60.砂漠の水売り
その場でジャンと一緒に待っていると、イワン暗殺を企んでいた者を捕まえに行ったジャンの部下たちが戻ってきた。
三十歳くらいの男で、騎士の格好をしている。
その男は俺とジャンに片膝ついて、騎士礼をして、報告を始めた。
「殿下の導き通りに突入し、五人を捕縛いたしました」
「生け捕りか?」
ジャンが身を乗り出して聞いた。その事が今は一番気になっている、という反応だ。
「はっ……どういうわけか、突入した時には、犯人一同倒れておりました。調べましたところ、原因不明の毒で、全身がマヒしておりました」
「毒? まさか自害か!?」
ジャンが更に一段と身を乗り出した。
当たり前の推測を、しかし騎士はゆっくりと首を振った。
「いえ、死ぬほどの毒ではありません、ただ動けなくする毒でした」
「なぜそんなものが……」
「ああ、それは俺がやった」
「え?」
驚き、こっちを見るジャン。
俺は指輪とリンクさせて、アポピスを具現化させた。
掌の上に、金属的な鈍色をした蛇が現われ、舌をチロチロ出している。
「第三宰相なら知っているだろうが、前にアルメリアの反乱の時は遠隔で首謀者を討った」
「はい。話を聞いて、何度も詳細を確認した覚えがございます」
それほど信じられない出来事、と言外に話すジャン。
俺は頷き、更に言った。
「それと同じ、道案内するついでに、このアポピスで遠隔的に毒を打ち込んだ。情報が伝わると自害される恐れがあったから、その場にいる全員をマヒさせた」
「なるほど! さすがでございます!」
ジャンの目がきらりと光って、得心顔をした。
「ついでに――」
と言いかけて、騎士をみる。
「連中は何か言ってないか?」
「はっ、おっしゃるとおりで……全員が『殺せ』と呻きながら叫んでおります」
「どういう事でしょうか殿下」
「同じだよ、毒だよ。マヒさせた後、全身のかゆさが止まらない効果の毒を打ち込んだ。効果は……そうだな、全身のいたるところを蚊に刺されたが、まったく掻くことが出来ない状況だな」
俺の説明を聞いて、ジャンと騎士は同時にぶるっ、と身震いした。
「痛みに耐える訓練をしているものは多いが、痒さ、しかも掻けない痒さを我慢する訓練をした人間はそうはいない」
「まったくもっておっしゃるとおりでございます。いやはや、そこで『痒さ』を持ってくるとは、さすが殿下でございます」
「と言うわけだ」
俺は騎士に改めて向き直って。
「今なら何でも喋るだろう。上手く尋問してこい」
「はっ!」
騎士は俺に一度頭を下げてから、主であるジャンを一目見た。
ジャンが微かに頷くと、騎士は立ち上がって去っていった。
俺はジャンと適当な世間話をして待った。
今の状況なら、遠からず全部吐くだろうという確信がある。
果たして予想はぴったりと当った。
一時間もしないうちに、騎士が再び戻ってきた。
さっきと同じように、俺たちの前に跪いて。
「どうだ?」
「はっ、すべて吐きました。おそらくですが、嘘は言っていないかと」
「ふむ。で、誰の差し金か?」
「ルーシ王国の手のものでございます」
「ルーシか」
「はっ。ルーシ・ツァーリの使者が都で死ねば、決裂して帝国が困る――という目論見でした」
「ふぅむ」
「なるほどな。ルーシ・ツァーリはルーシ王国からすれば反逆者だ。そうやって帝国にけしかければルーシ王国は楽できるって訳だ」
「そういうことでございますな」
分かってみれば簡単な話だった。
実際に尋問した騎士だけでなく、俺もジャンも真実だろうと感じる結果だった。
「取り敢えず尋問は続けろ、念の為にだ。すぐに殺すことはない」
「はっ」
「それと……第三宰相」
「なんでしょう」
「イワンの護衛を増やしてくれ。なんとしても、無事にルーシ・ツァーリに帰還させるんだ」
「かしこまりました。お任せ下さい」
☆
翌日、俺は屋敷を出て、久々のコバルト通りにやってきた。
人は宝だ。
その一方で、宝の中にも『宝』がある。
そういった宝を探すため、午前中はコバルト通りを巡った。
しかし宝はまったく見つからずに、最終的にはいつものアランの店にやってきた。
「申し訳ございません。殿下のお目に適うお宝は、中々……」
アランは申し訳なさそうな顔で言った。
「いや、いい。そう簡単に見つからないのがお宝ってもんだ」
「ありがとうございます。新しい物なら、ないわけでもないのですが」
「新しい物?」
「はっ。都からすこし離れた所にあるソレルという街に、面白い赤子が生まれたという話が」
「どう面白いんだ?」
「なんでも、宝石を握って生まれてきたとのこと」
「……へえ?」
それは何というか……また眉唾な話だな。
人間の赤ん坊が宝石を握って生まれてくるとか。
要するに妊婦が体の中で宝石を作ったって話になる。
まるで真珠貝のような話だ。
「生まれた瞬間、その宝石が部屋の中をまばゆく照らして。かなりの吉兆ではないかと皆が噂してます」
「……」
眉唾な話だけど、俺は気になった。
アランが言う、吉兆。
ちょっと前に俺の「+」を消したあの隕石も、吉兆という理由で献上されてきた。
吉兆、か。
俺は少し考えて、アランに聞く。
「その宝石、手に入れる事は出来そうか?」
