192.時代の入り口
翌日、街の郊外。
街のことは公使で着任したマヤに全てを任せ、俺はシンディーをつれて、ヌーフと一緒に彼女の家にやってきた。
木の板を組み合わせた質素な家で、ところどころ隙間風が入りそうな作りだ。
その家の近くに水田があった。
おそらくは少女一人でどうにか世話が出来る程度の広さの水田である。
「ここか」
「あ、うん。前の刈り取ったばかりだから、新しい芽がでてるかな……」
ヌーフはそういい、水田の方にむかった。
「ご主人様、刈り取りが高い様に見えますが」
「ああ、俺にもそう見える」
シンディーが俺に言ってきて、俺は頷いた。
水田――稲作の事はそれなりの知識がある。
南方で主食としてメインに栽培している作物で、その出来と収穫次第で人口が大きく変動するほどの重要な作物だ。
当然、ある程度の知識は頭に入れている。
ヌーフの水田は、通常よりも遙かに高いところで刈り取っている。
「あ、でてる。これだよ」
ヌーフはある稻の前で立ち止まり、俺に振り向いて手招きをした。
俺はヌーフのところにむかっていった。
「これか」
「うん」
俺は身を屈め、稻をじっと見つめた。
ヌーフのいうように、刈り取った奥から新芽が生えてきている。
「……つまり」
俺は少し考えた。
「これが育って、もう一度収穫出来るようになるのか」
「――っ!!」
俺がいい、シンディーは息をのんだ。
それがどれほどの事なのか、シンディーは一瞬で理解した。
一方で、ヌーフはあっさりと認めた。
「うん、これくらいのかりかただったらぎりぎり二回目間に合うよ。暖かい日が多めじゃないとぎりぎりだから、もうちょっと北の方に行っちゃうとダメかもしれない」
「日照か。他に収穫に作用する要素は?」
「最初の堆肥も追肥も普通よりかなり多めに入れないとダメかな。二回分収穫するから当たり前だけどね。あと、この品種だからだね」
「……そうか」
少し考えて、ヌーフに更に聞く。
「二回目の収量で大きく変わるか?」
「ちょっとだけ、でも上手くやったら一回目と同じくらいとれる」
「他にこれやってるところは?」
「え? ないと思う。あたし刈り取りの失敗で放っといてたのを偶然見つけて、試しにやってみたやつだから」
「……ヌーフ」
「う、うん。次は何を聞きたいの?」
「……」
俺は考えた。
時間にして数秒満たない程度だが、頭の中はここ数年で一番の速さで回転した。
わずか数秒だが、ヌーフは不安がって、俺とシンディーの顔を交互に見比べた。
「あの……どうしたん――」
「親は?」
「え? 親? あたしの?」
ヌーフはいきなりなんだ、といわんばかりの顔になるが、おずおずと答える。
「もういないけど……」
「なら、養女にする」
「……え?」
「ご主人様? 養女というのは……?」
「それで身分は皇女になる。次の提督が着任するときはその下で特使としてこの品種の栽培の拡大を仕切って、広げてもらう」
「…………えええええ!?」
一瞬の間、理解が追いつき声をあげて叫ぶヌーフ。
俺は矢継ぎ早に指示をだす。
「シンディー、帝都に連絡だ。エヴリンをここに呼べ」
「エヴリン様ですか?」
「全てがこの子の頭に入っているが、彼女では周りを抑えられん。エヴリンに重しになってもらう」
「エヴリン様ほどの方を重しに……ですか?」
「ああ、つまりはそれが俺の本気度ということだ」
「――っ! かしこまりました!」
「ヌーフ」
「は、はい」
「年間5000リィーンだ」
「な、なにが?」
「お前の俸禄だ」
「ええっ!?」
「皇女ではなく、政務もこなす親王相当の額だ。断るな、必要な事だ」
「え、ええ、ええええ!?」
「シンディー、同時にヘンリーにも連絡だ」
「は、はい」
「一……いや二年は前線のまもりを固めて、上手く牽制しろ。攻撃には出ない、が、出るつもりがないと悟らせるな。必要なら多少の土地は失ってもいい。ああ、ここは原文復唱していい」
「わかりました」
シンディーは指をおって、ものを数えるような仕草をしつつ応じる。
最初こそ少し慌ててしまったが、俺が矢継ぎ早に命令を飛ばす事になれてきたところで、命令一つ受ける度に数えるように指をおって、それで深く心に刻み込んでいる。
「ニール……いやアイゼンもここによこせ、向こう数年は皇帝以上に死なせてはならない者がいると伝えろ」
「はい」
俺は次々と命令を飛ばした。
シンディーは真剣に、俺の命令を一つずつしっかり頭に刻み込んだ。
ヌーフは相変わらずあっけにとられている。
「次は母上――皇太后のところだ。この稲を献上し、仔細を説明する」
