204.罪一等
執務室の中、俺はワーズ・クワースの報告を受けていた。
「本日正午、死刑囚一名の死刑を執行いたしました」
「うむ、現場の様子は」
「はっ、これまで同様盛り上がっておりましたが、一部では今際の言葉に反応して執行猶予に疑問を持っておりました」
「ああ」
俺は頷いた。
「今までだと1万以上3万未満が死刑の執行猶予だったな」
「はっ」
「今回は犯行期間が震災あとの復興期間中だったから罪一等増しで即実行、適法だ。まあそんな事説明する必要もない。そもそも執行猶予というのは法的には『いつ執行してもいい』という意味でしかない」
「はっ……」
「ん?」
ふと、ワーズの反応が気になった。
報告を始めたさっきから、ずっと似たような反応しか返ってこなくて、何かあったのかと思ってワーズの顔を見た。
すると、ワーズの顔色が青ざめているのがわかった。
「どうした」
「も、申し訳ございません……私の不明で……」
「ああ、お前がリストアップした新しい役人だったな」
ワーズの言葉で全てを理解し、青ざめている理由がわかった。
今日死刑を執行させたのは、俺が総督になってから大量執行した汚職役人の穴埋めに、新たに登用した役人の一人だ。
ワーズがリストアップして、俺がそのまま承認したもの。
それが就任から一ヶ月足らずで早くも1万リィーンほどの横領を暴かれ、そのまま収監、断罪、そして死刑を執行した人間だ。
推薦から一ヶ月程度でこんなことに――と、ワーズは自分の責任と俺の追求に怯えている様子だ。
俺は平然といった。
「これが汚職した者の処分の難しさだ」
「え? ど、どういうことでしょうか」
顔が青ざめていて、うつむいて俺の視線から逃れよう賭していたワーズだったが、驚きのあまりパッと顔を上げて俺を見つめてきた。
「例えば3万リィーンくらいを贈収賄や横領で蓄財した者がいたとする、期間は3年間だと設定しよう。さて、こいつは年間1万リィーンずつふやしてたのかどうか」
「えっと……」
ワーズははっきりと困惑顔をした。
様々な理由から答えられないだろうから、答えるのを待たずに話を進めた。
「答えは否。むろん人によって傾向もあるが、大体のものはある程度資産が増えたら贈収賄や横領のペースが落ちていくものだ」
「満足したから……でしょうか」
「それもあるが、いつでも取れるから今じゃなくてもいい、とおもうものもいる。俺はこれを『満腹』だと表現している」
「満腹……」
「満腹したあとは気が向けば多少摘まむ程度でとどまる」
「はあ……」
「さて、満腹した連中を排除して空腹の連中を入れたらどうなる?」
「――っ! ガツガツと食べ出す」
ハッとするワーズ、俺は頷いた。
「そうすると一気に金をさらいだす、当然、大金を短期間で受け取ろうとすると様々なところで負担がかかる。民にいくこともある」
俺は真横をむいた。
窓の外を遠い目で見た。
「汚職した官吏がゆるせんのは当然、しかし満腹になったやつをとり除けば空腹の人間が入ってくるのも当然」
「それは……」
「だから今回のは罪一等を増した」
「あっ……」
ワーズはハッとした。
ようやくここで、民衆の疑問に対する回答が出てきた事に気づいた。
更にハッとしたワーズ。
「そ、そういえば! 最初の処刑の時にそのようなことをおっしゃっておられました」
「ああ」
言ったかな、と俺は思ったが、まあその頃と考え方は変わってないから、記憶があやふやだが言っているんだろうと思った。
「すごい……あの時からそこまでもう予想がついて……」
ワーズはますます感動した。
「だから気にするな」
「はい!」
さて、と俺は思った。
反面教師は見せつけた、次は模範も見せねばな、と思いその方法を考えていった。
☆
数日後、夜。
夜が更けて、もう少しで東の空が白み始める頃。
執務室で書類仕事をしていた俺のところに、コンコン、とドアがノックされた。
「入れ」
顔を上げないまま声だけで応じると、一人の若いメイドが入ってきた。
「夜分遅くすみません」
「どうした」
「ご家人と名乗る方がお見えです、夜も遅いですので――」
