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197.俸禄と汚職

 官邸に入ると、ゾーイは内装を見回しながら、いった。


「この屋敷は地震を乗り切ったのですね」

「ああ、前の総督が使っていた官邸だ。州都であるこのララクでも家屋の倒壊が多かったがこの屋敷はびくりともしなかったそうだ」


「よほど大金を投入したのでしょう」

「建物を堅牢にする為の金ならさほど問題ではない。緊急時に総督までも下敷きになって倒れていれば更に混乱が広がっただろう」

「おっしゃる通りでございます」


 貴族、そしてそれに準ずる高級官吏にはいくつもの責務がある。

 そのうちの一つが、最後までその身を保持して、指揮や責任を取れる状態に保つというものがある。


 今回の話もそうだ。


 もし、地震が起きた瞬間に総督が下敷きになって倒れていれば、混乱はより大きくなって、被害が拡大しただろう。

 そういう意味では、安全に住めるために屋敷に金をかけることは決して悪い事ではなく、むしろ必須な事だ。


「緊急時には身を粉にして働く覚悟はいるが、同時にそうなるまでは万全な状態に保っておくこともまた必要だ――お前は普段賄賂をどれくらいもらっている」

「え?」

「横領はせんだろう、が、賄賂を送ってくるものはいるのではないか」

「はい、ございます」


 ゾーイは迷いのない口調で言い放った。


「ですが全て固辞してます、賄賂等は一切もらっていません」

「何故?」

「何故?」


 ゾーイの口から、素っ頓狂な声がでてしまった。

 ノータイムでの反応、棋奕(、、)用語でいえば手拍子での反応。

 それほど意外な質問だったのだろう。


 同じ「何故?」だが、俺とゾーイのそれはまるで意味が違い、込められている感情もニュアンスも百八十度違った。

 何故賄賂をもらわない事を聞き返した俺に対し、ゾーイは「何故何故と聞くのか」と、半ば驚いていた。

 長く俺に使えてきたため怯えといった感情はない、が、長く俺に仕えてきたからこその困惑は色濃く出ていた。


「理屈が知りたい、どういう理屈で賄賂等もらっていないのか」


 理屈が知りたい、という一言でゾーイは改めて考え直した。

 普段当たり前にやっている事を理屈で言葉にしろ、と言われると大半の人は困り果ててしまう。


 こういうことは意外と多い。

 例えば庶民に何故働くのか、と聞かれれば「働かないと食えないから」と簡潔明快な答えが返ってくるが、じゃあ何故家庭をもって子をなすのか意外と答えにつまったり、搾り出した答えも様々だったりするものだ。


 それと同じように、今ゾーイが必死に頭をひねっている。

 ややあって、まだ迷いがわずかに残る口調でゾーイが答えた。


「ご主人様がそれを望まれないためです、また、ご主人様の名を汚す事になります」

「ふむ、今みたいに俺が許可をすれば問題ないわけか」

「はい、今回の場合は謀略の一環でもありますので」

「うむ」

「とにもかくにも、ご主人様の名を汚さない、というのが大前提だからだと思います」


 ここで考えがまとまった、といわんばかりに口調から迷いが消えたゾーイ。

 俺は微かに顎を引いた。


「ということはお前は臨時収入にあたるものは一切ないという事になるな?」

「……はい」

「ふむ。しかしそうなると……例えばお前と同格の官職にある者に比べて、大分収入面で見劣りするのではないか?」

「確かにそうです。ですが俸禄で充分に食べていけますし、ご主人様のために働ける事を考えればどうということはありません」

「そうか……」


 俺は立ち止まった。

 大きな窓の前で立ち止まって、庭を見つめた。


「ご主人様?」

「お前の下にいるものたちの収入、俸禄ではない、総収入はどうなっている」

「それは……」

「ある程度お前に忖度して賄賂を取らなかったり、とっても控えめにしてるのではないか? お前がそういう人間でそう求めていれば」

「……おそらくは」

「そのもの達はお前、いやお前達(、、、)のように俺に心酔している訳ではない」

「申し訳ありませんご主人様、私にはご主人様がなにをおっしゃりたいのか……」

「帝国の俸禄は安い」


 俺ははっきりとそう言い放った。

 自然と目が遠くを見るような目になる。


「特に文官はな、第一宰相ドンの俸禄でさえ年間で1000リィーンほど、正規でだ。これは多いといえば多いが、少ないと言えば少ない。帝都の一般的な男の稼ぎがどれくらいなのか知っているか?」

「昨年の統計では、男で250リィーン。働く女で50ほどだったかと」


 ゾーイは補足で女の稼ぎも口にした。


「そうだ。で、だ。使用人一人を養う(、、)大雑把な基準というのがある、大体収入が相手の10倍というのが目安だ。家族としてではなく使用人としてなら、という基準だ。なぜなら使用人は使用人でその家族を養う稼ぎが必要だからだ」

「はい」


 ゾーイははっきりと頷き、相づちをうってくれた。

 既にメイドではなく、地方の代官になっている彼女。

 このあたりの知識は当然のものとして頭にはいっているようだ。


「そうなると、第一宰相ともあろう者が、正規の俸禄ではメイド一人か二人しか養えないと言うことになってしまう。当然それでは話にならない。第一宰相の格式を維持するのには邸宅には最低でも20人はいるだろう」

「2万リィーン……」


 話の流れから、単純計算で出た数値をゾーイは口にした。


「第一宰相、いやある程度立場が上のものになってくると忙しくなるもの。使用人がする雑事をいちいちやっていられん。ああ、そのあたりお前やエヴリンたちは他の誰よりも痛感しているはずだ」

