70.帝国育英
この様子だと店には入れそうもないな。
無理矢理入ったとしても、無用な騒ぎを起こしかねない。
俺はゾーイを連れて、身を翻してそこから立ち去った。
さて、当てが外れたが、どうしようか。
アリーチェの所は当分行けそうにないから、新しい所でも開拓しておくか。
そう思いながら雑踏の中を歩いていると。
「やや、こんな所でお会いするとは」
「ん?」
なんだか芝居がかった口調の台詞が聞こえてきて、何事だ?って思って声の方に振り向いた。
そこにバイロンがいた。
バイロンは俺の目の前にやってきて、深々と一礼した。
膝を突かないのは、俺がお忍び――正体を知られたくないと言うことを理解しているから。
「お前こそ、こんな所で何をしている」
「この近くで商談をしていたところでして」
「なるほど」
何の商談なのかは聞かなかった。
言いたければ向こうから言ってくるし、俺の耳に入れない方が良いことが向こうにもあるだろう。
「お見受けしたところ暇を持て余しているご様子。どこかご案内しましょうか?」
「そうだな……難民が集められた場所を知ってるか?」
「存じ上げてます」
「そこへ案内しろ」
「はい」
何故?とは聞かないのがバイロンだ。
彼との付き合いも十年になる、今更この程度の事で驚くような付き合いじゃない。
バイロンの案内で、ゾーイを引き連れたまま、南に向かって歩いて行く。
大通りをいくつも抜けると、景色はがらりと変わって、荒涼とした感じになってきた。
さっきまでのが表――都の光の部分なら、ここはさしずめ闇ってところか。
そんな感じで、淀んだ空気と暗い雰囲気が充満していた。
道ばたのところどころに、地べたに座ってぐったりしている難民が見えた。
それを見て、俺は微かに眉をひそめた。
すると、バイロンが聞いてもいないのに話し出した。
「炊き出しは一日に二回、流動食を中心に提供しているようです」
「ああ、難民――特に飢民は胃腸が弱くなっている。そういう風にやれと命じた」
「なるほど、さすがでございます」
「……子供がそれなりにいるな」
「はあ……」
どういう意味だ?って顔で俺を見つめるバイロン。
それには答えずに、観察しながら更に歩いて行く。
難民の中にはこっちを不審げに見つめてくるものもいるが、大半はそんな気力も無い位弱っていた。
そんな中――
「ほらほら、これが最後のチャンスだぜ?」
難民のものではない、元気な声が聞こえてきた。
声は元気だが、聞き取れる感情、そしてニュアンスは神経を逆なでして、不快にさせるものだ。
声の方に向かっていった。
すると、難民の親子らしき男と娘がいて、その親子に現金をちらつかせている中年の男がいた。
男が見せつけているのは数枚の銀貨だった。
「うぅ……」
「よく考えろ、5リィーンだぜ? この5リィーンで娘を俺らに売って、身軽になっちまいなよ」
「し、しかし……」
「この先、子供なんかいてもどうせ足手まといなだけだろ? それよりもこの5リィーンを受け取って、もっとマシなもので腹を満たした方が利口だぜ?」
「わ、わかった……」
父親はがっくりとうなだれるように頷いた。
すると男はにやりと笑って、持っていた5リィーンを父親に握らせて、怯えでしがみついてる娘を引き離そうとした。
「やあっ! やめて! お父さん! お父さん!!」
「――っ! や、やっぱりダメだ!」
必死に縋る娘に表情が歪む父親。
受け取ったばかりの5リィーンを男――人買いに返そうとする。
苦しいのは事実、それで一度押し切られはしたが、実際に泣いてすがる娘を見て思い直したってところか。
どっちも分からないではない話だが、しかし。
「おいおい、一度取引が成立したんだぜ?そりゃないだろ」
「しかし……」
「どうしてもってんなら、買い戻すしかないわな」
「わ、わかった、買い戻――」
「10リィーンで売ってやる」
「――す、えええっ!?」
父親はまるで悲鳴のような声を上げた。
「じゅ、10リィーンって、そんな!?」
「こっちが買い上げて、こっちの商品になったんだ。いくらで売ろうがこっちの勝手だろ?」
「しかし!」
「ええいしつこいな。諦めろって意味だよいわせんな」
「うぅ……」
父親は今にも泣き出しそうな顔で――娘は既に泣き出していた。
人買いに掴まれたまま、必死に父親に手を伸ばして、泣きじゃくりながら縋ろうとしている。
さすがに、これは気分が悪い。
俺は一歩踏み出して。
「10リィーンだな、俺が買った」
「はあ?」
人買いは胡乱げな視線をこっちに向けてきた。
「何だお前は、こっちは仕事してるんだ、邪魔すんな」
「仕事って商売のことだろ? 10リィーンは俺が出す。その娘を返してやれ」
「……いくらで売ろうがこっちの勝手って言ったよな。お前さん相手なら――100だ」
ピクリ。
こめかみがひくついたのが自分でも分かった。
が、俺は怒気を押さえた。
「分かった100だな」
そう言って懐に手を入れてから――思い出した。
金がないのだ。
皇帝は金を持たない。
例えお忍びで出てきたとしても、現金を持たないのが皇帝というものだ。
それはたしなみであり、ある種の義務でもある。
が、だからといって「金がない」という訳ではない。
こういう場合――。
「どうぞ、こちらをお使い下さい」
