173.皇帝の革命
ここから第二部、連載を再開します。
半年は定期的に続けますので応援よろしくお願いします!
アルメリア州東部、ベロッソス平野。
古代より何度も決戦の地として名を残したこの地で再び決戦が繰り広げられようとした。
最前線の兵数はともに5千、馬上から見える敵軍の兵装は極めて良質に見えて、士気も相応に高そうに見える。
「陛下! 敵軍が動き出しました」
「うむ」
華美に着飾った白馬の上で俺は頷いた。
兵の報告通り、敵軍が砂埃を巻き上げながら突進してきた。
5000人の足踏みに大地が震え、怒号が巨大な壁となって押し寄せてくる。
「……ゴクッ」
兵の誰かだろうか、生唾を飲む音が近くから聞こえてきた。
ちらりと背後の兵を見る。
恐怖や怯えといったものは見当たらない、が、一様に緊張しているのが表情から伺える。
ならば、まずは。
緊張だけでも振り払う!
「リヴァイアサン」
手をかざし、リヴァイアサンを召喚する。
魔剣リヴァイアサンが圧倒的な存在感を伴って顕現し、かざした素手に力の象徴が添えられる。
兵にさっきとは異なった種類の感情が広まっていく。
「先手をとる、やれるか」
『御心のままに』
リヴァイアサンは力強い声で、しかし従順な声で応じた。
狂犬と忠犬の二面性だけで存在の全てを構成しているようなリヴァイアサンは俺の命令に異を唱えたことはないし、出来ない事はいわない。
今もまた、二つ返事で応じた。
「……」
俺は無言のまま、リヴァイアサンを頭上につきあげて、両手でしっかりと柄を握り締め、構えた。
そして、巨獣の如く怒濤と押し寄せてくる敵軍に向かってリヴァイアサンを振り下ろした。
無造作に、しかし全力で。
リヴァイアサンの切っ先が振り下ろされるとともに、巨大な剣気を放った。
剣気は三日月のような形になって、敵軍にむかって飛んでいった。
巨大な三日月が飛んでいく。
巨獣のごとき勢いをもった敵軍だが、その図体故にすぐには止まらなかった。
三日月の剣気と最前線がぶつかり合って――弾けた。
最前列の兵士は鎧ごと体を両断され、悲鳴とともに大量の鮮血が飛び散った。
なおもとまらない剣気が地面をえぐり、土埃を巻き起こす大爆発を起こした。
土埃が鮮血と悲鳴を覆い尽くし、敵軍の陣形が乱れ、勢いが完全に止まってしまった。
「「「おおおおおっっっ!!!」」」
俺の一撃を目の当たりにした自軍の兵達が気の早い勝ち鬨のような歓声をあげた。
それを冷まさないよう、すかさず、リヴァイアサンを天に向かって突き上げる。
「全軍突撃!」
号令一下。
練度の高い帝国兵は、俺の一撃に鼓舞された事もあいまって、かつてないほどの勢いで敵兵に向かって突撃していった。
勢いを削がれたものと、勢いをつけたもの。
先頭から最後尾になった俺は、圧倒していく戦況を眺める。
「す、すごい」
横から興奮気味の声が聞こえてきた、声の方に視線を向けた。
全軍が突撃した後、皇帝である俺のまわりには100人弱の部隊だけが残った。
ほとんどが若い兵達で構成されている部隊。その若い兵達は皆、憧れの眼差しを俺に向けてきていた。
「あれが伝説の魔剣」
「間近でみたの初めてだ」
「あんなとてつも無い力を……すごい」
最前線でぶつかりだした後の、俺のまわりを守るのが役目だからか。
もはや戦闘にはならないと感じた若い兵達からはさっきまで感じていた緊張が跡形もなく吹き飛んでいた。
吹き飛ばしすぎたか、と。
俺は肩をすくめたまま、リヴァイアサンも持ったまま。
順調に進行している前線を睥睨し、督戦を続けるのだった。
☆
夕方。
敵軍が潰走していったから、ほどほどの追撃で切り上げるようにと指示を残して、先に野営の陣地に引き上げてきた。
