51.ノアとアララートと箱船
昼下がりの書斎。
ドンと一緒に、次々と政務を処理していく。
ここ最近すっかり慣れてきて、宰相達が概要をつけてきたものなら、その概要から大体は読み取る事ができるようになり能率が上がった。
とは言え流れ作業になってミスを起こすことだけは避けねばと、俺は気を引き締めて政務に取りかかっていた。
そこに、ロレンスが訪ねてきた。
部屋に入ってきたロレンスは、俺の前で瀟洒に片膝をつく。
「来たか。いくつかお前の意見を聞きたい事がある。ドン」
「はっ」
ドンは頷き、書斎の隅っこに寄せておいた文書を取りに行こうとした。
実際ロレンスがどれくらい出来る人間なのかを試すために、政務を広範囲にわたって選りすぐっておいた物だ。
それの対処を聞こうとしたが、ロレンスは更に頭を下げて。
「その前に殿下、一つお願いしたいことが」
「なんだ?」
「是非とも口説き落として、殿下に紹介したい者がおります」
「分かった、行ってこい」
「………………」
顔を上げたロレンスが、片膝をついたままポカーン、とする。
「どうした、変な顔をして」
「い、いえ。まだ何も言ってないのに。どんな人間なのかも聞いていないのに。それをこうもあっさり承諾して下さった事に驚いているのです」
「そんな事か」
俺はふっ、と笑った。
「お前の事は信用している。それに」
「それに?」
「人は宝だ。お前程の男が紹介しようと思う人間なら間違いは無いだろう」
「……」
ますますポカーンとして、絶句してしまうロレンス。
たっぷりと一分くらい固まって、我に返ったあと深呼吸して落ち着きを取り戻し、
「やはり殿下はすごいお方。一度でも、お仕えするのを拒んだ過去の自分が情けない思いです」
「過ぎた話だ」
「はっ。口説き落とせるか分かりませんが、殿下の統治には必ず役に立つ人物です」
「ほう?」
それまでロレンスに任せるつもりでいたが、その言い方に興味を持った。
手を完全に止めて、ロレンスを真っ直ぐ見つめる。
「絶対になのか?」
「はい。私などよりも優秀な二人です」
「なるほど」
俺は頷き、立ち上がった。
ドンに向かって。
「少し離れる、後は任せる」
「御意」
「殿下?」
頷くドンと、更に戸惑うロレンス。
「案内しろ」
「え?」
「お前にそこまで言わせる程の人物だ。それなら俺が出向くのが礼儀というものだ」
「……やはり、すごいお方だ……」
ロレンスは苦笑いして、ちょっと俯いてしまった。
☆
馬に乗り州都ニシルを出て、南に向かった。
きちんと舗装された街道だが、後方の街が完全に見えなくなって、人気の無い郊外になった。
ロレンスは同じように馬に乗って、俺の横についてくる。
「それで、紹介したい者の名前っていうのは?」
「はっ。リオン、それにクレスという名の二人です」
「リオン……」
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない」
聞き覚えのある名だが、気のせいかな、と思い首を振って忘れた。
「どんな二人なんだ?」
「私はかつて、ウォーター・ミラーという方が開いている私塾にいました。学問を、特に世に役立つ実務的な学問を教える所です」
「ふむ」
「リオンとクレスはその私塾に入ってきて、どちらも三ヶ月で卒業していった者です。あまりにも優秀すぎて、最後の方は教わることがなくなって、逆に他の生徒を指導していた程です」
「へえ、それはすごいな」
それほど優秀な人間なら、ますます会って、配下に加えたくなった。
人は宝、その二人を物に出来れば、俺の能力もますます上がるだろう。
そのままロレンスから二人の話を聞いた。
クレスは比較的温和な性格で、ミラー塾にもちょくちょく戻って来て指導をしていたが、リオンは喧嘩っ早く、最後も他の生徒とケンカして、後ろ足で砂を掛けるような形でミラー塾を後にしたそうだ。
性格が実に対照的な二人だ。
「馬が合うようで、仲は良いです。常に行動を共にしてますし、今も人里離れた同じ山の中に住んでいます」
「そうか」
リオンとクレスの二人の事が大体分かってきた。
馬を更に進めていく。
ふと、道の先に砂埃が巻き起こっているのが見えた。
目を凝らすと、男が何かに追われているのが見えた。
