43.親王の信頼
アリーチェの歌が終わった後も、客は店から出ようとしなかった。
大半が興味津々、って感じで事態の成り行きを見守るって感じだ。
というのも、店のすぐ外でここの代官がガクガク震えながら土下座していた。
この店は入り口を常時開け放っているタイプで、店の中からそれが一目瞭然だ。
代官が死ぬほど怯えながら土下座している。
そんな、年に一度――いや、下手したら一生に一度立ち会えるかどうかという珍しい場面は、客達の野次馬根性を大いに刺激した。
俺は席に着いたまま、茶をゆっくり啜っている。
入り口が開け放ったままのせいで、外にいる土下座代官と、その側についている部下らしき男のやりとりが聞こえてくる。
「だ、だめだ……おお、俺はもうダメだ。ロレンス、なんとかしてくれぇ」
「なりませんウィル様。ここまできて逃げ出してはかえってご不興を買います」
「でで、でも。じゅ、十三親王殿下だぞ」
「だとしても出ていかないと逆に最悪の事態になります。私がフォローしますから、さっ」
聞こえてくる声は、代官の――おそらくウィルという男の怯えていながらもはっきりと聞き取れる程の大声。
それとその部下の――ロレンスという名の、低く抑えた男の声。
この二つだ。
苦境の中でこそその人の真価が問われる。
そんな事を何となく思いながら待っていると、ウィルとロレンスが店の中に入ってきた。
ウィルは俺の前に土下座して頭を床に叩きつけ、ロレンスはその三歩後ろで、両膝をつきながらも顔をあげて俺を見ていた。
「ぱ、ぱぱ、パスカル・ウィル、十三親王殿下にお目通り、も、もも申し上げます」
「パスカル・ウィルか。お前がここいらの代官だな」
「は、はっはい!」
「俺が任命した覚えはないけど、任命したのは誰だ?」
「へ、へへ陛下から直接拝命いたしました」
「なるほど」
代官パスカル・ウィルは見ていて可哀想になるくらい怯えきっていた。
床にまるで小動物のようにうずくまり、入ってきてから一度も顔を上げていない。
帝国法に照らせば、パスカルはたいした罪ではない。
アリーチェのような人間を招いて私的な場所で歌わせるのはよくあることだ。
それを無理強いしたというだけ。
罪は罪だが、最大限重く見積もったところで減俸一ヶ月かそこらの話だ。
だから、そこまで怯えきってしまう事はないのだが。
「……パスカル。お前は自分の罪を分かっているのか?」
「は、はい! ゆ、ゆゆ、許されない事なのは分かっております」
「……」
そこまでではないんだがな。
俺はため息をついた、するとパスカルがうずくまったままビクッと震えた。
その反応にまたため息をついて。ふと、その後ろにいるロレンスの姿が目に入った。
怯えきっているパスカルと違って、ロレンスは終始、落ち着いている。
「お前は、ロレンスといったか」
「はっ」
俺に聞かれて、ロレンスは初めて頭を下げた。
そしてすぐに顔を上げて、俺の目を真っ直ぐ見つめながら答えた。
「ロレンス・バルテンと申します。ウィル様の書記官を拝命しております」
「バルテン、西の出身か?」
「父が」
「なるほど」
気後れせず、かといって失礼もなく。
泰然と受け答えしているロレンスに俺は好感を持った。
そういえば、さっきもパスカルにアドバイスをしていたっけ。
「……パスカル」
「は、はひぃ!」
またこっちに来た! と言わんばかりに声が上ずるパスカル。
「自分を弾劾する文書を作ってこい」
「はい! ………………えっ?」
反射的に答えてから、意味が理解できなくて、きょとんとなったパスカル。
おそるおそるながら、そして伏せたまま、初めて顔をあげて俺の顔色をうかがった。
「弾劾……自分を? ですか?」
「そうだ、何が間違っているのか、どう罰するのが妥当なのか。明日のこの時間までに作って、俺の所に届けろ。話はそれからだ」
「……」
「どうした、それとも今俺が裁いた方がいいか?」
「そ、それは……」
「ありがたき幸せ」
未だに意味を理解していないパスカルを遮るような形で、ロレンスが頭を下げて、命令を受け取った形にして、パスカルを連れて立ち去った。
代官がいなくなった後、野次馬達もざわざわしながら店から立ち去った。
「ありがとうございます」
客が全員出ていって、店主が入り口の門を閉ざした後、離れた所にいたアリーチェがやってきた。
「大丈夫だったか?」
「はい。殿下のおかげです。いつもありがとうございます」
「そうか」
「……」
「……」
「……」
「……」
しばし、沈黙が流れる。
その沈黙に負けてしまうような形で、俺がアリーチェにきいた。
「なんでそんな事をさせたのか聞かないのか?」
