198.調教のたまもの
翌日、執務室の中。
俺はいつものように座っていて、向かいにワーズが立っている。
ここしばらくと少し違うのは、俺の横にメイド姿のゾーイが副官として控えていることだ。
ワーズは俺と、そして新顔であるゾーイの顔を交互に見比べて、いかにも言いにくそうな事があるって感じで口ごもっていた。
「その……」
「しっかりしなさい!」
ゾーイが大声を出して叱責した。
まさかメイドの格好をした女にこんな大声で叱られるとは思っていなかったのか、ワーズは驚きのあまりビクンとし、慌てて背筋をのばした。
「総督閣下の御前です、報告は簡潔明瞭になさい」
「は、はい!」
完全に気圧されて、顔がシャキッとするワーズ。
俺はゾーイに感心した。
たったの一言で、俺がここに呼んだ理由の一つである「総督」扱いと、総督の前ではシャンとすべきだという正論を両立させたのは中々やるなと思った。
そんな風に感心していると、ワーズが報告を始めた。
「各地の牧場に兵を差し向け、モンスター討伐をさせましたところ……その――」
途中でまた言いよどむワーズ、しかし今度はゾーイがにらんだところで慌てて先をつづけた。
「――ほとんどがモンスターの群れによって撃退されてしまいました……」
「撃退? 敗走してきたというのか」
微かに眉をひそめ、ワーズに聞き返す俺。
「はい……」
「ふむ……どういう事だ? もともとこの土地の牧場を管理していた者達ではなかったのか」
「そうなのですが、その、皆が口を揃えて『手ごわくなった』といっていまして」
「ああ」
俺はなるほど、と頷いた。
「どういう事でしょうか、ご主人様」
ゾーイが不思議そうに聞いてきた。
こっちのも「ああなるほど」という気持ちになった。
「ゾーイは戦闘方面には詳しくないんだったな」
「申し訳ございません」
「いい、専門外のことならそんなものだ。あのオスカーとて軍略をやらせればそこそこだが前線に出せばその辺の小隊長以下だ」
ゾーイを慰めつつ、本題に入る。
「モンスターは管理下にある時はそこそこ弱体化させていたのだが、野に放たれて強くなったのだろう。いわば鎖から解き放たれ、野生を取り戻した獣のようなものだ」
「なるほど、それなら分かります」
「ということは、今までの連中では手に負えないのか?」
ゾーイに説明をしたあと、改めてワーズに聞く。
「その……犠牲を覚悟――」
「もういい」
「いえ! いけます! ご命令さえくだされば!」
ワーズは一変して、食い下がってきた。
言いにくかった言葉を飲み込んで、血相を変えて食い下がってきたのだ。
俺の言葉で「見放された」と受け取ったのか、それだけはまずいと言わんばかりの必死さだ。
それはそれで仕方ない事ではある。
皇帝にしろ総督にしろ。
ワーズくらいの立場の人間からして見たら、上位の権力者に見放されるのはそれほど恐ろしいのだろう。
だから食い下がってきた、「犠牲を覚悟すればいける」と言い出そうとした。
が、しかし。
それは俺が望まないし――
「ご主人様は無為な犠牲を好みません」
俺の事をよく知っている副官のゾーイがぴしゃりと遮った。
ワーズはぐっ、と生唾を飲んでかすかにのけぞってしまう。
ゾーイは更に続けた。
「結果としての犠牲ならともかく、最初から犠牲前提の動きをご主人様は好みません」
「え、あ、はい…………」
ゾーイに言われたワーズ、それは本当か……という感じでちらっと俺の顔色をうかがってきた。
そんな「伺い」を無視して、ゾーイは更に続ける。
「以後、覚えておくように」
と言い放った。
「か、かしこまりました!」
本日二度目の「ビクッ」となったワーズ、またまた背筋をピンと伸ばし、かかとも揃えるほどの勢いで応じた。
ゾーイの「説教」が一段落したところで、俺は改めてと聞いた。
「兵が追い返された牧場の場所を教えろ」
「ご主人様御自ら出向くのでございますか?」
「兵は当面期待できまい、であれば俺が出るしかなかろう」
「かしこまりました。たしか民間ギルドの許可を出されていたとお聞きします」
「ああ」
「であれば――ワーズ、といいましたか」
「は、はい」
三度、背筋を伸ばすワーズ。
ゾーイはキッ、という半ばにらみつける様な目つきで告げる。
「それを早めなさい。総督閣下であればモンスターを苦もなく討伐できますが、いつまでもお手を煩わせる訳にはいきません」
「かしこまりました!!」
ワーズは「もちろんです!」って感じで応じた。
古い戦史に刻まれている英雄ならともかく、平時の総督――トップの人間がいつまでも現場に出る物ではない。
それは当たり前の事で、ゾーイに言われたワーズはちゃんと理解はしているようだ。
それを理解したワーズに追加でいくつかの指令を出してから、遂行するようにいって退出させた。
そうして、部屋の中に俺とゾーイだけが残った。
俺はゾーイに聞く。
「やけにきびしくあたったな、そこまでする必要もなかったのではないか」
「この度は副官を拝命しておりますので」
「ん?」
「トップと副官が飴と鞭をそれぞれ専念した方が良い場合が多くありました。当然ご主人様に鞭役、嫌われ役をお願いするわけは参りません、ですのでそれは私が」
「なるほど、よく学んだな」
「ご主人様の調教のたまものです」
「古めかしい言い方をする」
俺はふっと笑った。
