67.皇帝
屋敷の内苑、リビングの中。
俺はメイドのゾーイと向き合っていた。
俺がソファーに深く背をもたれ掛けて座り、ゾーイが真ん前に立っている。
「ご主人様のご命令通り、乳母四人を確保しました。いずれも経産婦ばかりで、乳の出は保証されております」
「ん」
「保母もご命令通り四人、教育係は十六人を確保しました。教育係につきましてはエヴリンさんの推薦が二人、シャーリー様の推薦が一人です」
「分かった」
乳母四人、保母四人、教育係十六人。
そろそろ産まれてくる俺の息子の為に揃えた人間だ。
皇族は、よほどのことが無い限り母親が自らの母乳で子育てをする事はない。
理由はいくつかある。
一つは危険だからそうすべきではないというもの。
もう一つは、身も蓋もない言い方をすれば、貴族の女は跡継ぎ――つまり男子を産むまで産み続ける必要がある。
故に、子育てするよりも、一刻も早く次の出産が出来る位に回復する必要がある。
事実、転生して生まれた瞬間からの記憶がある俺は、母ではなく乳母の乳で育ったのをよく覚えている。
ちなみに、皇太子ともなれば乳兄弟は基本存在しない。
死産した女を乳母につけるからだ。
乳兄弟はなんだかんだで特別な存在になるから、その可能性を最初から排除する。
帝国が天下を取る前の帝国は皇帝の乳兄弟が政治に口を出して国を傾けさせた事もあり、我が帝国は皇太子には乳兄弟を作らないようにしている。
「しかし……すごいです……」
「ん? なにがだ、ゾーイ」
「まだ生まれてもおりませんのに、もう二十人近くの人間をつけてます。こんなに多くの乳母や保母は初めて聞きます」
「家の為だからな」
「家の為、ですか」
俺は静かに頷いた。
「優れた子供は、その家の次の代をより良きものにする。そう思えば力を入れざるを得ない」
「なるほど! さすがご主人様です!」
ゾーイが納得した所で、俺は指折って、出産までの日数を数えた。
オードリーの腹は順調に膨らんでいて、医官の定期検診でも順調だと言われてる。
予定日が待ち遠しくある。
そんな事を考えていると、ドアがノックされて、ゾーイが向かっていった。
ドアが開いて、メイドの一人がゾーイに耳打ちした。
ゾーイは頷いて、ドアを閉めて戻ってくる。
「ご主人様」
「どうした」
「なんでも、吉兆が現われたそうです」
「またか」
俺は半分ほど呆れた様子で苦笑いした。
最近、吉兆が多いな。
最初は「賢」の文字が自然にできたと言われる隕石だった。これは全くの捏造だった。
その次は、子供が宝石を握り締めながら産まれてきた。
そして今、また吉兆が現われたという。
「今度はなんだ? もう献上品として届いているのか?」
「いえ、物ではないようです」
「物じゃない?」
「はい、窓の外をご覧下さい」
「……?」
俺は首をかしげつつも、ソファーから立ち上がって、窓際に向かっていった。
驚いた、思わず息を飲んでしまう位驚いた。
なんと窓の外――空にオーロラが掲げられていた。
空高く掲げられている極光のカーテン。
紛れもなく、普段は見ないものだ。
「こんな所にオーロラだって?」
「アルメリアでこれが現れたのは、少なくともこの数百年はないみたいです」
「だろうな」
オーロラというのは、もっと北の果てか、南の果てに現われるものだ。
このアルメリアのような、農作に適した温暖な気候の所には普通現れない。
「バハムート」
『はっ』
「あれはなんらかの人為的なものか?」
『そういった意志はまったく感じられぬ』
どうやら、自然発生のようだ。
なるほどなと思った。
これを見れば、確かに吉兆と思っても不思議ではない。
「こんなのが現われるなんて、やっぱりご主人様ってすごい……」
ゾーイは、当たり前のように。
吉兆=為政者の為にあるものとして、俺に憧れの眼差しを向けてきたのだった。
☆
結果から言えば、それは吉兆だったようだ。
数ヶ月後、無事臨月を迎えたオードリーは、玉のような男の子を産んだ。
かなりの安産で、母子ともに元気だ。
「よくやったな、オードリー」
俺はベッドの上に寝そべっているオードリーを労った。
「ありがとうございます」
「男だから、名前は前もって決めた通り、セムとする」
「はい……」
大仕事を終えたオードリーは頷き、微かな微笑みのまま目をそっと閉じた。
「さて……ゾーイ」
「わかりました」
ゾーイは保母に抱かれている赤ん坊――セムに近づき、魔法をかけた。
俺が転生――生まれた直後にやったことと同じだ。
能力をチェックする魔法をかけた。
直後、子供のステータスが浮かび上がる。
――――――――――――
名前:セム・アララート
性別:男
レベル:1/100
HP F 火 F
MP F 水 F
力 F 風 F
体力 F 地 F
知性 F 光 F
精神 F 闇 E
速さ F
器用 F
運 F
――――――――――――
「「「おおおっ!?」」」
ステータスが表示された瞬間、部屋の中にいたメイドや保母、助産婦らが一斉に驚きの声を上げた。
「レベルの上限が100か」
「さすがご主人様、すごいです。ご主人様の血がばっちり若様に受け継がれました」
「そうなるな」
レベルの上限が100、というのは相当のものだ。
レベル15でも人間の上位5%だ。
レベル上限が100なんて、数千万人に一人ってレベルの才能だ。
「やっぱりあの吉兆はこれを予言したものだったんですね」
「そうかもしれないな……そうだ。この子に領地をやらないとな」
親王ほどではないが、親王の子供にも多少の領地を与えるのが一般的だ。
一般的ではあるが、もちろんそれだけではない。
レベルの上限が俺の血を引き継いで100という高さなら、領地や人間を加えて能力があがる俺特有のこの力は?
