228.血縁の意味
ゾーイと別れた俺は、歩きながら廊下から窓の外を眺める。
煌々とした明るい月は空の一番高い位置にあり、もう少しあれこれ処理する時間がありそうだ。
執務室に戻って、もう少し書類仕事をしていこうかと思った。
が、足がとまった。
庭にオードリーの姿が見えたからだ。
この前アルバートの遺子、ジェニュイン・アルバートソンの一件でエンリル州に来て以来、帝都に戻らずにこの地にのこった。
母上と、リリスとのやり取りを思い出す。
少しだけオードリーたちに時間を割こうかと思い、ぐるりと回って庭にでた。
庭にでると、オードリーがメイドを従えて、空を見上げている姿が見えた。
それに近づくと、まずはメイドが俺に気づいて、慌てて頭を下げる。
少し遅れてオードリーも振り向いた。
「ノア様」
夜の微風に吹かれ、髪がわずかになびく嫋やかな姿。
手を自分の腹のあたりで重ねて、誰がみても文句のつけようがないくらいの上品な貴婦人姿だ。
「こんなところにいたのか」
「はい。さすがノア様、わたくしの居場所なんて筒抜けですわね」
「偶然見かけただけだ。父上のような諜報網はまだ持ち合わせていない」
「あら、そうですの。私はあまり実感したことはありませんが、ノア様が度々口にしている先帝の諜報網とはそれほどのものですの?」
「ああ」
俺ははっきりと頷き、様々な想い出が脳裏によみがえる。
「例えばそうだな、お前との閨での睦言も筒抜けだろうな、父上のあの諜報網では」
「それほどですの?」
「ああ、十三親王邸の時であってもだ」
「皇后になってからはむしろ誰でもわかりますが、親王の時もそうですのね」
「ああ」
俺ははっきりと頷いた。
皇帝皇后になってからの方が秘匿性が高いのかもしれないと、皇族にある種の神秘性を感じている庶民ならそう思うが、実は逆だ。
親王程度であれば自由にやれるが、皇帝の性事情はすべて宮廷内で筒抜けだ。
皇后あるいはどの妃かを夜に侍らせたか、何回その者を興したか。
それらは全て、専門の宦官によって記録される。
本来一番秘め事であるはずの閨での睦言なのに、皇帝とそしてその相手である皇后ともなれば、まったく隠し事にならないという逆転した現象が起きる。
改めてその事に言及した俺はちょっとだけおかしくなった。
そして、やはりと思った。
「父上のあの諜報網さえあればな、と今日はつくづく思った」
「アンといいましたか、あの娘のことですのね」
「ああ、話はどこまで聞いている?」
「国事ではなく、刑事ですので」
オードリーはそう前置きしてから。
「本日の夕方くらいまでのいきさつであれば把握していると思います」
「そうか。ならば話は早い」
俺は少しため息をついた。
「すぐに番頭を締め上げて吐かせたが、父上であればそのような事をする必要もなかっただろうなと思って」
「それでも吐かせたのでしたらすごいですわ」
オードリーはいつものように満面の笑みで俺を称えてから。
「その辺りの話を伺っても?」
「きになるのか?」
「はい」
オードリーははっきりと頷いた。
「国事ではありませんし、場合によってはノア様、アンを取り立てる可能性がありますから。そうなれば皇女としての可能性もなくはありませんわ」
「なるほど、それもそうだ」
オードリーの立場なら気になるし、だったら話してやろうと思った。
「番頭を締め上げたあたりの話はまだ知らないのだな」
「はい」
「ありきたりな話だ。後妻に入った女が前妻の子供を邪魔に思った。それで間男と共謀して子供を亡き者にしようとした」
「間男、番頭も共謀者ですのね」
「ああ。若い男だ、骨がまるっきりなかった。不貞は最高で宮刑を処せると脅したら全て喋ったよ」
「まあ」
オードリーはクスッと笑った。
ちょっとおかしそうな顔をした。
宮刑というのは去勢、つまりは男性器を切りおとす刑罰のことだ。
若い男に「正直に喋らなかったらあそこちょん切るぞ」と軽く脅しをかけた。
それが効果てきめんで、脅しだけで洗いざらい喋ってくれた。
「骨がないとおっしゃいますが、その脅しにあらがえる殿方はあまりいないのではありませんか?」
「なるほど、そうかもしれんな」
月の下で、オードリーとクスリと笑い合った。
そしてまた真顔に戻って、話を続けた。
「そういうわけでありふれた話だ。後妻が前妻の妹、前妻の子が血の繋がった姪というところだけが少し普通と違うところだ」
「不思議ですわ」
「どこがだ?」
「妹ということは、相手は姉とその子供。姉と一緒に嫁いだ先でそのような事ができるのが不思議で仕方がありません」
「なるほど」
オードリーからすればそうだろうな、と思った。
彼女は自ら進んで、自分の妹であるアーニャを嫁いだ男――俺の側室にした。
