55.人の長城
全壊した書斎は、使用人やらメイドやらが取り敢えずの始末をしていた。
その場にいても仕方がないから、俺は庭に出ている。
星空の下で、能力を確認。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
法務親王大臣
性別:男
レベル:15/∞
HP C+E 火 E+A
MP E+E 水 C+S
力 C+A 風 E+F
体力 D+E 地 E+D
知性 E+D 光 E+C
精神 E+D 闇 E+C
速さ E+E
器用 E+D
運 E+D
―――――――――――
能力は完全に元通りだ。
増えてもいなければ、減ってもいない。
隕石を手にしたあれは一時的なものらしく、あの触手を倒すと戻るようだ。
念のために五体の能力も一通りチェックする。
直前にやった模擬戦でつけた序列を下から順にやっていき、最後はバハムートの業炎を出した。
掌を上にして突き出して、その掌の十センチくらい上に浮かぶ炎の玉。
燦然と輝く炎の玉は、周り一帯をまるで昼間のように明るく照らした。
「おお!!」
背後から感嘆する声が聞こえる。
振り向くと、ドンが戻って来ていた。
「さすが殿下、あの凄まじい戦いでも手加減――力を抑えていたのですな」
ドンは、明らかに「すごい」炎の玉を見て驚嘆していた。
「それよりも、捕まえたのか」
「はっ、本人がニシルまで持ってきて、殿下の屋敷には使用人が届けたそうです。ただ……」
「ただ?」
「私が行った時、そいつは『待ってました』と嬉しそうでした。褒美がやってきた、という感じで。少し脅して話を聞いても、本人は『隕石を拾って文字を彫った』としか」
「単にごまをするつもりだったって事か?」
「そう感じます。もちろん演技の可能性もありますので、引き続き尋問させてます」
「わかった、だったらこの件はお前に任せる」
「はっ」
それでもう報告する事はなくなったドンは、一礼して下がっていった。
能力が戻ったのはいいが、一つ、謎が残ってしまったな。
☆
封地入りしている親王は年に一度、都に戻って、陛下に封地統治の現状を報告する義務がある。
その時期になったので、俺はニシル――そしてアルメリアを出て、生まれ育った都に戻って来ていた。
都にある十三親王邸には戻らず、真っ先に王宮を訪ねる。
顔見知りの宦官に陛下に目通りを願い出ると、すぐさま書斎に通された。
書斎に入り、俺は慣れた様子で陛下の前で片膝をつく。
「おお、ノアじゃないか」
「臣・ノア、年度報告に参上いたしました」
「そうかそうか。それよりも聞いたぞ。結構な怪物を剣一本で倒したそうじゃないか」
相変わらず耳が早い陛下。
俺が出発する直前の話なのに、もうすでにキャッチしている。
「さすがノア、さすが我が『戦士の国』の親王」
陛下はものすごく上機嫌だった。
帝国の正式名称は「ミレース帝国」、古い言葉で「戦士の国」って意味だ。
その戦士の国の親王が戦いで力を見せつけた。
陛下はその事にものすごく喜んでいる。
「陛下からアルメリアだけではなくアララートも預った身として、日々の精進は怠っておりません」
「うむ。これからもより励むといい」
「はっ。つきましては――」
「ああ、報告だったな。それは今は良い」
陛下は俺の報告を止めた。
俺は小首を傾げて、不思議そうに陛下を見た。
「外交の使者が来ているのでな、余はそれにまず会わねばならん。ノアも同席しろ」
「御意」
外交ならそっち優先は当たり前だ。
陛下はそう言った後立ち上がって書斎を出た。
俺はその後に付いて行く。
王宮の中を進み、連れてこられたのは大広間。
基本は謁見の間と似たような造りだが、陛下の玉座だけは二階くらいの高さのある高台の上に設えてある。
執務ではなくて、外交の使者など、権威を強調したい時に使う広間だ。
既に第一と第三宰相が台の下に控えていて、その他にも数人の役人や書記官達がスタンバっていた。
陛下はゆっくりと高台に登っていき、俺は台の下、第三宰相の横に立った。
古馴染みだが、ここで挨拶をする訳にもいかないので、互いに目礼だけを交わした。
陛下が玉座に座るなり手をかざす、すると門の所にいる宦官が甲高い声で言った。
「ルーシ・ツァーリの使者、ご入来」
ルーシ・ツァーリ?