ここ数十年、帝国文化が成熟――いや糜爛の域にはいっているせいなのか、「調教」という言葉が男女のそれ、特に性的な事をさす事が多くなった。
それは特に金と力に余裕のある上流階級がそう使う事が多い。
もっとも一般的なのが「性奴隷を調教する」という、糜爛した文化を象徴するような使われ方だ。
しかし、調教という言葉は本来――少なくとも帝国の初期では「上位の者が下位の者に施す教育」を指すものだ。
そして下位の者がそれに対し、感謝の意を表すために使われる場合がほとんどだ。
つまりゾーイは今、極めて古風な言い回しをしたという事だ。「調教のたまものです」というのは「やり方を教えてくれてありがとう」という程度の意味しかない。
そんな古めかしい表現、彼女が元メイドだという事を考えれば、これは極めてすごい事だと俺は思い、思わずしみじみとなって彼女の顔をじっと見つめてしまう。
「……」
「どうされましたかご主人様、私の顔になにか」
「いや、昔の事を思い出していた」
「昔の事ですか?」
「ドッゾの件でお前が俺の屋敷を去ろうとした時のことだ」
「あ……」
俺に言われ、その事を思い出し。
ゾーイはハッとした。
それは俺がまだ子供だった時の事だ。
ある日、ゾーイは俺のメイドをやめさせてもらえないか、と言ってきた。
いきなりの事で理由を詳しく聞くと、彼女の故郷で水害があり、実家にも甚大な被害がでたという。
母親のためにもすぐに大金が必要になったが、それは自分が娼館に身売りすればなんとかなるという。
普通であればそれでも足りないものなのだが、彼女には「元十三親王邸のメイド」という肩書きに価値がついたそうだ。
娼館で、「元十三親王邸のメイド」であれば、物好きが大金を出すというのは分かる話だ。
それを俺が止めた。
彼女を引き留め、ドッソという土地を丸ごと救済した。
そうしてゾーイを手元に置いたまま育てて、やがてエブリン同様に家人として外にだし、官職に就けてやった。
そうして今にいたる――
「人は宝だ」
俺はゾーイに視線を向けたままそういった。
「どのように成長し、いつ覚醒するのか分からない。今は冴えなくとも、環境に恵まれていないだけかもしれない、遅咲きなだけかもしれない。それでも待ち続ければ花が咲くこともある。お前がまさにその体現者になったと思ってな」
「それは――」
ゾーイは恥じらい、うれしいそうな顔をしながらも、俺をまっすぐと見つめ返してきた。
「ご主人様がすごいのです。天下を見渡してもメイドに、しかもその他大勢の一人のメイドにそこまで期待と時間をかけられる者は他に存在しません」
ゾーイが俺を持ち上げる。
俺はふっと笑った。
「だから嫌われ者はほどほどにな」
「え?」
驚くゾーイ。
はっきりと「それはどうして?」というのが顔に書かれているほどの表情をした。
「人は宝だ、今後お前にはその象徴になってもらわねばならん。変に嫌われすぎても」
「かしこまりました」
ゾーイは静々と頭を下げた。
肩が微かに震えている。
何故――と一瞬思ったが感極まっているかもしれないと分かったから指摘しないで流した。
顔を上げたゾーイは一瞬で、すっかり平然を取り戻していた。
「ところでご主人様」
「ん? なんだ」
「モンスターと牧場の件です。民間ギルトは不確定の要素が強く、またいつまでもご主人様の手を煩わせる訳にもいきません。迅速に別の手を、即効性のある手立てを講じた方がよろしいのではありませんか」
「その通りだな」
「では」
「しかし安心しろ」
「と申しますと?」
「手は打ってある」
俺が言うと、ゾーイは驚きと感心がない交ぜになったような、そんな表情を浮かべるのだった。
☆
数日後、執務室の中。
俺はゾーイからの報告を聞いていた。
俺はいつものように執務机に座っていて、ゾーイは他のだれかがいる時の「俺の横」ではなく、報告するための机の向こうで俺とまっすぐ向き合っていた。
そんなゾーイが、淀みなく数字類を読みあげる。
「現金323万7001リィーン、その他土地を始めとする不動産、貴金属類は概算で約1000万リィーンほどとなります」
俺も手元の資料に目を落としつつ、ゾーイの報告に頷く。
「ざっくり1500万ほどか」
「はい、死刑確定の者達の財産ですので、このまま州庫に没入いたします」
ゾーイから報告されたのは、今回贈収賄や横領で死刑になった者達の財産だ。
帝国法では贈収賄や横領で二十年以上の刑が確定したものは、その財産全てを――動産に不動産、そして奴隷などの使用人などの人的財産全て含め、国庫に没収すると定められている。
今回の件で死刑が確定した者の財産の清算をゾーイに任せていて、それが形となって報告された。
俺はゾーイの報告と、手元の報告書をまとめて頭の中で咀嚼しつつ、書かれていない事を聞いた。
「で、精算する過程で私腹を肥やした者はどれくらいいた」
ゾーイは一瞬だけ驚いたが、すぐに感動的な目で軽く頭をさげた。
「すごいですご主人様。いるいないではなく、既にいるものだとおわかりだなんて」
「これも一つの火事場泥棒だからな。数万いや数百万単位の金銭のチェックだ。自分の手を経過する数字の1%でもちょろまかせば数年から十年分の稼ぎに匹敵するし、1%程度ならバレないと思うのも普通の考え方だ」
「はい、皆がそろいもそろって魔が差したと供述してます」
「そういうだろうな」
俺は報告書を机の上に投げだした。