205.オードリーの恥
こういう時の割り切り方もなかなかだ、と俺は思った。
メアリーが出て行き、ドアが音を立てて閉じられた。
俺は残ったジョンに改めていった。
「すまんな、いきなり呼びつけたりして」
「とんでもないです! ご主人様の力になれるなんてこの上ない光栄ですよ。むしろこの日がくるのを毎日のようにまってました」
「正直に言う、人手が足りん」
俺は執務机をゆっくりと半周して、自分の席に戻った。
座って、ジョンを見あげる。
「斬るべき連中は容赦なく斬った、追加分もふくめてな。今、下の方では『あの皇帝は本当は何をかんがえているのか』、と迷っているだろう」
「ご主人様はとにかくすごいですから」
ジョンはあっけらかんと言い放った。
そこそこ歳が行った、今となっては高官といっても差し支えないような男の言葉使いではないが、俺はまったく気にすることなくスルーした。
ジョンはさらに続けた。
「ザコどもじゃ真意をつかめなくてもしょうがないですよ」
「普段ならそれでもいいが、今は一刻でも早く復興したい。俺の腹の底を推し量るのに無駄な時間を使わせたくない」
「俺は何をすればいいんですか?」
ここが本題だとはっきり分かったようで、ジョンは単刀直入に聞いてきた。
「お前は子飼いの育成に精を出しているそうだな」
「はい、前にご主人様に言ったとおりで、ご主人様の真似っこをしとりますよ」
「なら話が早い。お前にもこの土地で仕事してもらうが、仮にお前のところに賄賂を持ってきたヤツがいたらどうする」
「ホウキでぶん殴って追い払いますよ」
ジョンの言い回しは滑稽だが、痛快でもあった。
これがクレスあたりだったら「言語道断」とか「万死に値する」とかそういう強い言葉を使っていただろう。
俺に古くから仕えているものたちの中でも、ジョンだけがこういういい方をする。そういう意味ではメアリーとは似た者夫妻だった。
そんなジョンにフッと笑いつつ、更に聞く。
「お前の子飼いで似たような事ができるヤツはいるか? お前のために、でいい」
「えっと……はい、何人かは、たぶん」
「たぶんじゃだめだ」
俺ははっきりと言い放った。
今度は少しだけ厳しい顔をした。
「次にまたやったヤツは問答無用で斬らなきゃならん、だから確実に出来るヤツだ」
「なら三人……いや二人です。あの二人まで汚職をするようなら俺の首を持ってって下さい」
ジョンは真顔になって、少し迷ったがそういった。それほど信用、そして責任が持てる人物が二人、という事なのだろう。
ジョンの表情、そして眼差しの真剣さ。
うすうす気づいてはいるが、ジョンの普段の振る舞いはある程度は「芝居」だというのがはっきりと分かる。
俺の前でも、そうじゃない自分の任地でも。
普段から俗物的なのが抜けていないキャラクターを演じているんだろう。
理由も大体分かるから、その事は触れないでいてやった。
「ならその二人を呼び寄せろ。復興の現場の中枢、金が最も回るところを任せる」
「分かりました、すぐに呼び寄せます。ただ二人のうち片方はまた大した実績がなくてそんな大役には――」
「上げてやる、現状だと極論無能でも無欲なら問題ない」
「すごいですご主人様、そこまで言い切るのは。わかりました、すぐに二人を呼びつけます」
「うむ」
俺は頷いた。
ジョンはさらに聞いてきた。
「ちなみに俺は何をしたらいいですか?」
「お前には水道の再建をやってもらう」
「水道? でも水道って確かそんなに損傷は――あっ」
言いかけたジョン、ハッとした。
俺はフッと笑った。
「そう、水道そのものは大した損害はない。が、それを巡る利権が大きな問題になっている。俺がお忍びでこのララクにたどりつく道中でもいろいろ見てきた」
「そうですねえ……」
「だから再建というのは設備ではなく人間の話だ。大なたをふるえ、人員の補充の目処がつくのならいくらでも斬っていい」
「分かりました、えっと、まだ残ってる役人に親王の家人が何人かいるみたいですけど……」
俺の顔色をうかがうジョン。
ジョンのように、他の親王が家人として官吏にしたものが全国各地にいる。