サイフ代わりに連れているゾーイが取り出してくるものだと思っていたが、それよりも先に動いたのがバイロンだった。
バイロンはぎっしりと銀貨の詰まった革袋を俺に差し出した。
「悪いな」
「何をおっしゃいますか。これ以上の光栄はございません。運良くこの場に居合わせた事を神に感謝します」
「そうか――ほら」
俺は受け取った革袋をそのまま人買いに向かって放り投げた。
数えてはいないが、確実に100以上はある革袋だ。
人買いは一瞬きょとんとしながらも、革袋をしっかりキャッチした。
そいつはしばらく革袋を見つめたあと、俺に投げ返してきた。
「気が変わった。お前には売らん」
「……」
再び、こめかみがひくつく俺。
「お前ら、どこの奴隷商の人間だ?」
「お前には関係ないだろ?」
「答えろ」
「――うっ!」
睨みながら問い質すと、人買いは思わず一歩後ずさってしまったほど気後れした。
「おーい、そっちはどうだ?」
「なんだ? まだ一人しか買えてないのか?」
「何もたもたしてるんだ」
周りから人買いの仲間らしき男達がぞろぞろと集まってきた。
全員が全員、数人ほどの子供を連れていた。
子供達は皆嫌がっているが、既に首輪と鎖で繋がれている。
「こいつが邪魔してるんだ」
最初の人買いが仲間達に状況を説明した。
「見た所どっかのおぼっちゃんのようだけど、あまり首を突っ込みすぎると火傷するぜ」
人買いの一人が、ありきたりな脅し文句を投げかけてきた。
「お前達、どこの店だ? 免許は持ってるのか?」
俺が聞くと、人買いたちはアイコンタクトを交わして。
「しゃーねえ、ちょっと痛めつけてやるか」
「そうだな。おい! お前ら集まれ!!」
一人が叫ぶと、人買いが更にぞろぞろと、「なんだなんだ?」って感じで集まってきた。
最終的に、十五人という数になった。
連中は仲間内でさっと状況を説明して、全員が俺に仕掛けてこようと身構えた。
「……」
俺は無言で腕輪の中からレヴィアタンを引き抜いた。
一斉に掛かってくる人買いたちに、水色の光を曳く魔剣を振るった。
男達は場慣れしているが、それは所詮チンピラの喧嘩慣れしているレベルだ。
俺は一人ずつ、襲ってきた人買いを切り倒して、返り討ちにしてやった。
十五人という数は、わずか2分と言う短さで方が付いた。
「ふん」
「ひ、ひ、人殺しだ!!!」
斬られて、倒れて血を流している人買いたちを見て、周りに集まってきた難民の一人が叫んだ。
だれ一人として殺してはいないが――それがわからないんだろう。
「人殺しだ! だれか警吏を呼べ!」
「犯人を逃がすな!」
今度は難民達が俺を取り囲んだ。
俺の手にレヴィアタンが握られているから、それを恐れて掛かっては来ないが、遠巻きにして逃がさないという感じだ。
しばらくして、難民の人垣を割って、警吏の一群がやってきた。
「どけどけ! 何事だ」
「警吏様、あいつです、あいつが人殺しです」
難民の一人が警吏のリーダーらしき青年に事情を話した。
それを聞いた警吏のリーダーが睨む目でこっちに向かってきた――が。
「はっ! へ、陛下!」
そいつはまるでお化けでも見つけてしまったかのような驚きっぷりで、直後、俺に片膝を突いて頭を下げた。
「ここに皇帝陛下がいるとは知らず、失礼しました!」
「ん」
警吏が言った直後、数秒ほどの沈黙が流れた。
「皇帝陛下の御前である!」
ゾーイが、よく通る――そして威厳が出始めている声でいった。
すると、その場にいる難民達が警吏をみて、一斉に跪いた。
俺は警吏のリーダーに聞いた。
「余の顔を知っているのか?」
警吏程度にしては珍しい。
「はい! 俺――じゃなくて自分はライス様の部下で、一時期兵務省で使いっ走りをやってました」
「なるほど」
昔ヘンリーが兵務省にいた頃、俺もそこにいたから、その時に顔を見たことがあったんだろう。
「本当に皇帝様」
「皇帝様が悪人を成敗してくれた?」
「なんてお強いんだ……」
普通は皇帝の前では私語も慎むもんだが、田舎から来た難民達はそれが分からず、ひそひそと感想を漏らしていた。
それらをスルーして、警吏の男に命じる。
「この連中を捕まえろ。闇奴隷商の容疑だ」
「御意!」
命令を受けると、後は早かった。
警吏達はものすごく手慣れた感じで、俺が斬り倒して――命までは取っていない連中を捕縛して、どこかへ連れて行った。
俺は周りを見ながら。
子供……足手まとい、か。
さっきの人買いの言葉を思い出した。
父親が一瞬でも売ろうとした――いや、実際に他にも売った人間がいることを考えれば、難民でいる限り、子供が足手まといになる事もあるんだろう。
子供でそうなら、例えば赤ん坊なんてもう完全に足手まといにしかならないだろう。
しかし、人は宝だ。
未だに希望しかない赤ん坊はなおさらだ。
「赤子……嬰児……育嬰……」
字面が悪いな。
こういう時は――。
「ゾーイ」
「はい」
「ドンにいって『育英館』を作らせろ。難民達の手に余るようなら、子供は一年――いや三年間預かるようにさせろ」
「かしこまりました」
俺に忠実なゾーイは余計なことを言わずに、命令を受け取った。
一方で、一部始終を至近距離で見ていたバイロンは。
「さすがでございます、陛下」
と言ったのだった。