48.プリズンブレイク
「ご主人様。第四殿下がお見えです」
「兄上が!?」
あくる日の昼下がり、内苑で読書していたら、接客メイドのセシリーが告げてきた来客に驚いた。
「はい」
「お通ししろ」
セシリーは一礼して、部屋を出た。
しばらくして、久しぶりのヘンリー兄上が部屋に入ってきた。
俺は立ち上がって、兄上に軽く一礼する。
「お久しぶりです兄上。どうしたのですか急に」
「私も仕事だ――上意」
俺は更にびっくりして、脊髄反射のようにその場で跪いた。
上意――つまり勅命だ。
「シリアに新しい、直接の飲用に適した水が生まれたと聞く。宮内親王大臣ヘンリーに避暑地までの輸送を督促せよ――と言うわけで」
顔を上げる、ヘンリー兄上はニコリと微笑んでいた。
「水を用意してくれ」
「分かりました」
俺はメイドを呼んで、外苑の書斎の別室に詰めているドンに伝言を頼んだ。
陛下が言うのは特等水のことだろう。
それを十二樽、運送用につめろと命令した。
すぐに用意ができるものではないので、俺は兄上に振り向く。
「今用意させます。少し待ってください」
「うむ」
と言って、兄上と向かい合って座った。
「驚いたか」
「いいえ。水を運送するのは珍しい話ではないですから。王宮でも、常にお茶用にベリルの泉の水を運送し、常備していますから」
「そう。ベリルの泉の水。帝国で一番、茶を淹れるのに適した水と言われるもの。貴重だから陛下ご自身の飲用と、それから大臣への褒美くらいにしか使われない物だ。それと同じ扱いになりそうだ。すごいぞノア」
陛下の耳の早さに驚いていた。
特等水の開通からそんなに日が経ってない。
なのにもう、それを聞きつけたとは。
さすが陛下、耳目が相変わらず恐ろしいレベルだ。
当然、そんな事は言えないので。
「雑分の少ない水なので、陛下の療養には最適だと思います」
「そうだな、陛下には早く復帰してもらわねばな」
「そうだ、もう一つあった」
「もう一つ?」
「こっちは自分で読んで良いとのことだ」
ヘンリー兄上は懐から詔書を取り出して、俺に手渡してきた。
詔書を開いて頭から読んでいく。
表彰と褒美が書かれたものだ。
今回の事の褒美として、俺の息子――まだ妊娠すらもしていない、俺の長男に爵位をつけた。
皇帝の息子は生まれながらにして親王だが、親王の息子は産まれながらで何かがあるわけではない。
それを、生まれる前に、陛下は男爵位をつけた。
「ありがたき幸せ」
「すごい話だぞノア。皇族で、生まれる前から爵位は……何十年ぶりだ?」
「それくらいですね」
俺は記憶からそれっぽいものを探したが、見つからなかった。
「アルメリアの水道は発達している。手を加えるまでもないレベルでだ。それを封地入りしてから半年も経たない内にすごい改革だ」
「いずれ全部そうするつもりです」
「そうなのか!?」
目を剥き、驚く兄上。
「ええ、その方が民の健康にもいいでしょうし、水道のメンテナンスも簡単になる。毎年何人かはメンテナンス中に命を落とす。それをまず無くしたい」
「相変わらず人を大事にするな」
「性分です」
「さすがだ」
ガチャリと、ドアが開いて、オードリーが数人のメイドをひき連れて部屋に入ってきた。
オードリーはヘンリー兄上の目の前にやってきて、貴族の女性の礼法に則って一礼した。
「お久しぶりでございます、お義兄様」
「ああ」
兄上は簡単に頷いただけ。
ともすれば素っ気なく感じるくらいに、シンプルに頷いただけだ。
皇帝ほどではないが、親王の内苑は後宮に準ずる運用がされている。
義理の兄といえど夫以外の男。
内苑に入れはするが、必要以上に喋らないのが皇族の常識だ。
「元気そうだな」
兄上は俺に言った。
こういう時は俺を介して会話するのが普通である。
「それに……少し見ないうちに正室がましくなったな」
兄上は満足げな顔でいった。
オードリーはメイド達から色々手渡された。
茶器、茶葉、それにお湯。
メイドが渡して、オードリーが茶を淹れる、俺と兄上に給仕する。
メイド任せには出来ない、彼女の仕事。
それを黙々とこなしているオードリーをみて、兄上は満足げだ。
「どうぞ」
オードリーが入れた紅茶を受け取って、口をつける。
「うむ、素晴しい」
兄上はそう言って、やっぱり俺だけを見つめて。
「二人ともまだ若いのに、よくやれている」
と、大いに満足したようだ。
☆
ヘンリー兄上が帰った後、俺は外苑の書斎に向かった。
万が一、実際に飲んで陛下が気に入ったのであれば、定期的に納入するための輸送の事をあらかじめ決めておかなきゃと思ったからだ。
そうして書斎にやってくると、ドアが向こうから開いて、ドンがでてきた。
「あっ! ノア様。今呼びに行こうと思っていました」
「どうした。……何かあったのか?」
ドンはなにやら慌てている様子だ。
「どうぞ、中へ」
俺は頷き、書斎の中に入った。
中に一人の少年が両膝をついていた。
少年は泣きはらした顔で、俺を見るなりこっちを向いて、頭を強く床にたたきつけた。
「親王様! お父さんを、お父さんを助けてください!」
「……どういう事だ?」
