206.アルバートの子
アルバート――オードリーが「様」とつけて呼ぶのであればあのアルバードだろう。
アルバート・アララート。
俺の兄にして、第二親王として生まれ数十年間皇太子だった男。
野心家であり、政変を起こして当時まだ皇帝だった父上に譲位を迫ろうとしたが、俺が察してそれを止めた。
政変とは言い換えれば謀反であり、帝国法では正犯は唯一斬胴刑であり、場合によっては族滅という事もある。
族滅というのは一族皆殺しということで、この場合アルバートの子はもちろん、妻やその縁戚まで一族郎党皆殺しだという可能性がすらある。
それが帝国法における謀反の罪の重さだ。
だから俺は一計を案じた。
アルバートの謀反を「実行直前に思いとどまって自害」したことによって、謀反未遂ということで罪は全部アルバートが被ることにして、族滅を回避した。
「アルバートの子は全員帝都にいるはずだ。ああいう事があったから事実上宮内省の監視下にある」
俺にそう言われ、オードリーは小さく頷いた。
存じております、と前置きをして、俺の疑問に答えてくれた。
「どうやらあの一件の後、アルバート様のお手つきの側女が一人落ち延びて、半年後に男児を出産したとか」
「半年……」
「はい、女であれば情を交わした男の子だと確信し、また周りに納得させるに足る時間です」
「うむ……」
俺は顎を摘まみながら、少し考えた。
「本当にアルバートの子――いや」
俺は首を振った。それはもういい、そこに拘泥する段階ではないだろう。
何しろ「皇后が自ら動いた」わけなのだから。
俺はオードリーに聞く内容を変えた。
「アルバートの手がついたのは確かなのか?」
「はい、それは複数の宦官が証言しています。調べましたが記録にも残っています」
俺は頷いた。
皇帝、そして事実上の準皇帝といってもいい皇太子は、誰と性交をしたのかは正式な、公的な記録でのこされる。
お忍びで外での事ならいざ知らず、側女と言うことであれば現場はアルバートの屋敷内だろう。
であれば記録はしっかりと残っているものだ。
「出産はアルバート様お亡くなりの半年後に通常通りの出産、臨月です。早産や晩産ではありません」
「そうか」
俺は頷いた。
皇太子というのは、帝国の制度では「準皇帝」とされている。
当時十三親王であった俺は、血縁上ではアルバートとは兄弟ではあるが、皇太子と親王ということで君臣――主と臣下という立場だった。
その「準皇帝」は様々な面でも適用される。
今回の話の場合、アルバートの屋敷には多くの宦官が配備され、アルバートの正妻や側室などの世話をしている。
去勢し、生殖能力をなくした宦官を配備するというのは、万が一にも不義密通をおこし、皇室の血統を汚さないようにするためだ。
人間を去勢するという強い手段を執っているのだから、他の面もそれに準ずる強い措置が執られている。
その宦官が複数証言しているということは、アルバートの元にいたその女がアルバートにしか抱かれていないというのはほぼ間違いない事だ。
そしてアルバートの死後半年の通常出産であれば、その子はアルバートの子で間違いないだろう。
「もちろん、状況証拠でしかありませんが……」
「いや、あのアルバートだ」
俺はゆっくりと手を伸ばして、リヴァイアサンを顕現させた。
一般的な感覚では「禍々しい」フォルムの剣が、俺とオードリーの目の前に出現した。
リヴァイアサン――元レヴィアタン。
俺に持ってくるために、アルバートが120人もの犠牲を出させた水の魔剣。
そのエピソード一つだけでアルバートの性格の一端が伺える。
「アルバートが生きている時にはもうはっきりと妊娠が分かっているだろう。あのアルバートだ、調べもしただろう。それで女が生き残っているという事は猜疑的なアルバートに確信があったということだ」
「なるほど」
これも状況証拠でしかないが、世の中、「人となり」が確固たる証拠に準ずる事になるのは珍しくない。
アルバートの証拠がその一つだ。
アルバートは臣下の命をなんとも思っていない、そして、帝位に強く執着している。
当然、自分の子が、将来帝位を渡すであろう(とアルバートは思っているはず)の子に間男の血が入っていることを許すはずがない。
妊娠した女が他の男と関係を持っていると知ったら――いや、疑惑程度であっても。
