185.水
翌朝。
朝早くに宿場町を出発して、昼ごろには街の近くにやってきた。
御者と言葉を交わしたシンディーが俺に報告した。
「まもなくメダインの街です」
「メダイン……ということはエンリル州に入ったのか」
「はい」
「よし、ここで停めろ」
「え? あっはい!」
シンディーは驚きながらも、慌てて御者に指示を飛ばした。
馬がいなないた後、馬車はゆっくりと止まった。
「まだ街ではありませんが、よろしいのですか?」
「どのみち街に入ったら降りて歩いてまわることになる。だったら最初から目立たない方がいい」
「なるほど!」
「街の外、呼べばすぐに来れる程度の所で待たせておけ」
「わかりました!」
そういって、御者にさらに命令を飛ばすシンディーを置いて、俺は一人で馬車から飛び降りた。
街道の先にはもう街のシルエットがおぼろげに見えている。
俺は先に歩き出した、シンディーは後から慌ててついてきた。
「遠目には大した被害はないようだな」
「え? あ、はい。そのようですね」
シンディーと一緒に歩いて街に近づいていく。
街に入ると、さすがに少しはあった。
「倒壊まではいっていないが……」
「瓦や外壁の損傷がところどころ見られますね」
「ああ」
「どうなさいますか?」
「こっちだ」
俺はそういい、不思議がるシンディーを連れて歩き出した。
「どこに行かれるのですか?」
「大まかな地図は頭に入っている――ここだ」
そう言って俺達がやってきたのは、街中を通る水道のある場所だった。
水道だが水が流れていなくて、念入りに観察したらひびが入っている。
「これは……水道に被害が出ているのですね」
「そのようだな」
「これでは皆の生活が苦しくなってしまいますね」
「……」
俺は無言でしゃがんで、水道の底に触れた。
まだ乾ききっていないヘドロが水道の底に残っている。
「あの……どうかなさいましたか?」
「いや。水道がこうなっているのなら生活用水はどうなっているのかと思ってな」
「そういえば!」
「街中を回ってみよう」
「はい!」
シンディーを連れて歩き出した。
人間は食事よりも水の方が大事だ。
食事を一週間しなくてもそうそう死にはしないが、一週間水を飲まないで無事でいられる者は少ない。
水道がこうなっているということは何か代替となるものがあるはずだ。
それを探すため街中をまわった。
それはすぐに見つかった。
「水屋……?」
看板を読みあげた俺は、自分でも分かるくらい眉をひそめた。
眉間が左右でくっつく位の勢いだ。
その看板が掲げられた店に、代わる代わる人々が訪れた。
ほとんどの人がカメやタルをもって、代金を払って水を買っていく。
「水を……売買しているようですね」
「そのようだ」
俺は近づいて、客の流れが丁度途切れたのを幸いに店の者に声をかけた。
「少しいいか?」
「いらっしゃいませ――うん? お客さん、入れ物は持ってないのか?」
「いや、旅の者だ。これはどういう店なんだ?」
「なんだ。ここは見ての通り水を売っているのさ。飲んでもよし料理に使ってもよしだ」
「水を?」
「そう――あっ、いらっしゃいばあさん」
「はい、これを満杯でね」
次の客が来たから、男は旅の者である俺らを放置して、客の老婆の応対をした。
老婆は使い古したカメを渡して、水を入れてもらった。
「はい、うちのカメだから代金一割引きね」
「……行くぞ」
俺は小声でそういい、シンディーを連れて、身を翻して歩き出した。
俺の背中から不機嫌オーラでも出ていたのか、シンディーはそれを慮る言葉を掛けてきた。
「あれは商人失格ですね。被災したのをいい事にあんな商売をするなんて。平時に戻ったら街にいられなくなるかもしれないのに」
「いや、その心配はないだろう」
「え? どうしてですか?」
「店の者の最後の言葉を思い出してみろ」
「最後の……えっと代金一割引き、ですか? その程度の事で不満が抑えられるとはとても」
「違う。うちのカメだから代金一割引き、だ」
「あ、はい。そうでした」
