49.雷親王の目利き
暗殺されかけて、弱り切ったロレンスは息子のライナスに任せた。
もう少し遅かったらそのまま死んでいたのだが、あのやり方は外傷を作らないように自然死に見せかけるものだ。
それが間に合った、と言うことは、弱っているがケガはない、という事でもある。
助かりさえすれば、後は静養すれば良いだけ。
そんなロレンスは息子に任せて、俺はパスカルに落とし前をつけさせるために向かった。
パスカルの屋敷はニシルの街中にあって、そこそこ立派な建物だ。
屋敷の表には当たり前のように門番がいるが、俺は構わずスタスタと近づいていく。
「止まれ! 何者だ!」
門番は職務に忠実で、俺に槍を突きつけながら誰何してくる。
「パスカルはいるのか?」
「代官様を呼び捨てだと!? 何様のつもりだ」
「ノア・アララートだ」
「ノアだかなんだか――あ、アララートだってぇ!?」
直前まで活きが良かった門番は、はっとして顔がみるみる内に青ざめていった。
俺の顔は知らなくても、アララートという皇族の名字はさすがに知っているようだ。
そして、俺が封地入りしたこともどうやら知っているようだ。
「も、もしかして……十三殿下……」
「パスカルはいるか?」
「は、はい! 屋敷の中に!」
「ん」
俺は頷き、門番の横をすり抜けて中に入った。
ポカーンとするそいつを置いて、ズンズン屋敷に近づいていく。
正門の前あたりにやってくると、今度は別の人間、格好からして執事らしき男と遭遇した。
さすがに執事の男は俺の顔を知っているらしく、名乗る前から慌てて膝をついた。
「殿下がお越しとは知らず、失礼を――」
「パスカルはどこだ?」
そいつの台詞を遮って、進みながら聞く。
執事は慌てて立ち上がって、俺の後ろについて来た。
「こ、この奥でございます。今お呼び致しますので、応接間でお待ちください」
「いい」
俺はそのまま進み、屋敷の中に入った。
男が言った「奥」に向かっていく。
途中で何人もの使用人とかメイドとかとすれ違ったが、執事が血相を変えながらも、貴顕相手にする態度で俺についてくるのを見て、誰も俺の事を止めようとはしなかった。
奥の部屋に入ると、そこではパスカルが服を半分はだけさせた、娼婦のような女といちゃついていた。
酒を飲み、ごちそうを食べて、女と戯れる。
いかにもな楽しみ方をしていた。
俺が部屋に入ると、パスカルは不機嫌そうな顔をした。
「明日の朝まで誰も入るなって言っただ……ろ…………」
そう言いながらこちらを見るパスカル。
そいつは俺の姿を認めるや否や、あんぐりと言葉を失った。
「こ、これはこれはノア様。見苦しい所を――」
「御託はいい。あいつを口封じしようとしたな」
「そ、そのようなことは。何故私がロレンスの口を封じねばならないのでしょうか」
「俺はロレンスだと言ってない。お前とロレンスの今の関係は、百歩譲って代官と犯人だ。普通なら口封じで連想するような関係じゃない」
「うっ……」
息を飲むパスカル。
そのままガクガクと震え始めた。
「……バハムート」
『はっ』
「こいつを懲らしめろ」
俺はそう言い、鎧の指輪をリンクさせて、バハムートを具現化させる。
広い代官の屋敷の部屋は、その出現で一気に狭苦しく感じた。
それだけの巨体、それだけの存在感。
「廃人にならない程度に、こっぴどくな」
『命は?』
俺は首を振った。
「人は宝……そして希望だ。たとえこんなのでも、将来化けないとも限らん」
『さすが我が主。主の深意を解せず申し訳ない』
「後は任せた」
『御意』
最後まで震え続け、逆ギレすらも出来なかったパスカルをバハムートに任せて、俺は屋敷から立ち去った。
