21.一芝居
一通りの兵務を処理した後、俺はヘンリー兄上と一緒に兵務省を出た。
時刻は正午を少し過ぎたあたり、暑さのピークは過ぎたが、日はまだ高くいつまでも外にいたくはない。
「どこか寄っていくか」
兄上は馬車の上から俺に言ってきた。
「キースなんてどうですか?」
「お前が贔屓にしてる歌姫のところか。いいだろう」
兄上は同意した。
俺は御者にキースの店に向かえと命令して、二台の馬車が並んで進み出した。
両横に使用人がついてくる。
都の大通りは、貴人達が馬車をよく使う為広めに作られている。
二台並んで進んでも狭さを感じないどころか、向こう側から別の馬車が来てもすれ違う事ができるほど広い。
「そういえば。ノア、お前はまだ実戦を経験したことがなかったな」
「はい、兄上」
答えながら、俺はずっと視界の隅っこにあるステータスを見た。
――――――――――――
名前:ノア・アララート
賢親王
性別:男
レベル:1/∞
HP F+F 火 F
MP F 水 E+S
力 F+E 風 F
体力 F+F 地 F
知性 F+F 光 F
精神 F+F 闇 F
速さ F+F
器用 F+F
運 F+F
―――――――――――
十二歳になっても、未だにレベルは1のまま。
これは皇室の規定のためだ。
皇室の子女は夭折――つまり赤ん坊の時に死んでしまう事が多い。
表向きには天然痘を始めとする疫病で死んでしまう事が多いとされている。
ちょっと踏み込める人間であれば、皇子は産まれてからすぐに母親の元から引き離され、乳母を始めとする使用人に育てられるため、実母の母乳をもらわず免疫力が低い事を指摘する。
一部の「口さがない者」や「真実を知る者」は、権力争いから来る毒殺などを唱える。
いずれにしても、皇室の子女に夭折が多いのは事実で、跡継ぎを確保するために、皇子はちゃんと成長するまで、皇帝の勅命なく実戦に出てはならないとされる。
そのせいで、俺は未だにレベルが1のままだ。
ちなみにヘンリー兄上の子供も次々と夭折してて、十人以上産ませたが今は三人しかいない。
「お前ももう十二歳、そろそろいい頃だな。領地入りする前に少しは実戦を経験した方が格好もつくだろう」
「陛下が行けと言えば俺はいつでも」
「うむ……魔剣も持っているのだ、そう難しい事にはならないだろう」
「兄上の実戦はいつだったのですか?」
「私は――」
兄上が答えかけたその時、馬が嘶き、馬車が急に止まった。
馬車の中で前のめりになって、縁を掴んでなんとか姿勢を保った。
なんだいきなり――と問い質す暇もなく。
「た、助けてください!」
俺と同じくらいの年ごろの少女が馬車の前に土下座していて、言葉通り助けを求める視線を投げかけてきた。
少女の格好はボロボロで、髪もボサボサ。
靴とかも履いてなく、どこからか逃げ出してきたばかりって感じの出で立ちだ。
その少女に遅れること数秒、路地から更に数人の少年少女が逃げ出してきた。
いずれも同じ格好だ。
更に少し遅れて、今度は大人が追って出てきた。
数はおよそ十人、裏稼業にどっぷり浸かっている人間特有の横暴さが顔に出ていた。
「手間かけさせやがって!」
「おら、こっちこい!」
「いやああああ!」
「は、離せ!」
男達は少年少女を捕まえて、逃げてきた路地に引きずり込もうとした。
大通りにあって目撃者は少なくないが、全員が遠巻きに、我関せずって顔をしている。
「ノア」
「わかってる」
俺は兄上に頷いてから、馬車を飛び降りて諍いに割り込んだ。
「やめろ」
「ああん? なんだてめえ」
「関係ねえ事に首突っ込んでんじゃねえぞ小僧」
「登記は?」
「はあ?」
「登記は? 証書は? お前らの店はなんて名前だ?」
質問を三連発。
すると男達は答えられずに一瞬「ぐっ」と息を飲んだ。
ちらりと兄上に振り向き、アイコンタクトを交わす。
やっぱりそうだった。
こいつらは闇奴隷商だ。
「登記がないのか? 帝国法じゃ登記のない人身売買は重罪だって知ってるよな」
「うるせえ! おいてめえら、ガキ一人だ、やっちまえ!」
男の一人が怒鳴ると、別の男が逃げ出した奴隷を捕まえる手を離して、俺につかみかかってきた。
俺は右腕を真横に差し出すと、さっきまで何もなかった右腕にレヴィアタンが現われた。
俺の手首の内側には、レヴィアタンを収納する腕輪がある。
特注のもので、レヴィアタンを針くらい小さくしてすっぽり収まるようにした。
