45.先読み
朝、屋敷の庭で。
俺は景観の一部である、巨大な岩を持ち上げた。
縦、横共に人間の倍はある大岩、それを軽々と持ち上げて、筋トレでもするかのように上下に振ってみた。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
総理親王大臣
性別:男
レベル:10/∞
HP SSS 火 SSS
MP SSS 水 SSS
力 SSS 風 SSS
体力 SSS 地 SSS
知性 SSS 光 SSS
精神 SSS 闇 SSS
速さ SSS
器用 SSS
運 SSS
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魔法で出してもらった、表向きの俺のステータスをちらっと眺めて、岩を元の場所に置いて、これまた用意していたロングソードを抜いて、軽く真上に放り投げた。
ふわりと舞い上がったロングソードは、そのまま切っ先を下にして落ちてくる。
切っ先は俺の頭のてっぺんに突き刺さ――ることなく、ゴムのように弾いて地面に転がった。
能力は抜群。
今の俺は、控えめにいって世界最強なんだろう。
「すごい……またお強くなったのですか、ノア様」
「ん?」
振り向くと、知った顔が絶句しているのが見えた。
シンディー・アラン。
出会った時は十歳の少女だった彼女も、今や二十歳前ですっかり美しくなった。
「来たのか」
「はい。エイダ様直々にお手紙を頂いたので、それをノア様にご覧いただき、今後のことを直接お聞きしたいと思いまして」
「手紙? どんなのだ?」
「こちらです」
シンディーは手紙を取り出し、俺に差し出した。
エイダとは、俺が推薦して、その後後宮に入った庶妃エイダのことだ。
まだ子を成していないが、陛下もすっかり気に入って、今や妃の中で一番寵愛を受けている女といって過言ではない。
そのエイダの手紙を開いて、目を通した。
たいした事は書いてなかった。
陛下が宮殿を出て避暑地に向かうので、庶妃達が全員同行する。
という内容しか書かれていない。
「なるほど」
「これでは陛下の具合が実際どうなのかまったく分かりません。もっと詳しくエイダ様に聞こうと思いますが、聞き方をノア様にご相談をと」
「いいや、それには及ばない」
「え?」
「この手紙でもう全て物語っているさ」
俺はふっ、と笑った。
「どういう事ですか?」
「陛下はビンビンでいらっしゃるよ」
事が事だ。
俺はあえて俗っぽい言い方をした。
「びん、びん?」
「庶妃を全て連れて行ったのが証拠だ。庶妃はなんだ? 陛下に幸して――抱かれるのが仕事だ」
「あっ……」
「本当に病にかかって静養するなら、庶妃全員連れて行く必要はない。陛下は割と元気だろう」
「なるほど」
「逆に、皇后様を連れて行ったら大変だったな」
「どうしてなのですか?」
「病が重く、後継者が……という段になったら、後宮の主である皇后様をまったく無視する訳にもいかない。どっちにするにしてもだ」
「なるほど……すごい着眼点です。庶妃全員……まったく思いつきませんでした」
シンディーは尊敬の眼差しを俺に向けてきた。
出会った時に比べて、大分感情が豊かになったように思う。
まあ、それはともかく。
陛下が割と無事なのは分かった。
ならば真意がなんだろうと、俺がやることは一つ。
政務――民を優先するだけだ
☆
総理親王大臣として、膨大な政務を処理するために、元からある屋敷の書斎じゃ足りないから、庭に急遽、大きめの書斎を作らせた。
その中で、俺はメイド姿をした、オリビア・コイルを侍らせて、政務を処理していった。
「次はこちらです、コロンシアの代官、エイムズを弾劾するものです」
「何をした」
「一旦集めて、都に輸送中だった今年の税金を無断流用した罪だそうです」
「ふむ……ふむ?」
「どうかしたのですか?」
オリビアは首をかしげた。
「それをよく見せろ」
俺は手を差し出し、オリビアの手から文書を受け取った。
それを開いて、中を眺める。
政務の文書は、本文の他に、概略がつけられている。
帝国は大きい、皇帝がそれを治めるにはちょっと大きすぎる程大きい。
故に、皇帝の裁可が必要な案件でも、実際の文書の上に概略をつけておくのが一般的だ。
その概略をつけるのが第一から第四まである宰相達だ。
それをする事によって、宰相達が先に目を通して、皇帝が迷った時に諮ることが出来るという利点もある。
都から転送されてきたものは、既に宰相達による概略の書き出しが行われたものだ。
なのでオリビアは概略を読んで、引っかかった俺は開いて本文をじっと見つめた。
「なるほど」
「どういう事でしょうか?」
「元からおかしかったんだ。概略は汚職のように書かれているが、それにしては輸送中だったのを使ったというのがおかしい」
