202.商人
「混ぜ物ですって!」
「じゃあここで売ってるの塩じゃないの?」
「安いと思ってたのにそんなズルしてたのかよ!」
盛大に騒ぎ始める野次馬たち。
野次馬の中には普段からここで塩を買っているものも少なくないようだ。
当然である、分量はともかく、塩を一切口にしないというのは事実上不可能だ。
どんなにいい肉でも新鮮な野菜でも、塩がないと言うだけでまずくて食えたもんじゃなくなってしまう。
今回の地震で、塩(と米)で暴利を貪るのは許さないと総督の名で通達を出したが、通常の値上げは仕方ないとしている。
何しろ地震で道路にも被害が出て、運搬するためのコストが上がっている。
暴利ではない範疇でならそれは正当な商いの範疇だから何も言わないようにしている。
そんな中、この店は以前と同レベルの価格で塩をうっていた。
周りがやや値上がりしている中、値段を抑えられていたら当然客がつく。
同時に、塩に混ぜ物なんかしたら客が気づくのも当然だ。
この当たりは実に難しい話だ。
塩は大きく分けて、海塩、湖塩、岩塩の三種類がある。
どれにした所で、まざりっけ無しの「純塩」というのは中々出来ない。
厳密に言えば「純塩」は金がかかるから、金持ちのところに売るのが一般的だ。
市中に出回り庶民が口にするのはその雑分が混ざったままの塩だ。
だからある程度の混ざり物は仕方ない、というより普通なのだというのが庶民の認識である。
しかし、それでもみんな何となく分かっている。
塩についてくるような自然な混ざり物と、故意的、人為的に混ぜものをしたものは違うもんだって、みんな分かっているものだ。
今、ゾーイが衆目に晒したのは。
塩を溶かし、残したものは明らかに不自然な混ざり物だと分かるものだった。
「騙しやがって!」
「この悪徳商人が!」
騒ぎが爆発的に拡大していく。
一人が店の者に向けて石を投げつけた。
一人がやり出すと、周りもそれにつづく。
店にむかって、石やら何やらら次々と投げ込まれていく。
ゾーイが命じるまでもなく、連れてきた兵士は野次馬たちをとめに入った。
これをちゃんと予期していたゾーイはあらかじめ多くの兵を連れて来ていた。
野次馬を止めつつ、混ぜ物を暴かれてすっかり青ざめた店の者達に手錠と鎖をかけ、そのまま連行した。
最後にゾーイはこっちに目線を送り、俺は無言で頷きかえした。
ゾーイは兵を引きつれて、逮捕した者達を連れて立ち去った。
これで一段落、さて俺も戻るか――と思っていると。
「失礼」
一人の男が話しかけてきた。
身なりのいい、穏やかな物腰の中年男だ。
蓄えた立派なひげはしっかり油をつかって手入れしてあって、よほど商売で儲かっているのだろうな、となんとなく思った。
「総督閣下とお見受けいたします」
「……お前は?」
「ジャミー・ジャクミと申します。この土地で代々商いをしている家系でございます」
「そうか」
俺は向かいにある席に目線を送った、ジャミーと名乗った男は小さく一礼してからそこに座った。
「で、あの店はお前のものか?」
ジャミーが腰を落ち着けたタイミングで聞くと、彼は一瞬だけビクッとした。
先制パンチがかなり効いた様だ。
しかしそれは一瞬だけだった。
ジャミーは一瞬で表情を立て直し、平然とした表情をつくって、俺に聞き返した。
「なぜ、そうだと?」
「顔を見せるタイミングが良すぎる。俺がこの街に来てもう大分たつ。代々この土地で商人をやってるんならそこそこの勢力だろう、俺に近づくのならもっと早くきているか、それとも何かのタイミングでだ」
「……さすがでございます」
しばらくの間目線を交換したが、ジャミーはあっさりと白旗を揚げた――ようにみえた。
「ですが、名誉のために弁明を許してくだされば」
「なんだ?」
「あの店は私どもの物ではありません、むしろ逆で、対立している一味のものでございます」
「なるほど、真逆だということか」
「はい」
ジャミーはそういい、俺は頷いた。
推測は外れたが、全くの見当外れでもなかった。
俺はこのタイミングで来るのは「仲間」だと推測したが、実際は「敵」の方だった。
