89.魔剣の覚醒
「都に戻る。用意しろゾーイ」
「分かりました」
頷くゾーイ。
そのゾーイと一緒に部屋を出る。
この2500万があれば停めていた事も動かすことが出来る。
一番の目的である塩税の件はもう解決したから、デュセルにこれ以上留まる必要はない。
建物を出ると、一足先に出たゾーイが馬車を引いてこっちに向かってくるのが見えた。
普段通りに振る舞って、俺の元に戻ってこようとするゾーイ。
その、真横から。
物陰からいきなり何かが現われて、ゾーイに飛びついた。
鈍色の光が弧を描く。
それが、ゾーイの喉をえぐった。
ゾーイは、がっくりと両膝をついた。
「お前、何者だ」
地を蹴って一瞬で踏み込んで、抜き放ったレヴィアタンをそいつの喉元に突きつける。
やつれた感じの、目が血走っている壮年の男だ。
男は手に短刀を持っている。
それが今し方、ゾーイの喉を掻っ斬った凶器か。
「……」
男は怒りを露わにした瞳で俺を睨んで、答えようとしない。
「その人、見た事があります」
「……え?」
だが、ゾーイが普通に――驚き混じりだけど普通に喋ってるのを見ると、男の表情は驚愕に変わった。
「な、なぜ……」
「こいつを知っているのかゾーイ」
「はい。私がスパイとして行った時に、顔を見ました」
「連中の手の者か…………なるほど、お前達をまんまと騙したゾーイに腹いせ、ってところか」
「……くっ」
その反応で俺は推測が当っていると理解した。
そういうことならば、とレヴィアタンの威嚇で気絶させた。
白目を剥いて、その場に崩れ落ちる男。
一方で、自分の首筋に手を当てて、斬られたはずなのに血は着いてない――事に驚くゾーイ。
「どうして、傷が……?」
「胸の辺りをまさぐってみろ」
「胸……? 何かあります。これは……宝石?」
ゾーイが驚きつつ取り出したのは、砕けた赤色の宝石、ルビーだった。
「身替わりのルビーだ。この前からさり気なく持たせてた」
「ええっ?」
「スパイさせるんだ、何の保険もかけずに送り出す訳がないだろ?」
「陛下……」
ゾーイは目を潤わせて、感極まった表情で俺を見つめた。
「陛下ってやっぱり凄い……そこまで考えて下さってたなんて」
「お前は大事なメイドだからな」
「陛下……」
ゾーイは、ますます感激した顔をした。
☆
都に戻ってきた翌日、離宮の書斎。
俺は第十親王ダスティンを呼び出した。
兄でもあるその男は、俺に片膝をついて一応の礼をした。
「何ですか陛下、俺なんか呼び出して」
ダスティンは他の親王達とは違う、フランクな口調で聞いてきた。
「デュセルの一件、話はもう聞いてるな?」
「まあ、一応」
「連中はお前にも女を送ったといっているが、それに対しての申し開きはあるのか?」
「貰いましたよ? 結構いい女達だったから、ちゃんと戴いて毎日楽しんでる」
ダスティンはさらりと答えながら、「それで?」って顔をした。
「賄賂を受け取った、ということでいいのか?」
俺はじろり、とダスティンを睨む。
「賄賂を受け取って、便宜を図ったとなれば、余の兄といえど庇い立ては出来んぞ」
「は? なんで俺があんな奴らに便宜を図るの?」
「うん?」
「俺は親王だぜ? 下々の人間から何人かの女を貰ったところで、何で連中の為に働かなきゃならん」
「……ふむ」
ダスティンの物言いには、さすがに苦笑いを禁じ得なかった。
「連中は女をくれた、上玉だったから貰った。それだけだ」
「連中が塩税を誤魔化してた事は知らないわけでもあるまい」
「何言ってんだ陛下、俺は皇帝じゃなくて、役職のないただの親王だぜ。そんな事いちいち気にしてられるか」
「……」
「というか陛下よ、その言い方だと、連中はもう女を送って来られないって事か? おいおい、あそこから貰った女は質がいいんだから、途切れちまうのは――」
「分かった分かった。そこまででいい」
俺は更に苦笑いした。
まったくこいつは。
