32.ノアの采配
そのまま、フワワと話す。
声は聞こえるが、それは人間の言葉ではない。
聞こえる声とは別に、頭の中にダイレクトに何かが流れ込んでくる。
まるで、夢の中のやりとりを思い出すかのような、ふわふわでつかみ所がないが、確かに理解できる不思議な感覚。
「なるほど、ならやってみろ」
いうと、フワワは床の上に降りたって、姿がぼやけだした。
ぼやけた姿がまるで霧のようになって、それが離散集合を繰り返した後。
「ええっ!?」
アランが声をあげる程驚いた。
「こ、これは……私?」
「そうだな。誰かに鏡を持ってこさせて、二人で並んでみろ」
アランが自分の部下を呼んで――その部下もぎょっとする中、鏡を持ってくるように言いつけた。
その間、変身したフワワがアランのそばに並んだ。
部下が鏡を持ってきて、それをのぞき込むアランはますます驚いた。
「そっくりだ……」
そうつぶやき、絶句してしまう。
フワワが化けたアランは、本人の双子の兄弟かという位そっくりだった。
「このようなことも出来るのか……」
「まだあるぞ。多分……こうだな」
俺は手をフワワに伸ばした。
フワワが俺の手を取った瞬間――消えた。
自分の姿をした存在が一瞬にして消えたことに驚くアラン。
直後、フワワが再び現われた。
消える直前と同じ、アランの姿で。
「な、何かなさったのですか?」
「フワワ、両手を出してみろ。アラン、両手を順に触ってみろ」
二人とも俺の言葉にしたがった。
フワワが両手を出して、アランは右手を触ってから、左手を触ろうとして――すり抜けた。
「ええっ?」
「右半身だけ実体化させた。両方もいけるが、今回は試しだからな」
「元が幽霊みたいに触れなくて、右半身だけ実体化させた……?」
「ああ」
「す、すごい……」
アランは更に目を丸くした。
フワワを実体化させたのは鎧の指輪とのリンクだ。
レヴィアタンもルティーヤーもやったそれを、フワワにさせた。
幽霊のような変身能力に、鎧の指輪で実体化。
ほぼ完全に変身能力だ。
「どこまで行けるんだ? 腹は鳴らせるか?」
――ギュルルルルル。
俺が聞いた途端、フワワ=アランの腹の虫が盛大になった。
「消えるのは?」
「うおっ!」
今度は左半分、鎧の指輪で実体化してない部分が透明になった。
きっちり半分だけの自分を見て、アランは悲鳴のような声を上げてしまう。
「なるほど、一通り出来るな」
「……さすがは殿下、初めての相手もこうして使いこなせるとは」
驚きからようやく立ち直ったアラン。
俺は完全にフワワを元に戻してから、アランにいう。
「よくやった。また何かあったら連絡しろ」
「はい!」
☆
十三親王邸の屋敷に戻ると、玄関で俺を出迎えた、新しい接客メイドのセシリーがいってきた。
「ご主人様、マーサさんがご主人様にお話ししたいことがあると」
「マーサ? 誰だ?」
「ゾーイさんのお母様です」
「……ああ」
数秒ほど考えて、ようやく思い出した。
六年前のことだ。
ゾーイの故郷のドッソが水害にあって、その時に彼女の母親にこの屋敷で閑職を与えたんだ。
たしか……なんだっけ。
あってもなくても、というかとってつけたような仕事だったとしか覚えてない。
「分かった、書斎に呼べ」
「はい」
六年間、多分一度も話したことのないマーサが俺に話があるといってきた。
聞かれたくない話ってことも考えて、俺は書斎を選んだ。
俺の書斎、親王の屋敷の書斎だけあって、断音魔法がかけられている。
人間が喋る程度の音なら外に漏れないし、外からも聞こえてこない。
書斎に入って、しばらく待っていると、ノックが使えない部屋だからドアについてる特殊なベルがなった。
直後、一人の老婦人が入ってくる。
老婦人――マーサは部屋に入ってドアを閉めて、俺の前に両膝をついた。
「なんだ? 話って」
「はい、私、親王様のご命令で、裏口のドアの開け閉めを毎日させてもらってます」
「ああ、そうだったな」
マーサにいわれて、彼女の仕事を思い出した。
屋敷であまり使われていない裏門の、朝と夜の開け閉めの仕事だ。
それで月十リィーンだ。
ぶっちゃけ意味のないしごと、施しのためだけにしたことだ。
「それがどうした」
「ここ何日か、夜中に、裏門で誰かと会っている人がいるのです」
「誰かと? 誰が?」
「ええっと、最近お屋敷に来た……えっと……」