既に交戦の優勢が伝わっているからか、俺と100人弱の小さな部隊を、陣地に残った兵が歓呼で出迎えた。
それを泰然と受けつつ、俺は自分の天幕に戻った。
「あっ……」
中にいる女が俺の姿に気づいて、慌てて立ち上がって、小走りで向かってきた。
「お帰りなさいませ陛下。申し訳ございません、出迎えにもいかず――」
「気にするなエヴリン。小競り合いのちょっとした勝ちにわざわざお前が出てくることもない」
「そうで……ございますか?」
彼女は不思議に首をかしげた。
エヴリン。
かつて13親王だった俺の屋敷から初めて代官として外にだした「家人」で、その後も順調に功績を重ねたから、少し前から更なる側近として帝都に呼び戻して手元に置いている。
今は第四宰相の地位を与え、内政のあれこれをとりしきってもらっている。
「そろそろ自分の立場を意識にいれておけ。お前は今や第四宰相、自分の動きがまわりにどう見られるのかという意識をな」
「意識……」
「格に見合った振る舞いをしろという事だ。ことに兵の前ではな」
「かしこまりました。肝に銘じます」
エヴリンはそういい、言葉通り肝に銘じる――体に俺の言葉を刻み込むような、真剣な表情をした。
そんな彼女の横を通り過ぎながら、「そう気負うな」といいながら肩を叩き、皇帝用の執務机に向かい、腰を下ろした。
「帝都からなにかいってきてるか?」
「あ、はい!」
エヴリンははっと我に返り、すこし慌てた様子で走ってきて、執務机越しに俺と向き合った。
そして、机の上に置かれていた文書の一つを手に取って、俺に差しだした。
「こちらが今朝の知らせです。ゴフェルで大雨が降り始めているとのことで、土地の古老によれば数日から十日はつづくであろう降り方、とのことです」
「ゴフェル……は確か」
「こちらでございます」
エヴリンはそういい、体をさっと横にずらした。
執務机の前が開き、天幕の反対側に帝国の地図が視界いっぱいに広がる。
天幕の中、壁一面に展開した巨大な帝国の全体地図だ。
横に広いのはもちろんの事、縦であっても成人した男が手を伸ばしてもてっぺんには届かず、指し棒を使うほどの大きなものだ。
「用意がいいな」
「恐縮でございます」
俺は立ち上がって、地図の前に移動した。
「ゴフェルは確か北西の――ここだったな」
帝国の北西、地図でいえば左上を指さした。
巨大な地図故、北の方は男の俺でも見あげる必要がある。
「はい、こちらでございます」
エヴリンはそういい、いつの間にか持ってきていた棒で左上の一点を指した。
地図の上では山脈がつづく高地の場所だ。
「なるほど」
「ここアルメリアとは、帝都を挟んだ反対側でございます」
「そこで大雨が降り始めたという訳か」
「はい」
「土地の人間の、しかも古老ともなればその経験はバカにできん。上流で大雨が降れば下流はやがて増水する。降り始めたのは今朝だったな?」
「さようでございます」
「なら猶予はないが間に合いもする。下流一帯に避難をさせておけ」
「かしこまりました」
「雨の規模にもよるが、それなりの被害がでるだろうな。まずは食料、その後は建材や農具や種籾も用意させておけ」
「かしこまりました」
俺が命令をだすごとに、エヴリンはそれを書き留めた。
全てを書き留めたあと、俺から追加の命令がないことを理解したエヴリンは天幕の入り口に向かっていき、文官の一人を呼び込んだ。
文官はエヴリンの手から紙を受け取り、天幕の隅っこにある机に向かった。
机の上に紙を置き、二つのボタンがある道具に手をかける。
天幕のそとに太い線が繋がっている道具の、二つのボタンを交互に、しかし不規則に押し始めた。
俺はそれを眺めた。
俺が作った仕組みだからみているだけで理解できた。
