23.皇帝の思い
謁見の間で法務親王大臣を拝命し、朝礼が散会した後、俺はその足で法務省にやってきた。
法務省の建物は兵務省の一つ向こうの通りにある。
ヘンリー兄上の手伝いをしていた俺は、毎朝通ってちらっと見てきた建物だ。
既に辞令の伝達は済んでいるのか、法務省の敷地内に入って馬車から降りると、そこには数十人の役人が待ち構えていて、綺麗に揃った動きで俺に頭を下げた。
一人だけ頭を下げなかった、まん中にいた中年の男が進み出て、俺に片膝をついて一礼した。
「お待ちしておりました、賢親王殿下」
「話はもう聞いてるな」
「もちろんでございます」
「なら俺の部屋に案内しろ。説明は……お前の名前は?」
「ヴィニー・オージーと申します。法務省次官を仰せつかっております」
「ナンバー2か」
次官というのは、大臣のすぐ下で、実務を取り仕切る役職だ。
ヴィニーは見た所四十歳をちょっと超えたくらい。
その歳でこのポジションなら、かなりの出世頭ってことだ。
そのヴィニーに導かれて、俺は法務省の建物に入り、まっすぐ大臣室に案内された。
法務省の大臣室は兵務省と似たような造りで、部屋に入った瞬間すぐになじめたくらいだ。
俺は大臣の椅子に座り、ヴィニーと一対一で向き直った。
「さて、法務省で俺がやるべき事は? 刻限までざっくりでいい、説明してくれ」
「はい。法務省とは、帝国各地の裁判所を取り纏めることと、帝都における裁判を実際に行う場です。ご存じの通り帝都には貴人が多く、また先立っての反乱のように――」
そこでヴィニーは一旦言葉を切って、俺を見た。
6年前のアルメリアの反乱、その時に俺も絡んでいる事をどうやら知っているようだ。
「反乱、謀反などの重大な罪は帝都に連行し、法務省、ないしは陛下が直々に裁くのが慣わしでございます」
「そうか。つまりここは普段、通常の裁判所のような事もやってるって事だな?」
「さようでございます」
慇懃に頭を下げるヴィニー。
まあ、そんな事は知っている。
俺には、前世の記憶が残っているのだからな。
だから、その記憶をもとにズバッと切り込んだ。
「お前も裁くのか?」
「場合によっては」
「賄賂はどれくらい貰ってる」
「……そのような事は」
「いい」
俺は手を突き出して、ヴィニーの言葉を遮った。
「追及するつもりで聞いたんじゃない。実情が知りたい。今聞いた話はこの部屋を出たら忘れてやる。正直に話してみろ」
「……さすが『賢』親王殿下でございます」
ヴィニーは深々と腰をおって一礼して、それから話した。
「私は取っていない方です。年間で――数百リィーンと言う所でしょうか」
「ふむ」
「こだわりがございますので。そうじゃない下の者は、私の十倍は受け取っているかと」
「こだわりって?」
「殺人の案件は受け取らない」
「なぜ」
「原告が恨んで、露見しやすく、また復讐の矛先になると取り返しがつかないからです。私は適当な案件で、どっちに転んでもおかしくない案件で幾ばくかを受け取っております」
「ふむ」
俺は大臣の机の上にある紙を取って、その上に字を走り書きした。
書いたものをヴィニーに投げる。
「これは……」
「一年で五百だとして、十倍の五千をやる。俺がいる間はそういうのをやめろ。俺は陛下の期待に応えたい。それに力を貸してくれ」
「……」
ヴィニーは目を見開き固まったが、やがて俺の言葉と意味が頭に染みこんだようで。
「陛下が六歳であった親王殿下に『賢』となづけ、法務親王大臣に命じた理由が今分かりました」
「そうか?」
「はい、その対応の仕方、感服いたしました。さすがでございます」
ヴィニーはメモを俺に返して、深々と一礼して。
「余分なお金は要りません、これから賄賂も受け取りません。殿下の為に働かせて下さい」
と言ってきた。
普通なら、その真意を疑うところだが。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
法務親王大臣
性別:男
レベル:1/∞
HP F+F 火 F
MP F+F 水 E+S
力 F+E 風 F
体力 F+F 地 F
知性 F+E 光 F
精神 F+F 闇 F
速さ F+F
器用 F+F
運 F+F
―――――――――――
視界の隅っこで見えているステータスの、MPと知性の「+」が上がった。
配下が増えれば増える程「+」の後の数値が上がっていく俺だけの能力。
少なくともこの瞬間において、ヴィニーは宣言通り、俺のために働きたいっていうのが本心だと分かった。
☆
夜、第八親王邸――オスカー兄上の屋敷。
法務省で色々話を聞いていたら、大臣就任を祝いたくて、屋敷に一席を設けたから来てくれ、というオスカー兄上の使いの者が来た。
断る理由もないし、俺はそこそこに話を聞いた後、ここにやってきた。
オスカー兄上は庭に宴席を設けていた。
庭はまるで昼間の如く、ランタンを数百個灯して、ものすごく明るくなっている。
メインのテーブルがまん中にあって、少し離れた所で楽団が演奏している。
招かれたのは俺だけだが、オスカー兄上は金も人もものすごく使った。
「ありがとうございます兄上。こんなに盛大に祝ってくれてなんとお礼をしたら」
「私も嬉しいからね。陛下の五十年の治世に亘って、これで二人目の親王大臣だ。それもノアなのだから、なおさら祝わなきゃ……そうだろ?」
「ありがとうございます」
オスカー兄上と乾杯をすると、第八親王邸の使用人達が次々と料理を運んできた。
テーブルの上には置かなかった。
二十人くらいがそれぞれ違う料理の入った大皿を持って、俺たちのテーブルを遠巻きに取り囲んでいる。
そして、ぐるぐると回っている。
帝国の伝統的な宴会料理だ。
ぐるぐる回ってる料理で気に入ったのがあったら呼び止めると、使用人が小皿に取り分けてくれる。
それ以外の間はずっと、料理を持って、「展示」したまま俺たちの周りをぐるぐる回っている。
「しかし、本当にめでたい!」
「そうかな」
「うん? どうしたんだノア、変な顔をして。何か悩みごとか?」
「陛下がなぜ、急に親王大臣を次々に任命したのかと思って」
「それは――ノアが可愛いからだろ?」
オスカーはからかい混じりの顔でいった。
確かにそう思うことも出来る。
兵務大臣はヘンリー兄上、任命した理由は俺の領地、アルメリアで起きた謀反を平定したからだ。
そして、法務大臣は俺本人に。
俺をえこひいき、猫かわいがりしているから、と言えなくもない。
だが……本当にそうか?
