191.ノアとヌーフ
「――さて」
俺は改めて、と少女に振り向いた。
「図らずも余の正体を明かした形になったが、お前の名は?」
「ヌーフだよ」
「珍しい名前だな。名字は」
「ないよ、そんなの、孤児だから。必要な時はセーリングって勝手になのってるけど」
「ヌーフ・セーリングか」
俺は小さく頷いて、更に聞く。
「教育をどれくらい受けた」
「ちゃんとした教育なんてうけてないよ」
「ほう? とてもそうとはおもえないな。知恵は生まれつき持って来たとしても驚かないが、お前のそれは明らかに知識が伴っているものだ。天賦の才というだけではない」
「……」
「言えないのならそれでも構わん、とがめもしない。純粋な興味本位だ」
ヌーフは少し驚き、俺をまじまじと見つめた。
俺の真意を測ろうとしている顔だ。
しばらくして、わずかに顔を伏せるような形で口を開く。
「……付き添い、で」
「付き添い?」
「去年まで商人の家で小間使いしてたけど、途中からその家のお坊ちゃんの勉強の付き添いをしてた」
「はは、なるほど」
俺は楽しげに笑った。
シンディーもマヤも、何故俺がそうしたのか不思議そうで、シンディーはそのまま聞いてきた。
「どういう事でしょうか、陛下」
「お前もマヤも、自発的に勉強をしたのだからわからんのだろう。それなりの家に生まれたもので勉強嫌いだったりすると、この子のような勉強の付き添いに全部押しつける事は珍しくない。軽い所で様々な代筆、ひどければ宿題の一切合切をやらせる事もよくある」
「ええ!?」
「そのような事が……」
シンディーもマヤも驚き、信じられない、って感じの顔をした。
二人とも聡明で、かつはっきりとした目的が自分の中にあって勉強は苦ではなかったから、そういう発想がなかったのだろう。
しかしそれは確かにある。
皇族の中でも、今はさすがに少なくなったが、中興前の「皇太子以外なにもしない」仕組みの時はそういうのが当たり前に行われていた。
そのせいで皇太子以外は常にアホばかりが育って、国力がグングン低下していった過去がある。
それはともかくとして――なるほど。
俺はヌーフをみつめた。
「つまりはその商人の子供が受ける教育を実質お前が全部受けていた、ということか」
「そういう事になっちゃうのかな」
「なるほどな。言葉使いがそうな理由も納得した」
「あっ――」
「気にするな、それもとがめるつもりはない」
ヌーフは一瞬ハッとして、青ざめかけたが、俺は手をかざして大丈夫だといった。
もはや、彼女への興味の方が遙かに大きくなっている。
虚礼に目くじらを立てる必要性を感じない。
「去年までということは、今はやっていないのか?」
「宿題を全部やっていた事がバレて、去年追放されちゃった」
「責任を被らされたか」
「うん。あたしが良くない事を吹き込んだからって、追い出された」
「もったいない事をする。いや、余にとっては幸運だというべきか」
つぶやきつつ、心の中でなるほどと思った。
それも珍しくない話だと俺は納得したが、シンディーとマヤ――特にシンディーは怒りに近い不快感を露わにした。
とはいえ主の俺がヌーフと話しているので、自分の快不快を主張するわけにもいかない――ということで二人ともぐっと抑えているのがはっきりと分かった。
そんな二人を尻目に、更にヌーフに聞く。
「余の事もそれで知ったか」
「うん、いろいろ噂とか武勇伝とか」
「そうか……これで得心がいった」
「どういう事でしょうか陛下」
シンディーが聞いてきた。俺は説明してやることにした。
「知恵や知識と作法や言葉使いがあまりにもアンバランスでな。さっきから落ち着かない様子で何かしようとしているが何をしたらいいのかよく分からないという雰囲気だ」
「たしかに……もぞもぞしているから警戒していたのだけど害意はなかったから不思議がってはいました」
「そうだったのですね、さすが陛下!」