「こういうことです」
ドアを閉めたあと、ドンが横から何かを差し出してきた。
みると――あの箱だ。
俺がいろんな人間に配っている、密告用の箱。
ドンが差し出したのは、開けてはいないが、ハンマーにでも殴られたかのように、上部が大きくへこんでいる箱だった。
「これは……ロレンスのか」
「お解りですか」
「ああ」
箱に仕込んでいるのはフワワの力の一端だ。
そこから、俺は誰に渡した物なのかが一目見れば分かる。
「お父さんと言ったな。ロレンスの息子か?」
「はい! ライナスって言います」
「ロレンスはどうした」
「パスカル様に無実の罪を着せられて、今牢屋につかまってます!」
「……どういう事だ」
眉がきゅっ、と寄ったのが自分でも解った。
はっきりとした不快感の中、ライナスの話を聞く。
前の一件の後、パスカルはロレンスにきつく当たるようになった。
「どんな手を使って殿下に取り入ったんだ」
と度々言うように、俺がロレンスを気に入ったことが不満のようだ。
そして数日前、とうとうロレンスに無実の罪を着せて、そのまま投獄してしまったという事だ。
「賄賂をもらって裁判をひっくり返すなんて……お父さんはそんな事しません!」
「そのようだな」
「分かるのですか?」
ドンが真剣な顔で俺に聞いた。
俺はドンの手から、上部がへこんだ箱を取り上げて。
「この箱の能力を覚えているか?」
ドンは首をひねって思い出そうと試みる。
この箱自体、ドンに言ってロレンスに渡してきてもらった現物。
その時にドンに説明している。
「たしか……一度鍵を掛けてしまえば殿下以外開けられなくて、見せびらかしたら自壊する。でしたか」
「ああ。そこまでやる俺だ、もう一つくらい仕込むのは当たり前だろ?」
「……そうですな」
ドンはあまりのおかしさに、思わず吹きだしてしまった。
「賄賂を受けるような悪事をするものなら、これを持っている資格はありませんな」
「そういうことだ」
「さすが殿下。見事な仕込みでございます」
俺は箱を見た。
パスカルは箱を壊そうとしたが、ロレンスという人間が箱を壊さずにいた。
ならば。
「どこだ、ロレンスが捕まってる牢屋は」
ライナスは、救世主を見つけたような顔をした。
☆
ライナスに案内されて、俺はニシルの外れにある牢屋にやってきた。
アルメリア州の州都、ニシル。
州で一番大きな街は、大きめの牢屋が街の外れにある。
そこにやってきた俺とライナス。
「止まれ! 何者だ」
「ノア・アララート」
番兵が事務的に俺に一喝して、俺は冷たい口調で名乗った。
「ノア……し、親王様!」
番兵は俺の正体に気付いて、慌ててその場で土下座した。
「中に入るぞ」
「は、はい」
番兵の横を通り過ぎて、牢の中に入る。
中にも牢番がいるが、そっちは最初から俺の顔を知っているようで、誰何する前にビクッとして何も言えずにいた。
俺はズンズン進みながら、牢番の一人に。
「ロレンスはどこだ」
「えっと……」
「どこだ」
言いよどむ牢番に、立ち止まって、体ごと振り向いて睨む。
牢番はビクッとして、へたり込みそうな勢いで足がガタガタ震えながら、答える。
「お、奥の突き当たりです」
俺は再び歩き出した、一直線に最奥に向かっていく。
俺の後ろ数歩にライナスがついてくる。
しばらく歩いていると、くぐもったうめき声が聞こえてくる。
俺は急いだ。
最奥につくと、牢屋の中で、とんでもない事が起きているのが見えた。
ロレンスは床に寝かされていて、その胸から腹に掛けて、土嚢のようなものが載せられている。
そして黒装束の男が三人。
一人が土嚢を上から体をのせて押さえつけて、残った二人は手足を押さえつけている。
えげつないやり方だ。
法務親王大臣として、法務省でいろんな刑罰や拷問の資料を見てきた。
このやり方は、自然死に見せかけるやり方だ。
体に土嚢を載せて、それに重しを載せる。
すると、胸――そして肺全体が圧迫されて、呼吸が出来なくなる。
一時間くらいは掛かるが、終わった後はまったく外傷のない、自然死に見える死体の一丁上がりだ。
「お父さん!」
「「「――っ!」」」
ライナスが叫ぶと、黒装束の男達が反応した。
一人が「くっ」と呻くや否や、ナイフを取り出して、ロレンスに突き刺そうとする。
ばれたからなりふり構わない方法に切り替えたか。
「甘い」
俺はレヴィアタンを抜いて、その場で振り下ろした。
総理親王大臣、帝国の臣民を扱っている身。
全能力SSSの無敵状態。
軽く振ったレヴィアタンは、斬撃を三人の男に飛ばした。
手足を押さえている反応の遅い二人がそのまま斬られ、ナイフの男はナイフで迎撃した。
しかしそのナイフも弾かれてしまう。
男はもう一本ナイフを取り出して、今度は俺に突進してきた。
かなりの突進、一直線に俺に肉薄する。
ナイフは、俺の胸をえぐった――様に見えた。
「残像だ」
「――っ!」
残像が残るほどのスピードで男の背後に回り、首に手刀をおとした。
男は白目を剥いて、そのまま倒れる。
「す、すごい……」
ついてきたライナスは、目を剥いて、信じられないものを見たような顔をした。