87.狂犬にお任せ
夜、川岸から少し離れて、それを一望できるところに、俺は静かに佇んでいた。
ゾーイと別れて単独で別行動をしている俺、気配りも気兼ねもしなくて良くなって、力を全て気配隠しに使っている。
草むらとかに身を潜めるのが常套だが、単独なら真っ正面にでも立たない限り気付かれる事はない。
そうやって、連中がしている事を眺めている。
川岸の桟橋にはかがり火を大量に焚いていて、そのまわりはまるで昼間かってくらい明るい。
そこまで明るくしたのは積み込み作業の為だ。
桟橋には大量の船が横付けされていて、これまた大量の人夫がぎっしりと何かを詰めた麻袋を船に積み込んでいる。
満載した船から出港して、また新しい船が来て、それに積み込まれる。
麻袋の中身は塩。
俺が監視をはじめてからだけでも、数万人はまかなえる分の塩が積み込まれ、運ばれて行った。
「よほど待ちきれなかったんだな」
俺は苦笑いした。
俺がいることで出来なかった密輸、俺が死んだあと即座に再開される密輸。
一日二日は様子を見る可能性もあると予想していただけに、苦笑いを禁じ得なかった。
「レヴィアタン」
(――)
レヴィアタンから帰ってきた返事は、強い「任せろ」の意思だった。
これで、証拠は確保したといっていい。
デュセルの塩販売や輸送は税金を取っていることもあって、常に詳細な数字にして報告させている。
その数字を、最新分含めて帝都から俺の元に報告させている。
目の前の状況なら、詳しく比較するまでもない。
通常の販売、輸送の十倍は遙かに超えている。
この状況そのものが、もう既に証拠と言っていい。
更なる証拠を掴むために、俺は少し離れたところに留まっている屋形船に向かった。
貨物を運搬する船が大量にある中、その屋形船だけ付かず離れずの距離にいて、さらには風に乗って享楽の声も聞こえてくる。
その船に近づき、フワワの糸を船そのものに括り付けた。
すると、船と糸経由で、声が聞こえてくる。
『これで三十万リィーン分。明日の朝までに五十万に届くって話だ』
『大丈夫なのか? こんなに一気に運んで』
『安心しろ、オルコットのヤツからの闇許可も出ている、途中で止められる事はまずねえ』
『ふむ……』
『大丈夫だって』
やりとりしている二人の男。
片方はなんだか思慮深くて、色々考えているのに対し、もう片方はイケイケドンドンな性格だった。
『皇帝がまた新しいヤツを送ってくるかもしれねえ。今のヤツが死んで、新しいヤツが来るまでの間にやれるだけやっとかないとさ』
『……それもそうか』
冷静な男は説得された。
なるほど一理ある。
今回の俺が、皇帝ではなく調べる為の勅使だと考えた場合、その急死で新しい人間が派遣されてくる事は十二分に考えられる。
それが到着するまでは、情報の往復、皇帝の決断、新しい使いの足、もろもろ合わせれば二十日は見てしかるべきだ。
二十日は長いと言えば長いし、短いと言えば短い。
次の相手と戦うために、この時間を利用して盛大にやる、というのは正しい判断と言える。
『安心しろ、何かあればすぐに知らせてやる。この前送った女達を、第十殿下はいたってお気に入りだからな』
三人目の男の声が聞こえた。
人間は、その場の立場次第で声色や言葉使いが変わるもの。
第三の男は、明らかに自分が他の二人より上位にいると考えている様子の声だ。
『よく集めたな』
『殿下がお気に入りならなんの事はない』
『殿下もお好きですな。いや、英雄色を好む。また集まったので、明日にでも送りますよ』
最初の二人が、揃ってよいしょするような口調に切り替えた。
どうやら、男は第十親王・ダスティンの家人ってところだ。
ダスティンは昔から女好きで有名だった、ある意味一番上皇陛下の血を色濃く引いているという評価すらある。
騎士選抜の時は枕を要求したこともあり、それを俺が介入してやめさせたのがシェリルだ。
そのダスティン、金じゃなくて女を賄賂にもらってるって事か。
「……」
俺はちょっと後悔した。
この話を聞きたくはなかった。
というより、この先の話も聞きたくない。
糸を切って、俺は突入することにした。
地を蹴って跳躍し、屋形船の窓をぶち破って突入した。
「な、なんだ!」
「何者!」
首謀者二人が誰何する――前に、ダスティンの家人の首が宙を舞った。
『お見事!』
バハムートの喝采が聞こえた。
突入した一瞬でレヴィアタンを抜き放って、そいつの首を刎ねたんだが、それ自体は大した技じゃない。
バハムートが喝采するほどのもんじゃない。
その喝采は、俺の判断に向けてのものだ。