「あの……皇太后陛下は政事にはお口出しをしないのではありませんか? 陛下もそれを望まれないかと……」
「ああ、そうだ。母上はきっと何もいわないだろう、そして余もそれを望まない」
「でしたら――」
「だが、皇太后に献上したという事実は残る。そして余も『否定はなさらなかった』という詭弁をろうせる」
「詭弁……」
シンディーは俺の言葉を舌の上で転がすごとく繰り返した。
あえて「詭弁」という言葉をつかった意味を噛みしめているのだろう。
「それと――シンディー」
「は、はい!」
「お前、馬を商っていたか? 軍馬だ」
「いまありません。ノウハウはあります」
「よし、このあたりで盛大にやれ。十年は税を免除してやる」
「なぜ馬を?」
「前から馬、牛、鶏、豚。色々やってみているが馬糞がもっとも肥料としての効果が高い。この稲が見込んだ収量をだせるのなら肥料はもとより、最終的には軍馬も大量に必要になる。なら近くで一緒にやったほうがいい」
「なるほど! すごいです陛下。この一瞬でそこまで考えていたなんて」
この一瞬ではないのだがな――とは思ったがあえて言わなかった。
「とりあえずは以上だ。疑問は? ないな? よしならいけ」
「はい!」
シンディーは頷き、小走りで駆けていった。
すこし離れたところで止めてあった馬車に乗り込んで、去って行った。
俺をこの場に置き去りにした格好だが、数十年の付き合いだ、シンディーは俺のことをよく知っている。
こういう時の俺は命令が達せられることを何よりも優先・重視するから、シンディーはまようことなく俺を置き去りにした。
その場に残った俺は、改めて稲を見つめる。
本当に……これの栽培が軌道に乗るのであれば――。
「ね、ねえ」
横からヌーフの声が飛んできて、入りかけた熟考から俺を引き戻した。
「うん? なんだ」
「さっきから一体何を? なんでそんなに?」
「農業の歴史はどれくらい知っている?」
「え? ちょっとだけ」
「ならば千年単位で農業の技術は進歩し続けてきたことは分かるな?」
「あ、うん。灌漑とか農具とか、いろいろ」
それでいいの? という顔で俺を見るヌーフ。
「十分だ。歴史上記録されている国の総人口、その上限は大体農業の技術の進歩とリンクしている」
「……より多く作物が作れるから養える人が増える、ってこと?」
「その通りだ」
ヌーフの物わかりの良さに俺はくすっと微笑んだ。
「国の人口っていうのは、戦乱や災害がしばらくない時はある程度で頭打ちになる。その壁を越えた時はいつも農業で何か大きな進歩があったときだ。余は……この稲がそうであるとにらんでいる」
稲を見つめ、いう。
「そして待ち望んでもいた」
「陛下は人をふやしたいの?」
「余は版図を拡大したい」
「はんとをかくだい……え? それって――」
驚くヌーフ。
賢いが根っこではまだ幼い少女のままだ。今の話はすこしばかり衝撃が大きかったようだ。
もちろん人口を増やしたいというのはまちがいではない、が、その根っこは版図を拡大したいということに繋がっている。
帝国は戦士の国だ。
帝国が帝国である事を示すには、わかりやすい戦功がいる。
先帝――父上は帝国を黄金期に導いた。
晩年は特に内政に力を入れた事もあって、版図はもとより、帝国の人口も過去最大に達した。
その状態の帝国を俺に渡した。
そして父上はいった。
名君と呼ばれるものの九割は、晩節を汚している、と。
そうと口にするからには、父上は晩節を汚す側に数えられたくないと思っているのは間違いない。
父上は崩御した、全てのことをやりきって。
しかし、晩節を汚すかどうかの要素が一つ残っている。
それは後継者選びのこと。
皇帝として重要なことの一つに、後継者――次の皇帝選びがある。
父上は俺を選んだ。
つまり、俺の行動、皇帝としての実績が父上の評価に繋がる。
俺が暗愚だったりすれば、最晩年にそんな後継者を選んだという晩節を汚してしまう。
だから俺は帝国皇帝として励まなければならない。
現状維持で及第点、版図を更に拡大することが帝国皇帝としての道である。
もちろん、無理にそれをやることも出来る。
あらゆるツケを先送りにして、一時の版図拡大も出来る。
しかし歴史とは容赦のないものだ。
無理にやった結果、そのツケで帝国の衰退に繋がれば間違いなく俺の失策、失政とかかれる。
そして俺の失政は父上の失敗でもある。
だから俺は人口をさらに増やし、帝国をさらに強くした上で版図を拡大するべきだと思っている。
