空は晴れ渡っている。
地上であれば蒸し暑く、冬の間に地下に貯蔵した氷を出さなければやってられないほどの暑さだ。
見渡す限りそんな快晴だが、数キロ先の一部分だけが違った。
雨柱。
一カ所だけ積乱雲が生じて、そこからまるで柱にもカーテンにも見える、滂沱の雨が降り注いでいる。
その雨量や凄まじく、嵐かと勘違いしかねないゲリラ豪雨だ。
「すごいな、リヴァイアサン」
俺はそうつぶやき、ゆっくりと羽ばたきながら地上に降りていった。
元十三親王邸、離宮の庭に一人の幼い少女が立っていた。
見た目の歳は10ってところか。
輝く金色の髪は身長を遙かに超えて、地面に瀧のように垂れている。
威厳の要件は揃っていて、いかにも思慮深そうな瞳の光を湛えている。
リヴァイアサン。
覚醒した水の魔剣の魂が、人間の姿に顕現した姿だ。
「見たぞ、雨。すごいな。今の一瞬で、帝都の一月分の用水が賄えるほどの雨量だったのではないか? あそこにため池がないことが惜しい」
「主の力あってこそ。我は主が強ければ強いほど、その力を発揮する事ができる」
「そういうものなのか」
「あの雨は主の力そのもの。すごいというのならば主の方がすごい」
なるほど。
なら俺がもっと強くなれば……。
と、治水の事を考え出した一瞬。
リヴァイアサンが、更に強い眼光で言ってきた。
「バハムートごときに遅れはとらぬ。これからも主の為に死力を尽くさせて頂きたい」
「お前もバハムートも余の宝だ。だがお前がそう思うのなら、余のための力をもっと競い合って、高めていくといい」
「――承知した!」
瞳の光通り、思慮の深さと理性が強く感じられる返事をしたリヴァイアサン。
覚醒して性格が少し変わったか――と思いきや。
「――!」
「ひ、ひぃっっ!」
背後からメイドの悲鳴が聞こえた。
振り向くと、メイドのジジが尻餅をついて、怯えた顔をしていた。
よく見ると、スカートに染みが現在進行形で広がっている。
恐怖で漏らしたか――そうか。
「リヴァイアサン」
振り向き、リヴァイアサンを宥める。
「お前より後に入ってきたから顔は知っているだろ、メイドのジジだ」
「……」
一変。
さっきまでの知的な空気がどこへやら、リヴァイアサンは激した顔で言った。
「主にいきなり話しかけるなど不届き千万」
「話しかけられるときは大抵いきなりだ。正面で同時に気づきでもしない限りは」
俺はふっ、と微苦笑した。
リヴァイアサンかと思えば、やっぱりレヴィアタンだった。
レヴィアたん、って感じだった。
見た目通りに幼くて、わがままを言ってる子供のように見えた。
「とにかく、余のメイドはある程度厳選して、余に恩義を感じている人間達ばかりだ。そこまでの威嚇は必要ない、余が使う時に支障が生じる」
「……わかった」
リヴァイアサンは威嚇を引っ込めた。
ジジは見るからにほっとした。
「着替えてこい……ああ、その前にどうした」
「あ……は、はいぃ」
ジジはまだ恐怖が抜けきってなくて、怯えながら報告した。
「ど、ドン様がいらっしゃいました」
「ここに通せ」
「わ、わかりました」
ジジは慌てて、まるで逃げ出すようにこの場から立ち去った。
入れ替わりに、第四宰相ドン・オーツが姿を現した。
「さすがでございます、陛下」
「なにがだ?」
「それほどの狂犬も、陛下にかかれば忠犬そのもの」
「今のを見ていたのか」
「いいえ。離れていても感じるほどだった、というだけでございます」
やり過ぎだなリヴァイアサン。
それをやりすぎだとも思ってなく、ドンにも警戒しているリヴァイアサンに言った。
「戻っていいぞ。今からドンと話をする」
「はい」
リヴァイアサンは特に何か言うでも無く、素直に受け入れて、顕現を解いて俺の腕輪の中に戻っていった。
「で、なんだ?」
「ガベル総督よりご報告の書状です」
「フィル・モームか。見せてみろ――って、なんだこれは」
ドンが差し出したのは封筒じゃなくて、細長い筒だった。
受け取ると、中に丸まった紙が入っているのが分かる。
「絵画か? ……まさか」
一瞬、いやな想像をした。
こういう感じに絵を送ってくるのは、大抵が賄賂で――俺は皇帝だから献上物だ。
そういう絵画は大抵が高価な物。
ガベル州。
少し前まで塩税の一件で、総督が賄賂を受け取って黄金をばらまいているのを見ていた。
その時に取り立てた男だが、直前までは奴隷。
絵画なんて送れる金はない。
まさか……もう?
「ご心配には及びません」
「ん?」
「どうやら本人の手による物です」
「本人……フィル・モームがか?」
ドンははっきりと頷いた。
ならば骨董品の献上ではないのか。
だとしたらなんだ?