「お前が関わってないのは分かった。だが、形として賄賂を貰っていた事に変わりはない。軽く処分は必要だ」
俺は少し考えて、言い渡す。
「罰俸一年、謹慎一ヶ月だ」
「はいはい。あっ、謹慎中は娼婦とか屋敷に呼び込んでいいよな」
「好きにしろ」
苦笑いしながらいうと、ダスティンは「りょーかい」って軽いノリのまま書斎から退出した。
「全く」
「陛下、宜しいのですか?」
書斎の隅っこで控えていたゾーイが聞いてきた。
今回の件の後処理ということもあって、状況をよく知っている彼女を、すぐに意見が聞けるように書斎にいれていた。
その彼女が、珍しく不機嫌を露わにする表情で、ダスティンが出て行ったドアをちらっと見やりつつ、俺に聞いてきた。
「何が?」
「ダスティン殿下です。あれは余りにも不敬が過ぎるのではありませんか?」
俺は「フッ」と笑った。
「あれはダスティンなりの韜晦だ」
「とうかい……?」
「才能や本心を隠すって事だ。『俺は女を抱ければいい、それ以上の野心はない』っていう表明だ」
「……野心を持ってらっしゃるのはどなたですか?」
「……」
驚いた。
びっくりして、ゾーイを見た。
今のやりとりでその事を一瞬で理解した。
その賢さは、もはやメイドに留めておくのは罪悪なくらいだ。
「その事はいい。ちゃんと把握している」
「分かりました」
「それよりもゾーイ。お前に行って貰いたい所がある」
「はい、何なりとお申し付け下さい。何をすればいいのでしょう?」
ゾーイは佇まいをただして、軽く頭を下げた。
真顔になったゾーイに言い渡す。
「しばらく代官をやってこい」
「――っ!」
簡単なおつかいだと思っていたのか、ゾーイは瞠目した。
「わ、私が代官様、ですか?」
「何を驚いてる。今までもあったことだろ」
「そ、それはそうですが。でも私じゃ」
「お前に行って貰うのが一番すんなり行くんだ」
「…………デュセル、ですか?」
まだ驚きが若干残ったままだが、ゾーイは俺の意図を正確に察した。
「そうだ。ガベルの総督はフィル・モームにしたが、あんな大抜擢、経験が足りない若者には荷が重いはず。お前にはデュセルに行って貰って、近くで見守りつつ、何かあったらすぐに余に報告して貰いたい」
「分かりました。そういうことでしたら、お任せ下さい」
さっきまでと違って、決心したゾーイ。
その場でフワワの箱を作って、詔書とともに渡した。
受け取ったゾーイは意気込んだ顔で退室した。
暫くして、メイドのジジが飛び込んで来た。
「ご、ご主人様――じゃなくて陛下。大変です」
「どうした、落ち着け。報告はゆっくり、正確にだ」
ゾーイとは対照的に「まだまだ」なジジを軽く叱責しつつ、報告を促す。
「じょ、上皇陛下がお見えに」
「何!?」
これにはさすがに俺も驚いた。
「すぐにお通しして――」
「はっはっは、もう来たぞ」
闊達な笑い声ととも、上皇陛下――父上が書斎に入ってきた。
父上は上皇には全く見えない、その辺の地主くらいの軽装姿で現われた。
入ってきた時の感じもものすごい気さくで、晩ご飯にお呼ばれしたって感じだ。
とはいえ、父親で上皇。
俺は立ち上がって慌てて頭を下げた。
「どうしたのですか父上、何かあれば誰か使いをよこしてくれれば」
「よいよい、暇だったから遊びに来ただけだ。それにしても」
父上は楽しそうな顔で笑いながら。
「さすがだな、ノア」
といった。
「何がでしょう」
俺はそう返事しつつも、おそらくは塩税の一件だと当たりをつけていた――のだが。
「あの娘だ。ただの農家の娘が、よくもまああそこまで賢く調教したものだ」
「……相変わらずの地獄耳ですね、父上」
予想外の事に俺は苦笑いした。
ゾーイの事は今し方決めたばかりなのだが、父上はもうそれを知っている。
昔から父上の耳目がすごいのは身を以て思い知ってきたが、まだまだ認識が甘いなと思い知らされた。
「人は宝ですから」
「そうだな」
「それよりも、父上は何をしに?」
