207.落胤
と、それらの事をオードリーから聞かされた。
俺は途中からはっきりと気分が悪くなっていった。
男――甥の事は途中まではかわいそうだと思った。
チンピラやごろつきに成り下がったところまでは同情できた。
何度も傷害などで入獄した事については、同情は少し薄れたが法務大臣として犯罪に手を染めてしまう人間の数々を見てきた俺からすればそのパターンか、と理屈として理解はできた。
生まれついた家庭で転落人生をしいられるのはままあることだし、同情出来なくも無い。
しかし、ここ最近の話。
娘を娼館に売ろうとしたり、あまつさえ自分でもそれを「狙っている」ような振る舞いはさすがに同情の余地はなかった。
「その子はセムの従兄、ノア様がアルバート様をそのように遇しましたので、男系のその子は今でも理屈では皇族です。その皇族が、事実上の皇太子であるセムの従兄が……」
オードリーはそこで言葉を切って、その先は言わなかった。
言わなくてもわかった。
事実上の皇太子の従兄が実の娘を――なんて事になったら恥だ。
帝国は「直系卑属」との婚姻を禁止している。当然ながら男女の関係もその延長線上というかその中に入る。
血統を保つ為、実妹との婚姻は過去にはあったが、兄弟姉妹は傍系であるため許された。
しかし、直系は禁止している。
実の娘とは帝国法的にも倫理観的にも言語道断の話である。
その恐れが現実的なものになり、かつそれが露見する様なことになれば。
言葉通り帝国の、皇族の「恥」という事になる。
「……よく知らせに来てくれた」
頭の中で一連の事柄を整理しつつ、オードリーをねぎらう。
「恐縮ですわ、それに、この話ですとぎりぎり『内事』ですから」
「ああ、そうだな。いや、むしろ内事で済ませてしまうべきだろうな」
「どうなさいますか?」
「……」
俺は少し考えた。
「もう少し情報が欲しい……が、アルバートの息子がどういう人間なのかをもっと知りたい」
「直接人となりというわけではありませんが」
オードリーはそう言い、四つ折りの紙を一枚、取り出して俺に渡した。
俺は受け取って、開いて中を見る。
それは、男の入獄歴――つまり前科を記したものだった。
「……手広くやっているみたいだな」
俺は半ば呆れた感じで言った。
そこにしるされている様々な「経歴」には呆れるしかなかった。
「この様子だと、入獄してない、露見していない事もふくめたらもっといくな」
「そういうものでしょうか」
「ああ。これを見る限り、人殺し以外は一通りなんでもやっていそうだ」
「そうでございますか……それらを探りますか? 言われ無き罪で裁いてしまってはノア様の名に傷をつけてしまいますし」
「そこまで考えてくれてるのか。良い妻だ、お前は」
「恐縮ですわ」
褒められたオードリー、頬を染めて微かにうつむいた。
いつも賢后たらんとし、喜怒哀楽を表に出さないように努めている彼女からすれば、これでも最大限の感情表現である。
皇后は皇帝に次ぐ権力を持っている――というのは制度上の話でしかない。
世の多くの男が女に弱く、惚れた女の望みやわがままなどを片っ端から叶えてあげたくなる事が一般的で、それを考えたら皇后は時として皇帝以上の権力を持っているとさえ言える。
もちろん、「取り入る」事が目的のものたちからすれば女側、皇后側の方が与しやすいしなんなら望んだ事以上の結果も期待できる。
だから皇后、あるいはその時の寵姫に取り入ろうとする者は後を絶たない。
取り入るためには相手の好き嫌いをつぶさに把握する必要がある。
そうなると、皇后や寵姫の感情一つで様々な事柄が動く。
それで問題はないと言えば、ない。
が、オードリーは全てにおいて俺本位である。