「え? ええ、まあ」
「分かった」
俺は懐の中から革袋を取りだした。
出かける時に持ってきた有り金全部をアランに渡す。
「1000リィーンある、それを手に入れてくれ。足りなかったらまた言え」
「お任せ下さい!」
アランは胸を叩いて、自信たっぷりに答えた。
また来る、と言い残して店を出た。
コバルト通りを出て、屋敷に戻ろうと思った。
ふと、立ち止まる。
目――いや俺の意識に入ってきたのは真新しい店。
普通の店とはちょっと違うつくりの店だ。
中から料理らしき香りが漂ってくる。
料理なのは分かるが、何の料理かまでは分からない、初めて嗅ぐにおいだ。
どういう店なのかが気になって、俺は店の中に入った。
「いらっしゃいませ」
「ここはどういう店なんだ?」
「お客さん、初めてかい」
出迎えた店員の格好の男は自信たっぷりな顔で答えた。
「うちの店主はルーシ王国の出身でね、本場のルーシ料理を提供してるのさ」
「なるほど、じゃあ適当に一人前。肉料理と野菜料理を2種類ずつだ」
「かしこまり! ではこちらへどうぞ」
席に案内されて、出された料理に口をつけた。
ルーシ料理、北方にある国だからか、脂っこくて、体が温まる煮込みの料理がほとんどだった。
味は濃いが、悪くはない。
同時に、食べてる間店の名とかを探った。
昨日の今日だ、ルーシ料理と聞いてちょっと引っかかったが、店の人間にはまったく敵意も害意もない。
ただの商売人のようで、俺が気にしすぎただけだ。
つまりは何も問題は無いのだ――料理を食べきるまでは。
一通り舌鼓を打って、店も問題なしと判断して、会計して店を出ようとなった段になって。
俺は無一文である事に気づいた。
「……あっ」
ついさっき、今日もって出かけた有り金をアランに渡した事を思い出した。
それで手元に金がなくなって、料理の代金を払えなくなった。
俺が懐やらポケットやらを探っても、金が出てこないのをみて、さっきまでニコニコしていた店員の眉が逆立った。
「おい小僧、お前まさか、ただ食いするつもりじゃねえだろうな」
「いや、そういうわけじゃ」
「だったら払え。きっかり1リィーンだ」
「……」
これは困った。
俺はどうやって払うべきかと、解決策を考えた。
しかし、相手はどうやらかなりせっかちで。
こっちに考える暇を与えてくれなかった。
「払えないてんなら警吏に突き出すぞ」
「……」
それはまずい、貴族としてあるまじき事だ。
ますます困り果てたところに、後ろから一人の男が話しかけてきた。
「その子の分も俺が払うよ」
「え?」
「ふーん?」
俺と店員は同時にはなしかけて来た男をみた。
人のよさそうな男だ。
「俺のとあわせて2リィーンくらいか? ほら」
そう言って、店員に2リィーンを渡した。
「はい、毎度あり」
店員は代金を受け取ると、再び営業スマイルを顔にはり付けた。
金さえ払えばなんでもいい、商売人の鑑だ。
俺は肩代わりしてくれた男に体ごと振り向いた。
「ありがとう、助かった」
「気にしないでくれ、俺もたまにサイフを忘れてしまう事がある。そういう時って焦るよな」
「……ああ、ものすごく焦った。名前を教えてくれないか、出してもらった分はすぐに返す」
「レリックっていう、タイラー通りに住んでいる」
「タイラー通りのレリックだな。分かった――」
「――ノア様!」
背後から、今度は聞き慣れた声がした。
振り向くと、シャーリーがこっちに向かってくるのが見えた。
「シャーリーか、いいところに来た。お前、金は持ってるか?」
「え? あっ、はい! これくらいですが……」
「どれどれ……」
俺はシャーリーが取り出した革袋をみた。ざっと500リィーンはあるだろう。
「ひとまず借りるぞ、屋敷に戻ったら返してやる」
「はっ、殿下のご命令ならいくらでも」
シャーリーはそう言って、革袋を両手で俺に差し出した。
俺はそれを受け取って、レリックに渡した。
まるごと――500リィーン全部渡した。
「さっきは助かった。ありがとう」
レリックは革袋を見てきょとんとした、何が起こったのか分からないって顔だ。
俺はレリックに、革袋を押しつけた。
☆
店を出て、シャーリーと一緒に歩く。
「で、殿下」
「ん?」
「さっき殿下とあの男のやりとりを聞いてましたけど、1リィーン借りて500リィーン返すのはやり過ぎではありませんか? どんな高利貸しでもそこまでは……」
「あれは、砂漠の水売りだ」
「え?」
「俺が砂漠でいき倒れていたら、普段は1リィーン程度の水を500リィーンだといわれても、俺は喜んでそれを買う」
レリックにはそれくらい助けられたのだ。
あそこで親王だと名乗り出ても良かった。
しかし、それは前もっていうべきだった。
食い逃げ犯の嫌疑を掛けられてから親王だったと言い出すのは貴族の名にものすごく傷がつく。
それはあり得ない行為だ。
貴族次第では、それを恥じて自害する事すらある程の案件。
レリックが貸してくれた1リィーンはそれほどの価値がある。
「たとえ受けた恩が一滴だろうと、返す時は泉にして返すものだ」
「なるほど……さすがでございます!」
シャーリーはものすごく感心した目で俺を見た。