「老婆の持ってきたカメはかなり使い込んでいて年季の入ったものだった。それはつまりどういうことか」
「……水の売買を以前からしていた?」
「そうだ」
「だから街にいられなくなる心配がないのですね」
はあ……と、感心した様な表情を浮かべるシンディー。
どうやらまだ分かっていないようだ。
「シンディーなら分かるだろう? 帝国ではある一定以上の規模の街には必ず一級水道を整備しなくてはいけない」
「あ、はい」
帝国の水道はその品質によって、特級、一級、二級、三級と等級が分かれている。
特級は生でも飲用に適したレベルで、一級は煮沸すれば飲用に使えるレベル。
二級は洗い物など口には入らないが肌には接するためのもので、三級はそれ以下のとにかく水であればいい用途に用いる。
戦士の国で戦続きの帝国は水の重要さをよく知っていて、一級水道は確保するのが国是ともなっている。
それはつまり――。
「普段から飲用のための水を、しかも一般庶民まで当たり前のように買っているのはおかしい」
「すごいです陛下。たしかに……一部の裕福な人間ならともかく、ただの水があるのに食用飲用に買っているのはおかしいです」
「すこし聞き込みをしましょう」
「ああ、手分けしてやろう」
「はい!」
☆
一時間ほど街を回った結果、俺はますます険しくなった顔で、街外れでシンディーと向き合っていた。
「ご報告致します」
「ああ」
「どうやらこのメダインの街では、以前から一級水道の水は飲用に適さず、それで飲用の水屋が街の至る所に点在しているようです」
「うむ」
「そのため此度の地震で水道が破損しましたが、それほど影響はないと皆が言っております」
「こっちが聞き込みした内容とほぼ同じだな。『噂』は聞けたのか?」
「はい。代官が水道整備の予算を着服している……噂ではなく、代官の羽振りについて言及して事実だと断言する者も多くいました」
「予想通りだったという訳だ」
俺はため息をついた。
皇帝である俺が帝都を離れてここに出張ってきた理由の一つ、それは過去の地震に比べて火災の件数があまりにも多いから、水道まわりでなにか不正が起きているかもしれない、それを直で確認したい、というのが理由だ。
一級水道の維持は国是なのに庶民が飲用のための水を買う、それも日常化しているというのは不正が確実にあると言っているようなものだ。
「いかがいたしましょう」
「……ここから一番近い街はどれくらいで行ける?」
「急がせれば日没までには」
「そこも確認したい」
「はい!」
応じるシンディーと連れ立って街を出て、待たせてある馬車の所に向かった。
☆
メダインから更に数時間離れた所にある、スコークという名前の街。
シンディーの言う通り、馬車を急がせた結果日没の頃に街に入れた。
馬車と御者には先に宿に行ってもらい、俺とシンディーは街中を見回った。
ここも街の構造は頭に入っていて、俺はシンディーを連れて一直線に一級水道のあるところに向かった。
そこに見えたのは――。
「き、汚い……」
水道を見て、絶句するシンディー。
メダインと違って水道に破損はなく今でも流れている。
しかしその水はかなり汚くて、まさに汚水と言っていい程のものだった。
それを見たシンディーが絶句したが、直後、彼女は更に言葉を失うこととなる。
「ヒック……うぃぃ……」
まだ日没前後だというのに、既に酔っ払っているらしき男が千鳥足でやってきて、水道の所でまったく迷い無くズボンを下げて立ちションベンをした。
「な、なんてこと……」
「……」
俺はまわりを見回した。
日没前ということもあって、まだまだ多くの通行人がいるが、誰も男の行動を咎めていない。
通常、一級水道には見回りや見張りが立てられる。
そうでなくても口に入るのが一級水道だから、そこに立ちションをする者を見かけたら咎めるのが普通だ。
だというのに、誰も咎めていない。
それはつまり。
「これももう飲用に使われなくなって長い、ということだな」
「はい……」
「どうやら、帝都を離れてここまで来たのは正解だったようだ」
俺はこの後どうするか、頭をフルで回転させた。