201.混ざり物の塩
不日、ゾーイと一緒に街に出た。
この日は復興中の街を、実際に視察するのが目的だ。
机上でいくら最善だと思える指示をだしたところで、実際の現場でどう実行されているのか、それで民にどう影響しているのかを自分の目で確認することは大事だ。
父上は若い頃に精力的にお忍びであっちこっちを回ったらしく、俺もそれに倣って積極的に視察するようにしている。
州都ララクは活気を取り戻していた。
街並みはすっかり再建していき、全体的な雰囲気も俺がここに来た直後に比べてかなり賑わっている。
そんな中――。
「おいおいマジかよ、ふざけんなよ」
とある店の軒先で、客と店の人間がもめていた。
「ご主人様」
「ああ」
俺とゾーイはすこし近づき、遠巻きに成り行きを見守る事にした。
そこはどうやら酒屋のようだ。
酒場ではなく、様々な酒を売っている酒屋だ。
その酒屋で、若い人夫らしき男が店のものに苦情を叩きつけている。
「また値上がりしてんじゃん、これで何度目だよおい」
「すいませんねえ、なにぶんこういう時期ですから」
「ちっ、これ以上あがったらもう買わねえからな」
「申し訳ありませんねえ」
男は悪態をつきつつも酒を買っていった。
それは男だけじゃなく、その酒屋に来た客のほとんどが「また値上がり?」「高すぎるよ」というような事をいっていた。
「いくぞ」
「は、はい」
それらの事を見届けたあと、俺はゾーイを引き連れてその場を立ち去った。
ゾーイは命令通り俺についてきたが、最後まで背中の方にある酒屋の事を気にしてちらちらと振り向いていた。
ある程度離れたところで、ゾーイが俺に聞いてきた。
「ご主人様、差し出がましいとは思うのですが」
「うむ?」
「先ほどの酒屋、商っている品を一通り見て見たのですが、軒並み地震前の倍以上の価格になっていました」
「そのようだな」
俺は頷く。
主な商品の相場は俺の頭の中にもはいっている。
照らし合わせてみると、確かにゾーイが言う通り倍近くに値上がっているのが分かる。
「よろしいのですか? このような時につり上げる商人を放っておいては。さすがにあれでは暴利だと思うのですが」
「あれは好きにさせる」
「好きにさせる、のですか?」
ゾーイは首をかしげた。
口には出していないが、ご主人様らしくない、といいたげなのが顔にはっきりと出ている。
「言いたいことはわかる」
俺は足を止めずに、活気に満ちた街中をゾーイを連れて歩きながらいった。
「こんな時に暴利を貪る商人を野放しにしていいのか? ということなのだろう?」
「は、はい。おっしゃる通りです。その、ご主人様はこの土地にやってきてすぐ米騒動の一件を解決したと聞いてます」
「よく知っているな」
俺はフッと笑った。
今のゾーイであればその事をしっかり頭に入れていても何も不思議はない。
「あれはいい、好きにさせる」
俺はもう一度、同じ言葉を口にした。
ゾーイはまだ納得がいかないって顔をしたから、歩きながら説明してやることにした。
「あれは酒だ、米とは違う」
「はあ……」
「一部の者は酒がなきゃだめだとのたまうだろうが、所詮は酒、嗜好品だ。高くて買えないのなら飲まなければ良い」
「嗜好品……確かに」
ゾーイは小さく頷いた。
「俺の感覚がズレてなければだが……こんな時だ、酒が高くて買えないとのたまう亭主は家で妻にどやされるだろうな」
「……確かに」
ゾーイはそういい、直後に小さく吹きだした。
俺がいう「妻にドヤされる酒飲み亭主」を想像してツボに入ったのだろう。
せっかくだからと、俺はその話を続けることにした。
「このあたりの主食である米、それに塩。この二つは特に商人どもに余計な事をするなと通達している。そのかわりそれ以外のもので儲けようとするのは見て見ぬ振りをする。先は長い、全てを禁じて商人から不必要に恨まれたくない」