得心顔のマヤと、俺を称えるシンディー。
シンディーと違って、多少の武芸の心得があるマヤは俺の身辺警護を勝手にやっていたようだ。
「商人の、しかも子女の勉強の身代わりというのなら作法も言葉使いもまったく分からないのだろう」
「ごめんなさい」
「よい。虚礼を見せてもらうために誘き出したわけではない」
俺は軽く手を振って、その話をいったんしまいにした。
改めて、とヌーフに聞く。
「本題に入ろう……なぜあのような事をした」
「えっと……憂さ晴らし?」
「「――っ!!」」
ヌーフは逡巡した様子を見せ、その結果口から出たのが「憂さ晴らし」というものだった。
その言葉に、シンディーとマヤはイキリたった。
いまにもとびかかるか、大声をだして糾弾し出しそうな勢いだ。
「話を最後まで聞きたい」
「は、はい」
「御意……」
俺に止められた二人、不承不承という感じでひきさがった。
怒気が漏れるのまでは止められないが、ひとまずはおいといた。
「憂さ晴らしというのは?」
「みんな限界だったんだよ」
ヌーフの瞳には、年齢に似つかわしくない、深い憂慮の色があった。
「地震がおきて、水道が使えないから火事で燃えた範囲が広がって。それだけでも腹がたつのに、この街の商人はここぞってばかりに食料の値段のつり上げをした」
「なるほど、街のもの達が爆発寸前だったということか」
「うん」
ヌーフははっきりと頷いた。
憂さ晴らしの本当の意味を理解したシンディーとマヤの怒気が収まった。
「あたしが勉強に付き合ってた商人のお坊ちゃんはよく泣く子だった。でも泣いたらそのあとすぐにけろっとする。その時にわかったんだけど、人間って嫌なことがあってもちょっとずつ小出しにしていくと怒りも悲しみも大きくならない、たまっていかないんだ、って」
「なるほど、正しいな」
俺は頷きつつも、ヌーフに聞いた。
「しかしそれだけではないな?」
「え?」
「一般論だが、民は商人相手だとさほどの大爆発にはならん。『官』が絡んでいなければほどほどですむはずだ。お前がやったことは商人が相手、その商人が災害時でつり上げたとて、住人からすれば腹は立つだろうが行動に移すほどのものにはならん」
「あ、それはしらないんだ」
「なにがだ」
「ここの代官の実家が、このあたり一番の米問屋なんだ」
「……ほう」
一瞬、なるほどと思った。
そして自分でも分かるくらい、声のトーンが下がった。
ヌーフから視線をはずし、マヤをみる。
マヤは頭をさげた。
「申し訳ございません、そこまでは」
「よい。地方の代官の任命、その最終責任は皇帝たる余にある」
マヤには気にしないようにいった。
とはいえ俺も直接任命したわけではないのだから――いや、ちがうな。
「まだまだ父上におよばんな」
と、思わず口に出してつぶやいてしまう。
これが父上なら、帝国に蜘蛛の糸のように張り巡らせたであろう情報網を持っていた父上ならば把握していたであろうと容易に想像がつく。
その事を課題、懸案として胸の中に収めておき、さらにヌーフに聞く。
「つまり失政に加えて実家が暴利をむさぼるのが今の代官ということか」
「うん」
「なるほどな、憂さ晴らしに腐心するわけだ」
ヌーフは頷いた。
俺はマヤへ向いた。
「マヤ」
「はっ」
「そいつを拘束しろ。厳重に監視をつけろ、絶対に死なせるな」
「御意、名目は」
「水道の一件でおつりがくる。いけ」
「はっ!」
マヤは厳しい顔で外に飛び出した。
ヌーフは俺をみて、ぽかーんとした。
「どうした」
「う、ううん。あんなに大いばりしてた代官がたったの一言で……すごいなって。あっ、でも。罪を問うのなら証拠とか」
「さっきもいった、水道の一件で十分におつりがくる。水道は帝国の国策、それをないがしろにした代官としての不作為。地震で壊れたと言い逃れするだろうが、水道が普段から機能していなかったという証言――」
「みんなすると思う!」
