08.当たり前の事
庭で剣を振るっていたら汗が出て土埃まみれになった。
汚れを落とすために風呂に入った。
服を脱いで風呂場に入って、専任のメイド達に洗ってもらう。
普通の意味で、気持ちがいい。
人間どうしても自分の手で洗えないところが出てくるし、疲れてる時だと洗い方そのものがぞんざいになる。
メイド達にやってもらうとそういうのがなく、汚れも脂も、疲れまでもが綺麗さっぱり落とされる。
冗談抜きで体力回復効果のある入浴だ。
それをすませて、脱衣所で別のメイド達に着替えさせてもらっていると、応接のメイドがやってきた。
「ご主人様、お客様が訪ねて参りました」
メイドが差し出したままの名刺を受け取らずに見る。
ホージョイ総督マーレイ。
どこかで聞いた名前だ。
着替えをまかせて、訪客の事を記憶の中から探る。
「……ああ、俺の領地出身の出世頭だ」
どうにか思い出せた。
帝国は親王達に封地を与えていることもあり、属地主義的な面が大きい。
よほどの事がなければ、出身地の領主である皇族を主君のように仰ぐのが一般的だ。
マーレイという男も、今は俺の封地と違う所で総督をやっているが、俺の民、俺の子という意識が強いはず。
しかしそのマーレイは何をしにきたんだ……いや、会えば分かるか。
「応接間に通せ、すぐ行く」
「かしこまりました」
メイドは命を受けて脱衣所を立ち去った。
俺は特になにもしなかった。
メイド達にしっかり着替えさせてもらって、身だしなみを整えて。
最後にレヴィアタンを腰に下げてから、悠然と脱衣所を出て応接間に向かった。
応接間の前にメイドが待機していて、俺がやってくると一礼してドアを開けた。
「あっ」
応接間の中、ソファーの下座に座った中年の男が立ち上がって、流れるような動きで俺に跪いた。
「デッド・マーレイ。ご尊顔を拝し恐悦至極に存じます」
「堅苦しいのはいいよ。座って」
「御意」
マーレイは立ち上がって、それでも俺が上座に着くのを待ってから、自分もソファーに座った。
「デッド・マーレイ。確か会うのは二回目だな?」
記憶だとそうだが、一応確認してみた。
「はっ、一年半ほど前、陛下から総督に命じられた際にご挨拶をさせて頂きました」
「うん」
って事は赴任の挨拶だ。
それもまた、出身地の主君には欠かせない礼儀だ。
「そうか、よく来たな。任地はどうだ?」
「……」
「どうした、苦虫をかみつぶした様な顔をして」
「私が命じられたのは、アルメリアの出身と言うことが大きいのです」
「アルメリア出身だから……? そうか思いだしたぞ、治水に行けと陛下に命じられたんだ」
「はい」
今度こそ完全に思い出した。
ホージョイという地は大河の曲がり角にあるような土地だ。
そのため穀倉地帯として肥沃な土地を持つが、たまに大洪水が起きて大災害になる。
それを完全に解消し、安定した穀倉地帯にしようというのが陛下の考えで、そのための総督として任命されたのが水の一族が住まう地、アルメリア出身のマーレイだ。
「そんな顔をしてるってことは上手くいってないのか?」
マーレイは小さく頷いた。
「予算が下りてこず、ない袖は振れない状況でした」
「予算? ないわけがないだろ。陛下の勅命だぞ」
「そうなのですが、財務省がなんだかんだと理由をつけて」
……なるほど。
それで俺の所に来たって訳か、財務省をどうにか出来ないかと。
「よし、ついて来い」
「えっ? あっ親王殿下!」
戸惑うマーレイを連れて屋敷を出た。
☆
馬車を用意させて、マーレイと二人で一緒に財務省にやってきた。
王宮の西にある、かつては離宮だった建物を再利用したもので、格式と華やかさがハイレベルで同居している建物だ。
その更に一番格式張った部屋で、財務省長官メイブリックと向き合った。
メイブリックは六十を過ぎた老人、顔はしわくちゃだが脂ぎった目をしている。
はっきりとしたある種の感情を感じた。
軽視。
表面上親王である俺を敬っているように見せているが、心の底じゃ「小僧が」って見下している顔だ。
慇懃無礼ってやつだ。
俺はこういう人間とよく会っている。こいつもそういうタイプなのだとすぐに分かった。
俺はメイブリックと向かい合って座り、「格」が落ちるマーレイは俺の後ろに控えて立った。
「いきなりのお越しとは、何用ですかなノア殿下」
「マーレイから話を聞いた。予算を出し渋っているみたいだな」
「そんな事はございません」
「じゃあなんで出さないんだ?」
「これには深いわけがありまして――」
「子供に言ってもわからない、なんてほざくつもりなら今すぐその口を閉じろ」
「……」
顔色が変わったメイブリック。
それまでの軽侮の視線が引っ込んだ。
「もちろんそのような不敬な事はいたしません」
「じゃあ説明しろ」
「はい。ホージョイは昨年も水害に見舞われました」
「そうなのか?」
振り向きマーレイに聞く、マーレイは頷いた。
「それがどうした」
「その時に、陛下の温情で、ホージョイの税を一年間丸ごと免除する勅命を出されていたのです」