アルバートは容赦なく女を殺しているだろう。
オードリーより直接アルバートの人となりを知っている俺は、その女の子がアルバートの子であると確信する。
「その子はエンリル州にいるのか?」
「はい」
オードリーは頷き、語り出す。
オードリーの口から聞いたのは、予想を上回る「恥」となりかねない話だった。
☆
女はアルバートの子を産んだあと、数年でこの世を去った。
どうやら最後まで、子の安全を案じての、心労が祟ってのことだった。
無理もないことだ。
俺が一計を案じてごまかしたとは言え、皇帝である父上はもちろんのこと、周りのものたちも実際の事を理解していた。
つまりアルバートの謀反というのは、未遂にはしたが、実際には「弓矢をつがえて照準を相手に向けた」に等しい状態だ。
矢尻を弦にかけたまでだったらまだ未遂とすることもできるが、その弦を引き絞るまでいったらそうとらえられても仕方がない。
あの日のアルバートの行動は最終的には皇族や大臣の間では公然の秘密のようになった。
が、俺はごり押した。
弓矢をつがえてまだ放っていないのなら未遂だ、とした。
それはそれで間違いではない、かなりの温情だが、理屈的には通る。
だから俺にはおとがめはなかった。父上や他の大臣、帝国の中枢にいる者達は俺の事をよく知っている。
俺は法には厳格だが、情がないわけではない。
アルバートの前に長兄ギルバードが父上の暗殺を企てた。
これは実行に移していて、かばいようがなかった。
それでも俺は法務王大臣として「斬胴刑の執行猶予」を上申した。
斬胴刑は免れない、が生涯の執行猶予はつけられる。
生涯執行猶予をつけば、皇帝が望むときに執行を命じられる。
それはつまり「死ぬまで執行を先延ばし」にすることも出来るということだ。
かばいようのない罪であっても、父上が子殺しにためらいがある。
そのために法の最大限の解釈をした。
その前例がある、それ以外にもいくらでも前例がある。
だから俺がそういう解釈をしたのは誰も驚かないし、文句はなかった。
そんな俺の判断に、アルバートの腹心たちが乗っかった。
未遂に終わったアルバートが実際に死んだため、証言できるのはその腹心しかいなかった。その腹心たちが口を揃えて「アルバートは直前で後悔して自害した」と証言し、かつ謀反の兵もぎりぎり動き出す前となれば、法務大臣としての俺の裁きは正当なものになった。
その上、人情の面でも俺のやり方は支持された。
アルバートを謀反として裁けば族滅はさけられないが、謀反未遂とすれば子供達は助かる。
族滅となれば姻戚も裁かれる事もあるが、皇太子たるアルバートと婚姻で繋がっている大臣も結構な数いる。
その者たちには感謝された。
さらにはなんと言っても最高権力者たる皇帝、父上が何も言わないのだ。
公然の秘密になってはいても、誰も文句は言わなかった。
それで話がすんだ――はずだった。
が、それは皇族や大臣――つまり「上」の人の思惑だ。
アルバートの子を生んだ女は都落ちして、地方にのがれた。
中枢の思惑を全く推し量れないような土地に流れた。
歴史にも度々おこっていた、事後の「精算」で罪が掘り起こされて自分達の手にも縄がかかってしまうかも知れない――と怯えるのは無理からぬ事だ。
実際、その側女ずっとそのことに怯えていて、結果的に寿命を縮めたらしいとオードリーはいった。
女が死んだ後、幼い子供――アルバートの実子で俺の甥にあたる子供はまともな育ちかたが出来なかったようだ。
地元のチンピラとつるむようになり、自分もまたそのようになった。
大人になって妻を娶り一人のむすめをもうけたが、まともに働かず傷害や詐欺などで何度も入獄したらしい。
そこにこの震災である。
地震で男の妻が亡くなって、娘との二人暮らしになった。
ここ最近になって、その娘――俺にとっては「姪孫」に当るむすめが、長年親しくしてる近所のおじさん、前出の宦官に泣きついた。
どうやら一緒にこの土地に流れてきたらしい。
娘の訴えでは、父親が最近おかしいのだという。
自分を見つめ目つきがいやらしくなって、娼館のものと度々接触している。このままでは自分は――と泣きついてきた。
それを聞いた宦官は何とかしなければと必死にかつての伝手を辿り、皇族になんとか渡りをつけてもらい――。