屋敷からは、この世のありとあらゆる苦痛が凝縮されたような悲鳴が、途切れなく聞こえ続けて来た。
☆
夜、屋敷の内苑。
戻って来た俺は、静かに読書していた。
色々やるためには知識が必要。
俺は、暇さえあれば書物を読み耽っていた。
その俺の向かいで、座っているのはオードリー。
給仕の合間は座ってていいと、俺が命じたからだ。
「ノア様」
「ん?」
ふと、オードリーが俺の名を呼んだ。
何事かと本を置いて、顔を上げて彼女に目を向ける。
「折り入ってご相談が」
「なんだ、言ってみろ」
「お爺様からお願いするように言われたのですが。私の妹、アーニャをノア様の側室に取り立てていただきたい、と」
「ふむ」
俺は本を置いた。真っ直ぐオードリーを見た。
貴族にとって、別段珍しい話ではない。
むしろ、一部の状況下では当たり前の事だ。
貴族同士の結婚は家を結びつけるのともう一つ、血を継承させるという重要な意味を持つ。
正室がどうしても子供が出来ない時は、血の繋がった妹を側室にして、妊娠――つまり世継ぎを産む確率を上げる行為がよく取られる。
珍しくもない行為だ。
「わかった。俺に異論は無い」
「本当ですか!?」
「ああ。お前も、側室の中に気心の知れた妹がいた方が気が休まるだろ」
「ありがとうございます……」
オードリーは嬉しそうに、はにかんで俯いてしまった。
「それはいつになるんだ?」
「ノア様の首肯が得られれば、すぐにでもとお爺様が」
「よほど俺の長子を雷親王の血縁にしたいみたいだな」
今の俺は正室のオードリー一人だが、皇族だからこの先側室は着々と増えていくだろう。
皇帝と違って、親王の跡継ぎはそこまで大事ではない。
はっきりと血が繋がってさえいればいいという考えがある。
故に、長男が継ぐ事が皇帝のそれに比べて比較的多い。
「お爺様のお手紙を見て、感じたんです」
「ん?」
「お爺様、すごくノア様の事を気に入ってます。認めてます」
「認めてるのか」
「はい! あのお爺様がそこまで認めた人って……ほとんど知りません」
オードリーはそう言って、心酔しきった目と上気した顔で俺を見つめた。
「ノア様……すごいです!」
☆
皇帝の避暑地の別荘は、名目上でこそ別荘とされているが、妃達やその世話をする宦官、料理人やその他の雑役をこなす使用人達。
そして、警備の兵士。
それら諸々を入れると、全部で優に一千人は超えて、実質ちょっとした街の規模だ。
その別荘から封地に戻る郊外の道。
雷親王インドラは馬車に乗って、姿勢を正したまま地平線を見つめていた。
頭の中で思っているのは、別荘で皇帝としたやりとりの内容。
「三人、か……」
かなり遠回しな言い方だったが、インドラは皇帝の口調から、跡継ぎ――つまり次の皇帝の候補は三人まで絞られたと分かった。
第四親王ヘンリー。
第八親王オスカー。
そして、十三賢親王ノア。
その事はわかる。
インドラの目から見ても、この三人は、残っている二十人近い皇帝の息子の中で、特に優秀な者達だ。
次の皇帝は、確実にこの三人から選ばれるとインドラは踏んでいる。
そして、その中でも。
十三賢親王が一歩――いや。
大幅にリードしている、とインドラは思った。
「すごいぜボウズ。皇帝があそこまで、父親の顔じゃなくて、皇帝の顔で親王を褒めたのは初めて見るぞ」
後継者レース、インドラの目には、ノアが大本命になっているように見えた。
だから、彼は早馬を飛ばして、孫娘のオードリーに手紙を出した。
もう一人の孫娘、アーニャもノアの側室にしようと動いた。
インドラという老人は、勝負師的な性格をしている。
ここだ、と思ったら全賭けで勝ちに行く性格だ。
インドラは今、確信していた。
次の皇帝は、間違いなくノアになると、確信していた。