56.二人の騎士
大広間を離れ、陛下と一緒に書斎に戻ってきた。
一緒に来いと呼ばれたのは俺だけ。
陛下はいつも通り机に戻って椅子に座り、俺はその机を挟んで陛下と向かい合った。
「さて、ノアよ」
「はっ」
「人質の事なのだが。向こうに恩を売るためにも、親王の誰かの側室にあてがおうと思っているのだが、どう思う」
「側室ですか」
「ただの人質よりも、親王――余の息子の側室にした方が良いだろう」
政略結婚というわけだ。定石でもある。
俺は少し考えた。
陛下は「恩を売る」と言った。
それは陛下が思う大まかな方針だ。
それを起点に――いや動かない終点として。
それに添うようにして、更に帝国の利益になる何かを考えた。
脳裏に様々なものが電光石火の如く駆け巡っていった後、俺は陛下に一礼して、答えた。
「人質は受け取らずにいた方が良いかと」
「ほう? 何か面白いアイデアがあるのか?」
陛下は興味津々な目で俺を見た。
「はっ。まず、人質は要らない。母親と姉。いくら必要だと分かっていても、それを人質にして、完全に割り切れる人間はそうはいない」
「当然だな」
「ですので送り返します。そのかわり、先ほど進言いたしました食糧。それを一週間毎に区切って送ります」
「一週間毎?」
「はい、ルーシ・ツァーリの民の腹を賄えるギリギリの分を、一週間毎」
「それでどうなる――はっ」
聞きかけて、ハッとする陛下。
陛下は最初は驚き、次ににやりと口角を歪めて、俺を見た。
「エグいな、ノアは」
その一言で、俺は陛下が意図を理解したと確信した。
俺は頷き、更に続ける。
「はっ、詰まるところ餌付けでございます。餌付けをすれば、次第に向こうはこの配給分の食糧から離れられなくなります。いざという時に供給を絶つ事を考慮に入れておけば、これが事実上の人質になります」
「うむ、そうだな」
「更に、この餌付けに依存しきってくれれば、万が一向こうが新たに別の供給源を求めだしたら――」
「二心――裏切る前兆にもなる。ということか」
俺は静かにうなずいた。
「食糧を送る、人質はいらない。恩を売るのと同時に、向こうの生命線を握る一石二鳥の策になり得ます」
「うむ。さすがだノア。よし、その案で進めさせよう」
陛下は、俺の提案に満足したようだ。
☆
次の日の朝、王宮横の十三親王邸。
封地入りした俺は、ここをディランに管理を任せた。
長年十三親王――俺に仕えていたディランは、都の屋敷をそつなく維持してくれていた。
もうしばらく都に用事がある俺は、その間この屋敷に滞在する事になった。
十数年間親しんだ部屋で朝起きて、こっちに残していったメイド達に身支度させた。
さて今日は何から手をつけるか……。
「シャーリー達を呼べ」
メイドに命じるとすぐに呼びに行った。
俺はリビングに移動して、メイドに入れさせた茶を飲みながら待った。
しばらくして、二人の女がリビングに入ってきた。
シャーリー・グランズと、シェリル・ハイド。
シャーリーは俺が最初に審査官をやった時に採った唯一の騎士。シェリルはインドラと会う前に出会っていた騎士志望の女で、あの後向上心が強く見込みがあったから、騎士選抜でゲスト審査官として潜り込み、彼女を引き上げた。
その二人が部屋に入るなり、ソファーに座っている俺に片膝をついて頭を下げた。
「お呼びでしょうか、殿下」
「ああ。二人の鍛錬の成果を見せてもらおうと思ってな。宿題のチェックってところだ」
「はっ!」
「承知いたしました」
二人は視線を交換して、まずはシャーリーが剣を抜いた。
「ああ、二人同時にで良い」
「えっ? しかし」
「それでは……」
「構わん、来い」
俺はそう言い、立ち上がった。
一歩進んで、二人と真っ向から向き合う。
二人はもう一度視線を交換する。
頷き合って、迷いを振り払う。
シェリルも、剣を抜き放った。
「やああああ!!」
「はあっ!!」
シャーリーとシェリル、二人は左右から挟み撃ちするかのように、攻撃を仕掛けてきた。
俺は立ったまま動かなかった。
シャーリーの斬撃が首筋に、シェリルのが腰に入った。
キーン!!
