212.皇帝と皇太后
一瞬だけ、母上の目が大きく見開かれた。
俺の言葉に対してよほどの驚きだったのが手に取るように分かる。
当然だろう。あの「別荘」は先帝である父上が晩年よく使っていた別荘で母上は晩年もっとも寵愛を受けていた妃だった。
何度も何度も父上とともに避暑のために赴いたのだから、思い入れの深い土地だ。
そこを俺が「売りたい」と言い出したのだから、驚くのも無理はない。
いや、驚いてしかるべきだ、といった方が正しいのかもしれない。
そんな一瞬の、しかし当然の驚きの後、母上は落ち着きを取り戻して、静かな目で俺をじっと見つめた。
俺も母上を静かに見つめ返した。
動揺は、ない。
申し訳なさはあるが、それをあえて表情には出さない。
大事ではある。
先帝の別荘、街一つに相当する規模のものを処分するのだから、大事ではある。
だが、やましい事は一切ない。
むしろ合理的な判断であると俺は思っている。
だから俺は気後れすることなく、目をそらすことなく母上をじっとみつめかえした。
周りの女官達がハラハラする中、見つめあう。
当然女官達もその別荘の意味合いは分かる。
皇太后たる母上の側には、今でもそうだが長年付き従った中年の女官がいる。
母上と同等にこの話の意味合いは理解できるはずだ。
それでこの話の成り行きにハラハラしているようだ。
それらの視線をまるっとうけとめて、母上と見つめ合う。
ややあって、母上が静かに口を開いた。
「我が子ながら驚かされてばかりです」
「もうしわけありません」
俺は頭を下げた。
「口さがない者達はこういいます」
いきなり何を? と、俺は顔を上げるも微かに首をかしげた。
母上は更に続けた。
「十三親王は法に傾倒しすぎて、人情味にかける」
「言われても仕方ないだけの事をしてきたと思います」
俺は本気でそう思った。
むしろ自分の人生が正しく評価されていると、そう感じるほどで、それが微笑みとなって口にでたほどだ。
俺が十三親王として頭角を現わし、先帝に一目置かれたのはまさにその法への厳格さだった。
法に厳格で、兄弟相手でもそれは変わらない。
それどころか先帝――当時もっとも尊き地位である皇帝の座についている先帝相手にさえ、事によっては法に抵触するから行ってはならぬと諫言した。
そんな俺への評価が「法に傾倒しすぎて人情味にかける」だったらむしろ喜ばしいことだ。
「でもわたくしは違うように思います」
「母上?」
「ギルバードの事で、先帝陛下がいつもわたくしに陛下の事を褒めていました。何度も何度も、あの時の事を褒めていました。そして――」
母上は俺をまっすぐと見つめて。
「――感謝を、していました」
俺は思わず背筋をピンと伸ばした。
皇太后の口から聞く、前皇帝の言葉。
今となっては誰よりも説得力があり、信憑性のある言葉。
まるで先帝陛下から直接言葉を賜っているかの如く、俺の背筋が自然とピンとまっすぐ伸びた。
ギルバードの一件、俺がまだまだ子供だったころの大事件。
数十年前の記憶がまざまざと脳裏によみがえる。
母上は更に続ける。
「あの時、ギルバード殿下は陛下を弑逆しようとしました。ある食べ物とある酒。別々に食す分にはなんともないものなのですが、同時に口にすればたちまち致命的な毒になる組み合わせのもの。ギルバードは時間差で献上し、それをもって先帝陛下を毒殺しようともくろみました」
「先帝陛下は前もってそれを見抜いておられました」
「ええ、ですがそれを明るみにはしませんでした。なぜならギルバードは血の繋がった我が子。例えころされそうになったとしても、その命を奪うのは忍びません」
「……」
親の気持ち……それを代弁する母上は沈痛な面持ちになった。
数呼吸ほどの間をおいて、母上は更に続ける。
「そこに陛下が進言しました。組み合わせの両方は既に献上したため実行したと見なされ死罪は免れませんが、最大限の温情として執行猶予は付けられる、と」
「……はい。あれは叛逆罪でした、執行猶予では罪は未来永劫消えることはありませんが、皇帝が望んだ時に執行できる。どこか虫の居所が悪い時に腹いせで執行を命じてもよいし――生涯命じなくてもよい」
「つまりは事実上の終身刑に処する事が出来ると陛下はいいました」
母上はそこで言葉を一度切って、彼女には珍しくやや怒ったような表情になり。
