76.皇后の提案
「……?」
少女は俺たちの横できょとんとしている、若干怯えているようにも見える。
俺とシャーリーの言ってることを理解できないでいる上に、俺の気分を害してしまったんじゃないかって怯えているんだろう。
「安心しろ。褒めてるんだ」
「はあ……」
「それよりも、お前の名前は?」
「ケイト、って言います」
「ケイトか。名字は?」
「ありません」
「そうか」
名字がないのは庶民には珍しくない。
辺境まで行けば、名字とかいう概念がなくて、どこどこの家の誰々さん、という事が多くなってくる。
この「どこどこの家」って言うのが、大抵その家の家長の名前だ。
俺で例えれば、ノアの家のセムさん、が俺の長男だ。
そういう呼び方しかないところで、無理矢理名字が必要な時になると、父親の名前を名字にして使う。
もっとも、最初から名字という概念がなくて、父と祖父、曾祖父と名前を後ろにずらりとならべる習俗もある。
名字も名前っぽい、という人間は大抵この二つのパターンのどっちかだ。
そういうよくある話だから、俺は不覚にも突っ込まなかった。
今はそれよりも、ケイト本人に興味がある。
「お前は――」
バタン!
ドアが乱暴に開け放たれ、その向こうにさっきの村長と、数人の村民が姿を見せた。
全員が仏頂面をしている。
「何をしに来た」
「今すぐ村から出て行ってくれ」
怒りか、それとも元からそうだからなのか。
村長はプルプル震えながら言ってきた。
「無礼な! お前達何をしているのか分かって――」
いきり立つシャーリーの前に手をかざして、止める。
「分かった、出ていこう。行くぞ、シャーリー、ケイト」
「待った、その娘は置いていってもらう」
「……なに?」
「カラ神様の怒りに触れたのかもしれぬ。万が一の時のために、ケイトには残ってもらう」
「何を言ってる! あの化け物が退治されたのは見ただろ!」
いよいよ怒り心頭に発したシャーリー、顔を真っ赤にして、村長に怒鳴りつけた。
「神はあの程度の事では死なぬ」
「そうだそうだ」
「復活した神がお怒りになったらどうしてくれる!」
「その娘は置いてけ!」
「……シャーリー」
「御意」
目配せしつつ名前を呼ぶと、シャーリーはその意味を理解して、家の外に出た。
ケイトを引き留める為にここに来た村長と村人達は、単身外に出るシャーリーを引き留めなかった。
シャーリーは外で、信号弾をあげた。
別れはしたが、皇帝である俺が王宮に戻っていないのだ。
シェリル達は当然、近くで待機していた。
数分後、ドドドドドド――と地鳴りのような足音が迫ってきた。
「な、何事だ」
驚愕する村長。
そこに別の村人が駆け込んできた。
「大変です村長! 兵隊、正規の兵隊さんがたくさん来ました」
「なんじゃと!?」
更に驚愕して、状況を飲み込めないでいる村長。
そんな中、今度はシェリルが――。
騎士の正装をしたシェリルが家の中に駆け込んできて、俺の前に跪いた。
「お呼びでしょうか、皇帝陛下」
「こう……」
「てい……?」
村長、そして村人全員が言葉を失った。
「御前である、頭が高いぞ!」
遅れて戻ってきたシャーリーが、怒気を露わに一喝した。
ハッとした村人達が、家の外――いや、村そのものを取り囲んだ兵士と俺を交互に見比べて、やがて俺に跪いた。
「こ、皇帝陛下とは知らず、無礼を働いた罪、どうかお許し下さい」
村長はワナワナ――今度ははっきりと怯えから来る震えで、俺に向かって土下座した。
「忍びの旅だ、余に楯突いたとしても罪はない」
帝国法でちゃんとそう決められている、法務大臣をやってきた俺だ、それを破るつもりはない。
「は、はは――ありがとうございます」
「が」
俺は口調を変えた。
同時に、レヴィアタンで軽めの威嚇をした。
部屋の温度が、一瞬にして十度近くさがって、一斉に跪いた村人達が身震いした。
「法の外で私刑を行うことは許せん」
「そ、そんな!」
「仕方なかったんです!」
「か、カラ神様に背くと村が」
「カラ神、か。確かにあれほどの化け物、怯えて、従うのも理解できなくはない。ならば一度チャンスをやろう」
一斉に土下座した村人達はパッと顔をあげた。
希望を見つけたような、そんな顔をした。
俺はそれを冷ややかな目で眺めつつ、横で跪いているが、茫然自失となっているケイトに水を向けた。
「ケイト」
「……え? あっ、はい!!」
「この村を許すか?」
「え?」
「お前はいわば被害者だ。お前が許すと言ったら、許そう」
「……」
ケイトは村人達を見た。
村人達は縋る目でケイトを見つめた、が。
「許さない」
歯をキリリと噛み締めた後、搾り出したケイトの一言。
「な、なぜ!?」
「誰も助けてくれなかった」
「それは――」
「私が――されたときも」
「――っ!」
抗弁をしようとする村人が気圧された。
そこは直接「カラ神」とやらと関係ないところだ。
