199.バレなきゃいい
ゾーイは俺を見つめてきた。表情がやや険しく見える。
「いかがなさいますか」
「ゾーイ、お前は『バレなきゃ罪ではない』という類の言い分をどう思う?」
「え? えっと……詭弁ですし、非道徳的、だと、思い……ます」
新たに罪を犯したものの処遇――の話なのに、全く違う事を言い出した俺にゾーイは驚く。
俺の真意を測りきれないという感じで、ゾーイはおずおずとまずは目の前の質問に答えた。
俺は小さく頷いた。
「うむ、それは正しい。俺は条件付きで同意だ」
「条件付きでございますか? それはどのような?」
「後ろに『バレたら観念しろ』とセットでつけた場合だ」
「なるほど……」
ゾーイは何かを理解したような表情になった。
さっきまでの困惑した表情がもう跡形もなく消えている。
俺はふっと笑いつつ、事務的な口調で言う。
「裁きを言い渡す。100リィーン以上懐に入れたものはむち打ち20回。額の大きいものは500リィーンごとに10回追加だ」
「20回……10回……ご主人様」
「うん?」
「それでは高い確率で絶命してしまいますが」
ゾーイは「それでいいんですか?」という顔で聞いてきた。
俺は初めてむち打ち刑を指示した時の事を思い出した。
あれは俺が12歳の頃だったか、街中でギルバートの家人と出会った時の事だ。
その家人は横暴を極めていた、その上「この振る舞いは帝国法に抵触してませーん」と、子供相手だからと俺を見下しきった口調で言った。
それは正しかった。
その男は帝国法、庶民を罰する法には触れていなかった。
しかし帝国には家法というものがある。
内法とも呼ばれるそれは、親王などの皇族が家人を処罰するためのものだ。
ギルバート――第一親王の家人といえど、十三親王は主君筋にあたる。
そんな十三親王にいわば「舐め腐った態度」は充分に内法で処罰される対象だ。
だから俺はその男を捕まえて、内法に則り鞭打ち刑にした。
その時、男は十回程度で事切れたという。
詳しくない人間だと「鞭打ち刑」と聞いて軽そうな刑罰のイメージを持つことは少なくない。
特に農民ではそうだ。
使役する牛馬に鞭打って働かせる、ということを日常的に行っているからだ。
だから農民などでは「鞭打ち」と聞くと軽そうだと思う事がよくある。
が、刑罰としての鞭打ちはそんな軽い物ではない。
まず使われる鞭が家畜を使役する際に使われるものの倍以上太く、そして長い。
太ければもちろん重くて痛くなるし、長ければ長いほどしなりが加えられてさらに痛みが増加する。
その上、刑罰の鞭打ちは人間の肉付きが少ない背中に向かって打つものだ。
その激痛たるや、気の弱いものなら十回も打てばまず絶命するし、よほど頑強な男でも二十までいけば高確率で命を落とすほどのものだ。
今回、俺が下した裁きは100リィーンの横領で鞭打ち20回。
数万数十万単位の財産精算だ、「魔が差して」とはいえ100リィーン以下で留めておくものはまずいない。
やったものは皆それ以上の額を懐に入れた事は間違いないだろう。
そして、それをやったのは役人、文官たちだ。
鞭打ちが20、体を鍛えていない文官なら間違いなく死ぬしかない。
事実上の死刑宣告と言っていいくらいだ。
それらの事をゾーイはよく理解していて、それで「いいのですか?」と聞いてきたのだ。
「『バレたら観念しろ』」
俺はそうとだけ言った。
ゾーイはハッとした。
「――っ! かしこまりました」
「精算はそのくらいでいい、不動産、貴金属、奴隷などは全て後回しにして、まずは現金を使えるようにしろ。今は再建の時、金はいくらあっても困らん」
「かしこまりました」
ゾーイに色々指示した。
死刑にした不正役人どもから没収した財産を、災害の再建に割り当てる詳しい指示を出していった。
「大きくはこんなところだ。細かいところはお前の裁量に任せる」
「かしこまりました」
一通りの指示を終えて、ゾーイを実行に走らせた。
☆
夕方、書類仕事を続けているところに、ゾーイが再び現れた。
部屋にはいったきたゾーイは慌てることとは無縁といった様子で、しずしずと一礼してから切り出した。
「お忙しいところすみません。ドレイクとポイニクス、そう名乗る二人が見えております」
「来たか、どこにいる、案内しろ」
俺はフッと笑い、すっくと立ち上がった。
報告にやってきたゾーイと一緒に執務室をでて、そのゾーイの先導で廊下を進む。
先導するゾーイがやや不思議そうに聞いてきた。
「二人はご主人様に仕えて長いのでしょうか」
「ん? なぜそんな事を聞く」
「その、私を見て『懐かしい格好をしてるな』と片方がいっていましたので」
「ああ」
俺はふっと笑った。
「初めてあいつらとあったのは俺が十三親王時代だったから、屋敷にいるのはメイドであり宮殿の女官ではないからな」