「それはアルバートの横やりでかないませんでしたが、先帝陛下はすごく感謝しておられました。子殺しをしなければならなくなった、そんな時に親の心情を慮ってくれた優しい子を一人みつけた、と」
「それは――」
「いと高き存在である皇帝にとって、心に寄り添ってくれる存在がどれほどありがたいものなのか、今の陛下にならあえて申し上げるまでもないことでしょう」
「……」
「すごい事なのです、すごい人なのですよ。陛下は」
母上はそういった。
肩が微かに動いて、手が伸びそうになった。
普通の家庭、普通の母子であれば、ここで母が手を伸ばして子の頭を撫でるなり、頬に触れるなりしただろう。
が。
母上は皇太后、俺は皇帝。
俺達にはそのような団らんのような行為は許されていない。
母上の肩が微かに動いただけで、腕は上がらなかった。
代わりに――ここ十年で最もといっていいほどの、穏やかな表情と目をした。
「そして今も、わたくしの気持ちと心を慮ってこうして聞きに来てくれた」
母上は一度にこり、と微笑んでから、口角をキリッと引き結んで皇太后の表情をした。
「国事です、後宮に否はありません」
「ありがとうございます」
俺は母上に深々と頭を下げた。
頭上から、母上の称えるような視線を感じていた。
☆
俺は母上の元を辞して、後宮をでた。
赴任先には戻らずに、まずは同じ帝都にある財務省にむかった。
宮殿にほど近いところにある、華美さは宮殿より明らかに抑えているものの格式張った建物にやってきた。
「止まれ! 誰だ!」
規律が行き届いているためか、棒を飲んだかのごとくまっすぐ立っていた門番がいた。
そのものに一瞬誰何をされたが、向こうはした直後に俺の顔をみてハッとして――
「――って、へ、陛下!? 申し訳ございません!!」
――青ざめた。
門番はそのまま武器を投げ捨てて、その場で俺に平伏した。
「かしこまらなくていい。オスカーはいるか?」
「は、はっ! 本日も朝からずっと」
「そうか、自分で行く。対応は満点だ」
俺はそういい、十リィーンほどの金を門番に放り投げる形でわたした。
財務省の門番として、いきなり現れた相手にしっかり誰何をし、その後皇帝である俺の顔もしっかり認識出来ていた。
門番としてはしっかり自分の職務を全うしたと言える。
一方で向こうからすれば「陛下に無礼な事をした」と気に病むかもしれない。
気に病む程度ならまだいい、せっかく門番としてちゃんとやれる人間なのに今度それが出来なくなるのはもったいない。
そう思って、俺は門番が気に病むような事にならないように、少なめではあるが褒美の金子をあたえた。
そうしてから俺は財務省の中に入る。
中に入って早速出くわした役人もさすがに俺の事を知っていたから、跪くのを止めつつ、そのものにオスカーのところへ案内するようにいいつけた。
役人は近くの若者を捕まえてまず通達に走らせ、自分は俺をゆっくり案内した。
しばらくして大臣の部屋にやってきて、中に入った。
中でオスカーが俺を出迎えて、そのまま流れるように膝をついて頭をさげた。
「陛下がお戻りだとは知らず、出迎えもせず申し訳ございませんでした」
「余の独断だ、これで動向を掴まれては逆に問題だ」
「さようでございましたか」
「話がある、時間はあるか?」
「こちらへ」
もちろんでございます――という言葉すら当たり前過ぎてオスカーは口にしなかった。
皇帝が訪ねてきて「時間がない」なんて返事はこの国の常識と礼法には存在しない。
財務王大臣たるオスカーも当然そうで、彼はそのまま俺を部屋の隅のソファーに案内した。
ソファーに向き合って座り、オスカーが部下に茶を出せと命じるのをまってから、来意を切り出した。
「先ほど皇太后陛下のところにいってきた」
「それはそれは……」
オスカーは相づちをうちつつ、「なんで?」という顔をする。
「先帝陛下が使っていた別荘がまだいくつかある。それを民間に払い下げる許可を頂いてきた」
「…………」
オスカーは固まった。
まったく予想だにしなかった話を聞かされて完全に固まっていた、という感じの反応だ。
しばらくして、ようやく戻ってきたオスカーがおそるおそると口を開く。
「払い下げ、ですか……」
「余はまだ若い、しばらくはその類のものを使わん」
「それは……」
「であれば遊ばせておくのももったいない」