それは貴族としての常識が根底にあってそうさせたものだが、本人の意志でそうしたというのも間違いない。
貴族の婚姻、家と家のつながりのための婚姻。
その家のためには子供が何よりも大事なのだから、間男と共謀して娘をどうこうすることが本当に理解できないようだ。
「まだ『真実の愛』の方が理解できるか」
「有り体にいえばそうですわ」
もちろんしないけど、と表情で強く主張した。
『真実の愛』というのは、貴族の結婚は常に政略結婚であり、恋愛では決してない。
だから真実の愛はいわゆる不倫にしか存在しないという、半ば揶揄で半ば本気のものだ。
生まれついての貴族、皇族であるオードリーには、実際それを行うことはないが、そっちの方が理解できるという。
「しかし、それではもうひとつ問題が生じますわ」
「ふむ?」
「なぜ娘を娼館に堕としたのでしょう? 話を聞く限り衰弱死させようとしたようですけど、それはあまりにも迂遠なのではありませんか?」
「その遠因を作ったのは俺なのかも知れない」
「え?」
いきなりなにを、って顔をするオードリー。
「……ゾーイとドッソの話をしっているか?」
「え? はい……」
いきなりなにを、って顔をした。
ドッソとはゾーイの故郷の事である。
俺が子供の頃、ドッソで水害があった。
その時にゾーイが十三親王邸をやめようとして、俺が止めた。
理由は故郷に残してきた家族が被災して、その建て直しの為には大金が必要で、親王邸は他よりも高給取りだがあの瞬間はそれを回る大金が必要になった。
それで俺の所をやめて、「親王邸に勤めたメイド」という触れ込みで娼館に身売りしようとした。
当然それを俺は止めて事なきにしたのだが、その一件には後日談がある。
「あれから数年後、法務王大臣になった俺は法を一部改正した」
「どのようにでしょうか?」
「親の子売りだ。それまで無条件で処罰されていたのが、子供側から求めない限りは処罰しない事にした」
「なぜでしょう?」
「俺はゾーイを救った、彼女は娼館に身売りせずにすんだ。が、身売りせざるを得ないものはいる。これまでもこれからも」
「……」
オードリーは真顔のまま、肯定も否定もしなかった。
彼女は聡明だ、皇后として「国事に関与しない」と常に公言して、それを継続出来るということは賢い証拠だ。
そんな賢い彼女だから、よく理解している。
悲劇はなくならない。
為政者として限りなくゼロを目指すべきだが、ゼロには決してならないということをオードリーはよく理解している。
とはいえ感情面の問題もある。
だから彼女はこうして、真剣に受け止めて、しかし肯定も否定もしなかった。
俺は続けた。
「一家が災害で飢え死にしかけている、自分一人が犠牲になれば一家を救える。その判断をし、実行したとして。その状態で親を処罰したら、他の子供達はどうなる?」
「はい……」
「無論、そうじゃない場合もある。そこまで切羽詰まっていなくて、無理矢理親に売られた場合もある。その場合は処罰しなければならない」
「だから、子が望む場合のみ、と」
「そうだ」
「すごいです……ノア様」
普段とは少し違う、しっとりとした「すごいです」。
俺は頷き、無言でそれを受け止めた。
それを言ったあと、オードリーはふと思い出したかのように。
「それがどうして遠因になるというのでしょう?」
と聞いてきたから、俺は半ば答え合わせのように、質問で返す形にした。
「子が望む場合のみということは?」
「…………!」
ハッとして、息を飲むオードリー。
「死んでしまったら望めない……」
「そうだ」
俺ははっきりと頷いた。
「番頭の間男に宮刑に処しないという約束で聞き出した。そいつははっきりと後妻が動けないアンを売った。薬で眠らせ、アン本人の意識がない間に娼館に運び込まれた。そして暗に『使いつぶす』ようにほのめかした」
「娘の排除……直接にではないため罪状は殺人ではなく、子売り。そして子があのまま死んでしまえば処罰を望むことも出来ない」
「そういうことだ」
俺は真顔のまま続けた。
意識して表情を出さないように、まるで彫像にでもなったかのように表情を硬くした。
「つまりこの一件、アンがそのまま死んでしまっていたら、後妻は法的には何もとがめられない事になる」
「なんて事を……我が子じゃなくても、姪――姉妹の子であるのに」
「血が繋がっていようとお構いなしのものもいる」
「……はい」
オードリーは重々しく頷いた。
血が繋がっていてもお構いなし。
俺の代でも、ギルバートとアルバートがそうしようとした。
「あの子はどうなさるのですか?」
「……」
俺は答えられなかった。
本人の意志をまだ確認していないと言うこともあるが、まだ決めかねているからだ。
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