82.買収失敗
「ゾーイ」
「はい」
「物乞いを安全なところに連れて行け。そっちは疲弊しているだけだから、休ませて良い物を食べさせろ」
「分かりました」
ゾーイは頷き、倒れている物乞いを起こして、支えて路地裏から出た。
残った刺客の男と、俺とケイトの三人。
直後、うつ伏せになっている男の背中に、投げナイフがドスドスと刺さった。
「ああっ!」
悲鳴を上げるケイト。
「ご、ご主人様! ナイフが!」
「ああ」
「……え?」
俺が落ち着き払っている為、ケイトも逆に落ち着いた。
「驚かないん……ですか?」
「相手が保険を掛けておくことは予想してた。口封じの口封じだな。そっちの方がより首謀者に近いだろうから、やらせておいたのさ」
「そうなんですか!?」
「ああ」
俺は頷き、歩き出す。
投げナイフが飛んできた方角に向かって行き、歩くこと一分弱。
路地裏の更に奥まったところに、男が一人倒れていた。
黒装束の、目だけを出している分かりやすい格好の男だ。
そいつは小刻みに震えながら、もがいて逃げ出そうとしている。
「ほらな」
「これ、ご主人様が?」
「ああ、ナイフが飛んできた瞬間、その発射点を割り出して倒しておいたのさ」
「凄いですご主人様! どうやったんですか? 何もやってないように見えたけど」
「そのうち教えてやる」
俺はそう言って、黒装束の男に近づいた。
男は振り向こうとするが、首すら回せないほど、体の自由が利かなくなっている。
その男を軽く蹴って、うつ伏せから仰向けにしてやる。
「さあ話せ、誰が命じた」
「こ、殺せ……」
「今話せば悪いようにはしない」
「……っ」
男は答えず、代わりに喉仏が動いた。
何かを飲み込んだ様子だ。
男はそのまま目を閉じた。
俺は何かするでも無く、そのまましばし待った。
何も、起こらなかった。
起こらなかったせいで、男は再び目を開き、驚愕の眼差しで自分を見つめた。
「な、なぜ……」
「ここまでやらせる連中だ、失敗したら自害するなんて予想しない訳がない。対処しておいたのさ」
「なっ――」
「ご主人様すごい……」
「自害する権利はくれてやらん。さあ、話せ」
「……」
「どうした、話さないのか」
「殺せ……殺してくれっ」
「ん?」
俺は眉を潜めて、首をかしげた。
この反応は予想外だ。
殺せ! までなら予想できるが、殺してくれ! というのはまったく予想できなかった。
男の顔を見ると、言葉通りの懇願の色がそこにあった。
「どういう意味だ? 殺してくれってのは」
「失敗したら速やかに死なないと、俺の家族が……娘がっ!」
「……なるほど」
話は分かった。
吐き気がするくらい、解りやすい話だった。
娘を人質に取られて、止むに止まれずって訳か。
しかも失敗したら死なないと、っていうあたり、気合の入った悪党どもだな。
「……ふう」
ため息をつきつつ、俺は手を振った。
腕輪の中から紫色の液体が滲み出て、まるで矢のように飛び出した。
毒の矢は、一直線に男の体に打ち込まれた。
「ありが、とう……」
白目を剥き、泡を吹いた男は、最後の力を振り絞って倒れる前にそう言った。
一方で、それを見たケイトは驚きと怯えの中間くらいの表情をした。
「し、死んだんですか?」
「確認してみればわかる」
ケイトは頷き、おそるおそる倒れてる男の所に行き、首筋と鼻先に手を当てて。
「死んでる……」
と、呟いたのだった。
☆
「う、ん……」
窓を閉じきった部屋の中、ベッドの上で、男は呻きながら目を覚ました。
「気が付いたか」
「え? ……こ、ここは!?」
男は飛び上がって、部屋の中を見回した。
「安心しろ、あの世ではない」
「お前は――俺は……生きてる!?」
「ああ」
「殺してくれたんじゃないのか!?」
男は俺に掴みかからんばかりの勢いで怒鳴ってきた。