そのため、父上が崩御してから地盤固めにいそしんできたところに、舞い込んできた大きな変化、その種子。
ここが勝負所だと俺ははっきりと確信している。
「でも……」
「うん?」
「版図を拡大するのなら、今の帝国なら普通にできるんじゃ?」
「ヌーフ、お前は戦いの必勝法を知っているか?」
「ひ、必勝ですか? そんなものが……あるんですか?」
「かしこいな。その年齢でその境地に至れるのは中々のものだ」
俺は素直にヌーフを評価した。
そう、ある程度の知識や教養があれば、まずは戦に必勝などない、というところに行き着く。
それは正しい、真理とすらいえる。
が、愚か者の中には魔法のような何かを、こうすれば絶対に勝てる何かがあると信じたくなるものだ。
それはいくさに限らず、あらゆる事象においてそうだ。
こうすれば最強、という言い回しで、成功の秘訣とやらがあることを信仰するものだ。
「その認識があれば言い換えよう。限りなく必勝にちかい方法だ」
「えっと……ごめんなさい、分からないです」
「それは、常に敵軍を優越、いや圧倒するほどの兵と物資を用意して臨むことだ」
「え? そんなこと?」
「そんなことだ」
「でもそれって、必勝法というより、内政とかの話じゃないですか?」
「その通りだ。勝つ状況を作ってから戦う、勝てる状況になるまでは戦わない。ここ数十年、帝国は繁栄とともにそのような戦いになってきた」
帝国の戦いは常に王道である。
少なくとも俺が生まれた時からそうだ。
「奇策というのは文字通り『奇』をてらう『策』、普通じゃない。それは常に成功しないということでもある。一か八かの奇策に頼るよりも王道。そして王道を実現するには国力を高めること。国力は九割以上が人口、もっといえば安定して食えて生業をこなせる人口。そしてそれが出来る様にするには食糧の生産、農業の更なるレベルアップがいる」
「……そっか」
一気に説明したあと、ヌーフはようやく得心がいった顔をした。
「フンババ」
俺は手をかざし、指輪からフンババを呼び出した。
出会った頃よりもより美しい姿になった、人間であれば間違いなく傾城傾国の美女であったろうフンババが目の前に現れた。
「うわっ、こ、これは?」
「……」
驚くヌーフに、俺は微笑み一つ。
そのままフンババに命じる。
「この場所と帝都の宮殿、そしてこの州の総督室に糸をはれ」
『わかりました』
フンババは嫋やかに微笑み、足元から影が伸びていくような感じで糸を伸ばしていった。
二本とも違う方向ながら、ものすごいスピードで伸びていく。
途中からは地中にはいって、見えなくなった。
「これの使い方も後で教える」
「使い方?」
「瞬時に帝都とも連絡が取れる方法だ」
「そんなものがあるの!?」
フンババの糸、商人程度の教育では当然教わっていない、精霊を従えた俺のみの力。
ヌーフが知らなくて、驚くのも当然のこと。
「のろしは知っているな?」
「あ、うん」
「この糸が帝都まで繋がったとして――」
俺は糸の一本にふれ、色を変えた。
白から黒になった。
フンババの糸は、他の人間にも使える様に、色を変える仕組みが別途用意されているのだが、フンババが従う俺なら触れただけで自在に色を変えられる。
俺が触れたところから、地中に入っていくところまで全てが一瞬で黒にかわった。
「帝都がわも一瞬で黒になる。後は白と黒の順番と、あらかじめ配っている暗号表があれば」
「――っ! すごい! 文章が伝わるんだね!」
のろしと先ずいったのが良かったのか、ヌーフはすぐにフンババの糸が出来ることを理解したようで、目を輝かせて興奮しだした。
この理解度、やはり賢い少女だったと俺は改めて思った。
俺は、更に少し考えた。
ノアになる前はただの村人だった俺がいろいろ出来る様になったのは、皇族としての教育を受けたところが大きいと俺は思っている。
もちろん、大人の頭脳があって、生まれた直後から人間の言葉を解し、知識を取り込むことが出来た事も大きいが、教育できる環境も大きいと俺は思う。
ヌーフは一種の天才だ、地頭と知恵はある。
ならば、俺のように――。
「ヌーフ」
「はい?」
「もっと教育を受けてみるつもりはないか?」
「――っ!」
聞いた瞬間、ヌーフは一瞬驚き、それから満面の笑顔になる。
☆
人は宝だ。
ヌーフの稲ももちろん素晴らしい、将来性を感じさせるものだが、俺にはヌーフの方がより宝物のように思える。
事実、ヌーフを手に入れた俺と帝国は。
この後、史上最大の版図への道に向かって突き進んでいくこととなる。