「通せ」
「は、はい」
メイドの言葉を遮って、いった。
メイドは慌てて出て行った。
俺は書きかけの書類を仕上げにかかる。
復興の最中で、いくらでもやることがある。この命令書も朝方には出しておきたいものだから、ちゃんと命令が間違った解釈をされないように文言に気をつけながら書いていった。
それを書き上げたタイミングで、またドアがノックされ、メイドに案内された一組の男女が入ってきた。
二人は並んで入ってきた。
人間はその関係性でそれぞれ違った空気感を普段から醸し出すもので、やってきた二人は第三者が見ても一瞬で分かるような夫婦感を出している。
そんな二人は一斉に、「家礼」で俺に跪いた。
「ジョン」
「メアリー」
「ただいま到着いたしました」
「うむ」
俺はペンを置いて、顔を上げた。
先日やってきたゾーイと同じように、遠方から駆けつけたであろうジョンとメアリーは顔に疲労の色がありありと見て取れる。
ここ最近呼びつけた人間にはこんな風に無理をさせているな、と少しばかりの申し訳なさを感じた。
俺は長年俺に仕えてくれてきた二人をみた。
その昔、俺の長兄ギルバートは部下に闇奴隷商をやらせていた。
闇奴隷商という位だから、商っている奴隷にはかなりのひどい待遇をしていた。
そのひどさに耐えきれずに、奴隷だった子供達が逃げ出した。
そんな子供達と偶然市中で遭遇した俺は、その場で闇奴隷商を断罪して、子供達を救い出して、引き取った。
その子供達のうちの二人が、目の前のジョン、そしてメアリーだ。
二人はその後俺の屋敷で使用人として少し働いた後、ジョンが官吏として取り立てる際にメアリーがジョンと結婚し、一緒に屋敷を出た。
そんな二人だから、臣下としての作法ではなく、家人――つまり家の使用人としての作法で跪いた。
「よく来たな。メアリーはゆっくり後からきても良かったのだぞ」
二人をねぎらいつつ、そんな事をいった。
臣下で公人、すぐに来るようにと正式に通達したジョンはともかく、その家族でしかないメアリーはあとからゆっくり来ても何も問題ない。
であるのにもかかわらず、メアリーはジョンとともに、疲労の色がありありと見て取れるくらいの強行軍でやってきた。
「俺もそう言ったんですけど」
跪いたまま顔を上げるジョン、微苦笑してとなりにいる妻をみる。どうやらメアリーの意志であるらしかった。
一方で顔を上げたメアリーは、ちょっと怨じたような、しかし嬉しさを隠しきれないような笑顔でジョンの言葉を引き継いだ。
「そんなとんでもない、ご主人様にお会いできると思ったらいてもたてもいられません。少しでも早くお会いしたいです」
「とまあ、道中からこんな感じなんです」
「そうか」
俺はくすっと笑い、立ち上がって二人に近づく。
そして未だ跪いたままの二人を手ずから起こしてやる。
忠誠心が強い二人は、放っておけばこのままずっと跪いたままでいかねないし、俺もまあ古くから仕えてきた二人にそれくらいはしてやろうと思った。
「ララクにはついたばかりか?」
「はい。念の為屋敷の前を通って朝になってからって思ったんですけど」
ジョンはそういい、またメアリーをちらっとみた。
メアリーは笑顔で続けた。
「明かりでご主人様がまだ働いてらっしゃるみたいでしたから」
「ほう、そんなのが分かるのか」
「はい、使用人たちがそのための動きでした」
「はは、なるほど間接的にか。昔の自分を思い出したか」
俺はわらい、メアリーの肩をポンポンと叩いてやった。
メアリーは嬉しそうにした。
「夫婦仲はどうだ?」
「えっと……その……」
ジョンは言いにくそうに、またまたまた、ちらちらメアリーの顔色をうかがうようにした。
この夫婦の力関係が何となく伺えるような、一連のジョンの反応だった。
「どうした、何かあったのか?」
「それがご主人様、聞いて下さい。この人ったら外でいい人を作ってるんですよ」
「ほう?」
面白そうな話だとおもった。
ちょっとにやついているかもしれないと感じながら、ジョンの方を見た。
ジョンはもう顔が真っ赤っかで、うつむいて、上目遣いでちらちらと俺をみてくる。