ボタンの組み合わせは、今俺が話して、エヴリンが書き留めた文章そのものだった。
「すごいです……陛下」
「ん?」
横を向くと、いつの間にかエヴリンがそこに戻ってきていた。
戻ってきたエヴリンはいつにもまして、心酔しきった目で俺を見つめていた。
「陛下が作りあげた有線逓信、本当に革命的な発明でございます」
「ふむ」
有線逓信というのは、今やっているこれの事だ。
覚醒したフンババの糸をつかって、遠隔地に白と黒の二元的な知らせを送ることが出来る手法だ。
黒と白の組み合わせを暗号にし、その表を双方が持つ事で一瞬で情報を送ることができるようになった。
ちなみに「逓信」というのは知らせを順次に受け渡していくこと――つまりリレーだ。
出来たばかりの仕組み、大仰な名前でわかりにくかったらもったいないから、俺はそのまま「有線逓信」という名前をつけて、フンババの糸を帝国の主要地域に蜘蛛の網の如く張り巡らせた。
それが今、役に立った。
「ゴフェルから帝都、帝都からこのベロッソス平野。従来であれば超特急の早馬でもよくて10日、もたつけば半月なのに、今朝の事がもう届いています。いえ、今朝の事で土地のものからの意見を聞いてまとめるのに使った時間を考えれば、情報の伝達は数時間しかかかっていません」
「そうだな」
「すごいです陛下! 今までとは比較にならないくらいの速さです」
「……」
「陛下? 何をお考えですか?」
「有線逓信のこの仕組み、使えば使うほど一つの考えに行きつく」
「何がでございますか?」
エヴリンはきょとん、と首をかしげた。
「代官、いや総督くらいか。なぜ帝国は、いやあらゆる国が地方に総督といった、土地をまとめおさめる人間をおいていると思う?」
「それは……はっ!」
エヴリンははっとした。
聡い彼女の事だ、正しく理解したようだ。
それはかなりの発想で、それを理解したが故にエヴリンは一瞬で興奮しだした。
まるで少女のような、無邪気な瞳だ。
「すごいです陛下! それは――」
「両刃の剣だよ」
俺は苦笑いした。
手を振ってエヴリンの興奮を抑えた。
第四宰相エヴリン。
13親王邸から外にでた最初の家人、一番の出世頭。
今や第四宰相まで登りつめたエブリンは才女だ、故にすぐに理解した。
これほどの早い情報伝達ができるということは、統治は全て帝国の中枢で行うことも不可能ではない。
なぜ各地に総督や代官という、場合によってはその土地の最高権力者になるものを置くのか。
それはひとえに、命令伝達速度の限界から来るものだ。
皇帝の命令が地方に届くまでに日単位でかかる。
状況報告からの命令伝達だと考えれば十数日から下手をすれば月単位かかってしまう事も珍しくない。
統治するのに、すぐさま決定しなければならない事もある。いやむしろそういう事の方が多い。
中央からの伝達に時間がかかってしまうから、地方には能力をもち信頼も置ける人間をおいて、限定した権力をあたえて代理人として執行してもらう。
つまりはあっちこっちに脳みそをふやすわけだ。
しかし、中央から辺境まで一日以内で連絡出来る手段があれば、その脳みそを無くすこともできる。
極端な話脳は中央に一つ、各地には手足だけをおけばいい。
いや目と耳は残す必要があるか。
つまり総督や代官は残るが、権力や権限を大幅に削減し、現地の実行官に事実上下げることが出来る。
極論総督という役職がなくなってもいいくらいになる。
「さらなる中央集権が可能――それは両刃の剣だ」
「それでも! その可能性を作り出した陛下はすごいです!!」
俺が両刃の剣といったのにもかかわらず、まだその意味にピンと来てないエヴリンはますます興奮していたのだった。