64.飴と鞭
「俺も驚いている」
「でも、よく考えたら当たり前かもしれません」
「当たり前?」
一人納得しているゾーイに目を向けた。
彼女は静かに頷き、答えた。
「ご主人様はいつも、人は宝とおっしゃってます」
「ああ」
「宝と言えば、子はもっと宝ですから」
「……なるほど」
俺はクスッと笑った。
よもやそういう訳でもないのだろうが、ゾーイの言うとおりだという気もしてくる。
人は宝、そして可能性。
どっちも、自分の子供に当てはまる話だ。
「良い発想だ。ほれ」
俺は懐から100リィーンを取り出して、ゾーイに放り投げた。
慌てて受け取って、一礼するゾーイを放っておいて、オードリーの方を向く。
「オードリー。今から産後回復するまで、給仕とかそういうのは全部やらなくていい」
「分かりました、ありがとうございます。それと……」
「ん?」
「アーニャがもうすぐ到着するとの知らせが」
「……そうか」
俺はくすっと笑った。
予定より若干早めだ。
オードリーが妊娠したと知った上で早めたんだとすぐに分かった。
貴族――特に皇族に絡んだ場合の特有の話だ。
相手が皇族の場合、口が裂けても言えないが、男側が種無しの可能性を考えてしまうものだ。
しかしオードリーは無事身籠った、ならば俺に種はある。
安心してオードリーの妹をこっちに送れるというものだ。
「妹にも、宝を授けてやらないとな」
「ありがとうございます!」
オードリーは、ものすごく嬉しそうな顔で頷いたのだった。
☆
翌日、俺は庭に屋敷の使用人や、部下達を全員集めた。
メイドや宦官、そしてドンといった部下達。
集められる人間をとにかくかき集めた。
急な集合の意図を計りかねてか、半数くらいが不安そうな顔で、庭はざわざわとしている。
しかしそれも、俺が姿を現わすまで。
集めた者達の前に出て、全員に訓示をする位置に立つと、一斉に静かになって俺を見つめた。
「知ってると思うが、俺の正妻、オードリーが初子を身籠った。めでたいことだ」
「「「……」」」
「ちょうどいい機会だ、お前らを労うためのボーナスを出そうと思ってな」
そう言って手を上げると、屋敷の中から使用人達が箱を次々と運んできた。
少し前にバイロンからもらった、十万リィーンが入っている箱だ。
箱をあけると、使用人の大半はざわつきだした。
「これをお前達に配る。ゾーイに審査してもらって、これまでの働きに応じてA、B、Cの三つのランクに分けた。Aランクは一人300リィーン、Bランクは200リィーン、Cランクは100リィーンだ」
「「「おおおおお!!」」」
ここに来て、使用人達の不安がまとめて吹き飛んだ。
数百メートル先でも聞こえそうな大歓声があがった。
それもそのはず。
成人男性の一ヶ月の稼ぎが約10リィーンだ。
最低のCランクでも約一年、最上のAランクなら二年半分のボーナスだ。
それを理解した使用人に、更に畳み掛けることにした。
「Aランクの上に二人、特別に上乗せした。一人はエヴリン。お前達も知っているだろうが、俺の屋敷でメイドをしていたが、使えそうな人間だから代官に推薦した。そして、赴任先でよくやってくれた」
一呼吸ほど間を開けて、更に続ける。
「エヴリンが治めている土地は、夜は戸締まりをしなくても安全なほど治安が良くなった。それもあって、俺が任命した代官はいい代官だっていう意味の『賢任』って言葉も出来た。エヴリンには一万リィーンをくれてやる」
「「「おぉ……」」」
大半の人間の目には羨望の色があるが、一部遠い世界の出来事を見ているような目をするものもいる。
一万リィーンと言えば、一生涯で稼げるか稼げないかの額だ。
自分には降りかかってこないだろう、という感覚がするんだろう。
代官というのも、やっぱり遠いと感じるんだろう。
予想どおりだ。
「そしてもう一人――グラン、前に出ろ」
「え? は、はい!」
いきなり名前を呼ばれて、少年宦官は驚きながらも前に進み出た。