「私は歌を歌い続けるだけ」
アリーチェは躊躇なく答えた。
「それが殿下に対する一番の恩返し、それ以外の事は口を挿むべきではないと思っています」
「お前のそういう所が好きだ」
「殿下がそうおっしゃるからには、何か深意がおありなのですか?」
「そこまで深い訳じゃない」
俺はそう前置きして、アリーチェに説明した。
「曲がりなりにも陛下の任命、それにたいした罪ではない。自分を弾劾――ようは反省文だ。それで何が悪かったのかが分かればそれでいい、だめならその時処分する。言い訳と諂いしかなかったら交代だな」
「そこまでお考えになっていたとは……さすがでございます」
「それより、もう一曲歌ってくれないか」
「喜んで!」
俺はアリーチェの歌を聴きながら、さあどうくる、とあの男の対応を心待ちにしていた。
☆
次の日、屋敷の外苑。
封地入りした俺は、皇族の伝統に倣って、屋敷を内苑と外苑の二つではっきり分かれるように改装させた。
内苑は純粋な住居の部分、そこは俺と正室であるオードリー、そしてメイドに宦官しか入れない。
皇帝陛下の後宮に準じた造りで、皇族の血の純潔性を守るため普通の男は一切立ち入ることが出来ない。
一方の外苑は書斎や応接間などがあって、政務や客をもてなす事とかはこっちで行う。もちろん普通の男も入れる。
その外苑の書斎で、ドン・オーツと向き合っていた。
ドンは三年前のあの一件から俺の部下になった。
俺は椅子に深く腰掛けて、ドンは俺の前に立って、二通の文書に目を通していた。
「殿下の予想通りでしたな」
「そうだな」
ドンが読んでいたのはパスカルの「反省文」だ。
それが二通。
片方は十三親王の御贔屓だとは知らず、無礼を働いてしまった。処分はいかようにも。という感じの内容だ。
もう片方は嫌がる庶民――つまりアリーチェに無理強いをしたことを反省し、罰俸と降格を申し出る内容だ。
正式に送られてきたのは後者で、前者は俺が極秘に手に入れさせた物だ。
「あそこからの公文書は何回も見ております。殿下に無礼云々のはパスカルの直筆で、庶民に無理強いなのはロレンスの代筆ですな」
「そうか」
「さすがでございます殿下。殿下の予想通り、あのロレンスという男、切れ者ですな」
「ああ」
予想通りだった。
昨日のパスカルとロレンスの反応を見て、まずパスカルは命乞いか、的外れに等しいものを出してくると予想していた。
案の定そうだった。
俺はあの時名乗ってない。
名乗ってなければ俺に無礼云々は罪に問われない。
おそらく、パスカルがそれをまず出そうとして、ロレンスに止められて、それで罰俸と降格を申し出た文面になったんだろう。
昨日の二人の反応から得た予想通りだ。
「して、いかが処置しますか」
「罰俸だけでいい、元からその程度の話だ」
「よろしいのですか?」
「ああ、部下の進言を聞き入れる事ができるのなら、それはそれで悪くはない」
「寛大なる御心、さすがでございます」
「それと、ロレンスの所に行ってくれるか」
「はい。どのようなご用件で」
「これを渡してこい」
俺は執務机から両手で持つ程度の箱を取り出して、ドンに手渡した。
「これは?」
「フワワと指輪の一部を使って作った箱だ。一旦鍵を掛けてしまえば、もう俺にしか開けることが出来なくなる」
「はあ……?」
なんでそんな物を? って首を傾げるドン。
「ロレンスの方が使えるのは間違いない。だから預けるんだ、何かあった時に俺に密告するための道具を」
「なるほど、内部告発とかの為に」
「そういうことだ」
「さすがでございます!」
ドンはそう言って、羨ましそうに箱を見た。
「どうした」
「いえ、これを頂くのは名誉だな、と」
「名誉、か」
俺はふっ、と冷笑した。
「違うのですか?」
「いいや、これを見ろ」
俺は机の中からもう一つ箱を取り出した。
ドンに渡したのと同じ箱、しかしボロボロになっている箱だ。
「それは……何者かが中身を盗もうとしたのですか?」
「いいや、これはもらったやつが見せびらかしたからだ」
「見せびらかした」
同じ言葉を、平坦なトーンで繰り返すドン。
「フワワに監視してもらってる、これを本来の目的に使わないで、俺にもらったと、信用されてるんだぞと自慢してまわると、その場で自壊する仕組みだ」
「――なるほど! すごい仕組み、いえ、すごい理念ですな」
「そういう人間は使う気になれないからな」
俺がそういうと、ドンは同意を示して、箱を届ける為に書斎を出た。
俺は箱をしまった。
俺の信頼を裏切った人間のことは、もはや名前も顔も思い出せない。
ロレンスは信頼出来る男だろうか。
俺はちょっと期待していた。