メアリーはちくりと続けた。
「まだ駆け出しの歌妓みたいなんですけどね、それで面倒を見てるうちにそういうことになったんですけど、あたしに隠れてやってるんですよ」
「ほう、中々やるじゃないかジョン」
「いえその……えっと……」
ジョンはますます申し訳なさそうに、肩を小さくした。
さてこの話、犬も食わないようなこの話をどう収めるか――と考えていたが、メアリーの次の言葉が少しだけ予想外だった。
「あたしに隠れてやるのはダメですよ、隠れてこそこそやるなんて何かあったときに責任取れないでしょ。ご主人様の家人、しかもそこそこの地位にまで登りつめた男が歌妓の一人も責任取れないんじゃご主人様が小さく見られてしまいます」
「ふむ、それも一理ある」
俺は頷いたが、少し驚いた。
俺からすれば、メアリーのそれは奇抜な発想ではなかった。
ここ数十年、特に先帝である父上の統治で国内が安定してからは、ある程度の地位にいる男が、外で愛人を作るよりはしっかり側室に迎えることがよしとされるようになった。
外で愛人を作るのは無責任、ちゃんと側室なりに迎えて責任をとることが、ある程度の地位にいる男の甲斐性だとされた。
皇帝の妃のシステムがそれの発展形である。
嫡妃、側妃、庶妃と、側室に迎えて、子供ができたら地位をあげて、と。
しっかりと責任を重くしてそれをとることがよしとされた。それがここ数十年の貴族と、その貴族を真似ようとする大臣や商人などの流行りである。
その一方で、貴族の家人にもそれを求められることがある。
家人のあらゆる振る舞いがそのまま主――貴族の評判と直結する、愛人がらみの事も例外ではない。
役人にした家人が責任をとらずに愛人だけを作れば、主は「そんな事も教えてないのか」と陰口を言われてもしょうがないのだ。
そういう意味ではメアリーの言い分は全く正しく、貴族とそれに仕えるものの間では至極当たり前の発想である。
「だからご主人様からも言ってやって下さい。外でこそこそなんてやらないで、ちゃんと公明正大に側室なり妾なり迎えるようにしてって」
「あはは、お前にはかなわないな」
メアリーにそう言われて、俺は心のそこから楽しく思い、天井を仰ぐほど大笑いした。
俺には多くの家人がいる。
十三親王時代から仕えて、そのあと取り立てて外に官吏として出してやった家人は他の親王に比べてかなり多いのだ。
また外に出してなくても、未だに宦官や女官のままで俺に仕えている者も数多くいる。
そんな大勢の中で、こうして豪胆に俺に「おねだり」ができる元使用人はメアリーただ一人だ。
それが楽しくて、彼女の話に乗っかってやることにした。
「というわけだジョン」
「は、はい」
「お前の妻はご主人様だけじゃなくて、ご主人様の正室からも学んでいるらしい」
「あっ……」
ジョンはハッとした。
そう、メアリーの言い分はオードリーの言い分とほぼ一緒なのだ。
貴人の正妻はどんと構えていて、寛大に側室らを迎え入れるもの。
そういう意味では――
「このままだと、オードリーはちゃんとしつけは出来たが俺は出来なかった、という事になりかねんぞ?」
俺はニヤニヤ笑いながらそんな事をいってジョンをからかった。
もちろんただのからかいだが、理屈でいえばまさにそういう事だ。
よく考えたら俺がこういう冗談を言うのはもしかしたら珍しいのかもしれない。
しかしかつては闇奴隷商から救い出した奴隷の少女が、こうしてしっかり成長したメアリーの距離感は好ましかったから、そういう気分になった。
気まぐれだが、悪くない気分だ。
一方で、同じように救い出したかつての奴隷の少年が慌てて頭を下げた。
「す、すみません! ご主人様を見習ってちゃんとします!」
「と、いうわけだ」
「ありがとうございます」
水を向けると、メアリーは満足げな表情で頭をさげた。
「さて――メアリーははずせ」
「かしこまりました」
和気藹々の話が一段落して、ここからは公事だ――と言外にいうと、メアリーは穏やかな微笑みを浮かべながら最後に一礼をのこして、部屋から出て行った。