帝国皇帝としての俺を中心に考え、自分の行動で巡り巡ってノア一世を暗愚にさせないようにして来た結果、つけいる隙の少ない、喜怒哀楽を表に出さないようになった。
それを考えると、この反応でもかなり出た方だ。
「俺から褒められたときは」
「え?」
「感情を抑えなくてもいい。俺も木の股から生まれた訳ではない、妻に何かしてやったときにしっかり喜んでくれた方がそうした甲斐もある」
「はい……」
オードリーはさらに、一段階つよく嬉しそうにした。
「ーー……」
俺は言いかけた言葉を飲み込んだ。
『お前の一番の喜びを俺に褒められた時にした方がお前のところに変な虫がまとわりつかなくなる』
と言いかけたんだが、このタイミングでそれは無粋に過ぎるので言葉を飲み込んだ。
「すごいですわ、ノア様」
「……なんの事やら」
オードリーはやはり賢くて、俺の言いたいことを読み取ったようで、そう言ってきた。
俺はすっとぼけて、話を元にもどした。
「新たな罪を探す必要はない」
「では?」
「この男――」
俺は渡された紙をヒラヒラと振って見せた。
「――に相応しい方法がある」
☆
州都ララクの外れ、うらぶれた路地の中。
馬車が通れない道を、表で馬車を降りた俺が歩いて行く。
空気からして良くない場所だったから、オードリーは馬車に置いてきた。
一人の兵がついてきて、俺を一軒の建物の前に案内した。
「こちらでございます」
「うむ、ここで待っていろ」
「はっ」
兵をそこに置いて、俺はノックをした。
軽くノックをするだけで軋むような、立て付けの悪いドアだった。
ノックを一回、返事がない。
二回三回として、ようやく中から返答があった。
ドアが乱暴に開け放たれ、ボサボサ頭の男が現れた。
「なんだよ! 金ならねえってさっきもいった――ろ?」
男は俺をみて、予想した相手と違うとおもったのか、言葉が尻すぼみとなり、そのまま軽く固まってしまった。
「あ、あんたは?」
男は値踏みするように、俺をじろじろみた。
俺は総督にふさわしい、ちゃんとした服装で身をつつんでいる。
この服一着でおそらくこのボロ家が買えてしまう程の価値がある。
そんな服をまとった男がやってきたとあっては、男が驚き戸惑うのも無理はない。
「ジェニュイン・アルバートソンだな?」
「そうだけど……あんた何者だよ」
「ノア・アララートだ」
「はあ? ノア……え? アララート!?」
「邪魔するぞ」
俺は男の横をとおって、中に入った。
男はさらに驚愕した様子で、俺と、外で待っている兵士を交互に見比べた。
一部の庶民にとって、貴族の格好よりも兵士の格好の方が権力の象徴にみえるそうだ。
この男、アルバートの息子であるジェニュイン・アルバートソンもそういうタイプのようで、兵士の姿で何かを納得、あるいは確信したような表情にかわった。
部屋の中は酒瓶やその他のゴミ、家財道具などが散乱していて、饐えた匂いと酒の匂いが混ざり合っていて、思わず眉間がくっついてしまうほどだ。
食卓があったから、俺は椅子をひいて座った。
ジェニュインはおずおずとドアを閉めて、俺の前にやってきた。
「えっと……その……」
「俺の事は知っているか?」
「え? あ、はい。陛下でございますですよね、はい」
ジェニュインはこびてきた、こびてきたのに言葉使いが学も経験もないことに俺はますます眉をひそめた。
ジェニュインを見つめる。
微かに……いや、はっきりとアルバートの面影がある。
皇太子で、二番目の兄であったアルバート。
俺が十二歳の時に死んだから、付き合い自体それほど長くはないのだが、それでもアルバートに関する記憶が鮮明に残っている。
そんなアルバートの面影を、はっきりとジェニュインに見いだすことが出来てしまった。
「……お前自身の事は?」
そう尋ねた。
「ええ、はい。もちろんでございます。おふくろから全部聞いてますはい」