「何か気になることでもあるのか?」
オスカーは飲みかけた酒を置いて、俺を真っ直ぐ見つめてくる。
「兄上なら知っているだろうけど、帝国は一度滅びかけた歴史がある、その後中興して、帝国のシステムが大きく変わった歴史が」
「ああ。それまでは皇太子以外は何もしない。ただ皇子として贅を尽くし遊び呆ける毎日だった。だから、後を継ぐために政務の勉強をしてきた皇太子以外全員が無能で、それ故帝国が滅びかけた」
「それがあるから、今の帝国は皇子が産まれたら親王にして、封地を与えてそれなりの育成をしている」
俺がいって、オスカーと頷き会う。
帝国の現状、いわば序論あたりを復習し合ったところで。
「それがどうしたんだ?」
「今の状況って、それの更に一歩先だとは思わない?」
「……まさか!?」
オスカーが盛大にびっくりして、ガタンと椅子を倒して立ち上がった。
ぐるぐる回る料理の人の輪が止まって、楽団の演奏も止まった。
静寂の中、オスカーが俺をじっと見つめる。
「皇太子の……かわりを?」
「分からない、そうかもしれないし、そうじゃないかも知れない。陛下が俺を可愛がってくれるだけなら問題はない」
「……そうだな」
オスカーは使用人が直した椅子に座り直して、微苦笑していった。
「さすがにそのような事は……」
「殿下」
言いかけたオスカー。
そこに別の使用人――執事らしき格好をした使用人がやってきた。
その男がオスカーに耳打ちすると、オスカーの顔色が変わった。
しばらくして、報告を終えた執事は静かに立ち去った。
「どうしたんだ兄上」
「お前の言うとおりだ。すごいぞノア」
「え?」
「買収してる宦官からの情報だ。明日の朝礼で、私を財務親王大臣に任命するらしい」
空気が止まった。
俺もオスカーも言葉もなかった。
オスカーの大臣任命。
それは、俺を可愛がるという枠から明らかにはみ出している。
「とりあえず」
「え?」
「今日はノアの祝いと、ノアの読みに乾杯しよう」
オスカーがそう言った。
俺も気持ちを切り替えて、とりあえずオスカーと乾杯をした。
☆
オスカーとノアが微妙に盛り上がらない祝い会をしている頃。
王宮の屋上、地上から二十メートルほどの地上にある庭園。
帝国が誇る空中庭園の中に、二人の老人がいた。
一人はこの帝国の最高権力者、皇帝だ。
もう一人はその皇帝の長年の腹心として陰に陽に様々な政務を執り仕切ってきた、第一宰相だ。
皇帝が空中庭園で月をみあげて、第一宰相がその背後で丁寧に報告書を読みあげていた。
「――キーツ以下、百六十七人を捕縛いたしましたとのこと」
「自供は?」
「陛下に譲位を迫り、上皇になって頂いた上で、皇太子殿下に即位して頂く――という、前もって掴んだいい訳通りでございました」
「そうか。五十年の治世、四十五年の皇太子――もはや待てぬか」
「ご留意を、皇太子殿下が直接関わったという証拠は何一つございません――見つからないでしょう」
陰に陽に。
第一宰相は証拠と、そして腹心としての言葉を放った。
「分かっておる。だからアルバートには何もせん。キーツとやらを処刑、それで終わりだ」
「……」
第一宰相は何も言わなかった。
皇帝相手に余計な事は何一つ言わない。
常に公正を心がけて、出しゃばらない。
それが皇帝五十年の治世のうち、二十五年以上第一宰相をやってこられた一番大きな理由だ。
「オスカーの辞令を漏らすようにさせたアレ、どうなった?」
「さきほど、殿下から日頃小銭をもらっている宦官に行かせました。どうやら殿下は察していた様子で」
「ほう?」
「その場にノア殿下もいらしたとか」
「ほうほう……」
さっきまで陰鬱だった皇帝の顔が明るくなった。
「と言うことは、ノアは余の意図に気づいていたと言うことか?」
「はっ、第八親王邸付きの宦官から、そのような報告を受けております」
「ふふ、さすがだ。相変わらずすごいぞノア」
興奮する皇帝。その顔は、子供を溺愛する一人の父親だった。
が、それは一瞬だけの事。
子供が目の前におらず、腹心と二人っきりの皇帝はすぐにいつもの、皇帝としての顔に戻った。
「ギルバートもだめ、アルバートもだめ……」
「……」
「誰だ? 誰が余の跡継ぎたり得る。ヘンリー? オスカー? ノア?」
「……」
「誰でもいい、見事余が与える試練を乗り越えてみせよ」
皇帝は、父としては甘かったが。
それ以上に、皇帝としての厳正さを兼ね備えた人だった。