「ドッソをやろう。いいな、ゾーイ」
「ありがとうございます!」
ゾーイは嬉しそうに頭を下げた。
ドッソは彼女の故郷の土地だ。
その土地を俺の長子――世継ぎの可能性が高いセムに与えるのは一種の恩賜だ。
そうした後、もう一度ゾーイに命じてステータスを呼び出させる。
――――――――――――
名前:セム・アララート
性別:男
レベル:1/100
HP F 火 F
MP F 水 F
力 F 風 F
体力 F 地 F
知性 F 光 F
精神 F 闇 E
速さ F
器用 F
運 F
――――――――――――
かわらん、か。
なるほど、「+」はやっぱり俺特有で、子供には受け継がれなかったようだ。
それでも。
「レベル100だって」
「最後に三桁が出たのはいつだったかしら」
「五十年くらい前の大将軍グラント様じゃなかった?」
周りはセムに自然と期待して、同時に俺にはますます尊敬の視線を向けてくるのだった。
☆
セムが産まれた事で、俺は都に飛んだ。
親王は子供が生まれた場合、特に男の子が生まれた場合、皇帝陛下に報告する義務がある。
その義務を果たすため都に戻り王宮に入って陛下に謁見を求めた。
すぐに目通りがかなって、俺は陛下の書斎にやってきた。
「おお、よく来たなノア」
書斎の中にいた陛下が両手をあげて、満面の笑顔で俺に向かってきた。
俺はその場で片膝をついて、作法に則って一礼した。
「かしこまったのはいい、面を上げよ」
「ありがたき幸せ」
「聞いたぞ、お前の子供。セム、だったか」
「はい」
「レベルの上限が100だそうだな。さすがノアの子供だ」
「恐縮です。封地に戻り、すぐにセムを連れて都に戻ってきますので、その時に陛下に一度抱いて頂ければ」
「うむ、そうしよう。それよりも、ノアよ、お前に話がある」
「話、ですか?」
顔を上げると、ちょっと驚いた。
陛下の顔が、いつになく真剣だったからだ。
さっきまであんなに笑顔だったのが、急に真剣な顔つきになった。
「そうだ」
陛下は頷き――爆弾発言をした。
「余は退位して、上皇になろうと思う」
「なっ――」
さすがに驚いた。
転生してから十六年、今が一番驚いた瞬間だ。
「……どういう事ですか?」
「色々考えたのだ。ノアのアドバイスもあったが、やはりそれは不確定だ」
俺のアドバイス――体の中に遺言、つまり次の皇帝の人選を書いたものを埋め込むと言う話だ。
「あれをやった所で、余のいない所で次の皇帝が決まるという事に変わりは無い。ならば、余がまだちゃんと物事を判断できる間に、次の皇帝を決めてしまうのが一番だと思った」
「……はっ」
陛下の言うことにも一理ある。
いや、むしろさすがと言うべきだ。
「だから――ノア、次の皇帝をやってくれ」
「……セム、ですか」
瞬間、脳裏に白い雷が突き抜けていった。
一ヶ月くらい前までだったら分からなかっただろう。
だが、今は分かる。
セムが産まれた事で、陛下の考えが分かった。
「やはりお前はすごいな、ノア」
陛下にほめられた。
「うむ。レベル上限100という、数千万人に一人の才能だ、セムは。ノアに帝位を渡せば、帝国三代にわたっての繁栄が約束される」
「……はっ」
「つまりはそういうことだ。やってくれるな、ノア」
「……」
俺は少し考えたあと、無言でひざまづいた。
「分かりました。三代の繁栄のため、ご期待に違えず精進します」
「うむ」
陛下は頷き、俺の肩を叩いた。
「儀式などはこれからだが、この瞬間をもって帝位を渡す」
瞬間、視界の隅っこにあるステータスが変わった。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
帝国皇帝
性別:男
レベル:15+1/∞
HP C+C 火 E+S
MP E+C 水 C+SS
力 C+S 風 E+E
体力 D+C 地 E+C
知性 D+C 光 E+B
精神 E+C 闇 E+B
速さ E+C
器用 E+C
運 E+C
―――――――――――
肩書きが皇帝に代わり、「+」が全部一段階上がった。
……なるほど。
前に総理親王大臣になった時は、「+」が全部SSSになった。
しかし今は、全部が一段階上がっただけ。
それはつまり、陛下――上皇になられた後もまだ権力を全部手放すつもりはないと言うことだ。
だから、俺は言った。
「ますます精進し、帝国の全てを任せるに値する皇帝になります」
「それがお前の凄い所だ。二代目は安泰だな」
陛下は嬉しそうに微笑んだ。
こうして、俺は親王から皇帝になったのだった。