俺は顔を横に向けた。
そこに窓があり、窓の外を眺めた。
「余よりもお前の方がよほど実態が分かっているだろう、国庫の厳しさを」
「はっ……いやしかし」
「どう思う?」
「……」
窓から視線をオスカーの方に戻し、真顔できく。
オスカーはゴクリ、と唾を飲んだ。
そうしてから考えて――すぐにいつものような冷静な表情にもどった。
そして、一言。
「……名誉騎士」
「うん?」
なんの事か、と俺は微かに首をかしげた。
オスカーはさらにつづける。
「陛下が親王時代、先帝に進言した名誉騎士の制度。あれと同じことかと存じます」
「ああ、言われてみればそうだ」
俺ははっきりと頷いた。
今までそんなつもりはなかったけど、言われてみれば、と思った。
あれは俺が12歳のころだっただろうか。
当時、父上は帝国の慢性的な財政難に頭を悩ませていた。
どこかに金はないかと探し続け、犯罪の実刑のラインを切り上げて、その分罰金刑を強化しようと思っていたほどだ。
当時は既に法務王大臣を拝命していた俺に、父上はそれはどうかと聞いてきた。
俺はそれに反対した。
罰金刑が広くなりすぎると、刑罰としての抑止力が減ってしまうとおもったのだ。
特に父上は小銭ではなく、国庫に入れるための大きな金を欲していた。
だから対象も貴族や大商人に絞ろうとした。
しかし、それらのものからすれば、「金を払えば免罪」というのはかなりの事で。
下手をすれば犯罪への抑止力がとことん欠けて、場合によっては無に近いものになるのではないかと思い、反対した。
父上はそれを納得してくれた。罰金刑の話はなくなった。
かといってそれで国庫の厳しさは何も変わらない。
そこで俺は名誉騎士という話を持ちだした。
金を払えば名誉騎士の称号を「買える」アイデアをだした。
通常で選抜される騎士とは違って、実権や実利は一切与えないものの、称号に金を出した人間に皇帝が直々に表彰するというアイデアをだした。
名誉のみを与えるのだ。
もちろんその名誉を――皇帝から直々に表彰されたという事実を悪用するものはいるかも知れない。
実際、その後にそういう事もあった。
が、それはどんな事にもある事だ。
例えば皇帝が視察し、途中で喉が渇いた事でその辺の茶屋に入ったとして。
それも名誉だし、悪用はできる。
だからそこまで考えればキリがないことだ。
名誉は与える、そのかわり実権や実利は帝国側からは一切与えない。
そういう折衷案のアイデアをだし、国庫の厳しさを少しだけ緩和させた。
それと似ている話だと、オスカーは指摘した。
まった意識していなくて、言われるまでそこと繋がらなかったが、結局俺の頭から出てくる発想だから本質は似通っているんだなと少し面白くなった。
俺はフッと笑い、オスカーに話した。
「うむ、民間に金を出させて、騎士の名誉――皇帝が使用した別荘という名誉、それを買ってもらう。本質は同じことになるな」
「はっ」
「先帝が避暑につかった別荘だ。そもそもそれらは街一つに匹敵するほどの規模である」
皇帝の避暑地、その別荘。
別荘という名前であるが、皇帝やつれて行く妃。
それを世話するもの、護衛するもの。
その他身の回りのもろもろをになうもの。
普通にやれば千人規模になるし、その千人には仕事外の日常や営みもある。
そうなると別荘という名の小さな街になる。
「余の想定だが、皇帝が使っていた別荘であるのと同時に、街を一つ丸ごと買える財力もアピール出来るだろうから、豪商たちは食いつくだろう」
「はっ」
「物自体は限りがある、それぞれが一点ものでもある。こっちの言い値で売れる」
「おっしゃる通りかと」
「と言う話だが、どうだ、お前の意見は」
オスカーの意見をまだ聞いていなかったから、それを促した。
オスカーはノータイムで、感心したような目をしながら答えた。
「さすがは陛下、すごいです。そこに金脈があるなとど思いつきませんでした」
「金脈というよりは純粋に遺産だな、先帝陛下の」
俺はそういい、オスカーは笑った。
「そうでございますね。父の遺産を子が使う、至極当然の話でございます」
「異論は?」
もう一度聞く、オスカーは真顔になった。
「皆無とはもうしません」
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