マーサは眉間を揉みながら、思い出そうとする。
見た目通りの歳で、記憶力が弱ってるのか。
「最近?」
「はい、くないしょう? と言うところの」
「ドン・オーツか」
「その人です!」
ぴくっ、と。
眉がはねたのが自分でも分かった。
「ドンが夜中に誰かとあっているって?」
「はい。何者かわかりません、でも、この屋敷の人はあんな風に、こそこそと夜中外部の人間と会うことは無かったから」
「……そうか」
頷く俺。
ディランにも調べさせたが、これでまた一つ、ドンがスパイだって状況証拠が揃った。
「わかった。そら」
俺は懐から適当に、残っている数十リィーンを取り出して、マーサに渡した。
「よく知らせてくれた。褒美だ、取っとけ」
「ありがとうございます」
「この事はだれにも話すな。娘にもだ」
「わ、わかりました」
俺からもらった金を両手で抱えるようにして、書斎から出て行くマーサ。
……まいったな。
☆
月のない、真っ暗な中、十三親王邸の裏口。
いつもの様に、毎日欠かさずしている仕事を果たすべく、マーサが屋敷から出て来た。
彼女は年相応のゆっくりとした足取りで、一歩一歩裏門に近づいていく。
それまで開け放っていた門を閉めた――その時。
「――むぐっ!」
何者かが後ろから羽交い締めにしてきて、口を塞いだ。
マーサは抵抗した、が振りほどけなかった。
その何者かはマーサに何かをした。
一瞬ビクッとして、大きくけいれんした後、マーサは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
地面に倒れたマーサを、その何者かが鼻で息を確かめ、心臓に耳を当てて確認する。
それで満足したのか、その場からそそくさと立ち去った。
――という、一連のことを、俺は物陰で見ていた。
「助かったな」
「……」
「……」
俺の背後で絶句している女が二人いた。
ゾーイと、マーサの母娘だ。
「お、お母さんが狙われた、って事ですか?」
おそるおそる聞いてくるゾーイ。
「そういうことだ。しかもあれ、多分自然死に見えるようにやったんだろうな。外傷がまるでない」
そう言った直後、離れた所で殺された「マーサ」の姿が揺らいで、俺の親指にある指輪に戻って来た。
そして、フワワがゆっくり飛んでくる。
マーサが、ドンが外部の人間と連絡を取っているところを目撃した。
それを知ったドンが口封じに走る――と予測した俺は、マーサの代わりにフワワを実体化させたのを行かせた。
殺されたのはフワワ、鎧の指輪で実体化した彼女は人間の生体反応を再現出来るから、やられたように見せた訳だ。
「すごい……さっきまでお母さんだった人が……」
驚嘆するゾーイ。
「ゾーイ」
「は、はい」
「しばらくの間、お母さんの遺体と一緒にドッソ、故郷に戻れ。葬るなら住み慣れた故郷の方が良いだろう」
「えっと……?」
「というていだ。このままじゃお前も狙われかねん」
「あっ……」
常に魑魅魍魎たちと化かし合いをしている商人や貴族と違って、一介のメイドであるゾーイには、ストレートに話した。
「分かりました」
「マーサも、終わったらまた呼び戻す、しばらく休んでいろ」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
命を救ってもらい、更に恩情をかけてもらった――って事でマーサは何度も何度も俺を拝んだ。
「あの、ご主人様? 差し出がましいかもしれませんけど、あの人を監視してなくていいんですか?」
「それならもう考えてある」
「え?」
「何かが足りないって気づかないか?」
「え? えっと……ああっ、あのご主人様の新しい部下がいません」
フワワがいつの間にか消えていることに気づいたゾーイ。
「実はお前のそばにいる。フワワ、肩にさわってやれ」
「え? ――ひゃあ」
俺が予告したのにもかかわらずに驚くゾーイ。
何も見えないのに触られた感触がして驚いたのだ。
「こ、これって」
「顔だけ出せ」
「うわぁ!」
今度は空中に浮かんでいる生首に驚く。
「こんな風に、姿を消すことができる。フワワ、姿を消してさっきのやつを監視しろ」
フワワは生首のまま頷き、完全に姿を消した。
それでようやく理解したゾーイ。
「なるほど! すごいですご主人様」
と、ワンテンポ遅れた喝采をしてきたのだった。