「そこまで考えて……すごいですご主人様」
「そのかわり米と塩に関しては容赦はしない――ゾーイ」
「えっ!? は、はい!」
俺は立ち止まり、ゾーイの名を呼んだ。
ゾーイはビクッとして、すぐに真顔になった。
俺の声のトーンが急に落ちたことで、何かがあると一瞬で察した。
俺は少し先にある店に視線をむけた、ゾーイもその店をみた。
塩を売っている塩屋だった。
店先に何種類もの塩が山盛りで盛られていて、買いに来た客に量り売りをしているよくあるタイプの店舗だ。
その店を見つめながら、ゾーイに言う。
「あの店を調べろ」
「あの店……ですか? しかしご主人様、価格はほとんど地震前の相場と同じのようですが」
「……うむ、適当な量を買ってこい」
口で説明するよりも、と思ってまずはゾーイにそう命じた。
「かしこまりました」
ゾーイは訝しみつつも、俺の命令に従い、店にいって塩をかってきた。
彼女は今メイドの格好をしている。それは実に「堂に入ったメイド」だった。
店の者は何も不思議に思うこともなく、ゾーイに塩を売った。
その間、俺は反対側の店にはいった。
こっちは飯屋である。
「店主、水を売ってくれ、丼でくれ」
「水? はあ、わかりました」
飯屋にきて水を? って顔をしたが、俺が先に金を出したから、こちらも同じように不思議に思いながらも金を受け取って、店の奥から水を八割方注いだ丼をもって戻ってくる。
俺はそれをうけとって、ひとまずテーブルの上に置く。
「お待たせいたしました」
ゾーイは小さな布袋にはいった塩をもって俺のもとに戻ってきた。
彼女は丼と水に気づいて、不思議がるも俺に布袋を差しだした。
俺は布袋を受け取って、袋の口を開く。
人差し指を塩に押しつけて、塩を微量すくい上げて、ペロリと舐めてみた。
「……ふむ」
「なにか不審な点がおありですか?」
「お前も確認してみろ」
「かしこまりました、失礼します」
ゾーイは俺と同じように、塩を指につけてペロリ。
次の瞬間、ゾーイはものすごく複雑な表情を浮かべた。
「これは……不思議な味、ですね。塩なのですけれど、なんというか……なんでしょう」
ゾーイは不思議がった。
自分が買ってきて、俺が今持っている塩を前になんとも不可解だ、って顔をしている。
何かがおかしいが、うまく当てはまる言葉が見つからない、と言う顔だ。
ひとまず「おかしい」と、俺が目をつけた事への疑問がなくなった所なので、種明かしの説明をしてやることにした。
「まず色合いだ。品書きだと天日塩となっているがそれにしては少しおかしい」
「言われてみれば……」
「おそらくは――」
俺はそういい、袋に入った塩を丼の中に投入した。
袋一杯の塩が水の中に溶けながら沈み込む。
それでも溶けきらなかった分を、人差し指を突っ込んでかき混ぜていく。
「何をなさっているのですか?」
「みろ」
人差し指でかき混ぜると、塩はどんどん溶けていった――が。
一通りやった後で丼そのものをゾーイに差し出す。
ゾーイは受け取って、顔を近づけて視線を落とす。
「塩が残って……違う! これは――」
カッと目を見開くゾーイ。
人差し指でかき混ぜたあとに、溶けきらない物が残っていた。
それは一目で塩ではないであろうと分かるものだった。
ゾーイは手を入れて、それを摘まんで水の中から取り出し、まじまじと見つめる。
「砂かなんかだろうが、まあ混ぜ物だ」
「混ぜ物!?」
ゾーイはパッと振り向いた。
塩屋は相変わらず普通に商いをしている。
店先にある品書き、塩の価格、その数字ははっきりと震災前と大差ないものだった。
「ああっ! そうか、価格は据え置きでも混ぜ物をすれば――」
「利益を貪ることができる訳だ」
「こんなことが……すごいですご主人様、こんなのに気づいていたなんて」