追っているのは虎だ、それも普通の倍はある、体が真っ白な毛皮に包まれた大虎だ。
「リオン!?」
「え?」
横を向く、ロレンスが驚いているのが見えた。
「あれがお前の言ってたリオンなのか?」
「間違いありません! また何か変な事をしたな……」
ロレンスの口調に焦りはあっても、驚きはなかった。
どうやらリオンと言う男は、こういうことが日常茶飯事のようだ。
他の塾生と大喧嘩をして塾を飛び出した男と聞いていたので、俺も特に驚きは無く、成る程なという納得があった。
「ああっ!」
ロレンスの焦りは更に強くなった。
大虎とリオン、両者の距離が徐々に縮まっている。
このままでは十秒もしないうちに追いつかれるだろう。
「助けないと!」
「まかせろ」
俺は立ち上がって、馬の背中を蹴って飛び出した。
全能力SSS。
馬を駆って向かうよりは自分の足で向かった方が早いと踏んだ。
そしてその通りだった。
俺は一瞬で距離を詰めて、リオンと大虎の間に割って入った。
大虎は咆吼し、飛びかかってきた。
目前に迫る大虎は日差しを完全に覆い隠して、目の前がまるで夜のように暗くなる。
その巨体に向かって、俺は拳を突き出した。
軽く握った拳を、虎の眉間に向けて振るう。
ゴキリ。
頭蓋骨を砕き、首の骨が折れた音が、体の中を通って聞こえてきた。
一撃で絶命した虎はそのままぐったりと地面に崩れ落ちた。
ふむ、良い毛皮だ。
剥ぎ取って陛下に献上しようか。
そう思っていると、背後から声が聞こえてきた。
「おいおい、こいつを一撃かよ。すげえなお前――って」
「ん? お前は……」
男はなぜか驚いているみたいで、それに振り向いた俺も驚いた。
知っている顔だ。
リオン。
しばらく前に、乞食に変装して屋敷にやってきたあの男だ。
向こうも俺がノアだと分かったようで、気まずそうな笑顔を浮かべている。
馬を駆って俺の馬を引いてやってきたロレンスは、俺たちの反応を見て、首を傾げてしまうのだった。
☆
リオンに案内されて、彼が住んでいる山に入った。
数百メートル程度の小さな山の中に、ひっそりと佇むように建っている二軒の小屋。
そのうちの一つに、俺とロレンス、そして小屋の主であるリオンが向き合って座っていた。
「いやぁ、助かったよ。あんたらが来てくれなかったら、今ごろ俺はあの虎の胃袋の中だ」
「なんであの虎に追われてたんだ」
「あれ、ホワイトサーベルタイガーつってな、その乳を人間の子供に飲ませたらすっごい免疫がついて、子供がかかる病気とかまるまる罹からなくなるって説があってさ」
「ああ、聞いた事はある」
噂レベルだが、白い虎に育てられた人間の子供が、普通の子供よりも遥かに体が大きくて、丈夫で、強く育つという話は聞いたことがある。
「で、その乳がどんなもんかって気になって、子虎が生まれたって知って搾りに行こうとしたら……あのざまだ」
「当たり前だ!」
ロレンスは大声を出した。
「子育て中の猛獣に近づくなんて死にたいのか!」
「怒るなよ。そうだ、ちょっとは搾れたから、一緒に飲んでみないか?」
「おまえな!」
いきり立つロレンスを押さえて、リオンに話しかける。
「リオン、と言ったな」
「ああ」
「ロレンスにあんたの事を推薦された。クレスと一緒にだ」
「ロレンスが?」
リオンはびっくりした顔でロレンスを見た。
「お前、カスカルの事ようやく見限ったのか」
「……」
ロレンスは苦笑いして、答えなかった。
リオンのパスカルに対する呼び名と、それを聞いて反論しないロレンス。
どうやら、俺とロレンスの間で行ったやりとりを、彼ら友人の間でもやっていたらしい。
ロレンスは気まずそうな顔をしたまま、やがて答える。
「今は、殿下にお仕えしている」
「へえ……」
リオンは俺を見つめた。
「クソ頑固なロレンスを口説き落とせるなんてお前すごいな。コロンシアの話といい、大した男だ」
「コロンシア?」
「ああ、部下三人を向かわせただろ? そのおかげで再建は上手く行ってるぜ」
「なるほど」
ハワードらからの報告は聞いていたが、どうやら傍から見てもちゃんと復興は進んでいるようだ。
「よし、そういうことならお前の部下になってやる。クレスの事も任せろ」
「良いのか?」