親王宅の使用人と、皇帝の宮殿の使用人は格好からして違うものだが、それ以外でも違う事がいくつかある。
一番大きな違いは、宮殿の使用人は基本「女官」と呼ばれ、形式的にではあるし最下層だが、官職が与えられている。
今のゾーイは「十三親王邸筆頭執事」で正式な官職がないからメイドの格好をしている。
それをどっちなのか分からないが、メイドの姿を見て懐かしいと言ったらしい。
「たしかお前がまだ屋敷のメイドをしていた頃だったな。ポイニクスの方が物乞いまがいの格好をして俺に近づいてきて、投資のような話を持ちかけてきた」
「まあ、失礼な事を。ご主人様を騙そうなんて身の程知らずな、そんなものが成功するはずもないのに」
「それ以前の問題だったがな」
俺はふっと笑った。
「と申しますと?」
前を進むゾーイが、顔だけを振り向かせて、訝しげな表情をむけてきた。
「ああ、その時のあいつは体は薄汚れていて、服もボロボロ、ご丁寧に汗やらなにやらのすっぱい匂いまでくっつけてきたが――詰めが甘かった」
「どのようなところでしょう」
「頭皮が綺麗だった」
「あ……」
ゾーイがなるほど、という顔をする。
前に向き直り、歩きながら小さくうんうんと頷いた。
「そうですね、それは確かに詰めが甘いと思います。物乞いの頭皮が綺麗なままではあり得ない」
「そういうことだ」
「そうなりますと、二人は結構いいところの産まれだったということでしょうか」
ゾーイはそう言ってきた。
よく庶民では「貴族の髪は綺麗」といって、それを見分け方としているが、庶民は「頭皮も綺麗」だというのはわからない。
庶民は貴族を仰ぎ見るもので、頭皮なんて見る機会はほとんどない。
一方の貴族も庶民の頭皮などいちいち気にも掛けない。お互いがお互いの事をよく知らないのがほとんどだ。
それをゾーイが聞いてきて、俺ははっきりと頷いた。
「ああ、二人ともウォーター・ミラーという者の私塾に通っていた」
「私塾に……であれば知らないのも無理はありませんね」
ゾーイはますます納得した。
私塾というのは文字通り私人が開いている教育塾の事だ。
たいていの場合土地の名士か在野の学者がやっていて、そこに入塾するだけでかなりの金銭がいるし、そもそもコネがない者は門前払いにする事が多い。
つまり私塾に通えるイコールそこそこの家の生まれという事だ。
「それくらいの生まれなら物乞いへの理解が表面的になるのも致し方がない。一日限りの物乞いはやったことはあってもそれが続くことはあるまい」
「その甘さ――頭皮からそれを見抜いたご主人様はやはりすごいです!」
男との出会いについて一通り説明し終えたところで、応接間にたどりついた。
ゾーイがドアを開き、俺は中に入る。
二人とも鎧姿の武人の格好で、座ってはいなくて部屋の中で立っていた。
二人は俺を見るなり、さっと跪いて頭をさげた。
「クレス・ドレイク」
「リオン・ポイニクス」
「「召喚に応じ参上いたしました」」
先にクレスが口を開き、リオンが続く。その後二人で声を揃えての一連の名乗りはぴったり息が合っていて、打ち合わせはもちろんしていただろうが、それ以上に二人の付き合いの長さが伺える再会後の第一声だった。
「うむ、楽にしろ。立ったままじゃ話もできん、ゾーイ」
「かしこまりました」
ゾーイは応じ、応接間の外に向かって手振りでなにか合図をおくった。
すぐさまメイドが複数やってきて、ソファーセットのテーブルに茶と茶菓子を並べていった。
俺が先に座るのを待ってから、クレスとリオンの二人も俺の向かいに座った。
「すまんな、急に呼びつけたりして」
「いえ、状況は理解しております。このような状況で陛下に思い出していただけるのはこの上ない名誉」
「今の俺はここの総督だクレス。当面はあわせろ」
「はっ、失礼致しました、閣下」
クレスはパッと立ち上がって、九十度に腰を折って頭を下げた。
生真面目な性格ということもあって、呼び方を変えた後の「閣下」呼びは堂に入ったものだ。
一方の、出会いは物乞いの格好をして俺の前に現れたリオンは――。
「いやあ、まさかオイラたちを呼びつけるなんて。このあたりそんなにヤバいんですかい」
クレスと違って、こっちは敬意を保ったままフランクな口調で話しかけてくるという、地味に高等な技術を使っている。
「リオン!」
クレスがリオンの口調をとがめるが、リオンは悪びれることなく続けた。
「だってそうだろ。各地の『牧場』を管理する人間なんて山ほどいるだろうに、その中でわざわざばらばらになった俺達をひとまとめに呼びつけたんならよほどのことでしょうよ」
「そういうことではない、その物言いは閣下に失礼なのだ」
「へいへい」
「気にするな、クレスもすわれ」
「は、はい」
当の俺に気にするなと言われて、クレスは渋々といった感じで座った。