「ああ、そうだった。ガベル州の一件、よくやった」
「ありがとうございます」
こっちは知っていて当然だから、驚きはしなかった。
「経緯は聞かせてもらった、今のノアになら、渡しても大丈夫だと思ってな」
「何をですか?」
「レヴィアタンの封印、だ」
「……ああ、やはり」
「気づいていたのか」
俺は深く頷いた。
「何かあるとは思っていました。バハムートとあれほど張り合ってて、封印が解けそうで解けないのが続きました。実際に持っている感触からすれば覚醒してもいい場面が何回もあった、だけどそうはならなかった。何かあると思うのが自然でしょう」
「さすがだな」
父上は楽しそうに笑い、手をかざした。
すると、書斎のドアが開き、父上の腹心、宦官クルーズが両手で細長い箱を持って入ってきた。
それを抱え持ったまま俺の前にやってきて、箱を開ける。
「これは……っ」
箱の中のものに驚いて、父上を見つめる。
そこにあったのはレヴィアタン。
腕輪の中に収納したレヴィアタンを出す。
俺のレヴィアタンはここにある、つまり、もう一振りのレヴィアタンということだ。
「水の魔剣レヴィアタンに魂があるというのは知っているな」
「はい」
「それは完全なものではないのだ。かつて、レヴィアタンを封印した時、魂を二つに割って封印したのだ」
「……なるほど、魂がそもそも足りていなければ、解くも何もない、ということですか」
「そういうことだ」
父上が真顔になった。
「レヴィアタンの真の封印を解いてはならぬ……という言い伝えだが。ノアなら大丈夫だろう」
「……ありがとうございます」
「ただ」
真顔から一変、再び楽しそうな笑顔に戻る父上。
「封印をどうやって解くのか、余も知らぬ。そもそも残されていないのだ」
「解毒剤を作れない毒使いは最悪ですね」
「ははは、正しくな」
父上は天を仰いで、大笑いした。
俺はクルーズが持っている箱から、もう一振りのレヴィアタンを手に取った。
二振りのレヴィアタンを見比べる。
俺は考えた。
どっちにもレヴィアタンの魂が入っている。
元は一つで、二つに割られた魂だ。
それを一つに戻すには……?
俺は考えた、考え続けた。
一頻り考えたあと、二振りのレヴィアタンを互いに叩きつけた。
パキーン!
綺麗な音がして、二本とも粉々に砕け散った。
「何をする」
「これですよ」
俺はルビーを取り出した。
デュセルで、暗殺されかかったゾーイの命を助けた、身替わりのルビー。
「こいつにも魂があって、砕け散るたびに依り代を作ってやってるんです。それと同じことをするんですよ」
「ほう」
「フワワ」
フワワを呼び出して、その力を借りた。
モノを創る、形を形成させることに長けたフワワ。
その力で、空中に飛び散っていた破片をまとめて、一振りの剣の形にした。
そして、魂を。
二つのレヴィアタンの魂をそこに押し込む。
二つの魂が一つに融合するように、そのイメージで押し込む。
やがて剣は元の形に戻り。
『幾、久しく』
今まで感情でしかなかったのが、はっきりとした声で脳内に響く。
レヴィアタン――もとい。
リヴァイアサンの声が脳裏に響く。
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名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:17+1/∞
HP C+B 火 E+S+S
MP D+C 水 C+SSS
力 C+S 風 E+C
体力 D+C 地 E+C
知性 D+B 光 E+B
精神 E+C 闇 E+B
速さ E+C
器用 E+C
運 D+C
―――――――――――
そして、いつも視界の隅っこに見えていたステータスで、水の「+」が更に上がった。
それを見た俺、そして俺が見たものを視線で感じた父上は。
「うむ、さすがだノア」
と誇らしげな笑顔でいった。
魔剣、リヴァイアサン。
覚醒の瞬間だった。