40.廃嫡
馬車を護衛して王宮に戻ってきた。
陛下とインドラとの三人で、図書館のような書斎にやってきた。
陛下は腹心であるクルーズに向かって。
「外に行っていろ、呼ばない内は誰であろうと通すな」
「御意」
クルーズは恭しく一礼して、書斎から退出した。
書斎の中に、俺たち三人と、一人、若い宦官が残っていた。
「こいつはいいのかい?」
インドラは若い宦官を指さして聞いた。
「うむ、それは特別だ。耳は聞こえない、喋ることも出来ない、文字も読めないのを置いてある」
「なるほど、機密の話をするのにうってつけか」
インドラは納得して、面白そうだ、って顔でその宦官を眺めた。
一方で、陛下は俺を真っ直ぐ見つめた。
「さて、よくアイデアを出してくれた。それで行こうと思う」
「であれば、陛下」
俺は一歩進み出て、微かに頭を下げながら言った。
「軍の指揮権を全て陛下の元に取り戻すべきです」
「軍の指揮権?」
「はい。ヘンリー兄上の兵務親王大臣と、俺の第一親衛軍総督などです」
「……なるほど」
「やるなボウズ」
陛下は少し考えてから得心し、インドラは口角を歪めて笑った。
「確かにな、皇帝の遺命に不服な皇族が軍の指揮権を持ってたら話がこじれる。それで無理矢理他の皇子を排除して皇帝につく可能性もあらあな」
「はい、実質クーデターですが、陛下がお隠れになったゴタゴタの中、軍をコントロールしていたら横車を押し通せる」
「だな。にしても、それをボウズから提案するとはなあ」
「孫婿にはふさわしいだろ」
「おう」
陛下は紙の上にペンを走らせた。
あっという間に、二通りの詔書が出来上がった。
その片方を俺に渡す。
読むと、俺を労いつつ、総督を解任するという詔書だ。
となると、もう片方はヘンリー兄上のだな。
陛下は侍っている宦官に何かジェスチャーをした。
宦官は頷き、詔書をもって書斎を出て行って、すぐに戻って来た。
仕草が大きく、簡単なジェスチャーだった。
おそらくこの宦官は決まったいくつかの命令しか実行できないように教育されてるんだろうな、と思った。
「皇太子の廃嫡はどうする」
ここからが本題だ。
部屋の中の温度が一気に二度くらい下がったような気がした。
「それは、いかようにも」
俺は答えた。
「ん?」
「皇太子の指名と廃嫡、それは帝国の国事でありますが、皇室の内事でもあります。跡継ぎをどう指名しようがどう廃しようが、それは皇帝の自由です」
俺は法務親王大臣としての見解を示した。
「なるほど」
「ただ」
「ただ?」
「ギルバートとは違って、アルバート兄上は何か悪事を行った訳ではありません。故に、廃嫡後も親王として残しておくのがいいかと」
「ふむ。ならばこういうのはどうだ? アルバートは余にも、国にも二心はないが、天下を任せるのには力不足。故に皇太子を廃し、親王に戻す――どうだ」
「いいと思います」
「おう。それと皇帝よ、アルバートを再び世継ぎに戻す気はあるのか?」
「ない」
陛下はきっぱりと言い放った。
よほど……見放されてるんだな。
「ならそれを分かる様にした方がいい」
「ふむ……分かる様に、か」
「一字を与えるのはいかがでしょう。そこで終わりだ、という意味を含めた『終』親王というのは」
一字を与えるのは栄誉でもあるが、その親王の性質を帝国中に知らしめるという意味合いもある。
だから俺はそう提案した。
「うむ。それはいい。よく提案してくれたノア」
陛下は俺を褒めてから、戻って来た宦官が設置した新しい紙にペンを走らせた。
しかし、さっきはさらっと書けたのに対して、今度はなぜかつっかえつっかえで、書き終えた後顔を上げたら複雑な表情をしていた。
「ふう……いかんな」
「どうしたのですか?」
「なんじゃこりゃ。字もひでえし、誤字が山ほどなうえ、文章もよく読まねえと意味が分からねえ。ひっでえ文章だな」
「実質我が子に罪を言い渡すのだ、廃嫡程度とは言え、忍びないのだ」
「なるほどなあ。まあ書き直せばいいさ」
「恐れながら申し上げます」
「なんだノア」
「そのまま詔書として出してもいいのではと思います。正式な詔書は記録に残ります。陛下の気持ちも、この詔書とともに残ります。もちろん兄上にも伝わります……それで陛下のお心を感じて、今後は親王として帝国のお役に立てるようになれば」
「ふむ……」
陛下は自分が書いた間違いだらけの、気持ちが漏れ出した詔書をじっと見つめた。
しばらくして、顔をあげて俺をみて。
「お前が、もっと早く……いや」
何かを言いかけて、首を振って取り消した。
「よく進言してくれたノア」
「ありがたき幸せ」
俺は頭を下げた。
陛下は詔書を別の紙に清書した。
文字はいつもの陛下の文字に戻った、こうしないと詔書の真贋を疑われる可能性がある。
しかし文章は残した。俺が進言した、記録に残るから文章はそのままで、のを採用してくれた。
清書をしてから、陛下は再び宦官にジェスチャーをして呼び寄せて、詔書を渡した。
宦官はそれを受け取って、一瞬キョトンとしてから、身を翻して書斎の外に向かって歩き出した。
「――っ! 待て」
俺は宦官に追いつき、背後から肩を掴んで引き留めた。
「どうしたボウズ」
「この宦官、詔書を見て反応した」
「なに?」
「清書した陛下の字はいつも通りだった。なのに戸惑ったのは文章がおかしいと読めたからだ」