本来のものと「真逆」になる推測は、時としては間違いではないと俺は思っている。
綺麗過ぎる真逆なら、ということだ。
ジャミーが「敵」だと言ったのを踏まえて、改めて話を聞くことにした。
「このタイミングで俺の所に来たのは?」
「立場の表明、と申しますか」
「ふむ?」
「私、ジャクミ家は総督閣下の方針にそぐわぬ事をするつもりはありません。まずはそれを申し上げたく」
「俺に就任祝いを唯一送ってこなかったのもそれが理由か」
「はい」
ジャミーは一瞬だけ息を飲んだが、さっきのとは違って怯えたり驚いたりするものではなかった。
俺がこの土地に総督として就任してから、様々な人間から様々な贈り物が届けられてきた。
ほとんどの場合、名目は「就任祝い」というので送られてきたのだ。
親王時代ならともかく、総督の立場でそれを受け取ってしまうと贈収賄になりかねんから、今のところ送られた来たものを全部そのまま送り返している。
そんな中、この土地の、特にララクに本拠を置く商会の中で、唯一就任祝いを贈ってこなかったジャクミ商会の事は、ワーズから報告を受けて頭の片隅においてあったのだ。
「とりあえずそれをせずに様子見していたことは褒めてやる」
「恐れ入ります」
「店の命名で探りを入れてきた事もだ」
「――っ!!」
最初に「褒めてやる」と言った時は、ジャミーの表情に微かな喜びの色があったのだが、その次の言葉を聞いた瞬間まなじりが裂けそうなくらい目を見開いてきた。
驚き過ぎて、言葉も出ないと言った様子で俺をまっすぐ見つめてくる。
「お、お気づきで……」
「この前処刑した副総督にやった手口との理屈が一緒だ」
「剣……でしたか」
ジャミーは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
処刑した総督というのは、累計で30万リィーンの賄賂を受け取り、それで縛り首になった男の事だ。
その男は元々、高潔で有名だった。
それ故この土地に来た直後も賄賂とか一切受け取らずに、今の俺のように突っ返していた。
ある日、騎士の出身である彼に、剣術の一手指南の依頼がされた。
騎士として後進を育てるということもあって、男は快くひきうけた。
その指導の後日、依頼主から相場の五倍ほどの報酬が送られてきた。
男は慌てて、これは一体どういう事かと依頼主に問い詰めてみると、
「副総督直々のご指導、その証となった剣を道場に飾っている」
と答えられた。
「証拠」であるその剣の価値を上乗せ、ということだ。
男は戸惑ったが、それはまったくない話ではない。
文人であれば例えば建物が落成した時の記念碑に一筆書くことで報酬を受け取ることがある。
この場合、文字換算すると一文字当たり1000リィーンというぼろもうけに見えるが、しかしそれは立場ある人間、名声ある人間から直々に文字を頂くという価値に対するもので、「箔」がつくことも考慮すれば決して暴利ではない。
仮に「帝国皇帝」がそれをやれば一文字あたり10万リィーンでも出そうと思うものがいる。
それと同じような事だ。
騎士でもあり、副総督でもあるものの直稽古、そしてその証となった剣。
相場の五倍ほどの報酬は決して高いものではない。
――のだが。
「すごいです、その事をご存じでしたとは」
「ありふれたやりかただ。何度も似たようなものを見てきた」
「ええ、まあ」
「しかしうまくやったもんだ、と結末含めて全て見たときは感心した。最終的に稽古一回、剣一本で相場の二千倍を払っていたらしいな」
「……前任様とのコネクションにはそれだけの価値がございました」
ジャミーは真顔で、しれっとそう言った。
それはある意味では正しい。
賄賂で「たらふく喰わせた」相手ならとことん自分達にとって都合が良い存在になっているだろうし、その維持のコストだと考えれば「それだけの価値」はある意味正しい。
「ああ、気後れすることはない」
俺はふっと笑った。
「贈収賄は法的には公人にしか適用させない。お前達商人の罪を問える法は今のところ存在しない」