「で?」
「つまり浮いた税金がある、それを使えばよろしいというのが財務省の見解ですな」
「……おまえ、俺を舐めてるのか?」
「なっ」
「水害に遭った、陛下は税を免除した、なぜか。とれる税がないからだ。もちろん恩情だが根本的な問題点はそこだ。それをさもあるように言う、お前俺を舐めてるのか?」
「おぉ……」
背中からマーレイの感嘆の声を漏らしたのが聞こえた。
それを無視して、更にメイブリックを睨みながら。
「そ、そういう事ではないのですが」
「じゃあなんだ」
「その……実は今出せないのでございます」
「なんで」
「陛下の避暑地を新造するという話、もちろんご存じですな」
「ああ。陛下も結構なお歳だ、だから毎年猛暑になる都より北に避暑用の別荘を作ると言う話だろ? それがどうした」
「別荘とはいえ、陛下がお使いになられるものです。それは離宮も同じ。早い話が、別荘という名の、約五千人規模の街になります。それは膨大な金がかかります」
「……」
「そのため国庫はカツカツでした」
「黙れ」
「えっ」
メイブリックはビクッとした。
語っていくうちに調子に乗って、つばが飛ぶほどの力説になってきたが、低く押し殺した俺の声を聞いてビクッとした。
「貴様、それは大不敬罪だぞ」
「なっ」
「陛下を、父上を暗愚の君にするつもりか」
「私は――」
反論しようとする、が言わせない。
「水害にあった地域で治水が必要だが、別荘を作るから今は国庫から金を出せない? 貴様が言ってるのは、陛下をそういう暗愚にしてしまう事だぞ」
「ご、誤解です!」
メイブリックは飛び上がって、俺の前に土下座した。
「なら金を出せ。それとも陛下に俺が直訴してきた方がいいか」
「と、とんでもありません。すぐに、すぐにホージョイに予算を!」
「……」
まだ土下座するメイブリックを睨む、するとそいつは「ひっ」と悲鳴をあげて飛び上がった。
そのまま部屋を飛び出して、大声で何かをわめく。
内容が、部下に威張り散らしながらも、すぐにホージョイに金を送るというものだったから、好きにさせた。
一度報告には戻ってくるから、それを待った。
その間、マーレイが感動したような顔で。
「さすがでございます。このデッド・マーレイ、感服致しました」
「ん?」
「交渉の追い込みがすごい、ご自身の立場ではなく、相手の弱点、失策をついた巧みな言葉。殿下にはその『立場』を求めた自分の浅はかさが恥ずかしい」
なるほど。
親王の俺にいって、無理矢理横車を押しきらせるつもりだったのか。
「それが……いやはや、ぐうの音も出ない口撃。本当に五体投地の思いでございます」
よほど感動したのか、メイブリックが戻ってくるまで、マーレイは俺を持ち上げて、ほめ続けた。
☆
財務省の外でマーレイと別れた。
一刻も早く戻って、治水を推し進めなければという事だったから、引き留めずに別れた。
一仕事終えた俺は馬車に乗り込んで、屋敷に戻ろうとした。
その時、向かいから一人の子供宦官が走ってきた。
俺よりちょっと年上の、10歳程度の子供で、宦官の服を来ている。
その子はおれの前にやってくると、息を切らせなから跪いた。
「じゅ、十三殿下に申し上げます」
「なんだ」
「陛下がお呼びです、その足でお越し下さいとのこと」
「陛下が? 分かった。どこだ?」
「ご案内します」
宦官の子に先導されて、馬車に乗ってついていく。
王宮に入ってからは徒歩だ。
基本、陛下より高い位置にいてはいけないという建前で、王宮の城壁から内側は馬や馬車などは御法度だ。
だから馬車を降りて歩いて、子供宦官についていき、陛下の好きな庭園にやってきた。
噴水の前で鳥にエサをやっている陛下を見つけて、俺は子供宦官に小遣い程度のお金をやってから、陛下の元に向かってそのまま片膝ついた。
「召喚に応じ参上致しました、陛下」
「来たか、楽にするがいい」
「ありがとうございます」
「まずはよくやった、と言っておこう」
「はあ……」
何の事か、と首をかしげていると。
「ホージョイのことだ、メイブリックを叩き潰したらしいではないか」
「――っ!」
盛大にびっくりした。
ついさっきの事だぞ、というかその財務省から出たばかりだぞ。
なんでもう知ってるんだ? 陛下は。
「情報は武器だ、常に磨く癖をつけるといい」
「……はいっ」
頭を下げた俺。
なんというか……すごい。すごいって感想しか出なかった。
「もう一度言う、よくやった」
「いえ、私は当たり前の事をしたまでです」
「その当たり前が難しい」
陛下は持っているエサを、群がってきた鳥たちにやった。
一粒、一粒ずつ投げて。
「口が上手いものは多い、おべっかを使うものもな。しかし当たり前のことを当たり前にできるものは少ない」
陛下は鳥から、こっちを向いた。
俺に近づき、そっと頭を撫でてきた。
「まだ六歳なのに、すごいなあ……」
父親と皇帝、二つの嬉しさがない交ぜになった不思議な表情をしていた。