183.再会
俺はシンディーからペンと紙を受け取って、ペンを走らせた。
簡潔な文面を書いた後、それを四つ折りにして用意されていた封筒に入れた。
タイミング良くシンディーが今度はロウソクを差し出してきたから、それを受け取って封筒に封のための蝋を垂らして、その蝋の上に俺自身が肌身離さず持っている皇帝の印を取り出して捺印した。
一通り作業を終えたあと、それをロビンに渡す。
「これを持ってダスティンの所にいけ。ここの仕事は急を要するもの以外は適当な者に引き継いでいけ」
「は、はい!」
ロビンは恭しいまま俺から封筒を受け取り、それを頭上に掲げたまま最後に一礼してから、後ろ向きの後ずさりのまま部屋から出て行った。
そうして再び、部屋でシンディーと二人っきりになった。
「あの……」
「うん?」
「どうして、ダスティン様にですか? 直接各省庁か、オスカー様にお渡しした方が良くなかったですか?」
「大した事じゃない、ダスティンのメンツを立ててやっただけだ」
「メンツ、ですか」
「わからないか? お前だって手塩にかけて育てた部下が俺に横から掻っ攫われたら嫌な気分になるだろ?」
「え? いえ、それはむしろその者の栄誉ですので……」
シンディーはきょとんと、おためごかしとかそういったものではなく、完全に理解できないという表情をしていた。
なるほど、俺に心酔しすぎるとこうなるのかという気づきを得た。
俺はシンディーが納得出来そうな説明を考えた。
「王族だとそうだ。物は言い過ぎだろうが、家人は財産に近い思われ方をしている。財産を一方的に取り上げられれば嫌な気分にもなる。だからダスティン自身に任せる形になった」
「すごい……そこまで考えて……」
「……」
本当はいらないかもしれない、とも思う。
俺の兄弟のうち、第十親王ダスティンは特に韜晦が上手い男だ。
しかもその韜晦は野心を隠すためのものじゃなく、「野心がなければ親王のまま天寿を全うできるだろう」という、俺の性格とやり方を見抜ききった上での韜晦だ。
それは今でも続いている。
今でも「放蕩親王」のスタンスを貫いて、崩していない。
だから俺もついでにメッセージを送った。
そうしている限り俺も親王として大事にする、というメッセージだ。
父上の「晩節」を守るためにも、皇帝に指名された俺は身内からの離反者を出すわけにはいかない。
まあ、ダスティンならそんなに問題はないだろうと、俺は楽観視している。
そんな事を考えていると、ふと、シンディのうっとりとした、頬が上気している姿が目に入った。
「どうした? 部屋が暑いのか?」
「え? い、いえ。すごいな、って、思っただけです」
「ふむ?」
「見事なお裁き、そしてその後の抜擢。これなら近いうちに不正をする官吏が一掃されて、民を虐げる者は根絶されるでしょう」
「根絶は不可能だ」
「……え?」
俺がクスッと笑いながら言うと、シンディーが虚を突かれたかのようにきょとんとなった。
「その手のものを根絶させられるとしたら、人間全てが神――いや、神に忠実な天使になった日だろうな」
「は、はい……すみませ――」
「が、為政者を根絶してやる、位の気概でいるべきだとは思う」
「え?」
「根絶は限りなく幻想に近い理想だが、よき為政者は理想を抱きつつも現実と区別してすり合わせられるもの。だから根絶してやる、位の気概は持つべきだろうとは思う」
「すごい……その通りだと思います!」
シンディはそう言い、感動したような目で俺を見つめた。
俺はふっと微笑みながら立ち上がって、部屋のドアに向かって歩き出す。
「どこに行かれるのですか?」
シンディーはやや驚いた顔を俺に向けた。
「酒場で情報収集する。お前は先に休んでいていい」
「は、はい。わかりました」
シンディーを置いて部屋を出て、壁やドア越しでもどんちゃん騒ぎが聞こえる酒場の方に向かった。
ドアを開けて中に入ると中々の熱気があった。
酒を飲む者、料理に舌鼓を打つ者、大声でがなる者。
入り口から一番近いテーブルで二人組の男が「酒遊び」をしていた。
「一本松の!」
「四角形の!」
「八方塞がり!」
「二重あごっ――ああくそ!」
「お前の負けー」
「ああもう!」
男二人は向かい合って片手を出し合い、コールするごとに握り拳から自由意思で指をだす。
コールは0から10の数字が付いた物で、コールした物と両方の出した指の本数が一致したら負けという単純なルールだ。
大体十数秒で勝負が着くから、負けた方が飲むというルールも合わせれば酒を飲む時にかなり盛り上がるゲームになる。
量と勢いが大事な庶民の酒場ではよく見られるゲームだ。
そんな活気を目の当たりにしつつ、俺は酒場の中を見回した。
どこかあいてる席に座って聞き耳を立てるか、あるいはどこかに入るか――。
「若いの、ここいらじゃ見かけない顔だね」
はっきりと俺に向かって話しかけて来たしわがれた声。
その声に振り向くと、老人が一人、静かに手酌酒をしているテーブルがあった。
これも何かの縁だ、と。
俺は老人の席に近づき、その向かいに座った。
「商いでエンリル州まで」
「そうかい。ここは初めてかい?」
「ええ……父から家業を受け継いだばかりで」
「そうかい」
「ご老人はこの土地で?」
「いいや、若い頃はこれでも都にいた事もある。あそこは性に合わなくて都落ちしてきたがね」
「ご老人の若い頃といえば先帝の御代ということになりますか」
「うむ。皮肉なもんじゃ。前の皇帝様は素晴らしい方でな、そのせいで都が賑やかになりすぎてわしには合わなかった」
「あはは、それはそれは、中々上手くは行かない物ですね」
「まったくじゃ」
老人と笑い合うと、その老人は自分の杯に酒を注いで、俺に差し出した。
俺は受け取って、それを飲んだ。
「……ふむ」
「どうかしたのですか?」
「いや。もしそうなら自分から飲むはずないよな」
「……?」
「こっちの話じゃ」
「そうですか」
一呼吸おいて、俺は質問をする事にした。
ここに来たのも、庶民の生活を実際に知りたかったからだ。
皇帝の所に上がってくる報告はどれだけ何をやっても忖度は無くならない。
だからこうして身分を隠した生の声が聞きたかった。
「ご老人はもう仕事は?」
「息子に引き継いだ。前の皇帝様が亡くなった時にな」
「そうでしたか」
「前の皇帝様は素晴らしい方でなあ、だからこそなくなった後動乱が起きるかもしれんと思ったのじゃ。わしもいい歳じゃ、安穏と仕事をするだけなら行けるじゃろうが、何か大きく動いたらそれをどうにかする体力はもうないのじゃ」
「当然です、そういうのは若者、息子さんがどうにかするべきです」
「それでしばらくは息を潜めていたのじゃが、今の皇帝様もどうやらすごいお人みたいでな」
「へえ?」
「息子一家は問題なく食って行けそうじゃから、わしはわしで老後の蓄えを持ち出してこうして飲んでいられるわけじゃ。ダメな皇帝様なら何かあったときのために節約しなければならないからのう」
「はは、そうですか」
俺はすこし満足していた。
老人が老後の心配をする事なく日々を過ごせているというのは、少なくとも民には安心して暮らさせているという証でもある。
だから少し満足した。
「まあ、あの皇帝様は利発そうな少年じゃったから、順調に成長したという訳じゃ」
「……っ」
俺は老人の言葉に少し驚いた。
俺の子供の頃を……知っている?