ヌーフが俺の言葉に被せてきた。
この反応だけで、彼女も水道がらみで色々思うところがあるのが分かる。
「水道は国策、その不作為で悪質性が認められれば最高で――」
「斬胴の刑になる!」
ヌーフが身を乗り出すほどの勢いでいった。
無邪気な顔だ。
「よく知っているな、ああ。法には詳しかったんだな」
「あっ……うん、勉強、した」
「そうか……ふふ」
「?」
「どうされたのですか、陛下」
シンディーが聞いてきた。
「いや、年相応のところが見れたと思ってな。それに奇妙な既視感をおぼえてな」
「……あっ」
シンディーは何か思い当たる節があったようだ。
「どうした」
「その……えっと……」
「話してみろ」
「陛下に初めてお目通り叶ったときも、周りからすればこのように聡明な子供だったのだな、って」
「なるほど、ふふ」
シンディーならではの意見だ。
初めてシンディーとあったのは俺が六歳だったときの話。
その頃のことを持ち出せてるのはシンディーならではだった。
あらためて、ヌーフをみる。
彼女は状況がよく分からないというかんじで、やや怖じ気ついた様子で俺の様子をうかがっている。
才気煥発な子供、か。
「もしかしたら前世の記憶を持っているのかもしれないな」
「え? えっと……」
冗談めかしていうが、ヌーフはピンと来なかったようだ。
「ただの軽口だ」
といって、話を終わらせた。
改めて思う。
ヌーフという少女がわかりかけてきた。
代官で商人の家の教育を実質受けていたのだから、法に関しての知識はおそらく申し分ない。
しかし、斬胴の刑というのをああもするっと口に出せるのは、実際に見たことはないのだろう。
斬胴の刑が斬首の刑よりも厳しい刑罰とされているのは、その苦しみの長さと、見た目の残酷さにある。
斬首はあえて述べるまでもなく、首が落ちればおしまいだ。
即死で、痛みはほとんどないといっていい。
しかし斬胴の刑は即死はしない。
胴体を真っ二つに斬られる、死因は出血死がほどんどだ。
大体の場合、出血多量で死ぬまでに10分から数十分かかることがある。
その間、苦しみもがくのも特徴の一つだ。
見せしめとして行う場合、斬首よりも遙かに大きな衝撃として見物人に与える。
俺も法務親王大臣としてそれなりの数の斬胴刑をくだし、執行に立ち会ってきた。
慣れこそしたが、気軽に口にすることはない。
ヌーフのような幼い少女が軽々しくいうのは実際の現場を知らないからだと俺は判断し、聡明な少女の年相応な一面が垣間見えて少し面白いと感じた。
「あの……」
「うん?」
「なんで、水道が大事なんですか?」
「ふむ」
「あっ、その、大事なのはわかるんですけど、代官くらいすごい人が斬胴の刑になるくらい大事なのはなんでだろうなって」
「それは教わってないのか?」
「大事だとしか」
「そうか」
俺は頷いた。
なるほどと思った。
「これは明らかにされていることだが、多くの疫病というのは、病人の身の回り、それと接した人間の身の回りを水で綺麗に洗うだけでかなりまん延を防げるものだ」
「そうなんですか!?」
「完全ではないが、目に見えて抑えられる。いろいろやらせてみたが、ものによっては強い酒でもっと効果がでる。金がかかりすぎるから水道の整備の方が現実的だがな」
「そうなのですね……」
「疫病をある程度抑えられるという効果があるのなら――」
そこで一呼吸分言葉を止めて、シンディーを見つめてから、続ける。
「――極刑を見せつけて心が荒んだとしても、極刑の抑止力をもって綺麗な水を確保した方が救える命がおおい。余はそう判断する。本来なら……斬胴以上の刑が欲しいくらいだ」
「荒んだ……以上の……」
ヌーフは真顔でつぶやく。
打ち壊しで子供を遠ざける案をだしていたのは彼女で、その理由が子供の心――つまりは教育に悪いと説明したばかりだ。
それで俺の言葉に反応した。
かなり遠回しに言ったのだがそれに反応した。