前は耳に隠したが、そこから更に隠密性運搬性を高めたものだ。
そのレヴィアタンを振るった。
水色の残光を曳いて、男の両肩を斬った。
血が矢のように噴き出す、男の両腕がダランと垂れ下がる。
「お見事」
背後で兄上が喝采を送ってきた。
「筋を切っただけだ。その辺でやめとけ、これ以上は洒落じゃすまなくなる」
「ぐっ……」
「お、おい。どうする……」
「か、構わねえ! たかがガキ一人、一斉に掛かればどうとでもなる!」
やけくそのような号令だが、男達はそれに従って、一斉に掛かってきた。
俺はレヴィアタンを振るった。
レベルは一のままで能力もまだまだだが、この程度の荒くれ者に後れは取らない。
レヴィアタンの記憶にある剣術を発揮して、全員の手足を斬って無力化する。
「「「おおお!?」」」
最後の一人が倒れたのとほぼ同時に、周りの野次馬から感嘆の声が上がった。
「なにあの動き、すごくね」
「格好いいわ……まるで達人みたい……」
「どこのお坊っちゃんだ?」
そんな野次馬の声を聞き流しつつ、あっちこっちで地べたに座ったり這いつくばったりして、ポカーンとしている少年少女に声を掛けた。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
俺たちの馬車を止めた、一番最初に逃げてきた少女が答えた。
「そうか。こいつら、闇奴隷商か?」
「はい、私たち、全員が――」
「おっとそこまでだ」
少女が頷き、逃げてきた原因を語ろうとしたその時。
路地の裏から更に別の男が現われた。
背が低く、さっきの荒くれと違って、こっちは腕っぷしで食ってる訳じゃないようだ。
だが目の濁り具合や、声から伝わってくる陰湿さは荒くれどもの数倍は上だ。
そいつは俺のすぐ前にやってきて、真っ向から見つめた後、略式で一礼をした。
「お初にお目にかかります、賢親王殿下」
「お前は何者だ?」
「この子達のような子で生業をしている者です。名前は……申し上げない方がよろしいでしょう」
「……なんで?」
「それは、わたくしめが第一親王殿下の手のものだからですよ」
男はそう言って、にやり、と嫌らしく笑った。
「……第一親王だと?」
「ええ」
男はまた頷いた。
なるほど、荒くれとは違う。
俺の事を知った上で、第一親王――俺の兄がバックボーンだから口出しするな、って脅してきている。
いくつかの選択肢が頭をよぎった。
周りを見た、野次馬が多い。
俺はヘンリー兄上の方を向いた。
「兄上、この男の事を知っているか?」
聞きながら、目配せをした。
兄上は一瞬きょとんとしたが、俺の目配せにのって、「いや知らない」と答えた。
「兄上はお前の事をしらないようだ。そして俺もだ」
「もちろんでございます、わたくしめのようなものは――」
それ以上は言わせなかった。
抜いたままのレヴィアタンで男を威嚇。
水の魔剣の殺気を直で当てられた男は、泡を吹いて気絶した。
そして、周りの見物人に聞こえるように、わざとらしく言った。
「まったく、兄上の従者を騙る不届き者が。他の人間は騙せても、俺と兄上は騙せないぞ」
「偽物だったのか?」
「っていうか、このお二人は?」
「俺知ってる。あれはアリーチェのパトロンをやってる賢親王様だ」
「ってことは本物? あの連中が偽物?」
どうやら俺を知っている人間もいたようで、噂があっという間に俺の誘導する方向で広まっていった。
俺は振り向き、馬車の横にずっといたうちの使用人にいった。
「こいつらを捕縛して、第一親王邸に連れて行け。『兄上の名を公衆の面前で騙った不届き者』だと言って渡してこい」
「はっ!」
「子供達は俺の屋敷にひとまず連れて行け、後で話を聞く」
うちの使用人は倒れている男達に縄をかけて、少年少女達と一緒に連れて行った。
一段落して、俺は馬車に飛び乗った後、兄上が俺にだけ聞こえる小声で言ってきた。
「見事だノア、上手く処理したもんだ」
「仕方ないですよ」
俺はため息ついた。
「兄上の配下なら切り捨てるわけにも行かない。そうしたら兄上に恨まれるし、兄上が闇奴隷商をやっていた事も本当になる。偽物だとして、兄上に処理してもらうのがベストだ」
「ふふ」
「どうしたんですか兄上、いきなり笑ったりして」
「お前のやり方はいつも予想外ですごいな、と思ったのだ」
兄上は、ものすごく嬉しそうに笑ったのだった。