ジェニュインは諂い全開の顔で、手を揉みながら俺の質問に答えた。
「そうか、お前に娘がいるらしいな?」
「え? ああはい! ――ああっ! 分かりました、すぐに陛下の元に――」
一瞬キョトンとした後、いかにも「分かってますよ」って顔で言ってきた。
その先の言葉は予想がついている。
十三親王、法務王大臣、そして皇帝。
ノアとして過ごしてきた人生で数え切れない位のへつらいと媚びを向けられてきた俺。
ジェニュインのそれは俺の経験の中でも最上級に下品で聞くに堪えないものであろうと予想がつく。
俺がそう望んでいると勘違いし、娘を俺に「献上」しようとしたのだ。
当然そんな話をしに来たわけじゃないから、俺はそれを遮った。
「アルバートとの約束だ」
俺はぴしゃり、と遮るようにいった。
「血筋安堵は行う。お前の存在を把握出来なかったのは余の過ち」
「えー、いやいやいやそんなそんな、しょうがない事でございますですはい」
「約束は約束だ、これからお前は死ぬまで皇族としての身分は保障する」
「本当ですか!!」
身を乗り出し、目を輝かせるジェニュイン。
酒臭さが混ざったきつい口臭が押し寄せてきた。
よく見たらにやけてる口の奥には歯が全部で十本も残っていない、それがこの男の人生の縮図のようにみえた。
「表に馬車を待たせてある、すぐに都に向かえ。話はつけてある」
「ありがとうございます! ありがとうございますです!」
ジェニュインは何度も何度も頭を下げた。
早く行け、と言ってやるとジェニュインはそのままドアに向かった。
その時、ドアの向こうから「な、なんですか? またお父さんが何かしたんですか?」という声が聞こえてきた。
ジェニュインがにやけ顔のままドアを開けると、そこにボロボロの身なりの少女が兵士に何かを聞いている姿がみえた。
「お父さん! なんで兵士さんがうちにきてるの? まさかまた人のお金をだまし取ったの?」
「ああん? 何言ってんだおめえ。俺はこれから――ああっ、それよりもいいから来い」
「きゃっ!」
ジェニュインは何かを思い出したのか、少女の首根っこを掴んで、部屋の中にもどってきた。
バランスを崩して転げそうになった少女に気を使うこともなく、背中をおしておれの前に差し出すようにしてきた。
「ほれ、挨拶しろ」
「え? えええ? あっ……えっと、お父さんの………………」
何ですか? という言葉がのどまででかかっているようだったが、どう聞いていいのかも分からずにその言葉を飲み込んだようだ。
俺はジェニュインに聞いた。
「この子がお前の娘か」
「そうですそうです――あっ! あのあばずれは俺を裏切るとかそういう度胸はねえんで、間違いなく俺の娘です」
「……名前は?」
「え、ええと――」
「カナンって言うんです。何してんだおめえ、ちゃんと陛下にご挨拶しろ!」
ジェニュインは娘を叱責した。
カナンと紹介されたなの娘はより困惑した。
「え? 陛下? それお父さんのホラ吹き――え? ええ?」
カナンの困惑が頂点を極めた、って感じになった。
どうやらジェニュインは娘には自分が皇族の血筋だ、と自慢していたようだ。
そして娘はそれをほら吹きだと思っている。
ジェニュインのはよくある話で、カナンのも当たり前の反応だ。
「ジェニュイン」
「は、はい!」
「ここはもういい、表の馬車で都に向かえ。娘は残れ」
「わかりました! おめえ、失礼のないようにな!」
ジェニュインは最後にそう娘に言いつけたあと、スキップに近い足取りで家から出て行った。
既に命令はしている兵士はうやうやしくジェニュインに頭一つ下げ、それから表通りに案内した。
ジェニュインはそれでさらに気を良くして大きな態度をとり、「官」の人間である兵士があの父親にへこへこしてる――という感じでカナンはますます目を丸くした。