初めて聞く名前だな。ルーシ王国とは違うのか?
そんな事を考えながらしばらく待っていると、外から一人の男が入ってきた。
浅黒い肌の、ヒゲがもじゃもじゃしている男だ。
男は指定された場所に辿り着くと、その場でぎこちない動きながらも、片膝をついて一礼した。
そして、何かを言う。
聞き慣れない言葉だ。
「陛下にお目にかかれて光栄、と、申しております」
控えている役人の一人が陛下に言った。
なるほど、通訳官って事か。
陛下が鷹揚にうなずくと、男は更に何かを言った。
それを最後まで聞いた通訳官は眉をひそめて。
「えっと、私は……偉大なる、その……の、使者で参りました。もっと偉大な皇帝陛下に……その、お願いがあります」
しどろもどろに通訳する通訳官。
陛下がじろりと通訳官を睨んだ。当たり前だ、傍目でも分かる、通訳が上手く訳せていない。
睨まれた通訳官は汗だらだらになった。
「まずは、ルーシ・ツァーリとは何だ、と聞け」
「はっ!」
通訳官は片膝ついている男に話した。
これまた、陛下の表情が不快になっていく事となった。
言葉は分からない、しかし話をされている男が何度も首を捻ったり、不思議がったりしている。
明らかに言葉が上手く通じてないのが分かる。
「やはりダメですな」
横で、第三宰相ジャン=ブラッド・レイドークが俺だけに聞こえるようにぼそっと言った。
「何か知っているのか?」
「あれはルーシ語の中でも更に南の方言のようですからな。通常の通訳官では難しいでしょう」
「なるほど」
俺は頷いた。
ルーシとは、帝国の北にあるルーシ王国のことである。
国民全体に見る気性の荒さと、帝国に勝るとも劣らない程の武力重視の風潮も相まって
別名、羅刹の国とも呼ばれている国だ。
当然、帝国とはちょこちょこ諍いが起きており、そのための交渉でも必要なので通訳官は常にいるのだが。
大抵の通訳官がそうであるように、標準語は通訳出来ても方言は難しいのだ。
まずいな、陛下の機嫌が徐々に悪くなっている。
このままじゃ――と思っていた所に。
『我に任せよ』
と、バハムートの声が聞こえてきた。
(任せる?)
『我らは人を超越し、あらゆる人と意思の疎通が出来る存在』
どういう事だ? と思っていると。
『だから、皇帝陛下に言ってくれ。私はルーシ・ツァーリを代表して、帝国と同盟を結ぶためにやってきた使者だって』
さっきまでまったく分からなかった男の言葉が、はっきりと分かる様になった。
聞こえ方は、バハムートの言葉か、レヴィアタンの感情に近いあれ。
あんな感じで、耳に入ってきた知らない言葉が、理解できる意味で頭に届いた。
『俺が伝えよう』
口を開くと、使者の男も、通訳官も驚いた。
俺は陛下に振り向いて、見上げながら言った。
「恐れながら申し上げます。この男はルーシ・ツァーリを代表する、同盟を結ぶ使者だと申しております」
瞬間、広間の中がざわつく。
「解るのか、ノア」
「はっ」
「……ルーシ・ツァーリとは何だ、と聞いてみよ」
陛下は少し考えて、俺に言った。
俺は男に振り向き。
『ルーシ・ツァーリって何だ? ルーシ王国ではないのか?』
『俺達はルーシの圧政から立ち上がったものだ。既に王国南方、帝国と隣接している土地を支配下に置いている。ルーシ・ツァーリというのは我々の新しい国の名前だ』
男から聞いた話を、そのまま陛下に伝えた。
「ふむ。すごいな、ノアは」
陛下は俺の通訳を最後まで聞いて、感心した目で俺を見た。
……陛下の事だ、今俺が伝えた事はきっともう知っている。
いや、陛下じゃなくても、国政の中枢にいる人間なら知っていて当たり前の事だ。
隣接していて、散発的な交戦状態にある国に内紛が起きて、一部が独立した。
どんな皇帝だろうと把握している重大な出来事だ。
それを知らない(はずの)俺が通訳で正しく訳した。
「さすがだノア。引き続き通訳を頼む」
「御意」