甲高い金属音が鳴り響き、火花が飛び散る。
二人の斬撃は防がれた。
「もっと来い」
「「はっ!!」」
二人とも俺が選考官をやって選出した騎士だ。
選考した時と同じやり方だったから、二人とも攻撃に躊躇はなかった。
俺は身動ぎもせず、それを受け止めた。
鎧の指輪と、レヴィアタンら五体による「絶対防御」で。
最初にこれをやったのはレヴィアタンだけだった。
水の魔剣と鎧の指輪がリンクして、体から離れたところに自動防御の盾を出す。
そのやり方は、俺も、そしてレヴィアタンらも徐々に慣れてきた。
今や、体にほぼくっついているような薄い皮一枚程度の防御膜を張れるようになった。
更に、レヴィアタンだけじゃなく、バハムートやフワワ、ベヘモトにアポピスと。
それぞれ得意が違うこいつらは、得意の攻撃をより弾けるようになった。
レヴィアタンなら水や斬撃を正確に防げて、バハムートは炎や格闘をほぼ無効化出来る。
体に皮のように張っているから、傍から見れば、俺が何もせずに一方的に二人に斬りつけられているように見えるが、実の所かなりの余裕がある。
それは、俺が涼しい顔で立っているのに対して、猛攻撃を仕掛けている二人は既に汗だくになっていることからも窺える。
二人の猛攻は実に五分間続いた。
息を止めての猛ダッシュを五分間したようなものだ。
二人はすっかり息が上がって、その場で膝をついてしまった。
「うむ。二人ともよくやった。シャーリーは一撃の重さ、シェリルは手数の多さにますます磨きが掛かったな」
「あ、ありがとうございます……」
「殿下こそ……ますますすごくなられて……」
「殿下との距離がますます遠のく一方です」
「お前達もまだまだ伸びしろがあるように思える。もっと励むといい」
「「はっ!!」」
二人は声を揃えて応じて、剣を納めて息を整えた。
慰める為に言ったのではない、シャーリーもシェリルも、前に鍛錬の成果をチェックした時に比べて上達している。
このまま精進すればまだまだ強くなる余地はある、俺は本気でそう思った。
パチパチパチ。
ふと、リビングの中に拍手の音が響いた。
見ると、いつの間にかヘンリー兄上が来ていた。
「兄上、いつの間に」
「今来たばかりだ。ああ、使用人達を責めてやるな、俺が報せなくていいと言ったんだ」
「そうですか。どうぞ」
俺はシャーリーとシェリルに「もういい」と言って下がらせて、兄上と一緒にソファーに座った。
前と同じように兄上を上座に通して、俺は下座に座る。
「さすがノアだ。あの二人が強くなったと言っていたが、ノアはそれ以上伸びているのではないか?」
「そうですね、そこそこです」
「ふむ。それはいいのだが、あのやり方はさすがに危険ではないのか? 万が一と言うこともあるだろう?」
兄上は当たり前の疑問を呈した。
「あの二人にはそれだけの価値がありますよ」
「ほう?」
「いざって時に俺は二人を信用したい、だから二人の力を常に把握しておきたい……自分の身をもって。実際に体験した方がより分かるというものでしょう」
「お前はやっぱりすごいな。理屈は分かるが、同じ事をやれって言われても、私にはできん」
「やせ我慢をしているだけですよ」
「貴族の特権か」
ヘンリー兄上は「ふふっ」と笑った。