「……たしかに! 私腹を肥やすのなら前もってするべき」
「そうだ。輸送中の税金なんて集計後のもの、しかも表に出た金だ。それに手をつけるバカはいくらなんでもいない。だから詳細を見た」
「何が書いてあったのでしょうか」
「コロンシアは直前に大火が起きた。空気が乾燥し、風も強く、街の8割が焼失する程の大火だ」
「――っ!」
オリビアは息を飲んだ。
一つの街を八割燃やし尽くした程の大火、もはや大災害だ。
「当然何もかも燃えた。そこでエイムズは送り出した税金の輸送車を全部捕まえて、その中身で近くの街から食糧を買って、被災した民に配った訳だ」
「それは……難しいですね」
俺はちらっとオリビアを見た。
ギルバートの家人、つまり使用人とは言え貴族の家で産まれた彼女がそう思うのも無理はない。
輸送が始まったと言うことは、それは国庫――いや皇帝の金だ。
皇帝の金を無断に使ったのは不敬罪に問われる。
とは言えその用途が災害救助なのだから仕方がない。
生まれついての庶民なら100%エイムズによくやったと喝采を送るところだが、庶民ではあるが生まれは親王の家であるオリビアは「どっちも分かる」として難しいと言った。
「死刑の求刑か、馬鹿げてる」
「しかし」
「馬鹿げてると言った。人は宝、民は至宝だ」
「うっ」
「この弾劾の文書からは私怨が透けて見える。おそらく普段からエイムズと不和な何者かが書いた物だろう」
俺は紙とペンを取って、処理を書き記していく。
「エイムズは無罪、むしろ災害救助の功績で増俸一年」
「はい」
「弾劾者は『叱責』」
皇帝の「叱責」はただ叱るだけじゃない。
れっきとした罰で、実質減俸に相当する重さの罰だ。
「さすがノア様。しかしよろしいのでしょうか」
「なにが?」
「このような裁きを下されますと、これが前例になって、大規模な災害が起きた時は、国庫に納入がへり、へい……皇族の皆様にしわ寄せがいくのではないでしょうか」
オリビアは「陛下」の二文字を呑み込んだ。
それを口にするのにはばかられたんだろう。
彼女が呑み込んだのなら、俺も気づかないふりをした。
「やせ我慢すればいい。弱きものを優先してやせ我慢する、それも貴族の特権だ」
「……すごい。そこまで貫ける貴族、見たことがありません……」
そこまで貫ける、というのも彼女がギルバートの家人だったから出た言葉なんだろう。
その後、穀倉地帯のホージョイから食糧援助、帝国認可の奴隷商人に「便宜を図る」、再建のための建材と人間を優先的に向かわせる……などなど。
一連の命令を下していく間、オリビアはずっと、尊敬の眼差しを俺に向けてきていた。
☆
夜、屋敷の外苑。
俺は書斎にメイドのゾーイを呼び出した。
「行ってきてもらいたいところがある、コロンシアだ」
「コロンシア……ですか?」
「ああ。大火にあった地域だ」
俺はコロンシアの一件を、つぶさにゾーイに話した。
ゾーイはみるみる内に顔が強ばっていった。
「って事で、お前に監察官として行ってもらう。全権任命だ。俺の命令を無視するやつがいないか監視してきてくれ」
「分かりました! がんばります!」
ゾーイはものすごく意気込んだ。
かつて、ゾーイの故郷であるドッソは水害に遭った。
彼女はそれの助けを求めて、俺が応じた過去がある。
実際に水害を知っている身として、彼女はその後の再建での不正を見過ごせないはずだ。
「頼むぞ」
「任せて下さい!」
ゾーイは意気込んだまま、書斎から立ち去った。
しばらくして、ノックとともに、二人の男が入ってきた。
フォスターと、ハワードだ。
二人ともアルバートの部下だったのだが、例の一件で主を失った後、俺が自分の部下として取り込んだ。
「お呼びですか、殿下」
「ああ、頼みがある」
俺は二人に、ゾーイを監察官として向かわせる事を話した。
「悪いが、お前達は兵士に扮して、ゾーイについてってくれ」
「ゾーイさんを守ればいいんですか?」
「いや、安全を守るのもそうだが、一番重要なのはゾーイの周りを監視することだ」
「「……?」」
フォスターとハワード、二人は互いに見つめあった。
命令の意味を理解できない、って顔だ。
「ゾーイに行かせはしたが、彼女はエヴリンと違って、俺の屋敷のメイドだ。素人のメイドってことで、ごまかす、いや騙していいようにしようとするヤツは絶対出る」
ハワードがはっとした。
「理解したか。そう、それがお前達を変装させた理由だ」
「なるほど、かつて皇太子の元にいた俺たちなら、兵士として油断を誘えば」
「向こうの小細工も見抜けるだろうって訳だ」
「そういうことだ」
「さすが殿下」
「ああ、前もって失敗の対処ができるなんてすごいな」
「頼むぞ、二人とも」
「お任せを」
「殿下に拾っていただいた命、ようやくご恩が返せます」
二人は、ゾーイに勝るとも劣らない、意気込んだ顔で膝をついて、頭を下げて応じた。