俺はヌーフの評価を少し修正した。
頭のいい子供は得てして頭でっかちになって、自分の考えこそが絶対に正しいと思いがちなものだ。
それは大人の頑固さとはまた別物な、子供だからこその頑固さだ。
それはよくあることだが、ヌーフはそういうのがないようだ。
少なくとも一回立ち止まって、考え直す事ができる。
いい意味で柔らかい頭をしている。
目の前の宝を値踏みしつつ、俺も少し考えを改める。
「シンディー、帝都の――法務省に勅だ。細かい文言は任せる」
「はい」
シンディーは立ち上がって、部屋の一角にある机の方に向かった。
机の上に筆記用具一式があり、シンディーはそれを手にして代筆の体勢を整えた。
「法改正の下準備だ。公開処刑、特に極刑の場合は子供の観覧を禁ずる。その線でまとめさせろ」
「はい」
「――っ!」
シンディーは平然と筆をはしらせ、ヌーフは驚愕して俺を凝視してくる。
そんなヌーフにいう。
「子供は親の顔色程度、間接的にでいいだろう」
「はい……」
「さて、お前の話をしようか」
「は、はい!」
ヌーフは膝の上で両手をぎゅっとして、全身が緊張で固まる。
「ああ、処罰の話ではない――が、そっちを先にするか」
「え?」
「罪状は群衆の扇動だが、動機に酌量の余地がある。むち打ち十回の刑が妥当だが、幼さ故の身体的要素を考慮し、二十歳になるまでの執行猶予を同時に言い渡す」
「え、えっと」
「すごいです陛下」
困惑するヌーフとは裏腹に、シンディーは即座に手を止めて俺を称えた。
「ど、どういうこと?」
ヌーフは困惑したまま、俺とシンディーを交互に見比べた。
「お前が二十歳になる前に先帝の生誕100周年がある、その時に謀反以外の罪人に大赦を与える予定だ。むち打ち十回程度の軽罪ならそのタイミングで赦免される」
「ということは……むざ、い?」
俺の顔色をうかがいつつ、頭を高速に回転させながらのつぶやき。
無罪と恩赦は違う、が、結果としては同じだ。あえて指摘することもあるまい。
「それで間違いではない」
それで話は終わりだ、として、俺は改めてヌーフにきいた。
「改めて聞こう。今は何をしている。日頃の生業は?」
「え? あ、その、街の外の小さな土地で色々そだてて、それで」
「ふむ、それがなぜ皆にアドバイス出来る? なぜ聞き入れられる?」
「それは……あの……」
言いよどむヌーフ。
また俺の顔色をうかがうような振る舞いをみせた。
「興味本位だ。追求するためではない」
「あ、うん。あのね、レインさん――ウェイトさんの奥さんと仲がいいの。あたしが作った野菜をいつも買ってくれる人なんだけど、そのレインさんに旦那さんに言ってもらうようにしたの」
「なるほど、そのウェイトとやらは打ち壊しで実際に音頭をとった男のことだな」
「あ、はい!」
「多数の人間をまとめられる首領格の男であろうと枕物語によわい、か」
俺は納得した。
リーダーとなる男がいて、その男の妻がヌーフと仲がいい。
ヌーフはその妻にやり方をささやいて、妻が男に吹き込んだ。
種明かしをしてみれば驚きに値しない話だった。
古今東西、男と女でそういう間柄なものたちがおおかった。
極まった地位――皇帝であっても寵姫の一言に弱いことはままある。
そして女はその母性故子供に弱い事も珍しくない。
「子供に見せないように、という事を強調したのだな」
「うん」
頷くヌーフ。
代官の実家とか商人に一泡吹かせたい、でも子供に見せたら良くない。
子供であるヌーフがそういう話をすれば、妻や母となるような人間がそれに共感し受け入れるのは率直に納得できる話だった。
「作物では何を作っている?」
「今はお米だけ」
「米だけ? それでは年の半分程度しかないだろう」
「ううん。あたし、一年で二回収穫できる方法を見つけたから、お米だけでも結構忙しい――」
「なに!?」
ヌーフの言葉に驚き、椅子を倒すほどの勢いで立ち上がった。