ケイトにそれを責められると言い返せない、と言ったところだ。
「決まったな。シャーリー」
「はっ」
「この村、永久に税金免除無しだ。地方の代官に伝えろ」
「……? 御意」
理解できない顔をしたが、シャーリーはそれでも、忠実に俺の命令を遂行した。
それは、村人達も同じ。
罰のようで、罰には見えないそれを聞いて、全員が戸惑った顔をしている。
これ以上話すことはない、とシェリルに命じて、そいつらを追い出した。
家の中に残ったのは座っている俺と、立っているシャーリーとケイトの三人だ。
「陛下……良かったのですか、あんなので」
「わからんか?」
「え? ええ」
「我が帝国で税金が免除されるのは主に二つの場合がある。一つは天災に見舞われた時」
「はい」
「もう一つは、人頭税が主である帝国で、六十歳を超えれば免除される」
「――あっ」
そこまで聞いて、ようやくハッとしたシャーリー。
帝国が民から取る税金は大半が人頭税だ。
そして、法的に生涯納めないといけない人頭税は、六十を超えれば「申請すれば」免除される。
「それに、こうもできる――病死や事故死を認めない」
「……あっ」
「戸籍が残っていれば、実際に死んでいても人頭税は残り続ける」
「……おぉ」
「余は法務大臣をしていた。適法でも、いくらでも苦しめる方法を知っている」
「さすがでございます!」
シャーリーにふっ、と微笑んでから、未だにポカーンとしているケイトの方を向く。
「そういうわけだ。これからこの村はじわじわと苦しむことになる。今はそれで納得しておけ」
「ううん、ありがとうございます……ありがとうございます……」
ケイトは涙した。
ほっとしたのか、嬉し涙なのか分からないが、今まで溜まっていた物が溢れた――そんな風に見えた涙だ。
「……よし、都に戻るぞ」
「もうよろしいのですか?」
「ああ、宝は手に入れた。収穫は十分だ」
こうして、俺はケイトを連れて、都に戻った。
☆
数日後の王宮、夜の自室。
俺が本を読んでいると、ドアがノックされた。
応じると、皇后オードリーと、その妹である庶妃アーニャが連れ添って入ってきた。
二人は俺の前にやってきて、貴婦人の作法に則って一礼した。
「どうした、二人とも」
「もう夜は遅いです、そろそろお休みになられる頃かと」
「明日も早いんですよね」
セムを出産したからか、ここしばらく更に大人びてきたオードリーと、対照的に稚気が今一つ抜けないでいるアーニャ。
二人並んでいると、その対比が効いてて、互いの魅力を引き立てるようで、俺は好きだ。
「もう少し読んだら寝るさ」
「毎日遅くまでご本を読んでいらっしゃいますよね」
「ああ。大抵の知識は本の中に書かれている。数を読めば、物事の本質も見えてくる。知識の基本は読書だ」
「もうあんなにいっぱい知ってるのにまだ読むの? 凄いなあ陛下」
「ふっ。ところで、そんな話をしに来たわけでもあるまい?」
そう言いながら、オードリーを見る。
夜、皇后も妃も、基本は皇帝の元を訪ねないものだ。
皇帝が選んで、宦官が届ける。
それが皇帝と妃達の繫がりだ。
それを無視してきたからには、何かがあるということである。
「さすがです陛下――陛下は、妃を増やすおつもりはございませんか?」
少し驚いた俺は、本を置いてオードリーを真っ直ぐ見つめた。
「どうした」
「皇后になってから色々と考えました、見方も変わりました。皇帝たるもの、妃が一人では格好がつきません」
「……ふむ」
格好くらい、と言い返すこともできるが、貴族――その頂点である皇帝が格好つかないんじゃ話にならない。
「ダスティンでも、側室は十人以上います」
「あいつか」
第十親王ダスティン。
父上の血を一番色濃く引いている男で、二十二歳という若さにして既に二桁の側室を持っている。
「それに格好だけではありません。陛下はもっと側室を増やし、世の中の女達に希望を与えるべきなのです。それが皇帝の義務だと思います」
「確かにな」
女は出世の道が非常に狭い。「登りつめる」為には、貴人の妻なり側室なりを目指すのが一般的だ。
そして、貴族は皇帝を忖度するものでもある。
皇帝の妃が少ないと、貴族も遠慮して増やすことも出来ない。
確かに、未だにアーニャ一人というのは少なすぎると言われても反論はできん。
俺は少し考えてから。
「よし、ならば庶妃――いや、皇妃選抜をやらせよう」
「選抜、ですか?」
「ああ。年に一度でいい、全国から美と才覚を兼ね備えた女を選ばせるのだ。そこで秀でた女を妃にする」
「……」
オードリーはしばし俺を見つめた。
やがて、何かを思いついたのかハッとした。
「騎士選抜と同じように?」
「そういうことだ」
「なるほど……そこまで狙っておいでで……さすがでございます」
俺はふっと笑った。
むしろさすがオードリー、一瞬で俺の狙いに気づいたか。
「え? どういう事なのお姉ちゃん」