「あの後、屋敷の周りの地価を気にしていて、全部覚えているらしいな」
「は、はい! 殿下がいつか必要になった時のためにと」
「よくやった。主のやりたいことを覚えていて、それに気を回す。命令されたからじゃなくて、自ら動いた。お前には1000リィーンだ」
「「「おおおおおおおお!!」」」
この日一番の歓声が上がった。
代官を上手くやって一万リィーンという話は感情移入できなくても、俺がやろうとしていた事を覚えている事に対して一千リィーンならば、自分でも行けると想像がつくんだろう。
その結果、ほとんどのものが大歓声をあげて、何かを狙う者特有のぎらぎらした眼になった。
「と言うことだ。俺に仕えて、ちゃんと俺の為に働けば悪いようにはしない」
「「「十三親王殿下万歳! ノア様万歳!!」」」
歓声がいつまでも響き渡っていて。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
法務親王大臣
性別:男
レベル:15+1/∞
HP C+D 火 E+A
MP E+D 水 C+S
力 C+A 風 E+F
体力 D+D 地 E+D
知性 D+D 光 E+C
精神 E+D 闇 E+C
速さ E+D
器用 E+D
運 E+D
―――――――――――
速さの「+」が、一段階上がっていた。
☆
話が終わって、俺は外苑の書斎に戻った。
話があると、一緒に連れてきたドンが部屋に入るなり感心した様子で。
「さすがでございます、殿下」
「ん?」
「皆の目の色が変わっておりました。特にグランには羨望の眼差しを向けていました」
「お前の目にもそう映ったか」
「そうおっしゃると言うことは狙い通りと言うことでございますな。さすがでございます」
「定期的にやるつもりだ」
「罰は考えておられないのでしょうか」
「ああ、考えてる」
俺はふっと笑った。
「理想は、あの直後に寝かせておいた裏切り者を内法で処断できればベストだったんだがな。あのタイミングで落差をつければ――なんだが、裏切り者はいなくてな」
「既に考えておいででしたか、さすがでございます」
「それよりも、お前にやって欲しいことがある」
「は、何なりと」
Aランクで300リィーンをもらっているからか、ドンも心なしかいつもよりテンションが高い。
「アルメリアの余剰食糧を北の方に送ることにした」
「食糧を、ですか?」
俺は頷き、ルーシ・ツァーリの話をドンにした。
最初は驚いたが、話を聞いている内に「なるほど」と得心顔をするようになった。
「委細承知いたしました。しかしそれを出してしまっては、もしアルメリアに天災が起きて飢饉になってしまった場合は……?」
「それがお前を呼んだ理由だ。ドッソという地名を知っているか」
「たしか……かつて洪水にあって、まるごと殿下が買い上げた土地――と記憶しています」
「ああ。あの後放置したままだが、洪水ってのは、同時に肥沃な土も運んでくるもんだ」
「……なるほど!」
「そう、あそこを開墾する。手付かずで、肥沃な土が大量にある土地だ。大規模に開発すれば、アルメリアの収穫が一割は増えるだろう」
「なるほど! それならば大丈夫ですな」
「それをお前にやってもらう。大事業だ、行ってくれるな?」
「私で良いのですか?」
「さっきまで決めかねてたが、今の話で決めた」
「……?」
どういうことだ? って顔で俺を見るドン。
「俺のポケットマネーを投じて開墾するのだ。さっきのアレで『見せしめ』って言い出せるお前なら、着服とかするまいさ」
「しかし、失敗の可能性も」
「失敗は構わん」
「え?」
ドンは思いっきり驚いた。
「人は失敗するものだ。俺に忠誠を誓った上での失敗なら、どんなものだろうと咎めるつもりはない」
「…………」
「どうした、変な顔をして」
「いえ、ものすごい主に仕えられた幸運を噛み締めているだけでございます」
ドンは言葉通り、感極まった表情をするのだった。