今回の一件、俺は塩税を取り戻すために来ている。
ここにダスティンが絡んでいると分かると、ダスティンにも処罰を下さないといけない。
それは最悪、死罪も免れないことだ。
第十親王の首まで取るような事になれば大事になりすぎる。
だから俺は今のを聞かなかったことにして、それ以上の何かが飛び出す前にダスティンの家人を斬った。
それをバハムートは一瞬で理解して、凄いと喝采を送ってきた。
まあ、そんな事よりも――と俺は二人の男と向き合った。
まだ若い二人の男、片方は盛大に驚いて、片方は何か察したような顔をした。
「てめえ何もんだ」
「塩税の事を調べに来たものだ」
「なんだと! ――おい!」
驚いていた、短気な方の男は立ち上がって、船外に向かって合図を送った。
途端に外が慌ただしくなって、船がこぞって離れていく物音が聞こえた。
「なるほど、予想はしていたのか」
「備えあれば憂い無しか、お前の言う通りだったな」
短気な男がいって、冷静な方の男は苦笑いした。
「てめえが死んでなかったのは予想外だが、残念だったな。これで証拠は何もねえ」
「本当に無いと思うか?」
「ねえな、船はある程度離れたところで沈める。積んでるのは塩なんだ、河の中に沈めば証拠は綺麗さっぱり消える」
「なるほど。よく考えている」
「……」
冷静な方の男の眉がビクッと跳ねた。
俺が落ち着いている事に何かを感じてる様な顔だ。
その通り――だと言わんばかりに、俺はレヴィアタンを掲げた。
「何をするつもりだ」
「証拠を取り戻すのさ。レヴィアタン」
(!!!)
レヴィアタンから『待ってました!!』という、強い感情が流れ込んできた。
はしゃいでいるようにも感じる。
俺に暗殺の為の毒が盛られていると分かった瞬間から、忠犬で狂犬のレヴィアタンの感情は大きく動いていた。
今にも暴走しそうなそいつを宥めて、別の任務を与えると、レヴィアタンは嬉々として、何より全力でそれをやった。
音が聞こえる。
水の上を航行する船の音が大量に、そして人間のざわつきも大量に。
「どうした!?」
男が叫ぶと、屋形船の外から部下らしき男が駆け込んできた。
「た、大変です! 船が、船が全部引き返してきます」
「何だと! とっとと離れさせろ!」
「それが! 全部の船が制御不能だと」
「なにぃ!?」
男は目を向いて、それから「ハッ」となって俺を睨んだ。
「てめえの仕業なのか!?」
「ああ。河の流れを掌握すれば、船を呼び戻すなどたやすい」
「馬鹿な! そんな事出来るわけが」
「すごいな……それほどの力。名前を聞いても?」
レヴィアタンのおかげで証拠も完全に確保したと言っていいので、俺は改めて名乗ることにした。
レヴィアタンの力で、目の前に水で船を意匠した紋章を作って、更に意識に強く訴えかけるプレッシャーをかける。
俺が皇帝だぞ、というプレッシャーを。
「余は帝国皇帝、ノア・アララートである」
「なっ!」
「へ、陛下……」
二人とも言葉を失った。
魔剣の力を借りた名乗り、証拠がなくても、相手は「皇帝」だと信じ込む名乗り。
これで決着――だと思いきや。
「た、例え皇帝だろうと関係ねえ!」
男は叫んで、外に向かって更に合図を送った。
「出会え! 出会えぃぃ!」
次の瞬間、船の外から次々と、武装した男達が突入してきた。
瞬く間に屋形船の中をいっぱいにして、外でも取り囲んでいる。
「そ、そいつは陛下の名を騙る不届き者だ!」
「……捕まえて、いや、殺せ」
冷静な方の男も腹をくくって、手下達に命令した。
(――せろ)
レヴィアタンの意思が伝わってきた。
任せろ。
おぼろげながら、言葉で聞こえたような気がする。
高いテンションと、河全体を掌握したという限界突破級の事をやってのけた事もあって、レヴィアタンはライバル視しているバハムートのように、覚醒しつつあるように思えた。
ならば、と、俺はレヴィアタンを振るうことにした。
サッと把握。
俺を取り囲んでいるのは約100人、桟橋の向こうにいるのも合わせて二百はいる。
そいつらに向かって、魔剣を振るった。
夜の川の上で、魔剣が曳く水色の光は幻想的で美しく、それが通るたびに血しぶきが舞い、悲鳴が木霊した。
まるで暴風雨の如く、俺が通ったところには血の雨が降った。
レヴィアタンからその度に歓喜の感情が流れ込んできた。
レヴィアタンのハイテンションも手伝って、二百人を倒しきるまでに五分とかからなかった。
「す、凄い……」
「ば、化け物だぁ!」
最後に残った二人。
片方は突き抜けて逆に感動すらしたような顔をして、もう片方は腰が抜けてわなわなと震えていた。