「………………はい、メイドのような事をするよりも、その分の時間でご主人様のために、領民のために働きたいです」


 ゾーイは長い沈黙のあと、言いにくそうにした。

 メイドの出身であるゾーイ、そんな自分の口からメイドの仕事つまり家事周りを自分でやってられないというのに抵抗があったんだろう。

 それでいい、と言外に伝えるようにポンとゾーイの肩を優しく叩いてやった。


「であればそのために金はいる、じゃあどうするか。断っておくが横領や賄賂は許せん、法でそう定められている」

「ではどうなさるのですか?」

「答えは決まっている、正攻法でいくしかない」

「正攻法」

「俸禄を上げるのだ」

「たしかに……」

「基本の俸禄はあげる、なんなら正規の稼ぎで贅沢ができる位に上げてやってもいい。だが」

「だが?」

「賄賂や横領の罪は今以上に重くする」

「今まで以上に、ですか?」


 慎重な表情と口調で聞き返すゾーイ。


「ああ」

「先ほど一万リィーン以上は死刑とおっしゃいました」

「そうだ」

「私も受け取ってはいませんが、相場は知っているつもりです。一度手を染めた者が一万以下で留めておけることはほとんど……」


 言いにくそうにするゾーイ。


「つまりはそういうことだ」


 俺ははっきりと言い放った。

 ゾーイの言葉を肯定するように続けた。


「正規の俸禄はあげてやる。不自由なく暮らせて、なんなら贅沢も出来る。俸禄が低ければある程度の言い訳もたとうが、高給取りであるのにも関わらずまだ賄賂や横領をするのなら許せん、と言う理屈だ」

「すごいですご主人様。それなら筋が通ります」

「さっきのお前の話と同じだ。手順をふむ、ということだ」


 俺はふっと笑った。


「はい!」

「そこで一つお前に聞きたい。これはまだ決めかねていることだ」

「はい……?」


 ゾーイは意外そうな顔をした。

 俺がまだ決めかねていることを相談することがよほど意外だったようだ。


「本人がそうするのは酌量の余地はない、というのはいい。だが家族、例えばお前だと母親だな」

「……っ!」


 ゾーイは息をのんだ。

 ゾーイの母親、かつては俺にも助けられた事のある女。


「お前の母親は素朴な女だ。が、悪意を持った連中からは馬鹿で与しやすいという評価になるだろう」

「はい……」

「そんな母親が、お前の知らないところで、これは娘さんのためになることなんだよ、と言いくるめられていたらどうする」

「それは……」


 ゾーイは答えに窮し、視線が盛大に泳いでしまった。。

 俺も立ち止まって振り向くと、ゾーイがだらだらと汗を流しているのがみえた。

 もしかして実際に母が……と不安になったのかもしれない。

 だからまずは安心させてやることにした。


「安心しろ、調べはついている」

「え?」

「お前の母親はそういうことをしていない。それは確認済みだ」

「い、いつの間に……すごいですご主人様」

「先帝には遠く及ばないがな」


 俺ははははと、あえて空気をふきとばす、という感じで笑った。

 先帝に遠く及ばない、というのは謙遜でも何でも無い。


 ゾーイを呼びつけるに当って、そしてこの話をするに当って、彼女の母親の事を調べさせた。

 今でも彼女は母親と暮らしていて、母の事を大事にしていることで有名だ。


 そうなると、本人がいかに鉄壁であろうと――いや、本人が難攻不落であればあるほど周りから攻めていくと考えるのが当たり前だ。


 それでしらべてみたが、ゾーイの母親はそういうことはしていないようだ。

 横領はもちろん(高級官吏の肉親なら横領をする手段はいくつもある)、賄賂といったものも全く受け取っていない。

 これらのことを一応は調べ上げたが、あの先帝の情報網と比べればまだまだというのは自覚している。


「話は戻そう、その事を確認しているから、安心してお前に話せる。これはシンプルにお前にもしも、と聞いているだけだ」

「はい……もしも母が……なら」


 ゾーイは少し考えて、少し陰りのあるが、しかし決意した表情で俺をみあげる。


「私が責任をとらなければいけないでしょう」

「……そうか」


 俺は少し考えて、まとめた。


「では改めて立法させよう」


 と、宣言した上で。


「本人、家族問わず贈収賄および横領は唯一死刑、ただし見せしめが一巡して行き渡るまで家族の方の実運用では猶予をつけよう」

「すごいですご主人様、それなら完璧だと思います」


 俺は小さく頷いた。

 今以上の抑止力にはなるだろう、それは間違いない。

 なにか新たな問題が起こるかもしれないが、それはその時にまた手直ししていけば良い。

 それを畏れていては始まらない。

 まずはこの形でやってみようと、俺は腹心のゾーイとまとめた内容を、立法に回すように頭の中で整理していった。

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●感謝御礼

「GA FES 2025」にて本作『貴族転生、恵まれた生まれから最強の力を得る』のアニメ化が発表されました。

mrs2jpxf6cobktlae494r90i19p_rr_b4_fp_26qh.jpg
なろう時代から強く応援してくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございます!
― 新着の感想 ―
つまり、邪魔者を消すために贈収賄を利用できるということですね 真面目でそこそこ有能ではあるけれど、周到に用意されるか抵抗出来るだけの権力が無い者達がどんどん被害に遭いそうです
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