そう、はっきりと言ってやった。
元十三親王、現皇帝ノア・アララートは法に厳正であることが、知る者にはもはや常識レベルの話となっているだろう。
情報が生命線である商人であれば間違いなく知っていてもおかしくない、いや知っていなければ糾弾されてもおかしくないレベルの、当たり前の情報だ。
目の前のジャミー・ジャクミという男、俺への「就任祝い」を我慢出来、かつ前任者にあんな変則的な賄賂の方法を思いつける有能な男だ、それで俺の事を知らないはずがないだろう。
何があっても自分は賄賂の件で罰せられない、そういう確信があるからこそ俺の前に顔を出せたんだろうと俺は思った。
そんな心配はしていないだろうが、形式的に心配するなと言ってやった。
「ですがこれから立法しその罪を問うことは」
逆にジャミーが一歩踏み込んできた。
なかなか豪胆だな、と少しだけ感心した。
「帝国法は不遡及が大原則だ」
俺は真顔でいいはなった。
元法務王大臣としての矜持が微かに顔を出してきた。
「どんな法でどんな罪にせよ、立法前の事柄にさかのぼっての適用はされない。これは絶対で、今上の御代である限りそこに例外はない」
「……っ」
ジャミーは目を見開き、大きく息を吸い込んだ。
そのまますっくと立ち上がり、腰を折って深々と一礼した。
「一連のこと、大変失礼を致しました。心からお詫びもうしあげます」
それはジャミーが心から感服し、そこからでた一礼だった。
まったく街中の飯屋にはそぐわない振る舞いであったから、離れた所で何となくこっちに視線を向けていた店主が不思議そうに首をかしげた。
「かまわん、すわれ」
「はい」
「お前の意思表示はわかった。その分別があるのなら俺がお前の敵になることはない」
「有難き幸せ」
ジャミーはもう一度、今度はすわったまま頭を下げた。
商人が役人などに贈賄を行うのは、突き詰めれば「商売をスムーズにする」、この一点につきる。
そういう意味では、俺の「お前の敵にはならん」という言葉は、ジャミーのような人間にとっては数万――いや数十万リィーンの価値に匹敵する。
そしてそれは俺も同じだ。
災害後、再建をする段となって大きな不安要素は物価の乱高下だ。
それが自然な、需要と供給、あるいはシンプルにコストのみでの変動ならまだあきらめもつく。
これが商人の、ここぞとばかりに暴利を貪るというやり方なら、やった商人に恨みがいくのはもちろん、それを野放しにした為政者――つまりこっちにも来るのは目に見えている。
――分別があるのなら
今までの話で、ジャミーは俺がいる限りそれは行わないと宣言した。
それは俺が「帝国皇帝」である事と無関係ではない。
いかに「総督でござい」と宣言していようとも、完全に皇帝であることと切り離すことは出来ないし、そもそもが「いずれは戻る」ものだ。
であれば商人側も純粋に賄賂だけで何とかなるとは思わず、他の何かで俺に取り入る事を考えなきゃならん。
賄賂を送って商売を意のままにするやり方が仮にハイリスクハイリターンとすれば、皇帝の俺の意向にそって暴利を貪らないやり方はさしずめノーリスクローリターンと言えよう。
ジャミーはいくつかの出来事から、俺がそう望んでいて、その方向性でならば俺を攻略できると確信したんだろう。
とはいいつつも――。
「何かお手伝いできることはありますでしょうか」
そう、聞いてくるジャミー。
やはり何もしない、というのは不安であるようだ。
俺はふっと笑った。
「何を扱っている」
「利益――」
ジャミーは笑った。
「――になるものであれば」
「なんでも、か」
「すごいです」
俺はジャミーの言葉を正しく理解した、ジャミーも俺が理解したのを理解した。
利益というのは、何も仕入れ値と売値の差額というだけではない。
総督であり皇帝でもある俺の要望に応え、喜ばせる事も当然ジャミーにとっての利益になる。
つまりは俺が望むものなら全て、という意味だ。
とは言え今はそんなに何が何でも欲しい、ってものはない。
俺はすこしかんがえて、総督として抱えている案件の中から「丁度いい」ものを頭の中から抜き出してきた。