78.切り札
幻想的な光景は、長くは続かなかった。
目の当たりにした威容と裏腹に、終わる時は実にあっけなく終わった。
まるで空気抜けしたかのように、ケイトからバハムートの力が抜けて、本人は元の姿に戻って、その場にへたり込んだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫、です。ちょっと、疲れました……」
「ふむ」
ケイトの様子を見る。
顔色は紙のように白いが、人間が極度に疲労した時に見せるものだ。
疲れている以外、本人の自己申告通り、大した事はないのだろう。
「しかし、憑依出来るのは良いが、この程度の短さじゃ何も出来んな」
「陛下、私にも試させて下さい」
「そうだな。バハムート、ゾーイに今のを」
『承知した』
まったく同じ光景が繰り返された。
バハムートが応じる。
その力が腕輪から飛び出す。
ゾーイに乗り移る。
神々しい炎の魔神とも言うべき姿に変わる。
そして、すぐに息切れする。
バハムートの力が抜けて、ゾーイもまた、極度の疲労からその場にへたり込んだ。
「大丈夫か?」
「は、はい……何日か寝なかった時位疲れた、だけです」
「ふむ。バハムート、次は余だ」
『よろしいのか?』
「構わん、やれ」
『御意』
俺の命令にバハムートが応じて、その力が俺に乗り移った。
両手を見つめる、見た目が変わる。
そして、能力も。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:17+1/∞
HP C+C 火 E+S+S
MP D+C 水 C+SS
力 C+S 風 E+C
体力 D+C 地 E+C
知性 D+B 光 E+B
精神 E+C 闇 E+B
速さ E+C
器用 E+C
運 D+C
―――――――――――
火の能力が変わった。
「+」が、更に一つ増えた。
なるほど、これは確かに強くなるな。
それに……疲労の理由も分かった。
憑依中は、HPとMPが秒刻みで減っている。
俺のHPはC+Cの実質S、MPはC+DのA。
減ってはいても、当面は保っていられる。
「陛下……凄い……」
「こんなに長く……」
すぐに息切れした二人は、尊敬の眼差しで俺を見上げた。
俺はバハムート憑依を自分の意識で切り上げた。
憑依分の消耗でちょっと脱力感があったが、この程度なら大した事はない。
戦いで、短期決戦の切り札になると確信した。
☆
書斎の中、机を挟んでオスカーと向き合う。
俺が座ったままで、オスカーが立って報告している。
内容は、帝国の財政。
財務親王大臣であるオスカーに、財政の事を聞いたので、オスカーは現状を報告した。
「皇妃選抜……今年すぐには難しいかと」
「ふむ……」
財政を聞いたのは、皇后・オードリーの提案を実現させるためだ。
だが、そのための金が足りないのだという。
俺は報告ついでに、オスカーから上がってきた書類を机の上に広げて、数字をじっと見つめた。
「税金が、また少し減ったのではないか?」
「はっ、ガベルからの塩税が漸減傾向にあるためかと」
「塩税か……」
塩というのは大事な物だ。
料理に塩がなければ味気がなくなる――なんていう低レベルな話ではない。
医者などの研究で既に判明していることだ。
人間は、塩分を取らなければ命に関わる。
塩分が足りなければ短期的には疲れやすくなるし、長期的には内臓の到る所が弱っていく。
人間は、塩が必要不可欠なのだ。
だから、帝国は塩を管理した。
販売は許可制で、そこから税金を取り立て、財源とした。
俺は報告書を眺めつつ。
「どれくらい減ってるんだ?」
「全盛期の約二割、という所でしょうか」
「どこが一番減ってるんだ?」
産塩地はいくつかある。
「ガベル地方です。帝国でもっとも塩の産出量が多いところです」
「ガベル、か」
確か、俺が皇帝になった後、ロレンスを総督に向かわせた所だな。
そのロレンスから……何の報告もない。
フワワの箱を使った密告は何もきていない。
減るような事がまったく起きてないという事だ。
ロレンスは――信用出来る。