「ああ。元からそのつもりだったし、ロレンスのでっかち頭を柔らかくしたすげえヤツって聞けば、クレスも反対はしないさ」
「そうか」
「これから頼むな――殿様」
口調はざっくばらんなものだったが、座ったまま、両手を膝について頭を下げる直前のリオンの目は。
ものすごく、真剣なものだった。
☆
数日後、書斎で政務をしていると、再びクルーズがやってきた。
前回同様、勅使としてやってきた宦官の前で、俺は片膝をついて頭を下げた。
俺の隣でドンも一緒に跪いていた。
クルーズは勅命を諳んじた。
陛下の体調がすっかり良くなったので、避暑地から帝都に戻るとのこと。
それに伴い、俺の総理親王大臣の任を解く、という命令だ。
瞬間、視界の隅っこのステータスが変わった。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
法務親王大臣
性別:男
レベル:10/∞
HP D+E 火 E+A
MP E+E 水 D+S
力 D+E 風 E+F
体力 E+E 地 E+F
知性 E+D 光 E+C
精神 E+D 闇 E+F
速さ F+E
器用 E+D
運 E+D
―――――――――――
帝国全土を意味するSSSが全部なくなり、それ以前のものに戻った。
その時よりも若干高く、いくつかDになっているのは、ロレンス、リオン、クレスの三人を配下に加えたためだろう。
それを眺めながら、この先どう能力を上げるべきなのかを考えていると。
「此度は、よく政務を執り行ってくれた。ついてはアポピスを下賜し、封地にアララートを追加するものとする」
「す、すごい……」
黙って聞いていた――いや黙って聞かなきゃいけないはずのドンが、思わず声を出すほど驚いた。
俺も驚いた。
封地、アララート。
今となっては何もない、なにも産出しない辺境の土地だが、その名の通り、アララート一族が最初に挙兵した象徴的な土地だ。
ドンが「すごい」と思わず反応するのも宜なるかなってもんだ。
一方で、俺はもう少し冷静だった。
なぜなら、クルーズが勅命を宣告した瞬間に、俺のステータスがまた伸びたからだ。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
法務親王大臣
性別:男
レベル:10/∞
HP D+E 火 E+A
MP E+E 水 D+S
力 D+A 風 E+F
体力 E+E 地 E+D
知性 E+D 光 E+C
精神 E+D 闇 E+F
速さ F+E
器用 E+D
運 E+D
―――――――――――
力の「+」が一気にAまであがった。
地の「+」もDになった。
二つも上がっている。
アララートの土地は、今はたいした物はない。
かつて生まれた時、アルメリアを封地にもらった瞬間に水が上がった事と、実際のアルメリアの実情を考えれば。
アララートの土地で二つも上がるとは考えにくい。
となれば――。
顔を上げると、クルーズが連れてきた人間が、宝箱を運んでくるのが見えた。
宝箱を俺の前に置き、開く。
中には、蛇のモチーフが入った杖が置かれていた。
これが――アポピスか。
手を伸ばして、アポピスに触れる。
共鳴。
レヴィアタン。
バハムート。
フワワ。
ベヘモト。
そして、アポピス。
五体が同時に音を立てて――まさに共鳴をしていた。
その事にはさすがに驚いたが、周りを見ても、クルーズやドンがそれに反応した素振りはない。
俺だけって事か。
が、これで分かった。
アポピスはレヴィアタンらと同じ存在だ。
ならば、この上ないお宝。
俺は頭を下げて、下賜してくれた陛下――の名代たるクルーズに。
「ありがたき幸せ」
と口上した。
☆
その夜、俺は奇妙な夢を見た。
夢の中で、不思議な存在が五体、何かを話していた。
『我らを五人も、しかも何事もなく従えるとは』
『史上初ね、こんなの。すごい男だわ』
『これならば……あるいは』
『うむ、我ら全てを受け入れる事も可能かもしれん』
『そして、アララートの地に眠る箱船を目覚めさせられる、そんな存在に』
『箱船が目覚めれば、地上の人間も含めて全員が楽園にいけるものね。期待だわ』
『うむ、期待だ』
『期待しよう』
『無限の可能性を持つ我らが主に……』
『『『『『期待しよう』』』』』