「ルーシ・ツァーリは帝国とどのような同盟を結びたいのだ?」
『私達はルーシの圧政に耐えかねて立ち上がったのみ。偉大なるミレース帝国に敵対するつもりはまったく無い。国境の恒久的な平和を願う』
「それを信じさせる根拠は」
『我が王の母、そして姉を人質に差し出す用意があります』
俺が訳した直後、宰相達を含む大臣達が一斉に「おおお」と声を上げた。
男が俺に目礼した。
言葉が通じなくても、今の反応で正しく訳しているのが分かる。
王の母と姉を人質に自ら差し出すというのはそれほどの事だ。
「話は分かった。重臣らと諮ってから返事をする。今日は下がって休んでいるがいい」
『ありがたき幸せ』
使者の男は最後に一礼してから立ち上がり、身を翻して大広間を出た。
使者が居なくなった後、陛下が俺たちに聞いた。
「今聞いたとおりだ。卿らの意見を聞きたい」
第三宰相が一歩出て、軽く頭を下げてから答えた。
「私は乗るべきではないと思います。名前を変えていてもルーシ――羅刹の国の流れを汲むもの。信用するべきではありません」
それに対して、第一宰相が反論した。
「彼の国とは交戦してはおりません。ここはまず受けて、帝国の懐の広さを示すべきかと。そのまま臣従するならよし、血迷って跳梁してきた暁には改めてたたき伏せればよろしいかと」
第一宰相は賛成、第三宰相は反対。
その二人を中心に、他の大臣らも次々と意見を述べた。
それが一通り終わった後、陛下は俺に向かって。
「ノアは、どう思う?」
俺は少し考えた。
アルメリア、ニシルの屋敷の事を思い出した。
屋敷の周りを――と目論んでいたことが、ここで似たような状況になるとはな。
「俺は賛成です。むしろ積極的に支援するべきだと思います」
大臣らは騒ついた。
「鎮まれ。ノアよ、その理由は」
「はい、地図で説明できれば」
「誰か地図を持てぃ」
陛下が命じると、四人の宦官が、まるで旗のようなサイズの地図を持ってきた。
帝国と、周辺諸国を示した地図だ。
俺は書記官の所からペンを取って、地図の上――帝国とルーシ王国の国境の上に、もう一本の線を引いた。
国境とその線の間にある区域に「長城」と書き込んだ。
「ルーシ・ツァーリの領土をこのような形にするのが最適かと」
「ふむ、帝国とルーシ王国を寸断するような形なのだな?」
「はい。ルーシ王国との諍いの歴史は永く、あらゆる手段をとってきたのにもかかわらず根絶は不可能でした。それ処か講和の意思すら向こうは見せたことはありません」
「うむ」
「一方、ルーシ・ツァーリは王の母親と姉を人質に差し出すほど、帝国と手を結びたがってます。であれば、ルーシ・ツァーリを使って、防波堤にするべく支援するのが上策かと」
「……なるほど、石の城ではなく、国の長城という訳だな」
「御意」
俺ははっきりと頷いた。
これが、俺が屋敷でやろうとしていた事だ。
かつて、俺が暗殺されかかった事があった。
メイドのゾーイを買収して、俺に毒を盛ろうとした連中がいた。
しかし、俺に恩義を感じるゾーイが逆に俺に密告してきた。
それと同じように、屋敷の周りに、俺に恩義を感じる人間をぐるっと取り囲むように配置したいと考えた。
今年は金が足りないから、来年以降だと思っていたが――ここで似たような状況に出くわすとは予想外だった。
「こうすれば、ルーシ王国は最低でもルーシ・ツァーリを叩きのめさないと帝国に手が出せません」
その話を聞いて、陛下は。
「うむ、すごいぞノア。その案素晴しいぞ」
「少し恩を売り、更に支援をしてもよろしいかと。向こうは反乱を起こした直後ですから、物資が不足しているはず。アルメリアのホージョイなら、100万人分の余剰食糧を出せます」
「うむ! よく言ってくれた。第一宰相」
「はっ」
「その方向で諮れ」
「御意」
俺の提案が受け入れられ、陛下はもちろん、大臣らも感心した眼差しで俺を見つめていた。