このエンリル州にも、贈収賄や横領などしてなくて、処刑も更迭もしていないものもかなりいる。
ジョンが「大なたを振るう」場合、どうしてもそういう者達に何かしらの配慮はしないといけないだろう。
その事をどうしたらいい、とジョンは聞いてきた。
「よく下調べしてるじゃないか――斬れ」
ジョンに対してはフッと笑い、方針はきっぱりと言い放った。
「そのための俺、総督降格の皇帝がここに鎮座しているのだ。帝国法でも内法でもなんでも使える」
「ああっ! そういうことか。すごいですご主人様」
ジョンは感動した顔をした。
「ではそうしろ、辞令は今この口頭で発効だ」
「はい! お任せ下さい!」
ジョンは意気込んで、パッと頭を下げた。
☆
あくる昼下がり、ララク郊外。
単身でそこやってきた俺は、一台の馬車と落ち合った。
それは百人ほどの兵に守られている、4頭引きの豪華な馬車。
長距離用の馬車で装飾など最低限な事と、百人規模の兵に守られている事などから。
わかる人には一目でわかるだろう。馬車にはよほどのやんごとなきお方が乗っているのだと。
その馬車が俺とそこそこの距離まで近づいてくると、守っている兵達が一斉に跪き、馬車がとまった。
ほとんどの人間が跪くなか、使用人が一人だけ動き出した。
ドアを開け、踏み台をおいた。
中から一人の貴婦人が上品な所作でおりてきた。
オードリー。
俺の正室で、世の女すべてがうらやむ皇后という地位にいる女だ。
彼女は俺を見て、にこりと微笑んだ。
そのままドレスの裾を掴んだが、俺は手をかざして動きを止めた。
「郊外だ、余計な事は必要ない」
「ありがとうございます」
穏やかな、耳心地のいい声でオードリーがいう。
俺はそれを聞きながら合図を送って、兵士たちを立たせた。
兵士たちは立ち上がり、俺とオードリーを中心に周りを警戒しだした。
皇帝と皇后、万が一でもあってはいけないという超厳重体制だ。
そんな風に護衛されながら、微笑みながらオードリーに聞く。
「お前が来ると聞いて驚いたぞ」
「申し訳ありません。二つほど成さねばと思った事が出来ましたので」
「ほう?」
「いずれ皇太后陛下の巡幸がおありとうかがいました」
「ああ」
「その露払いは必要かと。同じ女であるわたくしにしかできないこともあるかと」
「……ふむ」
俺は頷くが、なるほど、とは思わなかった。
オードリーは賢い女だ。
皇太后の巡幸、というのは確かに大事であり、その下準備や下見は重要ではある。
しかし、それは皇后御自らがやるべき事ではない。
もちろん理屈は「作れる」。
皇太后と皇后とはいわば義理の母娘だ。
息子の嫁が義理の母のために何かをする、という話にすればおかしい事は特にない。むしろやろうと思えば美談に仕立てあげる事さえ出来るだろう。
が、それでもやはりだ。
やはり皇后が自らやることでは無いのだ。
オードリーは賢い女、わきまえてもいる女だ。
そんなオードリーが「皇太后の巡幸の露払い」で出っ張ってくるのは不自然だと俺は思った。
「続きは馬車の中で話そうか」
「はい」
オードリーは穏やかに微笑んで、俺のあとに馬車にのった。
二人で馬車の中にのって、ドアが閉まる。
馬のいななきとともに馬車が動き出す。
馬の蹄の音、兵士の金属がぶつかりあう足音、車輪の音。
様々な音に守られる中、オードリーがにこやかに口をひらく。
「すごいですわ陛下」
「やはり二つ目が本命か」
「はい」
オードリーは嫋やかにほほえんだ。
「皇室の……恥、になるかもしれない話を掴みました。またたぶん私しか知らないと思います」
「恥?」
「ええ、私では判断しきれず、かといって使いの者をやるにもいささか不安でしたので」
「うむ」
微笑んでいるオードリーだが、皇后たる彼女が直接こんなところまで出っ張ってくることを考えたら、かなりの深刻な話だ。
俺は身構えつつ、視線でオードリーに話の先を促した。
「この土地に皇室ゆかりの者がございます」
「俺が把握していないものか?」
「アルバート様の娘でございます」
「……なに?」
ガタッ、と音を立ててしまった。
ここ数年で一番動揺したのではないか、と自分でも分かるくらいに動揺した。。