不思議に思いつつ筒から紙を取り出して、開く。
すると、絵画の技法など完全に無視した、素人の絵があった。
素人の絵だが、なんとなく情景はわかる。
絵は二枚あった。
一枚目は何者かがある者に贈り物をしているところ。
二枚目はされた方が、した方の尻を蹴っ飛ばしているところ。
「……ふむ」
「それから少し遅れて、ゾーイからこのようなものが。タイミングからして、おそらく関連があるかと」
今度は箱を差し出してきた。
フワワの箱。
ゾーイに与えた、密告用の箱。
受け取って、フワワで鍵を開ける。
中に入っていた封筒を取り出して、開封して中を読む。
「……なるほど」
「どのような内容でしたか」
「別の勢力がここぞとばかりにシェアを広げようとして、フィル・モームを抱え込もうとしたが、かなり恥をかかされる方法で突っ返されたらしい」
「なるほど」
「そしてフィル・モームは読み書きが出来ないから、報告は自分が書いた絵でやったって訳だ」
「さようでございましたか。……陛下への忠誠心は認めますが、読み書きすら出来ないのは良くないのではありませんか。ゾーイが近くにおりますし、もっと補佐に――」
「いいや、このままでいい。フィル・モームを取り立てたのは余だ。失敗したのなら余が尻を拭えばいい。それよりも奴隷上がりなのに金銀財宝に目が眩まず、余に忠誠を誓っているその心を大事にしたい」
「承知いたしました。では、状況把握だけ密にします」
「うむ。任せる」
☆
離宮の書斎に戻り、俺はヘンリーを呼び出した。
机を挟んだ向こうで、ヘンリーはいつものように恭しく俺に頭を下げる。
「お呼びでございますか、陛下」
「クルゲのギャルワンを完全に叩こうと思う」
「――ッ、申し訳ございません!」
ヘンリーの顔が強ばって、その場で膝をついた。
「よい。そなたのせいではない」
ヘンリーがそうしたのには理由がある。
俺が即位する前、領地入りした頃に、クルゲのギャルワンが反乱を起こしたという話があった。
その時の陛下――父上は俺に意見を求めて、俺は兵務親王大臣であるヘンリーを推薦した。
「しかし……」
「いいから立て。そなたのせいではない。むしろあの程度の予算で、よく膠着状態に持ち込んでくれた。そなたでなければ、反乱が広がり独立を認めざるを得ない状況だっただろう」
「もったいないお言葉」
「今回、塩税に手をつけたのはそれのせいでもある。ヘンリーよ、辺境の討伐は何が一番重要だ?」
「兵站でございます」
ヘンリーはまったく迷うことなく即答した。
口調に経験者の重みが伺える。
「そう、兵站だ。うぬぼれではなく、帝国は巨大だ。ギャルワン程度の反乱では小競り合いに敗れても大局での勝ちは揺るがない。しかしだ、帝国の力をフルに発揮するには、大軍を動かすための食糧を供給し続ける必要がある」
「はっ……」
ヘンリーは頷き、俺は立ち上がって、後ろに手を組んで、書斎の中を歩きながら話す。
「今までは予算が足りなくて、その場凌ぎの戦い方しかできなかったが、塩税の一件が片付いて、国庫は今が一番豊かだ。一気に投入して根こそぎ払ってしまう」
「お任せ下さい。陛下にそこまでしていただけて……ギャルワンを討滅できなければ帝都の土は二度と踏みません」
ヘンリーは膝をついて頭を下げた。
自ら出るつもりか、まあ、それでいい。
「つきましては、陛下」
「うむ?」
「トゥルバイフにもなにかしら牽制を」
ヘンリーが跪づいたまま顔だけを上げて言ってきた。
さすが長年兵務親王大臣をやっているだけあって、必要なことはすぐに提案してきた。
「ああ、それならもう手は打ってある」
「失礼ながら……それはどのような」
「トゥルバイフには三人の息子がいるそうだな。それぞれ武勇、知謀、人徳に長けた三人の息子が。三本の矢として有名らしいな」
「はい。その上いずれも父親を尊敬していて、故に絆も強固と聞きます」
「厄介だな」
やはりトゥルバイフが生きてる間は相手にしたくないな。
「父上に了解をもらってきた、十七番目の姉、十八と二十番目の妹の三人を嫁がせる」
十七皇女と十八皇女、そして二十皇女。
相手の三人の歳に合わせた姫を政略結婚に出す。
「そ、そこまで……恐れながら帝国がそこまで低姿勢にでる必要はございますか?政略結婚は賛成いたしますが、一人でよろしいかと」
「ギャルワンを根こそぎやってしまわねばならん、普段よりも二正面作戦をやる余裕はない。いざって所まで追い詰めた時に手引きして逃がされたら笑い話にもならん」
「し、しかし……」
「土下座外交に見えるだろう? それくらいで丁度いいのだ……今は」
「……さすがでございます」
ヘンリーは驚き、後に再び頭を下げた。
「トゥルバイフも……三人も皇女をくれてやるんだ、今後は軽挙妄動は慎んでくれればいいのだが……」
俺は後ろ手を組んだまま、窓から青空を見上げた。