「ゾーイ」
「はい!」
「任せる、衆目に晒しつつ逮捕しろ」
「かしこまりました。兵と、水と――ガラスの容器を用意させます」
「うむ」
頷く俺、そのまま飯屋の席にすわった。
命令を受けたゾーイが走って行き、俺はこの場で成り行きと結末を見守る事にした。
手をあげて、店の者を呼ぶ。
「店主、適当な料理を作ってくれ、温かいものであればなんでもいい」
「へい!」
今度はちゃんとした注文だったので、店主は商売用の笑顔で注文をうけて、店の奥に戻っていく。
料理を待つ間も、俺は向かいの店を見つめた。
特に何か起きるでもなく商いが続けられている。
そうしているうちに料理が運ばれてきて、俺の前に置かれた。
見ると、それは肉がたっぷり使われた、塩気がそこそこ強いスープ麺だ。
出来たてのそれは湯気とともに芳しい香りが立ちこめている。
俺はそれをすすりながらまった。
半分ほど腹に収めたところで、ゾーイが兵を引き連れて戻ってきた。
フル武装した、エンリル州の正規兵の格好をした部隊だ。
兵の部隊だけでも目立つのに、それを率いているのがメイドということでさらに群衆の目をひいた。
何事かとざわつく中、ゾーイの命令一下。
「この店は封鎖。店のものは捕縛、品物その他は全て押収しなさい」
「「「はっ!!」」」
兵たちがゾーイ――事実上の総督副官である彼女の命令に従い、店を包囲、封鎖した。
客がまず追い出され、遠ざけられた、取り巻く野次馬となった。
店のものは何事かと必死に弁明やらしていたが、何を言ったところで指揮を執っているのはゾーイで、その元になったのは俺の直命だから聞く耳を貸すはずもなく、店は一瞬で封鎖された。
「お、お役人様、私達は本当に善良な商人で――」
「持ってきなさい」
ゾーイはやはり弁明には取り合わずに、一方的に部下に命じた。
その頃には大分野次馬が集まっていて、そんな野次馬によく見えるようにゾーイが部下に大きな透明の器を持ってこさせた。
台車にのせされてやってきたのは大きな洗面器のようなもので、ガラス製で透明になっていて、綺麗な水が入っているのが分かる。
それが現れると、何々どういうこと? と野次馬たちがざわついた。
当然、無実を必死に訴える店のものも何事かと戸惑っていた。
「閣下」
「……」
部下に無言で頷き、ゾーイは店先にむかった。十三親王邸筆頭執事で事実上の副総督も、兵からは「閣下」と呼ばれていた。
そんなゾーイは塩の山の横に置かれている計測用のますを手に取って、並々に塩をもった。
そしてその塩を水の中に一気に沈めて、
「やりなさい」
と部下に命じる。
部下は長いひっかきぼうのようなものを持ってきて、水の中に沈めた大量の塩をかき混ぜる。
塩はみるみる溶けていくが、かなりの量の何かがのこった。
残ったものはかき混ぜても溶ける気配は全くない。
ゾーイは水の中に入れて、溶けずに残ったそれをてですくい上げた。
それを店の男の目の前に突き出す。
「塩なら溶ける、溶けないこれは何?」
「そ、それは……」
ゾーイに詰問された男、目が泳ぎまくって、答えられずにいた。
「答えられないのか?」
ゾーイが更に詰める。
それに対し男はゾーイの手に何かを握らせようとした。
ゾーイはそれを振りはらった。
よくある賄賂だな、と俺はおもった。
ある程度の賄賂は受け取っていい、とゾーイがこのララクに到着した時に許可をやっているが、今は賄賂を受け取って何かをする場面ではない。
それでゾーイははっきりと拒絶した。
賄賂も受け取らずにいると、店の者は更に困惑した。
そうこうしているうちに、野次馬の一人が。
「混ぜ物だ! やっぱりこいつら、塩に混ぜ物して売ってやがったんだ!」
と大声を出した。
一瞬の沈黙、群衆が言葉を理解するまでの時間差。
言葉との時間差で、群衆に火がついた。