「「――っ!」」
陛下とインドラ、同時に顔色が変わった。
宦官は血相を変えて、俺が肩をつかんだ手を振り切って、逃げ出した。
「逃がさん!」
レヴィアタンを使って、威嚇して宦官の動きを止めた。
全力で駆け出したのは一瞬、すぐに糸の切れた人形の様に脱力して、顔から床に突っ込んでいくように倒れていった。
「おいおい皇帝、こいつスパイじゃねえのか?」
「……そういうことだな。クルーズ!!」
陛下は大声でクルーズを呼んだ。
怒気を含んだものすごく大きな声で、部屋を数個離れていても聞こえるほどだ。
しばらくして、クルーズが入ってきた。
「お呼びでしょうか、陛下」
「そこの、文字が読めたぞ」
「えっ……」
倒れている宦官をみて、クルーズはみるみる内に顔が青ざめていった。
「わ、私の不注意です! どうか、どうかお許し下さい!」
クルーズはその場で土下座して、額を床に叩きつけた。
彼のこんな姿は初めて見る。
「どう処分する、ノア」
伏しているクルーズはビクッとした。
「宦官は死刑、今すぐに執行すべきかと」
「理由は?」
「文字を読めるのに読めないと偽ってこの書斎の任務に就いた。それは宦官ではないのに宦官であると偽ったのと本質は同じ。陛下の禁裏を汚した罪として、死刑が妥当かと」
「それはいいが、吐かせてからの方がいいんじゃねえのか?」
インドラが言って、俺はクビを振った。
「そうなれば、首謀者も処分せざるを得ない。それ次第では……」
俺はそこで言葉を切った。
沈黙は金、という言葉がある。
ここまで言えば、陛下も分かるだろう。
そう、万が一、この宦官はアルバート兄上が送り込んできた者なら?
あるいは親王の誰かなら?
「なるほどなあ」
インドラも理解したようだ。
「よく言ってくれたノア、さすがだ。これからもお前は法務親王大臣として余に仕えてくれ」
「御意」
「クルーズはどうする」
クルーズはビクッとした。
おそるおそる顔を上げる、その顔は青ざめたままだ。
俺はふっ、と軽く笑った。
「クルーズは監督不行き届きだけ、減俸半年くらいでいいでしょう」
「そうだな。って訳だ、減俸半年と、あとそれの処理を任せる」
「はは!」
クルーズは文字通り赦しをえた表情で、額をゴツンと床に叩きつけて、それから逃げるように宦官を引きずって書斎から出ていった。
☆
夜、今度は宦官そのものをすべて遠ざけた、皇帝の書斎。
そこで、皇帝と第一宰相が二人っきりで密会をしていた。
皇帝は今日起きた話を腹心たる第一宰相に話した。
ノアが提案したそれを聞くなり、第一宰相は感心した顔で頷いた。
「やはりノア様はすごいですな。そのアイデア、考えもしなかった」
「うむ」
「それに、偶然でしょうが、陛下のお考え……孫をみて決めるとも一致している。あれは決定を出来るだけ引っ張らねば成立しませんからな」
「ああ」
「さすがは賢親王様、その名にふさわしいアイデア」
「うむ」
昼間にまた一人息子を自らの手で処分したからか、皇帝は息子を褒められて上機嫌だ。
それも一瞬の事、すぐに表情は元に戻って。
「で、例の宦官は吐いたか」
結局、ノアのアドバイスを聞き入れはしたが、皇帝は秘密裏に宦官を拷問に掛けた。
もっとも信頼の置ける、尋問させても表には出さないと確信する腹心たる第一宰相に。
「はい、私が直々に、一人でやりました」
「どうだった」
「……ノア様はおすごい。人の心でも読めるのではないか、と思ってしまうほどですな」
第一宰相はさすがだった、宦官は全て遠ざけたが、それでも明言は避けた。
それでも、皇帝には十分に伝わった。
スパイを送り込んできたのは、アルバート。
ノアの提案がなければ、アルバートに更に処分を下さなければならなかったところだ。
「いかがしますか?」
「余は何も知らなかった」
「……」
「国を任せられないだけで、余の子には違いないのだ」
「……」
第一宰相は何も言わずに、そのかわり会釈程度に頭を下げた。
皇帝の治世に何人も宰相がいるが、この第一宰相が一番長く続けていて、途中で罷免されたりとかは全くない。
こういう時に黙っていられるのが、彼の強みなのだ。
一方で、皇帝もこの空気の重さを嫌ってか、話題の転換を図った。
「そうだ、リヴァイアサン、という名前を知っているか?」
「それは……たしか白銀の時代に、時の皇帝に力を貸した四賢者の内の一人でしたな」
「うむ」
皇帝は頷いた。
そして第一宰相に、街で、ノアとインドラに話しかける前の事を話した。
その場にいたから、皇帝もノアの配下達の声を聞いていたのだ。
「つまり……その一人であるリヴァイアサンがノア様に力を貸していると?」
「ああ」
「なんと! それはすごい! しかもその話が本当なら、四賢者よりも更に数が増えるのではありませんか」
「そういうことだな」
「すごいですな……ノア様なら白銀の時代をも上回れる、と言うことですな」
「可能性はな」
皇帝も、第一宰相も興奮気味にうなずいた。
しかしそこで先走らないのがこの二人だ。
地上最高の権力者である帝国皇帝と、長年その右腕を務めた人物。
二人は、あくまで冷静に振る舞える人物だ。
「では、ノア様の可能性に期待するとしましょう」
「うむ、どう育つのか、じっくり見ていこう」
二人は自制心からそう発言したが。
ノアは一連の事で、間違いなく、二人の中の好感度が大幅に上がっていた。