「それも安心しろ、ちゃんと死んだ事になってる」
「え?」
俺は手をつきだし、人差し指を伸ばした。
指先からたらり、と紫色の液体が一滴、床に滴り落ちる。
さっきの、男の体に打ち込んだ毒だ。
「人間を一時仮死状態にする毒だ。お前の死を誰かが確認した事も確認した」
「仮死状態にって……そ、そんな事出来る訳が……」
「もう一度喰らってみるか? 体にはそれなりに毒だからオススメはできんぞ」
「……」
俺が言っても、男はなおも信じられないって顔をしている。
「それよりも、自分の体の周りを見ろ」
「体の周り……なんだ? この焦げた皮みたいなのは」
男はベッドの上にある、文字通り焦げた皮のような物を手に取った。
皮は、まるで男が脱皮したかのように、体のまわりに人の形をしていた。
「お前は一回火葬された。俺が手を回して、皮一枚焼けただけで済ませたが」
男に使った痺れ毒と仮死の毒はアポピスの物、火葬の時に使ったのはバハムートの憑依だ。
バハムートの憑依により、炎が無効化になって、その上に鎧の指輪で焼かれた皮を付けてその後の確認をごまかした。
火葬にもグレードがある。
無縁仏のような火葬だと、適当に焼いて適当に棄てるのが相場だ。
灰になるまで焼くのはちゃんと引き取る人間がいるときだけだ。
「す、凄い……」
男はそう言って、まなじりが裂けそうなくらい見開かれた。
「そんなことが出来るなんて……」
「……」
「お前は一体……何者だ」
「それよりも、ほれ」
俺は革袋を男に放り投げた。
100リィーンが入っている銀貨袋だ。
「こ、これは?」
「当座の旅費だ、今回の件が解決するまでどこか行ってろ。じゃないとお前の家族が不味いんだろ?」
「……だが」
「良いから、行け」
「……」
男は銀貨袋を手に持ったまま、なおもためらった。
何かを迷い、やがて決心した様子で顔を上げて、口を開く。
「やらせたのは――」
「いい」
「――え?」
「何も言うな」
「し、しかし」
「お前から得た情報なら、お前が出所だってバレる可能性もある。そうなったらお前の家族に危険が迫る」
「……っ」
「自分の命だけの問題じゃない。何かを話そうとしてくれた。その事実だけでいい」
男は歯ぎしりしつつも、感激した目で俺を見た。
「な、なら。一つだけ」
「ん?」
「連中の次の手だ。連中はこういう時決まって、相手の近しい人間を買収する」
「なるほど。それくらいなら話しても大丈夫だな」
「力になれなくて済まない」
「気にするなと言った」
男はますます下唇を噛んで、悔しそうな顔をした。
本来は義理堅い男なんだろう。
こういう出会いじゃなければ、引き入れて部下にしたいところだ。
コンコン、と部屋のドアがノックされた。
男はビクッとした。
「入れ」
気配で既にゾーイだと分かっている。
入ってきたのは仕事を果たしたゾーイだった。
「ご主人様」
「ん、なんだ?」
「これ……」
ゾーイは俺に向かって、革袋を差し出してきた。
「なんだ?」
「金貨みたいです。3000リィーンあるとか」
「3000か」
「これで、ご主人様の正体と、今後の情報をって言われました」
「早速来たか」
俺はふっと笑った。
一方で、俺とゾーイのやりとりを見た男は驚愕して。
「え……買収、されなかった……のか? 3000リィーンでも……?」
俺はふっ、と微笑んだ。
懐かしいと思った。
十年近く前の話だ。
俺を暗殺しようとした連中が、ゾーイを買収しようとしたが、ゾーイはその事を俺に知らせて、もらった金をそのまま差し出した。
今と、まったく同じ光景で、懐かしさを覚えた。
「戻ったら3万くれてやる。その3千も取っておけ」
「ありがとうございます」
このやりとりも前回とまったく同じものだ。
「さ、3万……!? ど、どういうことだ……」
男は驚愕したまま、戻ってこなかった。