俺は少し考えて、オスカーを見つめた。
「オスカー」
「はっ」
「実際の所、どう思う」
沈黙が降りる。
たっぷりと、約一分ほどの沈黙が流れてから。
「……さすが陛下、ご明察でございます」
オスカーは微苦笑しながら一度頭を下げた。
「おそらく、密売が行われているのかと」
「密売?」
「役人が」
「役人が……」
俺は少し考えた。
帝国が取っているのは、販売の許可制だ。
販売分を許可することで、最低でもその分の塩税を取り立てる、という方法だ。
それと密売という単語を組み合わせると……。
「……八割が密売――闇塩になってるって事か」
「おっしゃる通りかと思います。名目上は、不況から塩の消費が減ったと言うことで、それが毎年、少しずつ減っています。毎年数パーセントずつ減ってきたのだから、その都度仕方ない事とされて、気がつけば……が現在の状況です」
「なるほどな。時間をかけて減らした分を密売の闇塩にすれば、その分の税金は丸儲けだ。額が額だし、役人を黙らせるために使える金も豊富だ」
「はい……さすが陛下。この一瞬でほぼ全て理解してしまうとは」
オスカーがそう言うからには、俺の推理は間違ってはいない、と言うことだろう。
ならば、ここをなんとかしよう。
皇妃選抜だけじゃない、将来的に出兵する事も考えている、その時にも金は必要だ。
塩税は、どうにかしなきゃいけない部分だ。
「余が自ら出向こう」
「陛下がでございますか?」
「ああ、八割の塩税。看過できるものでもあるまい」
「……はっ、さすがにやり過ぎました」
「ふっ」
俺は立ち上がって、オスカーに近づいて、肩を叩いた。
皇后に言われた「綺麗な水は住みにくい」という言葉がここ最近頭に残っている。
オスカーの「さすがにやり過ぎた」という言葉はまさにそれだ。
実際の数パーセントをごまかす位なら、目をつむったりも出来るのだが、全盛期――いや、現状の八割も誤魔化されたらやり過ぎだと言う他ない。
オスカーもさすがに親王で、財務大臣もやっているだけあって、そういうのがよく分かる。
「陛下?」
「そう言えるのは素晴しい事だ。これからも余の治世に力を貸してくれ」
「――はっ!」
オスカーは三歩下がって、俺の影を踏まない程度の距離に下がってから、片膝を突いて頭を下げた。
☆
王都、第八親王邸。
窓のない書斎の中で、オスカーは腹心のアールという男を呼び出した。
「お呼びでございますか?」
「ガベルの事だ。あそこと私の繫がりはあるか?」
アールは一瞬きょとんとしたが、すぐに真顔に戻って答えた。
「多少は。直接的にはありませんが、『どうぞ宜しく』程度の頂き物は」
「送り返せ、そして切れるだけ綺麗に切っておけ」
「はっ……しかしなぜ?」
「陛下が目をつけられた」
「――っ!」
アールは息を飲んだ。
「陛下は素晴しい才覚を持ったお方だ。上皇陛下に比べても、不正の暴露と解決などにかけては更に長けているかもしれない。その陛下が直々にガベルに向かうと言い出したのだ。必ず解決する」
「必ず……ですか?」
アールがおそるおそる聞き返すと、オスカーはきっぱりと言い切った。
「必ずだ。陛下の事は子供の頃から見ている。万に一つも失敗はない」
オスカーは立ち上がる、手を後ろに組んで、書斎の中を歩き回った。
「ガベルの一件は、すぐに隠蔽出来るものではない、構造的に。長年かけて戻していくか、全部明るみになって百人単位が処罰されるか、そのどっちかしかない」
「し、しかし。陛下は常々『人は宝』とおっしゃっておりますが」
「忘れるな、陛下は法を重んじる法務親王大臣でもあったということを」
「――っ!」
アールは再び息を飲んで、瞠目した。
「皇太子ですら法に照らせば廃嫡させられるのだ、親王を庶民に落とすなど訳もない」
「――承知いたしました、すぐに綺麗にしてきます!」
青ざめたアールが書斎から飛び出したのを見送ったオスカー。
そして、一人っきりになった部屋の中で、ぼそりとつぶやく。
「十三の才覚なら間違いなく解決するだろう。ならば私は……」
オスカーは、色々と考えざるを得なかった。